日々草子 水面に映る蓮の花 33
FC2ブログ

水面に映る蓮の花 33






「宮様、桔梗殿がお目通りを願っております。」
女官の声に、部屋で膝を抱えていた裕樹は慌てて目をこすった。
「通せ。」
そして桔梗が包みを抱えて入って来た。
「宮様、大丈夫でございますか。」
「何がだ?別に僕は泣いてなどいない。」
自分から打ち明けてしまった裕樹に、桔梗は笑みをこぼした。
「どうしたのだ。」
先ほど、琴子の御殿から裕樹は戻ったところである。琴子が泣いてしまったため、どうしたらいいのか分からなかった。が、ここは自分はいない方がいいだろうと思った。
「はい、姫様からこちらを届けるようにと。」
桔梗が包みを開いた。中からは裕樹の好物の餅菓子が出てきた。
「お夕食がありますから、少しだけですよ?」
「分かっている。」
そういえば、いつも琴子のところで食べるこのお菓子をすっかり忘れていた。琴子は泣きながらも自分のことをちゃんと覚えていてくれたのかと思うと申し訳なくなった。
「わざわざ桔梗が届けに来たのか。」
「はい、私がお届けするようにと姫様が命令されたのです。」
その命令の陰には、裕樹の様子を見てくるようにという意味があることを桔梗も、そして裕樹も分かっていた。

「…どうして琴子は泣いたのだろうか。」
ぱくりと餅菓子をかじりながら、裕樹は呟いた。
「それは…裕樹様の絵があまりに素晴らしかったからです。」
「お世辞はいらない。」
「本当でございます。裕樹様が絵に込められたお心に姫様は大事なことをお気づきになったのでしょう。」
「大事なことって何だ?」
「それは…。」
桔梗は知っていた。が、それを話すことはなかった。
「…私の口からは上手に申し上げられませぬ。だけどきっとそうだと思います。」
「ふうん。お前が言えないなら簡単なことではあるまい。琴子はそういうところが面倒だ。」
ぱくりと裕樹は二個目を口にする。
「…泥にまみれた蓮に自分を例えられて悲しくなったわけではないのだな?」
「ま、そのようなことは決して。」
裕樹は裕樹で、琴子を泥だらけの汚い女と勘違いさせてしまったのではないか、傷つけてしまったので泣かれたのだと思い、悪いことをしてしまったと泣いていたのだった。
「裕樹様のお気持ちは姫様にきちんと伝わっておりますよ。ご安心を。」
「…ならいいけれど。」
そう言いながら、裕樹は三個目に手を伸ばそうとした。が、その様子を桔梗が軽く睨んだ。
「今夜は、きっと母上が僕の嫌いな物を夕食に入れていると思う。絶対そうに違いない。だからあまり食べられないからこれを食べておかないと。」
と、訳の分からない理由をつける裕樹に、つい桔梗は笑い声を上げた。こう言われると許すしかない。裕樹が叱られたら、自分が餅菓子を出したからだと話しておけばいいだろう。

またそのうちに遊びに行くという伝言を受け、桔梗は裕樹の御殿を後にした。
「良かった。裕樹様が安心していたということを伝えたら姫様もお元気に…きゃっ!」
独り言を口にしながら歩いていた桔梗は、突然の衝撃に尻餅をついてしまった。
「桔梗様、大丈夫でございますか?」
従えていた女官が慌てて桔梗を起こそうとする。
「大丈夫だけれど一体何が…。」
「も、申し訳ございません、桔梗殿。」
自分に衝撃を与えた人物を見て、桔梗は驚いた。
「まあ、春也様ではございませぬか。」
そこにいたのは、裕樹の学友の春也であった。
「おけがは…。」
「大丈夫です。私が考え事をしていたから春也様に気づかなかったのが悪いのですから。」
と、立ち上がった桔梗だが春也の様子は明らかにおかしかった。いつもの冷静沈着な彼はどこへ行ったのかと思うほど狼狽している。しかもすぐに走り出したいとばかりの様子。
「お急ぎでしたら私に構わずどうぞ。」
「申し訳ございません。お言葉に甘えて。」
「では」と一礼すると春也は駆け出して行ってしまった。
「あちらは裕樹様の御殿。何か急ぎの用事でもあるのかしら?」
それにしても気になると桔梗は思った。

