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2008.12.05 (Fri)

秘密 第11話

水沢はその後もちょくちょくと小児病棟へ現れた。それだけではなかった。直樹の担当患者の治療チームの一員に加わることになったのである。最近は医師と看護師だけではなく栄養士や薬剤師も一緒にチームを組んで理想的な治療を目指すことが多くなってきたからである。
「よろしくお願いします。入江先生。」
「よろしくお願いします。」


【More・・・】

直樹は水沢とできれば顔を合わせたくなかった。水沢と琴子が一緒にいる所を見ると、なぜか、その昔啓太と琴子が一緒にいる所を見て嫉妬した自分を思い出すからだ。しかし、上の方針に逆らうわけにはいかない。それに琴子のことは別として、水沢の薬剤師としての有能さは直樹も一目置いていた。患者のことを考えると水沢をチームに入れるのは得策だろう。直樹はそう自分に言い聞かせた。

「大変だったんですよ。入江先生がいらしてから、うちの薬剤部。」
水沢が言った。
「大変って?」
できれば仕事以外の話はしたくない。が、そんな直樹の気持ちなど知らずに水沢は話し始めた。
「うちの女性の薬剤師たちがみんな入江先生と一緒に仕事をするのを希望したんです。一斉に手を挙げて私を小児病棟の担当にしてくれって。」
「そうですか。」
あまり関心のなさそうに直樹は答えた。実際薬剤師たちにどう思われようと、仕事に影響がないのなら、さほど関心はない。

「そしたらうちの部長が“お前は男だから入江先生の邪魔をしないだろう”って僕を小児病棟担当にしちゃったんです。あの時は“えっ、俺が?”って思いました。」
直樹は黙って水沢の話を聞いている。
「入江先生とお会いして、うちの薬剤師たちが騒いだことに納得しましたよ。確かに女性だったら入江先生の傍で働きたいです。おかげで僕は今や薬剤部にいると、女性薬剤師の視線が痛くて痛くて。」
そう言うと、水沢は笑った。

「今回のチーム入りも、女性は入江先生の邪魔になると部長の一言で僕に決まったんですけどね。でも小児病棟担当になって良かったなって最近思うようになったんです。」
「なぜですか?」
もしやと思いながら、直樹は尋ねた。
「ちょっと気になる女性ができたんです。彼女と何とか近づけないかなと思いまして。」
それが誰かと尋ねようかと思ったが、直樹はあえて尋ねなかった。尋ねなくても自分の勘が当たっていることが何となく分かってしまったから。

「あ、すみません。入江先生の前で女性の話なんて…。先生もいろいろご事情がおありなのに…。」
“入江直樹バツイチ説”は、病棟だけではなく、薬剤部にまで届いているのかと直樹はあきれた。そして水沢はそれを信じているんだろうかとも思ったが、すぐにそんなことは、どうでもいいことだと、直樹は思い直した。
「それでは、今後ともよろしくお願いします。」
水沢はそう言うと、急いで薬剤部へと戻って行った。

「本まで貸してもらっちゃって、いろいろ仕事でもお世話になってるんだよね。」
ベッドの中で琴子が言った。
「誰に?」
訊かなくても分かっているが、一応直樹は訊いた。
「水沢くん。」
予想通りの答えだった。
「で?」
「いや、何かお礼をした方がいいかと思ってるんだけれど、どう思う?」
「…あの本読み終わったのか?」
「…まだです。」
琴子が首をすぼめた。
「だから、まだしばらく借りていることになりそうだから、そのお詫びの気持ちも込めて何かした方がいいかなと思ってるんだけど。お金がかかっちゃうと向こうも遠慮しちゃうよね?」
そう言いながら琴子は考え始めた。
「そうだ、何か作った物とかどう?ほら、私最近料理の腕も上がってきたじゃない?“作りすぎちゃって”とか理由つけて。ちょっと家庭的な所もアピールできるし。」
琴子がいい考えと言わんばかりに、はしゃいだ声を出した。
それにしても、何の目的で家庭的なアピールをしなければいけないのかが直樹は分からない。
「…調子に乗るな。人に食べさせるほど、お前の腕は上がっていない。他人になんて食べさせられらない。」
「…意地悪。」
直樹の冷たい言葉に、琴子はしょげた。もっとも最後の言葉に意味が二つ含まれていることなんて、琴子は気づいていない。

琴子は、すぐに気を取り直した。そしてとんでもないことを言い出した。
「じゃあ、じゃあ、入江くんが作ったものを私が作ったことにして持って行くというのは?」
何て素晴らしい考えだという感じに目を輝かせる琴子。
「入江くんの料理なら誰に食べてもらっても恥ずかしくないものね。それに、夫婦共同作業って感じでよくない?」

「…なぜ、俺が男のために作らないといけないわけ?」
しかもなぜ、そこまで手料理にこだわる?そんなに料理を渡したいのなら、コンビニで弁当でも買ってきて、それを詰め直して自分が作ったと言って渡せばいいと直樹は言いたくなった。

「夫が妻を陰でサポートするのっていいじゃない?」
直樹は呆れ果てて返事をする気にもなれない。

「でも、本当にいい人なのよ、水沢くん。」
直樹が無視しているにも関わらず、琴子は水沢の話を続ける。
「最近、顔を合わせることが多いんだけれど、いつも笑顔だし。ナースにも患者さんにも態度も表情も変わらないの。誰に対してもいつも同じように接してくれるし。しかも何でも知っていてね。でもそれを自慢することなんて、絶対しないし。それでいて、分からないことを聞いても、絶対馬鹿にしないで丁寧に教えてくれるし。水沢くんが言うには“分からないことは、恥ずかしいことじゃないんだからすぐに質問した方がいい”って。東京にもこんな人いなかったよね。」
それはお前が相手だからだろうと突っ込みたかったが、下手なことを言って、琴子に意識されても困るので直樹は黙っていた。

「今ね、ナースの間で“入江派”と“水沢派”がすごいの。」
何が派閥だと直樹は思った。
「入江くんも水沢くんも背が高いでしょう?入江くんはもちろん綺麗な顔だけど、水沢くんは顔を見ると何だかホッとするのよね。」
琴子の話を聞きながら、直樹は水沢の顔を思い出していた。水沢ほど笑顔が似合う男は確かにそういないだろう。

「そして、入江くんはどちらかと言うと、高嶺の花って感じじゃない?花に例えれば百合のイメージ。で、水沢くんは親しみやすい菜の花って感じ。」
それは、どちらも男に使う形容詞なのかと直樹は心の内で突っ込んだ。
「その雰囲気が結構人気みたいでね。だから、入江くんと水沢くんが二人並んで仕事しているとみんな浮き足立ってしょうがないの。みんなが入江くんたちに見とれていると主任に怒られちゃって。…あっ、もちろん私は中立な立場を見かけは保っているけれど、心の中では断トツ、入江くん派だからね!」
そんなに取ってつけ足すように言われても、嬉しくない。

「…もしかして、琴子にとって俺は空気のような、いるのが当たり前の存在で、男として意識すらされなくなっているのか?」
琴子が次々と口にする水沢の話を聞き流しながら、とうとう、そんな疑問までもが直樹の胸に湧いてきた。
「…もう寝る。」
その考えを早く打ち消そうと、直樹は横になってしまった。
「あ、そうだね。明日早いしね。お休み。」
そんな直樹の気持ちに全く気がつくことがなく、琴子も一緒に横になり、やがて眠りに落ちて行った。
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