日々草子 忍ぶれど 5

忍ぶれど 5



「まだかよ。」
「もう少しお待ち下さいな。」
琴子は碁石を手に頭を抱えている。もうかれこれどれだけの時間を待たされているか。

琴子が倒れたことをきっかけに、二人の距離は少し縮まったかのように見えた。琴子は自ら和歌や手習いなどをやるようになり、直樹にも教えを乞うことが多かった。
そして今日は直樹の部屋にて碁盤を挟んでいる。
「碁は姫のたしなみですものね。」
そう言って直樹を誘い込んだのはいいのだが、琴子の腕は直樹より相当劣る。殆ど勝負にならないのだが、直樹はつい相手になってしまうのだった。



穏やかな時間が流れていた時、めでたい知らせが左大臣家に届いた。
直樹が中納言へと出世したのである。
「まあ…!」
琴子は喜びの声を上げた。
「それでは何かお祝いの品を考えないと。」
何がいいだろうかと、頭を悩ませる琴子。

そして左大臣家ではもう一つの祝い事を考えていた。
それは、琴子の裳着をやろうというものだった。

「姫はまだやっていないということですし。」
紀子はこれを機に、琴子を左大臣家の姫君と世間に広めたいと考えていた。勿論、重樹も同意した。
「それで腰結の役なんですけれどね。」
紀子は傍にいる直樹をチラリと見て、
「兄が妹の腰結をしても何の不都合もありませんものね。」
と言った。
「ええ!?」
これに直樹が驚きの声を上げる。が、同時に琴子からも声が上がった。

「何を驚くことがあるの?腰結は父親がすることもあるんですから、兄がやってもいいでしょう。」
「そうだな。二人は最近仲睦まじいことだし。」
重樹も頷く。

「そんな…。」
琴子が顔を赤らめた。
「そんな…お兄様にそのようなお役目…恥ずかしゅうございます。」
「恥ずかしがるタマか。」
今更何を恥ずかしがるのかと呆れる直樹。
「だって…裳着の腰結のお役目って…。」
琴子は恥ずかしがりながら、直樹をチラチラと見ながら話す。
「…一枚、一枚、私の着ている物を脱がせていくお役目ですよね?」
「はあ!?」
これには琴子以外の全員が声を張り上げた。

「そんな…いくら兄とはいえ、お兄様に肌を見せるなんて…まだ心の準備が…。」
扇をいじりながら、もじもじとする琴子。
「お前…裳着ってのは“裳”を“着”けるから裳着っていうんだ!」
直樹が叱りつけた。傍では裕樹が顔を赤くして俯いている。
「そうよ、姫。腰結とは腰の紐、小腰を結ぶお役目であって、脱がせるわけじゃないわ。逆、逆。」
紀子も説明をする。
「え?そうなんですか?」
「当たり前だ!」
まったく、どこでそんな間違った情報を入れてきたのかと直樹は溜息をついた。



結局、両親の説得により琴子の腰結は直樹がすることとなった。
衣装やその他の準備に忙しい紀子。一方琴子は自分のことは紀子に任せて直樹の昇進祝いの準備に余念がない。
自ら絵を描き扇を作ったり、香を合わせ直樹へと届けたのだった。



「うわ…!!何だ、この匂いは!!
裕樹は直樹の部屋に入るなり、袖で鼻を押さえた。匂いだけではない。なぜかモワモワと煙に部屋全体が覆われている。
「兄上!どちらです!」
裕樹は煙の中に向かって声を張り上げる。鼻にはありえない匂いがどんどん入ってくる。
「ここだ。」
煙の中から兄の声が聞こえ、裕樹はそれを頼りに再び袖で鼻を覆いながら進んだ。

「これは一体…。」
兄の前に辿り着いた時、裕樹は香炉を見つけた。この尋常でない煙と匂いの元は明らかにこの香炉だった。

「琴子が昇進祝いにと寄越した。」
琴子が自分で調合したと聞き、裕樹は納得する。それにしても、どこをどう調合したらこの煙、匂いが発生するのか。調合している時に気がつきそうなものである。
そして裕樹が不思議に思ったことはもう一つ。この匂いと煙になぜ直樹は、平然としていられるのか。