「そう、裕樹様に悪いことをしてしまったわ…でも良かった。」
桔梗から報告を受けた琴子は安堵の笑みを浮かべた。が、桔梗がいない間はやはり落ち込んでいたと見え、目は泣き腫らし、その手は船の木細工を握っていた。
「また遊びにいらっしゃるそうです。が、姫様。少々気になるところが。」
「なあに?」
「実は…。」
と桔梗は春也とぶつかり、様子がおかしかったことを話した。
「まあ、珍しいこと。何かあったのかしら?」
「裕樹様に相談しているのかもしれません。」
「仲がよろしいから。深刻なことでなければいいのだけれど…。」
二人は何も起きなければいいがと思った。


しかし、そうはいかなかった。
「宮様!」
「おお、何だ!」
餅菓子を喉につまらせそうになり、裕樹はむせた。
「驚かせるな!」
「申し訳ございません。」
「ったく、何事だ。」
文句を言いつつも、裕樹も学友の様子がおかしいことにすぐ気づいた。その顔は真っ青である。
「とりあえず座れ。誰かいるか。」
裕樹は春也に飲み物を運ばせるよう、女官に命じた。

ところが春也は座ろうとしない。
「どうした?」
さすがにこれはおかしいと、裕樹の顔色が変わる。すると春也は突然ガバッと両手を突き平伏した。
「な、何だ?」
「宮様、一生のお願いでございます!どうぞ、どうぞお願いいたします。」
「何のお願いだ?」
こんな春也は初めてである。そもそも、自分に必要以上に媚びないところが気に入って学友として付き合って来たというのに。
「…誰か知り合いの出世を頼みたい、とか?」
今までそういう目的で自分に近づいてきた者が多かったことを裕樹は忘れてはいなかった。
「私の…許嫁のことなのです。」
「許嫁ね。ああ、そう。許嫁…何!?」
出世ではなく、一番二人に似つかわしくない単語の登場に裕樹は面食らった。
「お前、許嫁なんていたのか!」
一度も聞いたことがなかった。
「許嫁が…危険なのです。お助けください。お願いします。」
何度も同じことを繰り返す春也の両肩を裕樹は掴んだ。そして強引にそれを持ち上げ、彼の顔を自分の顔と突き合わせた。
「落ち着け!」
びしっとした裕樹の口調に、春也はハッとなったようだった。
「落ち着いて、僕の顔を見て説明しろ。いつもお前が僕に言っているだろ。冷静になれって。」
「ああ…。」
春也は少し落ち着きを取り戻した。



「鴨狩!!」
話が終わった後、裕樹は春也を連れて兄の御殿へ急いだ。
「これは宮様。春也殿もおそろいで。」
「兄上はおいでか!」
のんきに挨拶を受けている場合ではないと、裕樹が先を急がせる。
「東宮様はお留守でございます。」
「どちらへ行かれた?」
「それは…。」
鴨狩はチラリと春也を見た。裕樹は「構わぬ」と話すようせかす。
「…医師としての修行にお出かけでございます。」
「戻られるのはいつだ?」
「本日は東宮としてのお務めはないので遅くなると…。」
「何だって!」
裕樹は青ざめた。春也は「ああ」とその場にしゃがみこむ。
「だ、大丈夫でございますか!」
一体何が起きているのかと鴨狩までも顔面蒼白となる。
「どうなさいました、お二人とも。」
「兄上にお願いしなければならないのだ…。」
「東宮様に?」



医師の修行を再開した直樹であったが、自らが望んだこともあり新入りのすることをしていた。
薬草の仕分け、医学書の整理などが主な仕事であった。それをしていると、心が自然と落ち着いて来て、自分のこれまでの行いを振り返ることにもつながった。
「入江殿が戻られてから薬草の仕分けが早く終わるようになりましたな。」
信頼できる先輩の浪江が、診察の合間に顔を出してくれた。
「とんでもありません。医師長の采配で新しい薬草も増えて覚えることばかりです。」
「しかし、いつまでこういったことを?」
浪江は直樹の知識を生かさないのは勿体ないと思っている。
「私が医師として診察をすることを、医師長が許可してくださるまでは。」
そう言いながら、直樹は次の仕事である医療器具の手入れにとりかかった。浪江は直樹の仕事を邪魔せぬよう、そっと部屋から出て行った。

