日々草子 秘密 第9話

秘密 第9話

子供の患者はなかなか薬をまじめに飲まないケースが多い。直樹の担当患者もそのタイプで、どうやらもう少し飲みやすい薬にした方がいいのではと思い、薬剤師に相談しようと薬剤部へと連絡した日のことだった。
「それなら、そちらへ薬剤師を向かわせますよ。」
快い薬剤部の返事を得て、直樹は薬剤師の到着を待った。そこへ現れたのが、以前、琴子と親しく話をしていた男だった。

「はじめまして。薬剤部の水沢と申します。」
「はじめまして。入江です。」
挨拶を交わしながら。直樹は水沢と名乗った男を観察した。やはり身長は直樹と同じくらいだった。顔も悪くない。何よりいつも笑顔を浮かべて爽やかだ。おそらく街を歩いていると道を訪ねられたり、観光客から写真を撮ってほしいと頼まれるタイプだ、直樹は水沢という男についてそう判断を下した。

「わざわざ病棟までいらして下さって、すみません。僕の方から行くと言ったのですが…。」
直樹の弁明に、水沢は笑顔を浮かべて言う。
「いえいえ、こちらも実際に患者の様子を見たい時もありますから。気になさらないで下さい。」
全くそつのない返事だ。
「それで、ご相談の患者は…?」
「ああ、この患者です。今までの薬だとなかなか飲んでくれないので、同じ効用のあるもっと飲みやすい薬はないかと思いまして。」
カルテを広げながら二人で話を始めた。話してみると、水沢というと男は非常に薬剤師として有能であることにすぐに直樹は気づいた。直樹の疑問にテキパキと答えが返ってくる。それでいて押しつけるような言い方をするわけでもない。

「ではこの方針で進めましょう。」
話が終わり、直樹が水沢を見た。すると、水沢はまだカルテから目を上げない。
「どうかしましたか?何かまだ問題でも?」
直樹が気になって尋ねると、水沢はハッとしたように顔を上げた。
「ああ、すみません。このカルテって相原さんという看護師が書いたものですよね?」
「名前が入っているのなら、そうでしょう。」
突然、琴子の名前が出てきたので少々直樹は驚いた。

「何かおかしな箇所がありますか?」
琴子のことだから何かミスがあるかもしれない。もしそうだとしたら、至急確認しないと、患者に取っても命の危険に関わってくる。医者として緊張しながら直樹は水沢の返事を待った。

「いえ、よく患者を観察している人が書いたカルテだなあと思って見てました。」
琴子の看護技術は高いとはいえない。今だに採血も点滴も包帯交換も下手だ。だが、患者のことをよく見ている。看護計画などはひどい時もあるが、他の看護師が見落としそうな些細なことも琴子はカルテに事細かく書いている。それは患者の状態が変化した時などに役立つ時があり、この点は直樹も琴子に感心していた。

「これ見ると、子供の普段の様子が一目瞭然ですよね。」
水沢はそう言って微笑んだ。
「この間、一緒に仕事をした時に、相原さんって本当に看護師に向いているんだなって感心したんですよ。」
「…そうですか。」
「それでは今日はいろいろありがとうございました。」
二人の話はそこで終わり、水沢は薬剤部へと戻って行った。直樹はミスではなかったことに安堵した気分と、琴子を気にかけた水沢についての複雑な気分で水沢の後ろ姿を見送った。

「風呂、空いたけど。」
その日の夜、直樹が琴子に声をかけた。が、琴子は夢中になって何かを書いているため、直樹の声が耳に入っていないようだった。

「何書いてるんだ?」
直樹が琴子の傍まで近寄って後ろから除くと、琴子が
「わっ!!」
と驚いた。本当に今まで気づかなかったらしい。
「何、日記?」
琴子の前に広げられたノートには日付のようなものと文章が書かれている。
「うーん、日記というほどのものではないけど。」
琴子はそう言って、直樹の方へ向きを変えた。

「神戸に来て、先輩の看護師さんに教えてもらったの。毎日、少しでもいいから仕事の反省点とかをメモしておくと後々役に立つからって。」
「ずっと書いてるのか?」
直樹が驚いて、琴子に訊いた。
「一応。」
「へえ。夏休みの宿題は最後の2日で仕上げるものだと言っていたお前がな。成長したもんだ。」
直樹がからかうと、琴子は口をとがらせて言った。
「私だっていつまでも高校生のままではないんですけど…。」

琴子は直樹の足を引っ張らないために、神戸へ来た。今でもその気持ちは変わらない。直樹の片腕となれるよう、頑張っている。

「そういや、お前の書いたカルテなんだけど、」
直樹が思い出したように琴子へ話しかけた。
「えっ、何?何か間違えてた?」
慌てて琴子は訊いた。
“よく患者のことを観察して書いてある”と誉めようと直樹は思ったが、一瞬、水沢の言葉を思い出してしまい、
「…字、下手だよな。」
つい反対のことを口にしてしまった。
「あれでも、丁寧に書いているんだけれど。」
琴子は「もうお風呂に入ってくる」と頬をふくらませてバスルームへと出て行ってしまった。
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