日々草子 忍ぶれど 3

忍ぶれど 3



琴子がこの邸に来てからというものの、調子が完全に狂い始めた直樹。
溜息をつく回数も増えていた。

いつものように宮中から戻り自室へと戻る途中、
「ああ…。」
という声が聞こえ、直樹は足を止める。その声は弟、裕樹の声だ。
恐らく、蹴鞠の練習をしているに違いない。

裕樹は蹴鞠の名手と言われる直樹の弟とは思えないほど、蹴鞠が下手であった。だが尊敬する兄の名に恥じぬよう、練習に励んでいる。

「しょうがない奴だ。」
苦笑しながら、コツを教えてやろうと直樹が裕樹がいる方へと向かおうとした時である。

「足首!足首を使わなきゃ!!」
聞こえて来た声に、直樹の足はまた止まった。

「まさか…。」
嫌な予感が直樹の頭をよぎった。まさか…いや、いくらなんでも…そう自問自答しつつ、直樹は恐る恐る、声が聞こえる方へと歩いて行く。

直樹の前に鞠が飛んできた。
「こんなところまで…?」
鞠を拾った直樹。

「もう、ちゃんと見ないとだめじゃない!!」
その直樹の前に現れたのは…桂を脱ぎ捨て袴姿で走って来た琴子だった…。



「僕が練習していたら、こいつが…。」
なぜか琴子の部屋の中で直樹、裕樹、琴子が座っている。勿論、直樹に命じられて琴子の前には几帳が立てられていた。
裕樹は琴子をにらみながら直樹に説明を始めた。

蹴鞠の練習をしていた裕樹の前に、偶然琴子が現れた。弟となった裕樹とも仲良くなりたいと日頃から願っていた琴子は、その様子をなんとなしに見ていた。
が…。
あまりの裕樹の下手さに、黙っていられなくなった琴子。

「もっと足を高く上げたら?」
やがて琴子は口を出し始めた。
「知らないくせに!」
当然裕樹は腹を立てた。見ているだけなら簡単である。
「やって見せろよ。」
裕樹は琴子を挑発した。どうせできるわけがない。いや…庭まで下りてくることもできない。そう思ったのである。
「いいわよ?」
「え?」
琴子はそう答えると、女房たちが止めるのも聞かずに桂を脱ぎ捨てて…庭まで下りて来た。そして蹴鞠を勢いよく蹴り始めたのである…。


「…こいつって何?」
琴子も裕樹を睨み返す。そして直樹を見た。
「裕樹、姉に向かってこいつはないだろう」とさすがに直樹が諭してくれると期待している。

「裕樹…馬鹿を相手にしてどうするんだ。」
直樹は諭すどころか、もっとひどい呼び方を琴子に対してした。
「ば、馬鹿…。」
それは言い過ぎだと琴子は思い、今度は直樹を睨む。だが直樹は琴子を見ようともせず、
「もういいから、お前は部屋へ戻れ。」
と裕樹を部屋から追い出した。



「ったく…。」
直樹はまた溜息をついた。
「あ、そうだ。」
そんな直樹の気持ちに今日も気が付かず、琴子がポンと手を叩く。
「お兄様がおいでになったのだったら…!」
そして琴子は女房に命じた。

「何だ、これは?」
目の前に用意されたものは、髪を梳く道具であった。
「ほら、ここです、ここ。」
そして琴子が広げたのは…源氏物語。
「ここでね、若紫…紫の君が源氏に髪を梳いてもらうの。」
直樹の前で琴子ははしゃぐ。
「この場面、本当に二人の仲睦まじくて…私もお兄様に同じことをしていただきたくて!」
そして琴子は直樹の返事も聞かずに、立ち上がった。

「分かった。」
直樹も立ち上がる。
「…同じことやってやるよ。」
「本当ですか?」
いつになく優しい直樹に素直に琴子は喜ぶ。
「ああ…。」
そして直樹は道具を手にした。
「…お前が二度と、あんなはしたない真似をしないように髪をぶった切ってやるよ!尼寺へ直行できるように!」
「え…嫌、それは嫌です!!」
琴子は青ざめて、壁際へと逃げる。
「ま、まだ尼寺は…この若い身空で…ちょっと…。」
ブルブルと首を振って、直樹を拒否する琴子。
勿論、直樹とていくら何でもそこまでするつもりはない。少し琴子を懲らしめてやろうと思ったまでのことだ。


