日々草子 幸運の女神 第12話

幸運の女神 第12話

「…はい、わかりました。…ええ、はい…今、目を通しているところです。はい…はい…また御連絡いたします。では、失礼します。」
医局での長い電話を終え、直樹は時間を確認するため、腕時計を見ようと腕を持ち上げた。薬指の指輪が目につく。
「…あいつ、気づいたかな?」
そう思いながら、直樹は1ヶ月以上前の出来事に思いを馳せていた。

その日、直樹は休日だったが、琴子は出勤しており、部屋の中に積まれている段ボールを見ていた。琴子が神戸へ持ち込む段ボールは少しずつ増えていく。ケンカした時のことを思い出す。今までだって琴子は一人で物事を決め、実行に移すことはあった。しかし、そういったときでも事後に直樹に報告はしていた。

教育実習の時も直樹は猛反対したが、「もう決めちゃった」と事後報告ではあったが、琴子本人が直樹にきちんと話した。今回のことも当然、琴子本人の口から直樹に話してくれるはずなのに、琴子は何も言わず、結果、師長から聞かされるというはめになった。その上、裕樹の言葉、「琴子は戻ってこないのではないか」ということも気になっていた。
琴子の家も、実家もここであるのだから戻る場所はここしかないはずなのだが、普段琴子に悪態ばかりついている裕樹が本気で心配しているのが気になってしょうがない。

部屋の中を見回して、ドレッサーに目が止まった。少し前まで指輪の話を無邪気にしていた琴子と、ケンカした時の琴子を比べて思い出すと、何だか琴子が遠い存在になっていく気がする。
「指輪…」
指輪の話を思い出して、直樹はドレッサーの引き出しから2人の結婚指輪を取り出した。琴子が磨き上げた甲斐あって、2つの指輪は色あせることなく、輝いている。

直樹が琴子の指輪を手に、店に現れたのはその数時間後のことだった。
「指輪に文字をお入れになられるのですね、ではこちらにお入れになりたい言葉をお書き下さい」
店員の差し出した紙を目の前にし、直樹は一瞬考えた。琴子が騒いでいた『2人の愛よ永遠に』とでも入れてやろうかとも思っていたが、そんな言葉より、もっとシンプルで伝わりやすい内容にしたかった。
少し考えた末、直樹はペンを手に取り、希望の言葉を書いた。
自分と琴子が夫婦であるということ、自分が琴子をどう想っているか、この2点が伝わる内容であれば、そんなに長い言葉にはならなかった。
直樹が選んだ言葉、それが『N to K With Love』だった。

既に出来上がった指輪に彫るだけだったので、短時間で出来上がった。指輪を手に直樹は店を出た。
問題は、これをどうやって琴子に渡すかである。面と向かって「持っていけ」と言って渡すことは、はっきりいって恥ずかしい。何か方法はないかと思案しながら帰路についた。

家に着くと、出かける紀子と入れ違いになる所だった。どこへ行くのかと尋ねると琴子が一人で遠くへ行くことが心配なので、お守りを頂きに近所の神社へ出かける所だという。本当は直樹が行くべきだとわめきながら出かけていく紀子の姿を見送りながら、直樹の頭に考えが浮かんだ。

書斎の机の引き出しを開けると、昔、琴子から贈られた低周波治療器がきちんとしまわれていた。
「好きな男に低周波なんて贈る女は、世界中探しても琴子くらいだな」
直樹は、低周波治療器を見て笑いながら、傍に置かれていた目当ての物を取り出した。それは琴子が直樹の大学の受験の時に渡した手作りのお守りである。このお守りが今まで直樹が味わったことのないスリルと恐怖を招いたことも遠い昔のことである。
「あれだけの目にあっても、ほつれもしてねぇ。やっぱこれ、ただもんじゃねぇよ」
そうつぶやきながら、お守りの中に指輪をそっと入れる。
そして、寝室に戻り、琴子の段ボールの中にお守りを忍ばせたのだった。

指輪を見つめながら、そんなことを思い出していた直樹の脳裏に、琴子の言葉がよみがえる。
『…2人は指輪を見る度に、愛を再確認するの』
「…本当だな」
直樹はそっとつぶやき、微笑んだ。
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琴子ちゃんどうしたの!早く入江君のところに帰って。
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