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水面に映る蓮の花 37






「もういいだろう。」
歩きながら直樹は顔に手をやった。そして付け髭を素早く外した。
「え、大丈夫ですか?」
琴子は誰かに見られていないだろうかと、辺りを見回した。
「大丈夫だ、この辺はもう貴族の屋敷街から離れた。」
貴族でなければ自分の顔など知っている者はいないと直樹は言う。
「ですが、視察にいらっしゃる時は馬に乗っておいでの時もありますし。」
「至近距離で見られる距離の者は、皆頭を下げている。」
「そうですけれど…。」
もし、直樹の顔を知っている貴族が歩いていたら大騒ぎになってしまうだろう。
「気にするな。堂々としていればいい。」
「そうですね。後は宮中へ戻るだけですもの。」
「この道、戻る道じゃないけれどな。」
「え!」
直樹に言われ、琴子はまた辺りを見た。先に商店が建ち並ぶ通りが見える。
「確かに、出かけた時は賑やかな通りは通りませんでしたね。」
「今ごろ気づいたのか、ったく。」
直樹がクスッと笑うと、琴子も恥ずかしそうに笑った。

「どちらへいらっしゃるのですか?」
「たまには買い物をしてみたいと思って。」
「まあ、お買い物ですか。」
「そう、値切りの名人がいることだし。」
「値切りの名人…。」
「まさか」と琴子は両手を頬に当てて焦った。
「裕樹に教えてもらった。お前のおかげで損をせずに済んだと。」
「…内緒とお願いしたのに。」
怒られるのではないかと琴子は恐る恐る直樹の顔を伺った。直樹の顔は怒るどころか楽しそうであった。
「行くぞ。」
「はい。」
そして直樹は自然と琴子の手から荷物を受け取った。

「書物屋に入ってみよう。」
裕樹と来た時とは別の書物屋であるが、なかなかの品揃えのようである。
「医学書は扱っているか。」
「はい、こちらに。」
店主は機嫌よく案内してくれた。直樹は棚に並んだ書物を注意深く見ていった。
「大体、書庫にあるな…ん?」
ふと、他の医学書と分けて置いてあった一冊に直樹の目が止まった。そっと手に取り、頁をめくった。
「これは、見たことのない書物だ。」
「外国の書物をこの国の言葉に訳したもののようです。」
店主が説明した。確かに、直樹が読んできた医学書と体裁が大分違う。が、かなり興味深い。
「いくらだ?」
店主が答えた値に、直樹は言葉を失った。払えないものではないが、かなりの高値である。
「何せ、外国から本を買った値、それをこの国の言葉に訳した値と色々手間暇かかっておりますゆえご了承いただきたいと思います。」
店主は申し訳なさそうに言っているが、その顔は少しも値を下げるつもりはないという顔であった。
「そうだな、確かに言うとおりだ。仕方ない。」
どうしても読んでみたい書物である。直樹は懐から財布を出そうとした。
「お待ち下さい。」
琴子がそれを止めた。
「な、何か?」
「こちらをごらんに。ここに汚れがあります。」
書物のある頁を琴子は指した。確かに汚れている。
「それは、買う者がいないためここに積んでいるうちに付いてしまったものです。」
「では、こちらは?」
琴子が指した箇所を見て直樹は「あっ」と声を上げた。そこは書き込みだった。
「これは訳者が書き込んだものなのか?」
「そ、それは…。」
直樹の問いに店主は返事がつまった。
「これは新品ではないでしょう。誰かが手に入れたものを入手したのでは?」
琴子も店主を問い詰めた。
「新品でないならば、正規の値より安く定めるのが普通では?」
「…。」
店主は何も答えられなかった。



「よろしいのですか?新品ではありませんが。」
買った書物を見て、琴子が直樹に確認をした。
「構わない。あれくらいの書き込みは大したことはない。」
直樹は嬉しそうであった。
「それにしても、お前のおかげで助かった。さすが値切りの名人。」
「そんなことは。ただ、私もあまりに高いと思ったため、何か値を下げる方法はないかと思っただけです。」
恥ずかしそうに琴子は続けた。
「…そうやって暮らしてきたのです。」
「恥ずかしがることはない。物の適正な値を知っているということはいいことだ。」
直樹は言った。
「恥ずべきなのは俺の方だ。今まで役に立つのだからと書物を手に入れさせていたが、どれほどの価格か知らなかった。それは民からの税で買っているというのに。」
「ですがお役に立つものですから。」
「いや、何がどれほどの値なのか知らねば国を治めることはできない。」
直樹の言葉に、琴子は頼もしさを感じた。

「そういえば腹が減らないか?」
「確かに。お昼は過ぎております。」
二人がそのような話をしていると、
「仲のいいお二人さん、食べていなかいかい?」
と声がかかった。麺類を扱っている店のようだった。
「入ってみるか。」
「はい。」
「夫婦かい?」
「そうだ、妻と久方ぶりに出てきた。」
「それは仲良くていいことだね。」
店の者が中に「仲良しのご夫婦を案内して!」と大声で知らせた。それを聞いて二人は顔を見合わせ笑ったのだった。



