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2008.12.05 (Fri)

秘密 第3話

「このまま“相原琴子”として働きたいの。」
その夜、琴子はベッドの中で隣にいる直樹に切り出した。
「夫婦別姓で働くってこと?」
琴子はこの2ヶ月あまり、“相原琴子”という旧姓を使って神戸にて働いていた。だから、このまま“入江琴子”に戻して働くのもいろいろ面倒があるのかと直樹は思った。
「と、いうより…。」
琴子はそれだけじゃないという感じで、直樹の顔をちらっと見た。そして、直樹の想像を上回る言葉を琴子は発した。


【More】

「私と入江くんが結婚していること自体も秘密にしておきたいんだけれど。」

「何で?」

結婚した夫婦が同じ職場で働く場合、旧姓のまま働くという話は珍しくない。しかし、結婚している事実まで隠して働く夫婦はそういないだろう。
「ちょっと新鮮な気持ちで働きたいと思わない?」
琴子はそう言いながら、傍の直樹の腕にしがみついた。夢の中の直樹が言った“新しい気持ちで新しい生活を”という言葉が琴子の頭に響いている。

「私たちって、東京ではもはや公認の夫婦でしょ?」
「別に公認されたいわけじゃないけど。」
「学生時代から私たちの仲って有名だったじゃない?」
「俺は有名になりたくなかったけど。」
「私はいつも入江くんにドキドキしてたけれど、入江くんは私にドキドキしてくれたことってないじゃない?」
「お前が何かやらかす度にドキドキさせられたけど。」

直樹の素っ気ない返事にめげることなく、琴子はねばる。
「だから、ここではお互いドキドキする恋人に戻ってみないかなと。と言っても、私たちって恋人期間もなしに結婚しちゃったから、恋人時代をやり直したいっていうのが正解かな。」
「結婚してもう何年も経つのに?」
「その考えが間違いなのよ!」
今までの甘える態度から一転、琴子は直樹から体を離して強気で話し始めた。

「確かに私たちは結婚して大分経つわ。二人でいることに慣れすぎてしまって、このままじゃ倦怠期に突入してしまう。今、修復しておかないと、大変だと思わない?」
“ぬかみそ臭い古女房はごめんだ”と言った、夢の中の直樹の顔が頭に焼きついて離れない。このままだとそんなことを現実に言われる日が近いのではと、琴子は怯えていた。
「それと、結婚を隠すことと、どう関係があるのか俺にはさっぱり分からないんだけれど。」
本当に直樹は分からなかった。

「だから、ここで秘密の職場恋愛なのよ!」

「…職場恋愛?」
「よくドラマなんかでは主人公が職場恋愛していることを周りに隠してるじゃない?バレないようにドキドキしながら仕事するわけよ。」
「それで?」
「だから、私もいい機会だから、入江くんと秘密の恋人同士ってのを経験したいの。バレないように、手紙とかこっそり手渡したり、二人しか分からない合図をし合ったり。」

要するに、自分たちのことがあまり知られていない環境で、恋人気分を味わいたいらしいということを琴子は考えているのかと直樹は思っている。それも強ち外れではないのだが、琴子はとにかく、自分たちの関係がマンネリ化して、直樹に飽きられることを恐れていた。
しかし、返ってきた直樹の言葉は予想どおりのものだった。

「嫌だ。」

「えーっ?」
「俺は絶対嫌だ。隠すようなことなんて、何もしてないのに、何でコソコソしなきゃいけないんだよ。」

「一緒に暮らし始めたばかりの時に、“絶対、同じ家にいることは黙ってろ、学校でも話しかけるな”って言って、隠していたのは誰だっけ…?」

確かに、昔そんなことを琴子に命じた記憶が直樹にはあった。あの時は何とも思わなかったが、今、同じようなことを琴子の口から言われると腹が立つ。
「大体、何が手紙?お前、昔親父の会社で同じことしてきたよな。“今夜7時に食事でも”とか、くだらない手紙付きのコーヒー何杯も運んできたよな?その頃と同じことやるわけ?」
「…だって憧れてるんだもん。入江くんと恋愛するの…。」
琴子はそういってしょんぼりした。実際、琴子は直樹と恋人気分を味わいたいと前から思っていた。

「今だって十分恋愛してると思うし、十分お前にドキドキさせられているけれど。」と、直樹は言ってやろうかと思ったが、口にするのもしゃくだったので黙っていた。
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