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水面に映る蓮の花 35






春也の許嫁の元へ往診へ行く日まで、琴子は忙しかった。
「…今日はここまでにしておこう。」
直樹の御殿へ行き、考えられる病気についての説明を受けることがここ数日の琴子の日課となっていた。それも直樹は東宮としての務めがあるので、その合間であるから夜更けの講義となってしまう。
「疲れていないか。」
「大丈夫でございます。直樹様こそ、お疲れではありませんか?」
「俺は慣れているから。」
「あまりご無理をなさいませぬよう。」
「うむ。」
「では、私は失礼いたします。お休みなさいませ。」
琴子は静かに直樹の前から退出していった。

「鴨狩も遅くまでご苦労さま。」
「とんでもございません。」
出て来た琴子は外に控えていた鴨狩をねぎらった。
「お持ちいたします。」
同じく待っていた桔梗が、琴子が抱えていた書物を受け取ろうとした。
「大丈夫よ、自分で持っていくわ。」
「かしこまりました。」
自分の御殿へ戻る琴子たち一行を見送りながら、鴨狩は溜息をついた。
「まだまだ、お二人の距離は遠いようだ。」



自分の御殿へ戻っても、琴子は直樹の講義の復習に余念がなかった。
「そろそろお休みになった方がよろしいのでは?」
「もう少し。桔梗、先にお休みなさい。」
琴子は書物から目を離して、桔梗に微笑んだ
「私は大丈夫です。でも姫様は昼間も診療所へお忍びでいらして見学されていたではありませんか。お疲れのはず。」
琴子は、看女がどのような仕事をするのか学ぼうとこっそり診療所へ出向いていたのだった。医師長も快諾してくれ、衣装を質素なものにして正体がばれぬよう、看女見習いとして見学を希望する者として見学をしていた。
「実際に見ると、本当に医師の考えていることが分からないと動くのは難しいわ。指示がなくても必要なことを治療の邪魔にならぬよう動かねばならないし。私に務まるか不安が増す一方よ。」
診療所の邪魔をするわけにいかないので、見学は1日だけということにしていた。せめて直樹の教えを完璧に理解しておこうと思っているが、いくら学んでも全然足りないと思う。
「大丈夫でございますよ。直樹様がいらっしゃいます。」
「ええ、もちろん。でも足を引っ張らないかと思うと…。」
「直樹様には、見学のことはお伝えに?」
琴子は首を横に振った。
「直樹様の負担になるような気がして。」
「そのようなお気づかいをされて…でも本当に大丈夫です。直樹様は仰ったじゃないですか。姫様がいつも心がけていらっしゃることをして下さればいいと。」
「私など、何もできないのに…。」
「そのようなことはございません。それより、寝不足でお疲れの状態でお手伝いされるこ方が…。」
「ああ、そうね。」
琴子は漸く、書物を閉じた。
「いけない、これではただの自己満足ね。大事なことを忘れていたわ。ありがとう、桔梗。」
「自己満足とは思いませんが…医者の不養生という言葉もございますから。」
「それは直樹様への言葉だわね。」
「お伝えされては?」
「…そこまでは、ちょっと。」
琴子は困ったように微笑んだ。それを見て、やはりまだ二人には隔たりがあるのだと桔梗は鴨狩と同じことを思った。


あっという間に往診の日がやって来た。
「琴子様…これはまた。」
やって来た琴子の姿を見て、鴨狩は笑みを浮かべた。
「どう?おかしなところはないかしら?」
今朝の琴子は、いつもと違い連れているのは桔梗一人であった。そしてその姿は診療所から借りた看女の衣装であった。
「全くございませぬ。ただいま、直樹様をお呼びしてまいりましょう。」
鴨狩は直樹を迎えに出向いた。

程なくして、直樹がやってきた。こちらも医師の衣装であった。が。
「まあ…。」
思わず琴子と桔梗が同時に声を上げた。見慣れている直樹の顔に付け髭があった。
「春也の許嫁の家は貴族だ。俺の顔に気付く可能性が高いからな。」
直樹が医師をしていることは、貴族たちには極秘のことであった。明らかになったら、その行動は止められてしまうだろう。
「変装されたのですね…。」
少しの間、黙って直樹の顔を見つめていた琴子であるが「ぷっ」と噴き出した。それを合図に桔梗が、そして鴨狩までもがクスクスと笑い始めた。
「おい、笑うな。」
「申し訳ございません、でも…お髭…ぷぷぷ。」
「本当に…見慣れないため…ぷぷぷ。」
「いや、これでもお顔に違和感のない髭を選んで…ぷぷぷ。」
懸命に堪えていた三人だが、堰を切ったように笑い声を上げた。
「お、俺だっておかしいと分かっている!鏡を見ないようにして気にしないようにしているんだ。」
「お似合いになっていないとは申しませんが…。」
笑い転げる三人を前に、直樹だけが渋い顔をしていた。

