日々草子 比翼の鳥 10

比翼の鳥 10

「直樹さん、ナオを見なかった?」
それから一週間後、七夕までもあと少しという頃、お琴は直樹に心配そうに訊ねた。
「いないのよ…最近、どこかへ行っちゃうなと思ってたら、昨日から帰ってこない…。」
泣きそうになりながら、庭を猫の名前を呼びながら、お琴は必死で探している。
「そのうち戻ってくるだろう。お前に似て、餌につられて、どこかの家に図々しく居座っているんじゃないのか?」
大して気にも留めずに、直樹は言った。
「でも…心配で。」
お琴は半泣き状態で探し続けた。どうせどこかのメス猫の尻でも追っかけているんだとか、直樹はお琴を納得させようとしたが、なぜかお琴は納得しなかった。

結局、ナオが戻らないまま、三日が過ぎた。

「行ってらっしゃいませ。」
その日の朝は珍しく、おしとやかにお琴は三つ指をついて直樹を見送った。
「何だ、突然。」
いつもならこちらが耳を塞ぎたくなるような大声で見送るのにと、直樹は不思議に思った。
「ほら…だって…もうすぐおかみさんになるし。」
「ああ、今頃になって自覚したってわけか。」
「そう。」
お琴はにっこりと笑った。一時はお琴が何かしでかすのではないかと心配したものだが、もうすっかり迷いはなくなったらしい。考えてみればあとわずか、七夕が終わればすぐにお琴の祝言である。
「行ってきます。」
お琴の晴れ晴れとした顔を見るのが、なぜか辛くなり、直樹はお琴の顔を見ないように玄関を出て行った。
お琴は式台に座ったまま、穏やかに微笑んで直樹を見送った…。

夜、直樹が戻った時、出迎えたのは紀子だった。
直樹が不思議に思っていると、
「お琴ちゃんね…今日のお昼前に実家に戻ったの。」
と、直樹の疑問に答えるかのように、紀子が話し始めた。
「また父親が?」
もしかして病がぶり返したのかと、直樹が最初に考えたのは医者らしい理由だった。
が、紀子は首を振る。

「違うの…。お琴ちゃん…ご祝言が当初の予定より大分早まったんですって。」
さすがに直樹は驚いた。お琴は何も言っていなかった。
「お相手の方…宮大工さん、あの方が奈良の方へ修業へ行くことになったとかで…それで早めにご祝言を上げて、二人で奈良へ行くことになったって。」
「奈良…。」
「お琴ちゃんに頼まれたの。あなたにだけは黙っていてほしいって。」
紀子は袖で目を押さえた。娘のように可愛がっていたお琴がいなくなってしまい、寂しくて耐え切れないらしい。
直樹の脳裏には、ここしばらくのお琴の様子が次から次へと浮かんでくる。あの元気のない様子は、そういうことだったのかと納得する。
「ねえ、直樹さん…。もしかして、お琴ちゃんってあなたのこと…。」
紀子が言おうとした時、
「…晴れるといいですね。」
と直樹が紀子の言葉に自分の言葉を重ねた。
「え?」
「…あいつの祝言。めでたい日なんだから、晴れるといい。」
直樹はそれだけ言うと、自分の部屋へと足早に向かった。


夜中、また机で転寝をしていた直樹は目を覚まして、傍らに置かれている握り飯に気がついた。恐らく、お琴が紀子に言っていったのだろう。
食べようと手に取り、思わず笑ってしまう。すっかり、右手に握り飯、左手に皿を抱える癖がついてしまっていた。
「母上の握り飯は、こぼれる心配がないのにな…。」
望みどおり、握り飯片手に、書物をめくることができることになったのに、直樹は何か物足りなさを感じていた。