「先程の書物に比べ、ずいぶんと安かったな。」
味もよく腹も満たされた二人は、喧噪から離れた所で休憩をしていた。
「はい。あのお店は繁盛していましたね。あの値であの味でしたらもっともなこと。」
「やはりお前が必要だな。」
直樹が優しいまなざしで琴子を見つめた。
「お前はいろいろなことを知っている。俺の知らないことを。そしてそれを教えてくれる。」
「直樹様にお教えすることなど私があるわけ…。」
「お前のこれまでの暮らしそのものだ。屋敷に籠もって自分では何もせずに暮らしている姫とは違う。それがお前の一番の強みだ。」
少し前の琴子であれば、この言葉を聞いて「前の妃と比べられている」と落ち込んでいただろう。が、今日は違った。直樹の口調がそのようなことを感じさせないものだった。
「お前を妻にして心からよかったと思う。だからずっと、ずっとそのままでいてくれ。」
「私も…。」
琴子は口を開いた。
「私も忘れておりました。直樹様のお手伝いがしたくて、お支えしたくてお側にいることを決めたのに。直樹様がそれを望んでくださっていたのに、ずっと忘れてしまっておりました。」
琴子は素直な気持ちを打ち明けた。
「自分の出自を恥じて、負けないようにと肩に力を入れて。直樹様は一言も出自を責めたことなどなかったのに、勝手に思い込んでおりました。恥ずかしい。」
「そうさせたのは俺のせいだ。俺がお前のことをもっと気遣っていればそんな余計なことを考えさせずに済んだ。すまなかった。」
ようやく、二人の間の溝が埋まったようだった。お互いに謝った二人はしばし見つめ合った。
直樹は目の前の琴子と唇を重ねたいと思った。が、まだそれはやってはいけないと思っていた。
「さて、もう少し街を見て行こう。また指導を頼む。」
「はい、直樹様。」
クスクスと笑う琴子を見て、直樹は安堵した。今はその笑顔を見られただけで充分だと思った。



「それにしても、こうして賑やかに民が暮らしているのは父上の治政の素晴らしさゆえだな。」
賑わいの中に戻った直樹は呟いた。
「父上は本当に素晴らしき国王でいらっしゃる。」
「そうですね。」
琴子も同意した。皆楽しそうである。
「もちろん、中には金に困っている者もいるだろう。そうして者たちが少なく、いやいなくなるような世の中を作ることが俺たちの仕事なのだ。」
「はい。」
「俺にできるだろうか…。」
直樹は不安になった。
「大丈夫でございます。直樹様にしかできないこともございます。」
「俺にしかできないこと?」
「皆が健やかに働けるために、直樹様は医師としてご活躍できませんか?」
琴子が直樹を見上げた。
「病に倒れる者を少しでも減らすために直樹様は診療所を作られました。それだけでご立派な治政といえます。」
「そう思ってくれるか?」
「はい。お金がいくらあっても、体には代えがたきものですから。」
「そう言ってもらえると嬉しいものだな。」
自分にもできることはあると分かり、直樹は一層東宮としての地位に責任を持たねばと思った。そしてその決意を示すかのように琴子の手を強く握った。琴子も握り返してくれた。




「まあ、綺麗。」
一通り店を見て回った後、琴子が足を止めたのは装飾品を扱う店だった。
「いっぱいあるな。」
髪飾り、指輪、衣装につけて楽しむものなど女性の好きそうな品が並んでいる。琴子は視線をいろいろ動かしていた。
「こちらなどいかがです?」
主人がすすめてきたものは、指輪だった。派手な装飾はないがそれでも輝きが違う。いい品であることは誰の目にも明らかだった。
「素敵な指輪。見せて下さってありがとう。」
これ以上直樹を付き合わせるのは申し訳ないと、琴子は立ち去ろうとした。が、直樹は動かずに、
「それをもらおう。」
と店主に告げた。
「そんな!直樹様!」
「いくらだ。ああ、妻には聞こえぬよう耳元で頼む。」
店主がこそこそと直樹に耳打ちをした。それを聞き「分かった」と直樹はこちらも琴子から見えぬよう財布から金子を取り出し渡した。
「ありがとうございます。」
箱に入れられた指輪を直樹は受け取った。
「行くぞ。」
「え、は、はい。」
どうなっているか分からないまま、琴子は直樹の後を追いかけた。

「安心しろ。お前に教えられて大体の物の値は分かってきた。ふっかけられてはいない。それに品の良さは俺にも分かる。」
確かに、高価な装飾品を見て育った直樹は琴子よりそういうことには詳しいだろう。
「手を出せ。」
直樹に言われるがまま、琴子は左手を出した。その薬指に先程買った指輪を直樹ははめた。
「実は、先日師の君より給金をいただいた。」
「お給金?」
「ああ。今までは押しかけて教えをいただいているのだからとお断りしていたが、労働に対する報酬を受け取ることは間違っていない、そうすることで責任感が芽生えてくると申されて。」
直樹は財布を振って見せた。
「今日の買物は全部俺の給金から出しているんだ。そしてお前にもこうして贈り物ができてよかった。」
「大事なお給金を私などに…。」
「一番にお前のために使うべきだったのに、書物を先に買ってしまい申し訳ないな。」
「とんでもございません。私は本当に…嬉しゅうございます。」
指輪をしている左手を、琴子は大事に握った。
「ありがとうございます、直樹様。」
「気に入ってくれたのならば嬉しい。」
直樹の微笑みに、琴子も微笑み返したのだった。