「いいか。」
再び二人は向かい合って座った。
「お前の恥はうちの恥…左大臣家の恥だ。」
「はい…。」
「お前も少しは姫らしくふるまってほしい。なぜそれが分からない?」
「…ごめんなさい。」
そう言われても、都を離れた場所でのびのびと育った琴子である。姫らしくというものが、どういうものかよく分からない。
「だからお兄様に色々と教えていただきたいのです…。」
琴子はポツリと呟いた。

それもそうだと直樹も思った。何も知らない、分からないのだから教えるしかない。
本来、こういうことを教えるのは義母となった紀子の役目なのだが、「おおらかに」「今までと同じように」と琴子に対しては寛大すぎる所がある。


「あなたが教えて差し上げるのですか?」
直樹に琴子の姫君教育をすると言われ、紀子は大喜びだった。
「一体、誰のせいで俺がこんなことを…。」
直樹の不満など紀子の耳には届かない。
「まあ、何て素敵なのでしょう!!まるで…源氏の君と紫の君のよう…!」
琴子と同じことを考えている紀子に、直樹は呆れ果てる。

「で、で…やっぱり先も物語のように?」
紀子は「ムフフ」と怪しい笑いを直樹に向けた。
「冗談じゃない!」
直樹は断固としてそれだけは拒否した。とにかく、琴子にきちんと左大臣家の姫君にふさわしく教育を施し、ゆくゆくは嫁に出す。それが直樹の目的である。
「でもねえ…姫はあのおおらかさ、明るさが一番の魅力なのよ?そこを変えたくはないわあ…。」
「おおらか過ぎるんです!」
「そうかしら?」
とにかく、あまり詰め込み過ぎないように程々というものをわきまえてほしいと紀子は直樹に注意した。



「これはどんな物語なのですか?」
直樹が運んできた大量の本を前に、琴子は胸を躍らせた。わざわざ直樹が自分のために運んで来てくれた…少し距離が近づいたかのようで嬉しい。

「物語じゃない。」
そして直樹は気が付いたかのように、几帳を間に運ばせる。
「んもう…。お堅いのだから。」
不満な表情を見せた琴子だが、本をめくった。
「な、何ですか。これは?」
中は物語ではなかった。

「古今和歌集だ。」
「きんこ…?」
「こ・き・ん・わ・か・しゅ・う!」
直樹はやはり知らないのかとまた頭を抱えた。

「いいか、そこに載っている歌を全て暗唱するんだ。」
「全部!?」
琴子は本をめくる。全部…気が遠くなりそうだった。

「何のためにですか?」
「それが教養だからだ!」
「教養?」
「会話に必要なんだ。」
「どうしてですか?こんな物を覚えずとも、こうやってお兄様とお話ができてます。」
「俺はもっと高尚な会話をしたい。」
直樹はきっぱりと琴子へ告げた。
「高尚?」
「ああ。」
そして直樹はいいことを思いついた。琴子は直樹と仲良くなりたいと願っている。なら…。
「お前がこの歌を全部覚えたら、俺は仲良くなってやるよ。」
「本当ですか?」
琴子の顔が輝く。とにかく、とてつもない量ではあるが、これを覚えたら直樹はもっと自分を見てくれるに違いない。
「頑張ります、私!!」
「ああ、頼む。」
そして、この日から琴子は張り切って「古今和歌集」を覚え始めたのだった。

直樹が教えるのは暗唱だけではなかった。

「いいか?扇とは顔を隠すために使うんだ。」
「どうして顔を?」
「女はむやみやたらに顔を見せるものじゃないからだ!」
「そうですか…。」
琴子は扇を閉じたり開いたりする。