「先生…。」
「はい?」
養生所で直樹は、目の前の患者に呼ばれて返事をする。
「俺…腹が痛くてここに来たんですが。」
「先程聞きました。ですので、薬を処方して…。」
直樹は冷静に説明する。だが、患者はとても言いにくそうに、
「頭に包帯を巻くのは、腹が早く治るまじないですか?」
と、直樹に訊ねた。直樹は漸く気がついた。腹痛で診察を受けた患者に、なぜか頭に包帯を巻き続け、そして周囲の人間もその様子を首を傾げて見ていた。
「ああ…すみません。」
慌てて包帯を解く。

お琴が入江家を去ってから数日、直樹はこんな調子だった。いつもが完璧なため、患者からも心配される始末。
そして、養生所の人間も、きっと長崎から帰ってきて働きづめだったからだと判断し、直樹に休暇を取るようにと言い渡した。

突然の休暇を与えられても、直樹にはすることがなかった。自分の部屋で書物を読むことくらいしか、やることはない。

ふと部屋の片隅に目をやる。毎日のように飾られていた下手な生け花は片づけられて、何もない。
そこへ新たに雇われた女中が、やってきた。すっかり紀子が元気を失くしてしまい、家事の手が必要になったため、数日前に雇われた女中である。お琴と一緒に家事をやることが楽しくてたまらなかった紀子が意気消沈しているのは無理もないことだった。
新しい女中は、「失礼します」と直樹に断りを入れ、お琴が咲かせた花で溢れた障子を外そうとした。何をするのだと訊ねると、綺麗に張り替えると言う。
「…そのままでいいよ。」
直樹がそれを止めた。女中は不思議そうな顔をしたが、そこは雇われの身、直樹の言うとおりにすると黙って下がって行った。

「花も…これだけになったか。」
あれだけ嫌だった障子の花を見ながら、直樹は独り言を呟いた…。

様子がおかしいのは、直樹だけではなかった。
「お琴!胡瓜はどうした?」
包丁片手に物思いに耽っていたお琴は、父親から声をかけられて我に返った。
「へ?」
間抜けな返事をするお琴に、
「胡瓜だよ!これから啓太も来るっていうのに、酒のつまみに胡瓜に味噌をつけたものがないと!」
「ああ…胡瓜。ごめん、買うの忘れてた。」
お琴の言葉に、父親は「ったく、しっかりしろ。」と注意する。直樹が胡瓜が嫌いだったため、先程、買い物に出かけた時すっかり忘れていたのだった。
「そっか…もう胡瓜に気を遣う必要ないんだ…。」
お琴は寂しさで胸がいっぱいになった。

夜中、直樹は庭に何かがいることを感じ、目を覚ました。
縁側に出て、様子を見てみる。
「…何だ、お前か。」
そこには、琴子が探していた愛猫、ナオが直樹を見上げていた。
「今頃戻りやがって。お前の御主人はとっくに出て行ってしまったぞ。」
直樹は、呆れた視線をナオに投げる。
「何だ、お前…。」
直樹は傍にいたもう一匹の猫に気がつき、笑顔を見せた。
「お前、生意気に嫁さんを連れてきたのか。」
直樹の問いかけに答えるように、ナオが鳴いた。なかなか可愛い顔をした雌猫である。
自分に懐いていないことを知りつつも、直樹はナオに手を伸ばし抱きあげた。いつもは嫌がって逃れようとするナオが、なぜか大人しく直樹に抱かれた。直樹はナオの背を撫でながら、言った。

「お前はいいな、好きな女と一緒になれて。…俺は何も言えないまま行かせてしまったよ…。」

ナオは直樹の言葉の意味が分かったのか、慰めるように直樹の頬をそっと舐めた。
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ショック状態です。(TT)