「お前も変装したのか。」
ひとしきり三人が笑った後、直樹が琴子を見た。
「変装とまでは申せませんが。私は顔を知られていないでしょうし。」
「まあ、そうだな。」
直樹はまじまじと、それこそ頭のてっぺんからつま先まで見つめた。
「どこかおかしなところがあるでしょうか。」
「いや…。」
直樹は琴子の側を横切った。その際ポツリと言った。
「…似合ってる。」
そのさりげない一言に、琴子の頬がポッと赤くなった。桔梗と鴨狩が顔を見合わせニンマリと笑った。
「行ってらっしゃいませ。」
二人は声を揃えて、主夫婦を見送った。


「直樹様、道をご存知なのですか。」
ずんずんと町を歩いて行く直樹の背に、琴子は声をかけた。
「事前に聞いておいた道筋を暗記している。」
「さようでございますか。」
さすがだと琴子は感心した。
と、突然直樹が足を止めた。
「直樹様、いかがなさいましたか?」
その背中にぶつかりそうになりながら、琴子は尋ねた。
「入江。」
「はい?」
「今日は入江だ。」
「入江?」
「俺の名前。診療所では入江と名乗っている。師の君が付けて下さった名前だ。」
「入江…様。いえ、入江先生ですね。」
琴子はニッコリと笑った。
「わかりました、入江先生。」
そして琴子は、直樹が下げている、道具箱の包みに手をやった。
「入江先生、私がお持ちいたします。」
「いや大丈夫だ。」
慌てて直樹が包みを琴子の手から遠ざけた。しかし、琴子はその包みから手を離さない。
「私は入江先生の看女でございます。医師が荷物を持って、看女が手ぶらというのはおかしいでしょう?」
「だが重いぞ。」
「平気です。さあ。」
琴子に促され、直樹は包みを渡した。それを琴子はしっかりと握った。
「では行くぞ。」
「はい、入江先生。」
二人は再び歩き始めた。直樹は荷物を持った琴子の歩調に合わせ、速度を緩めた。そのささやかな優しさが、琴子は嬉しかった。

春也の許嫁の屋敷の前では、春也の叔父、琴子の後見人を務めている澄子の夫がいた。
「これは…お二人で。」
甥が直樹にすがったことを聞いていたが、まさか琴子まで一緒とは。しかも二人は最近不仲だと貴族の間では噂となっていたし、妻の澄子が心配していたことを知っていたので驚いた夫だった。
「この度は甥がとんでもないことをお願いしまして、まことに…。」
お詫びの言葉を、直樹が手を上げて止めた。
「今はその時間はない。」
「左様でございました。こたびは私の力で宮中の医師長より医師を派遣してもらったということにしております。ゆえに参上した方がいいかと思いまして。」
「分かった。よろしく頼む。」
「よろしくお願いします。」
「勿体ないお言葉でございます。」
「その言葉遣いは気を付けてくれ。」
直樹が注意した。
「今日の俺は入江だ。琴子は看女だ。忘れないでくれ。」
「かしこまりました。では、こちらに。」
澄子の夫は二人を連れ屋敷へ入った。

「本日は娘のために、ご足労を…。」
まず通されたのは、この屋敷の主夫婦の居間であった。
「子供ということで医師が面倒に思って診察を断り…それでも診察してくれた医師もいましたが一向に良くならずに。」
「お気持ちお察し申します。」
直樹が医師らしく返事をした。琴子は、主の傍らにいる妻を見た。見苦しくならぬように髪を整え、化粧をしているがその顔には明らかに疲労の色が濃かった。
「宮中の医師長のご紹介ということで本当に頼りにさせていただいております。」
「力を尽くします。」
話はそこそこに、早速娘の部屋へ出向くこととなった。娘ということで父親と澄子の夫はそのまま居間に残り、母親が案内することになった。
母親は、チラチラと琴子を見ていた。
「何か看女に気になる点でも?」
直樹が尋ねた。琴子は自分が経験のない未熟な者だとばれたのではとドキリとなった。
「いえ、看女殿をお連れ下さり嬉しゅうございます。」
母親は笑みを浮かべた。
「幼いとはいえ、女人は女人でございますゆえ。」
安心して娘の診察を頼めると、母親は嬉しそうであった。
「こちらでございます。医師の先生と看女殿をお連れしましたぞ。」
外から部屋に母親が部屋をかけた。中に控えていたであろう侍女がすっと戸を開けた。

部屋は娘らしく、華やかな飾り付けであった。が、その部屋の主は寝台に白い顔で寝ていた。なかなか可愛らしい顔立ちで、成長したら春也とお似合いの夫婦になるだろうと琴子は思った。
「では、あとは我々で。」
「よろしくお願い申し上げます」と母親と侍女は外に出た。娘は不安そうにその後ろ姿を見ていた。
「大丈夫だ。」
直樹が声をかけた。が、知らない髭の男にそう言われても安心する子供はいない。その目は不安でいっぱいだった。
「大丈夫ですよ、私たちは春也…様の知り合いなのです。」
琴子が優しく言った。
「春也様の?お知り合いなのですか?」
娘の白い顔に少し赤みがさした。
「はい。春也様にはいつもよくしていただいております。こたびのことも、春也様にお願いされてのことなのですよ。」
「春也様が…私のことを?」
「はい、心配しておいででした。」
「私のことを、春也様は覚えていて下さいましたか?」
「もちろんですとも。お嬢様の回復を今も祈っておいでです。春也様にお会いできるよう、私たちにお体を診察させて下さいますか?」
娘は小さく頷いた。「ありがとうございます」と琴子は声をかけ、直樹に頷いた。