「虫すら入ってこなくなった。」
ポツリと直樹は呟き、そして、
「人も入ってこないけどな。」
と自嘲気味に続ける。
虫避け、人避け、魔除け…全てをこの香でまかなえると裕樹は思った。


「それは?」
煙と匂いに涙ぐみながら、裕樹は直樹が広げている扇に目をやった。
そこには上手とはいえない絵柄が描かれている。
「これも琴子が?」
「ああ。」
「分かりました。兄上と自分のことを描いたのですね。あいつも自分がスッポンで兄上が月だってことは分かるんだ。」
一人勝手に考え、頷く裕樹。裕樹は誤解をしているが、これは「スッポン」ではなく「亀」である。

「…本当にこんなことをする奴を左大臣家の姫だと広めていいんですか?」
再び煙にむせながら、裕樹は直樹を見た。
「とりあえず、香の調合だけは禁止させよう。」
あまりの匂いと煙に耐えきれなくなった直樹は袖で煙を払いながら、避難を始めたのだった。



佳き日に琴子の裳着が行われた。
左大臣家には、朝から次々と祝の品が届けられている。それだけ世間で注目を集めているという証拠でもあった。

「全く、面倒なことだ。」
正装した直樹は直前までそのようなことを考えていた。
そして、深夜、とうとう琴子と対面をする時がやってきた。


髪を上げた琴子は、恥ずかしそうに扇で顔を隠していた。その扇の使い方はあの「ばあ!」とやっていた時とは明らかに違う。
―― いつの間に…。
直樹は驚く。今宵の琴子はどこから見ても姫君だった。

そして…その扇の間から顔が少し覗いた時、また直樹は驚く。

―― これは…誰だ?

そこにいたのは、直樹が見たこともなかった美しい姫だった ――。

「…?」
いつまでも小腰を結ぶ様子のない直樹を琴子は更に扇を顔からずらした。

「…!」

直樹がじっと自分を見つめている。瞬きもせずに。

―― どうして?

どこかおかしい所があるのだろうかと不安になる。だがおかしい所はどこもないはず。

「お兄様…?」
琴子は直樹にしか聞こえない小声で、直樹を呼んだ。その声に直樹は我に返った。
「あ、ああ…。」
漸く、自分の役目を思い出した直樹は小腰に手を伸ばした ――。



夜がかなり更けても、直樹は自分の部屋に入らずに渡殿から琴子の部屋を見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、先程の琴子の姿。なぜあんなに見つめてしまったのか。
「きっと、あいつの正装を見たのが初めてだからだろうな。」
そう。いつもの桂ではない、裳を付けた正式な姿を初めて見て驚いただけだと、直樹は自分に言い聞かせようとする。だが、いつの間にあんなに美しくなっていたのかという驚きは隠せなかった。

無事に裳着を終え、これで琴子が左大臣家の姫だということは世間に広まる。そうなると…若い公達から次々と求婚が来るだろう。

やがて…その中から選ばれた公達が、あの琴子の部屋を訪れる夜が来る。

―― あいつ…ちゃんとぼろを出さないでいられるだろうか。

その時が来て、「キャーッ!助けて!」と悲鳴を上げ、暴れまわるんじゃないだろうかと、今から直樹は不安になる。

―― いや、大丈夫。女房達がちゃんと教えるだろうし。

直樹は自分の馬鹿馬鹿しい考えを振り払った。

そして…琴子がこの邸を出て夫と暮らす日も近くなる。

「お兄様、お世話になりました。」
とあの笑顔で直樹の前に手を突くのだろう。

その様子を想像すると、なぜか直樹は胸のあたりがざわついた。

「あ…。」
手にしていた扇がいつの間にか折られていた。
直樹は折ってしまった扇を放り投げ、懐から琴子から贈られた扇を取り出し広げた。
「…下手くそ。」
そして空を見上げる。
空には見事な満月が浮かんでいた。


