日々草子 水面に映る蓮の花 39
FC2ブログ

水面に映る蓮の花 39






仮住まいとはいえそっくり調度品を運びこみ、屋敷にいる時と変わらぬ暮らしをしていると聞いていたが、かつて自分が暮らした冷宮を琴子に思い出させる、そのような欅宮の御殿であった。
その中に欅宮は座っていた。傍らには誰もいなかった。それを気遣って琴子は桔梗に外で待つよう目で合図をした。
「…構わぬ。」
欅宮が言った。
「桔梗もそこにいるがよい。」
そして欅宮は琴子に手で合図を送った。座るようにという意味だった。琴子は静かに座った。

「私が落ち込んでいる姿を見にやって来たのか。」
フッと欅宮は笑った。
「満足か。」
「…間もなく、新しいお屋敷へお戻りになると聞きご挨拶に参りました。」
琴子は頭を下げた。
「せいせいするであろう。」
「そのようなことは…。」
「嘘をつかずともよい。とうとう邪魔者が消えるのだ。」
相変わらずの口の悪さであるが、その声色にはかつての勢いはなかった。
「嫌われ者は去るのみよ。」
欅宮は琴子から目をそらした。その横顔は寂しそうであった。

挨拶に来たとはいえ、何を話せばよいのか。また、どうして今日は通してくれたのか。いつ席を立てばよいのか。琴子も桔梗も途方に暮れかけ始めた頃だっただろうか。
「桔梗。」
突然、欅宮が桔梗を呼んだ。
「そこの箱を取ってくれ。」
飾り棚に置かれた小箱を欅宮が示した。しかし、桔梗はそれに従うべきか迷った。今まで琴子を罠にはめてきた人物の命令に素直に従って、また何かあってはと思わずにいられない。
「桔梗、欅宮様のご命令通りに。」
琴子が桔梗に命じた。主人に命じられて逆らうわけにはいかない。桔梗は立ち上がり小箱を取り、欅宮の前に置いた。
欅宮は蓋をとった。そして中から取り出したのは琴子にも桔梗にも見覚えのある、あの髪飾りであった。その箱にはその髪飾りが一本だけ、大事そうに布に何重にもくるまれていたのだった。

「見覚えがあろう。」
二人の気持ちが分かったのか、欅宮がかすかに笑った。
「そなたを陥れるために柘榴がこの髪飾りを使ったと知った時、私は愕然となった。」
それだけ大事な物を使われたら愕然となるだろうと琴子は思った。
「そなた、私が早くに夫を亡くした身であることは知っているであろう。」
「はい。」
答えながら「もしや」と琴子は思った。
「これは、亡き夫からの贈り物だ。」
欅宮は髪飾りに目を向けた。
「最初で最後の、贈り物だ。」
欅宮は少しずつ話を始めた。

「私は父上の遅くにできた娘であった。ゆえに側室の娘であるにかかわず父上によく可愛がっていただいたものよ。その父上が選んだ夫は大泉家の縁者であった。大泉家がどうしても王族とつながりを持ちたかったという理由もあった。だから側室の娘であっても王女であればということで結ばれた縁談だった。」
まるで髪飾りに聞かせるようであった。
「大泉本家ではなかったが、本家から命令されたのであろう。嫁ぎ先ではそれは大事にされた。そう、文字通り大事にされた。夫が私の地位に恐れて近づけないほどに。」
クスクスと欅宮は笑った。しかしそれが楽しくて笑っていないことは明らかだったので琴子は笑えなかった。
「私も私だった。王女であるという気位の高さもあり夫に歩み寄ろうとしなかった。夫が大人しいということもありバカにすらしていた。この性格は昔からこうであったのだ。そなたも想像できるであろう。」
琴子は困ったような顔をするしかなかった。
「夫とは一日一度顔を合わせればよいほうだった。新婚とはとても呼べたものではない。夫の両親は私を腫れ物に触れるかのような接し方をする。私の機嫌を損ねたら大泉本家の怒りをかうことになるからな。ゆえに私は婚家で孤独だった。」
周りに大勢の人間がいるのに、まるで一人ぼっちのようだったのだろうと琴子は思いやった。人一人いない場所に置かれたほうがずっとましではなかろうか。
「お気の毒なことでございます。」
思わず琴子は呟いた。欅宮が髪飾りから目を琴子へ向けた。「申し訳ございませぬ」と琴子は慌てて謝った。欅宮は何も言わず再び髪飾りに目をやった。