最初に脈を診た後、直樹は言った。
「胸の音を聞かせてほしいのですが。」
「え?」
娘は目を大きく見張った。これには直樹が「え?」と思わず声を上げてしまった。
「胸…?」
「…はい。」
何だろう、このやり取りは。直樹は娘の顔を見つめた。
「あの…先生が音を聞くのですか?」
「左様。」
「そ、それは…。」
娘は掛け布団を首までぴったりと覆ってしまった。明らかに体でそれを拒否していた。
「もしや、胸の音を聞かれたことはないのですか?」
琴子が娘に尋ねると、娘は頷いた。
「そのようなことは一度も…。」
何ということだろうかと直樹は頭に来た。胸の音を聞くことは診察の基本ではないか。それを今までの医師は誰一人、しなかったとは。
「入江先生、胸の音を聞く道具をお見せ下さい。」
琴子の言葉に、直樹は我に返った。
「道具を。」
琴子は繰り返した。直樹はその道具を取り出し娘に見せた。
「こちらの道具を胸に当て、先生はこの道具を通して胸の中の音を聞きます。」
「そうなのですか?」
「はい。お嬢様の胸に直接、先生が耳を付けるわけではありません。安心して下さい。」
直樹は驚いて琴子を見た。娘はそこを気にしていたのである。確かに男の耳に肌をつけると思われても不思議ではない。
「左様。こちらを通して音を聞きます。」
「…分かりました。」
少し安心したように、娘は警戒心を解いた。が、まだ顔は強張っている。
「大丈夫ですよ、痛くはありませんから。少しひんやりとするだけです。それもほんの少しですから。」
琴子の説明を聞きながら、直樹はそのようなことを気にしたことなかったと気づいた。

「入江先生、どうぞ道具を。」
琴子が道具を当てる隙間を作った。
「もう少し広げられないか。」
「もう少し…。」
娘が再び恥じらいを見せた。自分は何も邪なことを考えていないと言うべきなのだろうか。
「では、少しお待ちを。」
琴子が自分が持って来た薄い包みを開いた。そこには大きな布があった。それを琴子はふんわりと優しく患者の胸にかけた。
「これで見えません。もう少し胸元を開きます。いいですか?」
「はい。」
直樹にも自分にも見えぬよう、琴子は娘の胸元を広げた。
「うん、大丈夫だ。」
直樹も琴子の気遣いを無にせぬよう、慎重に道具を当て、それを耳に押し当てた。

「お疲れ様でした。」
診察が終わり、琴子は娘を労わった。
予想される症状の薬を複数直樹は持参していた。その中から、一包み取り出した。
「これを煎じさせて、今飲ませてくれ。」
「はい、先生。」
琴子は自ら立ち、戸を開いた。そして侍女に命じた。
間もなくして、侍女が煎じた薬を届けて来た。
「一日三度、この薬を飲まれるように。少々苦いですが。」
「少々…」と娘が呟いた。それは明らかに苦そうな色と香りを放っていた。琴子は手伝って、それを娘に飲ませた。
「お口を開けてもらえますか?」
苦さで顔をしかめている娘が、琴子に言われるがまま素直に口を開けた。琴子はその中に欠片のようなものをそっと入れた。
「…甘い!」
娘の顔がほころんだ。
「お砂糖のお菓子です。苦いお薬の後のお口直しに。これならお薬を飲めるでしょう?」
「はい!」
大人のような恥じらいを見せつつも、やはり子供だった。甘い物を口にしたことで、この日初めて娘は娘らしい心からの笑顔を見せたのだった。



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待ってました!
作品全て、大ファンです!
雰囲気が大好きです。歴史物、大好物です♡

これからも待っていますので、また更新してくれたら嬉しいです(^^)

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いい!

コロナ自粛でどこにも行けず。
仕事ではいつもの年なら問題なく出来る会議や行事ごとが全部流れ・・・
流れた会議のバックアップ対応をして・・・
心身ともに疲れてきていたところに、東宮夫妻がカムバック!!(笑)
まだまだぎこちないところもある二人だけど、いい感じいい感じ❤
めっちゃ癒されました~(*^-^*)
やっぱり二人はお似合いですね~。
直樹の医師としての腕前と、琴子のさりげないところに気付けるところが
かけ合わさって最強の夫婦ですね!
コロナ騒動で気持ちがギスギスしてたのがパッと晴れた感じです!
もうすぐGW。
STAY HOMEでのんびりと水玉様のバックナンバー小説を堪能させて
いただきますね!

水玉様もコロナにかからないよう、ご自愛くださいませ。

GWの過ごし方

いつも楽しみにしてます
コロナのせいで過去のも何度も読んでます
こんな楽しいGWをありがとうございます
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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