水玉さん、こんにちは

いま少し時間をと。琴子が奈良に直樹に黙って行っちゃいました。チョット意外な展開にショックを。
ネコのナオも琴子が居なくなる前から姿を消していたのに。帰っていたときには彼女を連れて帰ってきたのに。
馴れなかったナオが今直樹に抱かれています。
直樹がお前は好きな奴を手に入れられたんだなと。
俺は好きという事も言えず行かせてしまったと。
凄い後悔をしていますよ。
患者さんの診察にも身が入っていない直樹です。
琴子が切り貼りした障子も新しいお手伝いの人には張り替える事も許さない直樹です。
花もそうです。
琴子がいない事は直樹にとってとても辛いことなのですね。
琴子も家庭の事には身がはいっていませんよ。
どうなるのこの二人、水玉さん。

泣けますね

入江くんの呟き。泣けますね。
でもなんか複雑なんです。イリコトに幸せになって欲しいけど、啓太が傷つくのもかわいそうで…。
今回のお江戸物パラレルは原作エピをちらつかせてらっしゃらないから、先が全くよめなくて、ずっとハラハラしています。
続き楽しみにしております。

今回は

胸が痛いなぁ・・・・。
猫を相手に胸のうちを告白する直樹にきゅんです。
惹かれあいながらも離れなくてはいけない二人。
お互いの想いを抱えながら伝えるすべが無い。
恋愛の醍醐味、ここに極まれり・・・ですよね。

切なーい

とうとうお琴、実家に戻っちゃったのですね。
そして、祝言も早まり、結婚したら夫婦して奈良に行ってしまうんですね。入江君にはそのことを黙ったままで。それを後で知った入江君の気持ちを思うと...
普段何事も完璧な入江君が仕事に身が入らないし、同じくお琴も家事をしてても上の空。
そんな時、いなくなったお琴の愛猫ナオが彼女を連れて
帰って来て...今まで入江君に懐かなかったナオがなぜか
素直に入江君に抱かれて、入江君もナオを相手にお琴への思いを素直に打ち明けて...何か入江君とナオ、いいコンビになりそうですね。
入江君とお琴、どうなってしまうの?そして、啓太の事もすっごく気になります。

初めまして。

少し前からこちら様のサイトに入り浸っている暢気猫です。初めまして(笑

直樹さん! 今すぐ奈良へ行って琴子さんを押し倒してきなさ(蹴
琴子さんのまっすぐで何事にも正直な度胸に感動し、直樹さんの複雑ながらも綺麗な心に感嘆しました。
二人の相性の良さはこういうところから来ているのでしょうか?
個人的に二人には幸せになってほしいものですが、琴子さんはともかく啓太さんは彼女を本気で愛してくれていると思うので。

複雑としか言いようがない!(泣

……一応、私は琴子さんの味方ですから、ついついムキー! となってしまいそうです(黒笑


ではでは、お邪魔しました^^ 美味しい小説を……げふんげふん、上手な小説を有難う御座いました

ありがとうございます

コメントありがとうございます。

tiemさん
あ、まだ奈良に行ってません!ごめんなさい、分かりにくい書き方で!
いなくなってから分かる、存在感ていうところでしょうか…。

KEIKOさん
そうなんですよね…啓太、あまりにも哀れで涙
最後の直樹のつぶやきの場面を書きたいがために、猫を登場させたんです。
それにしても…お江戸…甘く見過ぎてました!!
かなり難しいです^^;

さくやさん
胸キュン!ありがとうございます!
書いてよかった…。
そして、さくやさんのコメント、表現がとてもきれいです。なんか自分の所にいただいたコメントとは思えません…。ありがとうございます。

るんるんさん
似たもの同士なのでしょう^^猫と直樹先生。
猫は絶対喋らないし。
でも猫にしか打ち明けられないというのも、切ないですね…。

暢気猫さん
はじめまして!コメントどうもありがとうございます。
入り浸るほどのサイトではございませんが…でも嬉しいです!
そうなんですよね…啓太は本当に何もしていないのに(笑)ごめんね、啓太って毎回謝りながら書いています。
暢気猫さんも琴子の味方ですか?私もどちらかというと、琴子派?です(笑)
美味しさを感じていただけて、ありがとうございます(笑)
またぜひ、遊びにいらしてくださいね。


プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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