「全ていい方向へ進んでよろしゅうございましたね。」
夕食を終え、早速買ってきた書物を広げながら直樹は鴨狩に一日の出来事を話して聞かせた。が、指輪のことは照れくさくて話さなかった。
「琴子様はやはり、直樹様の助手として一番でいらしたわけで。」
「そうだな。色々あいつから教わった。俺は気配りをもっと学ぶべきだな。」
「ようやく気づかれましたか。」
「ん?」
「いえ、本当に琴子様は気配りができるお方です。」
「そうだな。今日の診察のことを診療所の仕組みにも生かしたい。女性患者を診察する際とか子供には何か甘い物を用意するとか。診察を受けやすい環境を作ることは大事だ。」
色々口にする直樹だが、書物の頁は進んでいなかった。
「直樹様、お疲れでございましょう。今宵はお休みになられたらいかがでしょうか。」
琴子との仲が戻りそうで嬉しい鴨狩だった。良い気分のまま休むことをすすめたかった。
「そうだな…。」
直樹は書物を閉じた。が、気のせいか頭はどんどん冴えてくる。充実した一日を過ごせた興奮が覚めやらぬといった感じである。この興奮を誰かと分かち合いたくてたまらなくなってきた。

「直樹様?」
寝支度をしようとしていた鴨狩がその様子に気づいた。
「雀殿へ行く。」
「は?」
「琴子の元へ行く。」
突然の言葉に鴨狩は目を丸くした。
「今日はあちらもお疲れかと…。」
「支度せよ。」
「は、はい。今使いを出すゆえしばしお待ちを…。」
「使いは不要。直接出向く。」
「かしこまりました。」
慌てて鴨狩は寝支度から外へ出る支度へと変更した。




「もっとよく見せて下さいまし。」
「いいわよ。」
雀殿では、琴子が直樹から贈られた指輪を桔梗に見せていた。
「まあ、お美しい。」
「本当に。」
「ようございましたね、姫様!」
こちらも琴子から一日の出来事を聞かされていた桔梗だった。直樹との仲が元に戻りそうで嬉しくてたまらない。
「直樹様のお手伝いが姫様のお望みでございましたから。」
「ええ、またさせていただける機会があるといいけれど。そのためにはもっと知識を身につけたいわ。」
「直樹様がまた教えて下さいますよ、きっと。」
「だといいけれど。」
女性二人がきゃあきゃあとはしゃいでいた時だった。
「東宮様のお越しでございます。」
女官の声に、二人は顔を見合わせた。
「一体、何事?」
慌てて身繕いをして直樹を出迎えるため、琴子は立ち上がった。

程なくして、直樹が入って来た。
「直樹様、どうされましたか?」
「別に用はないのだが。」
まだややぎこちない間の二人だった。少し前までは、用がなくても行き来していたというのに。
「今日はご苦労だった。」
「とんでもございません。直樹様こそ、お疲れでございましょう。」
「いや、そんなことは…。」
そこで話が止まってしまった。二人は目を合わせぬようにうつむいてしまった。なぜか気恥ずかしさが生まれたのである。

しばらくして、二人同時に顔を上げた。直樹は琴子の顔を見つめた。目、鼻、口と順番に見つめていく。琴子はその視線から顔をそらすことはできなかった。
「桔梗はいるか。」
直樹が声を上げた。
「はい、こちらに。」
外に控えていた桔梗がすぐにやって来た。
「今宵はここに泊まる。鴨狩に伝えてくれ。」
「は、はい!」
直樹の気が変わらぬうちにと、桔梗は飛んで行った。
「直樹様…お泊まりに?」
「泊まる」というその言葉の意味は琴子にもよく分かっていた。頬が赤くなっていった。
「琴子。」
直樹はその名を呼ぶと同時に体を引き寄せた。そして耳元で囁いた。
「今宵はどうしても、お前と一緒にいたい。」
そして衣装が床に置かれる柔らかな音が静かに響き、雀殿の明かりが消えた。



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よかった~(⋈◍>◡<◍)。✧♡

無事に仲直りできて本当に良かったです!
お互いがお互いを思いやれば素敵な関係がもっと築けますよね!
治療終わりにショッピングデートなんて本当に素敵です。
私の中で東宮様の評価爆上がりでございますよ!!
あとは、欅宮がどう出てくるかだと思うけど・・・。
とりあえず、大好きな東宮夫妻が完全復活してくれて本当に良かったです。

水玉様、お早い更新ありがとうございました。
(気付くの遅かったけど(;^_^A)

また続きを楽しみにしていますね~。

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

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