「お疲れでございましょう。」
女房達が琴子を気遣った。
「明日からきっと、沢山のお文が届けられますわよ。」
これぞ、年頃の姫君に仕える醍醐味だと女房達は胸を弾ませる。
「でも…私なんていつもお兄様に叱られてばかりだし。」
「まあ!直樹様はあのような何でもおできになるお方ですから、姫様に求めるものが多すぎるんですわ!直樹様を殿方の基準に考えてはなりません。」
女房達は笑った。

そして、一人になった時。
琴子はふと、裳着の式との時の直樹の様子を思い出した。
―― どうしてあんな風に見てたのかしら?
あの時の直樹の目は、いつものように琴子を馬鹿にするような目ではなかった。
―― お兄様、あんな風な目をされたのは初めてだわ…。
何か思う所があったのだろうかと首を傾げつつ、琴子は疲れた体を横たえたのだった。










☆あとがき
当初の予定では琴子が裳着を迎えるこの回で終わる予定だったのですが、先週リク主様に「長くなってもいい」と許可を頂戴したので…。

スッポンは平安にはないと思います…。
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もう復帰なさって下さったんですね。こうして読者の事を気にかけて下さった水玉さんの優しさに何て言ったら言いのか、言葉がみつかりません。お話も琴子と直樹が優しい時間を過ごしてて、心温まりました。漸く直樹が自分の気持ちの変化に戸惑い始めて、微妙な関係になっていきそうですね。どうか、ご無理なさらず、水玉さんのペースでお過ごし下さい。

直樹の変化に私までドキドキです♪
この胸キューーンな感じが好きです。

気遣いの達人水玉さん♪
すこしずづで、良いですからね。
ゆっくりとご自分のペースを取り戻してくださいね。
けど、続きも読みたい!

すごくドキドキな展開がはじまりましたね。
今更ながら兄妹という関係を意識し始めてしまうのでしょうか。

でも、もう書き始められて、水玉さんは大丈夫ですか!?
こんなに早く復帰されて、本当に心配です。
ご無理だけはしないでくださいね。

 お話しありがとうございます。

            こんばんは
 お話しありがとうございます。水玉さんありがとうございます。
 直樹は日々変化してますねぇ・・・。琴子の碁のお相手・・・とてつもない香りの調合、お祝い扇・・・
ほんとに近くに琴子を感じていますよねぇ・・・。儀式にての直樹の琴子を見る目・・・両目ハートに見えちゃいました。これからの琴子を思い 夜は寝れるのかな?

こんばんは・・・。
今回の琴子が倒れたことにより直樹と琴子の距離がだんだんと縮まってきていますね。直樹は琴子を自分の兄妹だと、認識しはじめているのでしょうね。
碁の相手をしたり・・・香りの調合だったり・・・・お祝いの扇だったり・・・・、
直樹と裕樹は琴子の事嫌がって煙たがっている割には、優しくしているのね。
たぶん子犬の様にコロコロしていて危なっかしくて何となく、琴子の事がほっとけないんでしょうね・・・・。
琴子がもし・・・・お嫁入りすることにでもなったら・・・・・、自分の傍に置いておくでしょうね・・・・誰にも取られたくない一心で。
(直樹は、他の野郎琴子を取られるぐらいなら自分が取って食っちゃいたいと思っているでしょうね・・・・。)
水玉さん、少し元気が出てきたみたいですね。
あまり無理をなさらず・・・・・時間をかけてゆっくりと書きあげてくださいね。

祐樹'Sママさん、ありがとうございます

ありがとうございます。
そして…すみません、私は祐樹'Sママさんが思ってくださるような優しい人間ではありません。
書いたのは…本当に大変失礼な言い方をしますが、他の事を考えていたかったので…気を紛らわせるために書いたのです。
だから自分のために書いたという…。
ごめんなさい。
そしてこんな私の事を気遣ってくださり、ありがとうございます。
お言葉に甘えて自分のペースでのんびりといきますね。

ゆみのすけさん、ありがとうございます

久しぶり(と言うほど久しぶりでもないみたいですが)に書いてみましたが…妄想を文章にするのって、こんなに体力や精神力を使ったっけ?と思うくらいでした。
う~ん、まだ本調子じゃないという証拠なんですね。
ありがとうございます。
また励まされてしまいましたね。

rinnnさん、ありがとうございます

ありがとうございます。ご心配おかけしてごめんなさい。
先の方へのお返事にも書きましたが…自分のために書いてしまったので。
気が紛れるかなと思ったのですが、ダメージは相当大きいみたいです。
お気遣い、ありがとうございます。

吉キチさん、ありがとうございます

コメントありがとうございます

香の調合も琴子ちゃんは自分で香り(というか匂いですが)に気がつかなかったんでしょうかね?
料理も味見をしすぎると、味が分からなくなるといいますし香も同じかも…。
直樹はこれからどんどん、琴子ちゃんへの想いが加速していくんでしょうか?