「ある時、私は装飾品を侍女たちに手入れをさせていた。そこへ夫がふらりと立ち寄った。女人の装飾品など珍しかったのか、作業の様子をじっと見ていた。そこで私は言った。」

―― そんなに珍しい物に見えますか。

「私の言葉に夫は驚いた。いつも型どおりの挨拶くらいしか交わしたことがなかったから。が、夫は笑ってこう言った。」

―― はい、珍しい物ですね。私はこのような物を付けませぬゆえ。

「…思わず私は噴き出してしまった。男はつけぬのが当たり前なのに。その私を見て夫も笑った。私は恥ずかしくなっていつもの顔に戻ってしまった。」

―― しかし、たくさんありますね。
―― すべて父上から贈られた物です。
―― どうりで、素晴らしき品ばかり。

「夫婦らしい会話が続いたことに、私は驚いていた。このような会話がこの人とできるのかと。」

―― これは順番に身につけられるのですか?
―― その日の気分もありますし、外出する時に付けるもの、日常使いのものなどに分かれております。
―― ああ、これに見覚えがあります。

「夫が手にしたものは、髪飾りであった。」

―― これは宮様がこの屋敷に嫁がれた日に髪に付けていらっしゃいましたね。

「私は驚いた。そのようなことをよく覚えていたと。同時に私のことをよく見ていたことが嬉しかった。しかし、それを口にすることはなかった。誇りが許さなかった。」

―― 髪飾りが多いようですが、装飾品では髪飾りが一番お好きなのですか。
―― …毎日付けるものゆえ、数は多くなります。
―― 一番のお気に入りは?
―― どれも甲乙つけがたく。

「本当に可愛げのない返事であったことよ。それ以上会話を続けると自分の素が出そうで恥ずかしかった。だから疲れたからと言ってしまった。夫は長居して悪かったと、体を大事にするようにと笑って私の部屋から出て行った。その背中をこっそり見送って、私は申し訳ない気持ちが出てきたことに驚いた。今までそのようなことを思ったことは一度もなかったから。その背中を見ながら、私はこの次は夫の身の周りについて話を聞いてみようと思った。」
欅宮はそこで話を一度止めた。髪飾りをしばらく見つめていた。

「…しかし、この次という時は永遠に来なかった。」

程なくして、夫は流行病に倒れてしまった。もともと頑丈な質ではなかったゆえ、あっという間に世を去ってしまったのだった。

「おいたわしい…。」
話を聞いていた琴子の目に涙が浮かんだ。距離が近づき始めた夫婦に起きた悲劇に胸が痛む。
「次に私がしたことは何だと思う?」
欅宮は琴子に聞いた。しかし答えを待たずに自分から口を開いた。
「私は夫が外に子を作っていないか探させた。押しつけられた愛想のない正室がいたのだ、気分を発散させる相手がいてもおかしくない。だが、どれほど探してもいなかった。夫は外に妾すら置いていなかった。」
欅宮は髪飾りを撫でながら続けた。
「もっと優しく可愛げのある女人は山のようにいるのに、なぜ夫は相手にしなかったのか。せめて忘れ形見でもいれば…。」
「…いれば?」
琴子は優しく尋ねた。
「いれば、引き取って育てたかった。夫の血を引く子を育てたかった。しかし、子などいなくて代わりに届いたのはこれだった。」
欅宮は髪飾りを握った。
「私の話を聞いた後、夫は自らこれを作るよう命じていた。私が髪飾りを集めていることを知って…。」
「宮様はご夫君を愛しておいでだったのですね。」
琴子が労るように言った。
「さあ、どうだろうな。」
欅宮はまた軽く笑った。
「私が夫を愛していたかは分からぬ。だが、常にこう思っている。」
欅宮は髪飾りを髪に挿した。それはとても美しく、欅宮に似合っていた。
「…今、側にあの方がいらしたら私はとても幸せであっただろう。」

「柘榴がこの髪飾りの話を知らないわけはない。柘榴は私の側にずっといたのだから。それなのに、この髪飾りを謀につかった。私が一番、命より大事にしているこれを。それが何より許せなかった。そして悲しくなった。」
欅宮は髪飾りを外し、再び丁寧に布でぬぐい始めた。
「あの者は私の鏡も同然。いや、仕える者は皆、主人の鏡なのだ。柘榴の愚かな行為はすべて私が源なのだ。」
欅宮は琴子を、そしてその指を見つめた。
「それは東宮様からいただいたものか?」
琴子の指には指輪があった。
「桔梗ならば、その指輪を謀に使ったりしないだろう。桔梗はそなたの鏡ゆえ。」
「…恐れながら、申し上げます。」
琴子が口を開いた。
「桔梗は誰が主人であろうと、主人の大事な物を利用しようとは絶対考えませぬ。」
その口調ははっきりとしたものだった。
「姫様…。」
琴子の気持ちは嬉しかったが、桔梗は心配になった。そのように堂々と逆らって欅宮の怒りに触れないだろうか。