「ほら、やってみろ。」
「はい。」
琴子は扇を自分の顔の真正面に広げた。
「何と品のない…。」
もっと優雅にできないのかと、直樹は嘆く。そんな直樹の嘆きをよそに、
「ばあ!」
と、琴子は広げた扇の陰から顔を覗かせた。
「おい…。」
ちっとも扇の意味を理解していない琴子に、直樹は頭に来る。
「だって、隠してしまったらお兄様の綺麗なお顔が見られないじゃないですか。」
そしてまた琴子は「ばあ」と、扇から顔を覗かせる。

「…扇が凶器となることを教えた方がいいか?」
ブルブルと怒りで方を震わせる直樹に、琴子は慌てる。
「まじめにやります、まじめに!!」
「ったく、俺としては扇をお前の顔にくっつけて、一生その間の抜けた顔が見えないようにしてほしいものだ。」
「ひどい…。」
琴子はそう言いつつも、直樹に教わりながら扇の使い方を覚え始める。



「お兄様!」
琴子は勉強の合間にちょこちょこと、直樹の前へ現れた。
「和歌は覚えたのか?」
「まだです!」
張りきって答えることではないだろうと思いつつ、直樹は琴子が大事そうに抱えている物に気が付いた。

それは…貝桶だった。

「私のために色々とお世話して下さるお礼に、お兄様に宝物をお見せしようと思いました。」
「お礼になってないけどな。」
相変わらず悪態をつく直樹。だが直樹に構うことなく、琴子は目の前に貝を並べ始める。
「しまった…几帳を忘れた。」
今から運ばせたくとも、貝を広げてしまっているので無理である。

「これはお父様がお母様のために作らせたものです。」
ニコニコと笑いながら、琴子は説明を始める。
「素敵でしょう?昔は三人で遊んだんですよ?」
直樹と一緒に遊びたいと思っていたと琴子は続けた。

「お父様」「お母様」…琴子の口から洩れた言葉に、何だか直樹は違和感を覚えた。


「おい。」
夢中で並べる琴子に、直樹が声をかける。顔を上げた琴子に、
「…お前、あんまり実の親の話を口にしない方がいいぞ?」
と直樹は言った。
「え…?」
思いもよらなかった直樹の言葉に、琴子は驚き手が止まる。
「なぜですか…?」
「だって、お前の今の両親は俺の両親だ。」
「はい。」
「お前は今はもうこの家の娘となったわけだ。」
直樹は静かに琴子へ諭す。
「なのに、いつまでも昔の話をされても…両親は困惑するだろう。」
「…。」
琴子は黙り込んでしまった。
「だから、あまりしないように。」
「はい…。」
琴子は貝を元の貝桶の中へとしまい、そのまま直樹の部屋を出て行った。



―― 確かに…お兄様の仰るとおりよね。
貝桶を抱え、琴子は一人になりたいと女房たちへ告げ庭に出て来た。
あの荒れ果てた邸で、一人寂しく暮らしていた自分を養女にしてくれた重樹と紀子の優しさを考えると、直樹の言うとおりだと琴子は思う。
二人とも、自分たちの実子のように琴子を可愛がってくれている。特に紀子は何かと琴子のために世話を焼いてくれるし、母親を早くに亡くした琴子にとっては、今や実の母親同様だった。

「…これからはちゃんとこのお家の姫君にふさわしくならないとね。」
琴子は貝桶を見つめた。母が亡くなった後、父がくれた琴子の宝物である。
「…さようなら、お父様、お母様。」
琴子は寂しく呟くと…その場に掘った穴の中に貝をばらまき、そして貝桶を傍の茂みへと捨てたのだった ――。

「…またあんな所に一人で。」
佇む琴子の姿を、直樹は遠くから見つけた。深窓の姫君はあんな簡単に外にでないものを…そこもきちんと教育せねば。
直樹はそう思いながら、宮中へと向かったのだった。



それからの琴子は、実の両親のことなど口にすることもなく、ひたすら直樹に命じられた和歌の暗唱に励んだ。それは昼間だけじゃなく夜中まで…。女房達は心配し、少し休むようにと琴子へ言うのだが、一向に暗唱が進まない琴子はそれを拒否し、ひたすら暗唱に励んだ。

紀子の元へ、琴子が倒れたという知らせが届いたのは…琴子が貝桶を処分した日から三日経った日のことだった ――。

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ご無沙汰です!!
かわいい姫君の平安ストーリーですね♪
天然琴子ちゃんと、教育係??の入江君が
原作を浮かばせて、絵がでてきます♪
紀子ママも原作そのままで!楽しさいっぱい!!
ですが、続きはどうなるんでしょう?
琴子ちゃん!大丈夫??