ゆうさん、ありがとうございます

ありがとうございます。
少しずつ落ち着いてはきてますが…靴や鶏肉の皮、歯磨きなんかで思い出しては涙ぐんでしまいます。

そうそう、入江くんにとって琴子ちゃんはまさしく子犬みたいなんでしょうね。
どんなに追い払ってもなついて追いかけてくるという感じなのかもしれません。
それがだんだん心地よくなっていくんでしょうね。
自分が取って食べたい…まさしくそうなるのかも。

拍手コメントありがとうございます

拍手コメントありがとうございます

ニョッキさん
なるべく泣かないように頑張っていますが…鬼門はお風呂とトイレですね。
トイレが特に…。完全一人になるからでしょうか?でもこればかりは誰かと一緒に入るわけにはいかないし。

叔父をずっとそばで見守っていた叔母は、本当に明るかったです。私たちをいつも明るく出迎えてくれました。緩和ケア病棟に入った後でも、私たちを案内してくれて「すごいでしょ!マッサージチェアもあるの!」「お風呂もほら!」とか笑顔で…。
だから叔父も「お母さん(叔母のこと)のために頑張る」と本当に言っていて…。叔母の存在は本当に叔父にとって何より心強い応援団だったと思います。

辛い時は無理にご自分を奮い立たせなくても大丈夫です。でも人それぞれなので←すみません、何が言いたいんだかわからないですよね。

まあちさん
ありがとうございます。今は…無理をしたくともできないですね。さすがに。
お気遣い、本当にありがとうございます。
お兄様のフォーリンラブ、これからゆっくりと書いていこうかな…というか、フォーリンラブな展開でいいのでしょうかね?

紀子ママさん
なれたようななれないような…複雑なところですね。ありがとうございます。
虫よけ、人よけ、魔よけ…受けてくださってありがとうございます。
私もすっぽんがいたかどうかは知らないのですが…いたのかな?でも「すっぽんはいないんじゃ」というコメントをいただくと辛いので、先におことわりしておきました。
すっぽん、ペットですか。亀は聞きますけど…。色々なペットが存在するものですね。

Foxさん
ありがとうございます。
なかなか自分を奮い立たせるのは大変だなあとしみじみと感じております。
無理は…したくともできず。といった感じです。
天気が悪いせいもあるのかな…←と、天気のせいにしてみたりして。

chan-BBさん
こちらこそ、こんな状態でお届けすることになってしまってごめんなさい。
なんとかこの話だけは書きあげたいと思っています。だって久々のリクエストですし。久々の平安ですし。
平安時代って本当、夜這いがOKというとんでもない時代なんですよね。
顔も知らない人に夜這いかけられるお姫様もさぞ怖かったことでしょう…。
chan-BBさんのテンションが上がってきて嬉しいです。

meganeさん
血はつながっていないとはいえ、兄妹ですものね。
しかも妹はまだ恋の自覚すらしてないし。
そして私の体へのお気遣い、ありがとうございます。
今日明日と気温が全国的に低くなるので、meganeさんもお体に気をつけてお過ごしください。

kobutaさん
ありがとうございます。
いや…いけると思ったんですけれど、なかなか。
でも気は紛れるのでゆっくりと気が向いた時にでも書けたらいいなと思ってます。

ku-koさん
とんでもないです。こちらこそ、暗い記事ばかり書いていて申し訳ございません。
何もできないなんてそんなこと。
今の私の状況をご理解くださって、お心を寄せてくださっているだけで本当にうれしいです。ku-koさんがそう思ってくださる、そのお気持が何よりうれしいです。
ありがとうございます。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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