「ホホホホホ!」
ところが欅宮からは笑い声が飛び出した。
「まったく…そなたはこういう時は強く出る!」
「も、申し訳ございませぬ。」
「二ノ宮様の絵の師匠の娘を柘榴が馬鹿にした時も、強気で叱りつけたとか。そして今も桔梗について同じ態度。本当に、他人のためには人が変わるようだ。」
ひとしきり笑った後、欅宮は言った。
「私は亡き夫のために大泉家を盛り立てていく。それは今後も変わらぬ。だからこそ、先の東宮妃の宮中入りに尽力した。その先の東宮妃を追い出したそなたを快くは思ってはおらぬ。大泉家、その周辺の家はすべてそうだと心得よ。」
「…承知いたしました。」
それは琴子も分かっていることだが、改めて言われると辛いことだった。
「…だが、そなた以外の者が東宮妃、または王妃になると絶対に幸せになれぬ民が一人いる。その民のため、そなたは戦っていくことになろう。」
「民…とおっしゃられますと?」
「その一人の民を幸せにできるか?」
琴子の問いに答えず、欅宮は問い返した。琴子は少しの間、それが誰のことを指しているのか考えた。が、欅宮の顔を見つめて気づいた。
「…その民のお手伝いをすることが、私の幸せでございます。それで民を幸せにすることができるのであれば。」
「そなたは他人のためならば強くなれる者だしな。」
やがて欅宮は「少し休みたい」と口にした。それを合図に琴子は退出することにした。
「どうぞお健やかにお過ごしになれますよう、心よりお祈りいたしております。」
「あい分かった。」
最後まで欅宮の態度は変わることはなかった。欅宮にとっての東宮妃はおそらく、沙穂子なのだろう。

部屋を出ると、外に控えていた女官たちが憎しみを込めて琴子を見て来た。相変わらずの態度に桔梗は怒鳴りつけたくなった。
「さ、戻りましょう。」
琴子は気にすることなく前を歩き始めた。
その時である。

「東宮妃様がお戻りになられる。皆でお見送りをいたせ!」
琴子たちの後ろから聞こえたのは、欅宮の声であった。
琴子は振り返った。欅宮が部屋から出て来ていた。

琴子は欅宮を見た。
「欅宮様…。」
「先ほども申した通り、私は大泉の家門に嫁いだ。これからも大泉の人間として、大泉の力になることに変わりはない。そなたが東宮妃である限り、私はそなたの敵になる。だが。」
欅宮は言った。
「私の中に、そなたが王妃の座についた姿を見てみたいという気持ちが芽生えていることも否定できぬ。すべての逆風をはねのけた王妃の姿を見てみたい気持ちが芽生えておる。」

「宮様…。」
女官たちがざわついていた。どうしていいか分からぬといった様子であった。
「聞こえなかったのか?」
欅宮は女官たちを睨んだ。
「東宮妃様のお戻りぞ、皆でお見送りいたせと申しておる!」
それは、欅宮が琴子を東宮妃として認めた瞬間であった――。

「東宮妃様、最後に一言よろしいですか?」
欅宮が初めて琴子に敬語を使った。
「はい、欅宮様。」
「…いつでも言葉にできると思われなきよう。気持ちは口にせねば分からない時が多いのです。そして明日はどうなるか分からないのです。」
「欅宮様…。」
「東宮様と東宮妃様はその点が似ていらっしゃるようなので。」
「心得ておきます、欅宮様。」
「お健やかにお過ごし下さいませ。」
「欅宮様もお健やかに。」

女官たちは二手に分かれ並んだ。そして琴子に頭を下げ、声を揃えた。
「東宮妃様、お見送り申し上げます。」
桔梗は嬉しかった。ようやく欅宮に認めてもらった、琴子の力で。油断すると涙がこぼれそうである。
「桔梗、行くぞ。」
「はい、東宮妃様。」
頭を下げる女官たちの間を堂々と歩く琴子の後姿に誇りを覚え、桔梗は後に続いたのだった。




関連記事

comment

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

最新記事
最新コメント
Private
カレンダー
07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
リンク
カテゴリー+月別アーカイブ