日々草子 秘密 第1話

秘密 第1話

とある、のどかな地方。ここにオープンを数日後に控えた一軒の小さな自宅兼診療所が出来上がった。
「やっと、やっと、できあがったんだね。」
目を潤ませながら、感動の眼差しで建物を見つめている女性、この診療所の院長の妻であり、看護師でもある入江琴子。
「入江くんと二人だけの診療所…。大変なこともたくさんあるだろうけれど、二人で頑張れば乗り越えていけるわよね。私たち村の人に受け入れてもらえるかしら?診療代の代わりに畑で採れたての野菜とかもらったり、そんな関係を築けるといいのだけれど。」
すっかり自分の世界に入っている琴子の傍に、寄り添うようにそっと立ったのが、この診療所の院長である入江直樹。
「そうだな。これから頑張らないとな。」
「入江くん…。」
優しい夫の肩にもたれる琴子。
「私、頑張るからね。入江くんの奥さんとしても家事もちゃんとやるし、看護師として入江くんの片腕になるから。そうそう、受付もちゃんとやらないとね。診療所は二人だけだもの。」
そう言って、琴子と直樹が見つめ合う。そして、今、まさに二人の距離が縮まろうとしたその時…。

「そうだ、忘れてた。」
直樹は近づけた顔を急に琴子から離した。せっかくのムードをぶち壊されて、がっかりする琴子。
「琴子、これ。」
がっかりする琴子に直樹が何かを差し出した。琴子は何だろうと開いてみる。開いてみて、琴子は目を見開いた。持つ手が震える。
「入江くん、な、何、これ?」
そこにあったのは、直樹のサイン入りの離婚届だった。
「何って、離婚届。お前がサインすればいいだけになっている。」
直樹の言うとおり、きちんとした直樹の筆跡で、“入江直樹”とサインがされている。本当に後は琴子のサインがあれば、すぐに出せる状態になっていた。
「えっ、どういうこと?何で?これから二人でやっていこうって…。」
琴子は手にした離婚届と直樹の顔を見比べながら、直樹が何を考えているのか、全く把握できない。
「実は…。」
直樹が話そうとしたその時、
「入江先生!」
という声が聞こえた。夫の名を呼ぶ声の主、それは、
「モトちゃん!?」
琴子の友人の桔梗幹だった。

「何でモトちゃんがここに?」
琴子は目の前になぜ幹がいるのか分からない。でもなぜか嫌な予感がしている。
「あら、やだ、琴子。先生に何も聞いてないの?先生、まだ話してなかったんですか?」
幹はしょうがないという感じで、直樹の方を見た。直樹も幹と一旦、顔を見合わせ、そして琴子に視線を移した。そして、琴子に衝撃を与える一言を言い放った。

「これから新しい土地で生活していくことになるだろ?俺も心機一転、新しいパートナーと新しい生活を始めたいんだ。」

「えっ、あ、新しいパートナーって?」
まさかと思いつつ、琴子は幹の顔を震える指で示しながら訊いた。
「琴子、お前は何年たっても看護師としてちっとも成長しないよな。何をやらせても下手だし。」
直樹の冷たい一言に、琴子はショックを受けた。そんな琴子に追い打ちをかけるように、直樹は続ける。

「桔梗は看護師として非常に優秀だ。それは東京で一緒に働いていた時から気づいていた。それに美人だから診療所の患者にも慕われるだろうしな。それだけじゃない、料理も上手だし女らしい。俺のパートナーとして公私共にこれ以上ふさわしい人間はいないだろ?」
直樹は真面目な顔だ。その言葉に隣で幹が、
「入江先生、そんなこと言われると照れちゃうわ。」
と、嬉しそうに直樹を見つめている。そして直樹も優しい眼差しを幹に向ける。
「お、女らしいって、入江くん、も、モトちゃんはこう見えても…立派な男なのよ?」
琴子はあたふたしながら直樹に言った。直樹は溜息をついて答えた。
「男だとか女だとかつまらないことにとらわれる必要はないと思うんだ。桔梗は俺にとって必要な人間、だから俺は桔梗と一緒にいたい、それだけだ。」
「そ、そんな…。でも私と離婚したからって…。」
琴子はこれ以上の理由はなかろうと言わんばかりに叫んだ。

「男同士は結婚できないのよ?」

直樹はあきらめの悪い奴だという顔で琴子を見た。
「だから、そんなつまらないことに囚われたくないんだよ。結婚なんて所詮、薄い紙切れ1枚のことだろ?俺はもう結婚だ、離婚だと、こんな薄い紙切れに惑わされるのはお前だけでまっぴらだ。それに、俺と桔梗の間にはしっかりとした愛情がある。そんな紙切れ、俺たちには必要ないね。」
直樹はそう言うと、隣の幹の肩を抱き寄せた。そして止めの言葉を琴子へ投げつけた。

「琴子、お前との付き合いもそろそろ長いよな。お前と一緒にいるのも飽きてきた。俺はぬかみそ臭い古女房より、新しい相手と新たな気持ちで、新しい生活を始めたい。」

「ぬ、ぬかみそ臭い古女房って、まさか、私のこと…?」
琴子は直樹の冷たい言葉にショック受け、頭の中が真っ白になってしまっている。

「そういうことだから、琴子。入江先生のことはアタシに任せてね。でも、良かったわね、あんた一応看護師の免許持っていて。とりあえず、あんたみたいなドジでも雇ってくれる所はあると思うわよ。看護師って万年人手不足だから。」
幹はそう言って、さっきまで琴子がしていたように、直樹の肩にもたれかかった。
「さ、桔梗。中へ入ろう。開業の準備もまだ残っているし。そうだ、今日はお前のビーフシチューが食べたいな。」
直樹は優しく幹へ言った。
「先生が食べたいだろうと思って、ビーフシチューの材料はちゃんと買ってありますよ。」
幹は微笑みながら返事をした。そして、直樹の腰に手を回し、拗ねるように言った。

「そ・れ・か・ら、先生。アタシのことは“幹”って呼んでって言ったじゃないですか?忘れちゃったんですか?」
「忘れるはずないじゃないか。お前こそ俺のことは仕事以外で“先生”って呼ぶのやめろよ。もう他人じゃないんだから。」
直樹が幹の唇に人差し指をそっと当てて、たしなめる。その姿に琴子は奈落の底へ突き落された。
「い、入江くん…。そんな…。嘘でしょう?」
琴子の存在など、とっくに忘れて二人は自分たちの世界へ入っている。
「あらっ、そうだったわ。ごめんなさい、直樹…。」
「じゃ、中へ入ろう、幹。」
そう言いながら、直樹が幹の肩を優しく抱きながら、診療所の中へと消えて行く。
「入江くん!待って!私を捨てないで!入江くん…!」
琴子はありったけの力を振り絞って叫んだ。が、無常にもドアは琴子の目の前で閉められた。

ガツン!
「痛いっ!」
痛さのあまり、琴子は目を開けた。そして、
「何やってんだ、お前。」
両手を天井へ向かって突き出している自分、そしてその両手の隙間から自分の顔を覗き込んでいる直樹に琴子は気がついた。


☆あとがき
こちらも投稿サイト様に投稿させていただいた作品です。
『幸運の女神』の続編といった感じで…。
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そんな!わけないよ?入江君は?琴子ちゃんが、思っている以上に琴子ちゃんが大好きなんだもん。琴子ちゃんの、ドジも含めてね。
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『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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