やっぱり胸きゅん!

水玉さん更新ありがとう~
やはり琴子の行動は微笑ましく、どこかホッとします。相変わらず直樹の言葉には棘がありますが・・・そしてまた直樹は知らず知らずの間に琴子を追い詰めたのかな?またまた胸キュン~むふふ!辞められないな~

大切な思い出なのに

なぜ?直樹は琴子に実の両親の話はするななんて言ったのかな?

嫌、ダメ、と言いながら琴子の面倒みてる直樹、知らず知らずの内に惹かれてる?

まだまだ、これからかな?

楽しみにしています。

そうなんです、私の大好きNO1,2を争う平安、もうひとつは因みに、神戸編幸運の女神です。

泣いちゃう話に、弱いkobutaです。

水玉さん、こんばんは♪

天真爛漫な琴子姫が。。。

大好きなお兄様に、宝物の貝桶を見せようとした時の琴子ちゃんの顔は、きっと輝いていたと思います。。。
入江くんに両親の話はあまりしないようにと言われ、両親との三人での思い出の宝物を捨てる事で、紀子ママ、重樹パパの優しさに応え様としているのですね。。。
でも、心も体もどこかでそれを受け入れられないのでしょうね。。。

この先の展開は~~?~~気になります!!

貝桶等調べながら読み進めています!!
勉強になります!!ありがとうございます!!!

また、涙が…

今の所、直樹、琴子姫の為と言うより、左大臣家の為に琴子姫を教育してて、余り愛が感じられませんね。実の両親の思い出話を禁じるなんて、ちょっと冷たい。おおらか過ぎる所が琴子姫の良い所なのに…琴子姫が倒れた事で直樹がその事に気付いてくれたら良いけど…

はまってます~(^m^ )

調子の狂ってきたお兄様に、さらにはまっていま~す♪

本当に琴子姫はかわいですね。
扇の陰から「ばあ」は最高です!!(笑)もう、ぷるぷる血管浮き上がらせて震えるお兄様が目に浮かびます。そして、今はその様子を「イラッ!」ときてるお兄様ですが、絶対脳裏にはその「ばあ」は、焼き付いてしまっていることと思います( ̄m ̄*)

そんなまだまだ人の心を持たない(そこまで?笑)お兄様に従い、大事な貝桶を処分してしまった琴子姫・・・。こんな健気な姫を見て、いろんなものに気付いてほしいと思う老婆心のchan-BBです。
毎回どんどん萌えが加速して、本当に楽しみです。続きも楽しみにしています~(^^)/

 心が・・・

    こんにちは
 なんか、裏目に出ちゃう 琴子・・・
 気に障っちゃう 直樹・・・

でも心も 気も 真っ直ぐだからいつか直樹が気づいてくれたら良いなぁ。
既に琴子の心には 直樹が宿りつつあるようなぁ・・・真摯に直樹の言葉を受けて
実父母との 思いでとも さよならして

 倒れちゃった・・・。 直樹どうするの?

こんばんは

キャ~~!琴子が倒れたぁ~~!!
明けても暮れても、古今和歌集の暗証だなんて~~・・・!!  しかも、今のお前の、親は俺の親なんだから自分の親は忘れろだなんて・・・!!
いったい直樹は琴子に何を押し付けるのだと言いたい。
でも・・・直樹に認めてもらいたい一心で、琴子は頑張っているんだよね・・・。
倒れるほど頑張っちゃだめだよ・・・琴子。
紀子ママが半狂乱になって、泣いちゃうと思うよ・・・・?!
(ママさんの怒りは、きっと直樹に向けられる事でしょう・・・・・?!)
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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