と、診療所へ戻ろうとしたところで、浪江は人影に気づいた。
「これは…東宮侍従長様。」
「浪江殿、ご無沙汰を。」
身分は東宮侍従長である鴨狩の方が上であった。
「いかがなさいましたか?宮中で何か?」
「あ、いや。実は…。」
鴨狩は後ろを見た。
「これは…。」
浪江は頭を深く下げた。裕樹がそこにいた。春也も一緒である。
「宮様、こちらは東宮様の医師の先輩である浪江殿でございます。」
「兄上が…その…世話になって…います。」
どういう言葉遣いをしていいか迷ったので、おかしな物言いになってしまった。



「東宮様…。」
集中して器具を磨き上げていた直樹は驚いて顔を上げた。
「浪江殿、何か忘れものでも?」
ここではその呼び方はしないという約束で、つい先程も呼び名である「入江」と呼んでいた浪江なのにと、直樹は怪訝な顔をした。
浪江は辺りを見回した。誰もいないことを確認する。
「何か内密の話でも?」
「外にお出に。」
浪江は直樹を外へと導いた。

「お前たち、どうしてここに!」
鴨狩と二人の子供を見て直樹は驚いた。
「鴨狩、俺がここにいる時は余程の時以外来てはならぬと命じただろう。」
「申し訳ございません、東宮様。ですが…。」
「兄上、僕が鴨狩に頼んで連れて来てもらったのです。」
裕樹が鴨狩を庇うと、春也が「いいえ、東宮様」と裕樹を庇う。
「私が二ノ宮さまにお願い申し上げたのです。」
「春也が?」
何か話があるようだということは、直樹にも分かった。
「東宮様、医師長に事情を話しておきますゆえ。」
心得てその場を離れた浪江に、直樹は「かたじけない」と頭を下げた。

「で、何があった。」
「東宮様…お願いでございます!」
春也は再び地に両膝をつけ、頭を下げた。
「どうした?」
「兄上、僕からもお願いいたします。」
裕樹も同様にした。これには直樹だけでなく春也も驚く。
「春也を助けてやって下さい。兄上にしかできないことなのです。」
「二人とも、立て。それでは話ができないだろう。」
直樹は二人を立たせた。



二人の話を聞き終えた直樹は、医師長のところへ真っ直ぐ向かった。
「弟君は宮中に戻られましたかな?」
医師長の側には浪江がいた。話をちゃんとしてくれていたらしい。
「医師長、お話がございます。」
「おや、何でしょう。」
医師長はいつもの柔和な笑みで直樹を見た。
「私は外に出ております。」
遠慮して二人きりにしようとした浪江を直樹は「浪江殿も一緒に」と止めた。
「弟の学友の許嫁が病で伏せっているそうです。」
「それは気の毒な。」
「物心つくかつかないうちから体が弱かったのですが、最近はさらに弱ってきて。食事もままならなくなったとか。」
「しかし、二ノ宮様のご学友であれば大貴族のご子息。その許嫁とならば同様の家柄の姫君でしょう。立派な医師が診察しているのでは?」
「…子供、しかも女児ということで医師は皆敬遠しているそうです。」
「何と酷いことを。」
浪江が眉をひそめた。
「確かに子供の診察は骨が折れることが多いもの。だからといって敬遠するとは医師とはいえないのではありませぬか。」
「左様。貴族の主治医になる者全てとは言わぬが、適当に機嫌をうかがって薬を処方して大金をせしめる、そんな楽な仕事だけをしたいという者が多いことは事実。」
「本人も弱気になっており、これはもうだめかと両親が学友の家に縁談の断りを正式に申し出たそうです。それで学友が何とかならないかと弟を通して私に願い出たという訳です。」
「ご学友は姫君と縁談を貫きたいのですね。幼いのになんとご立派な。」
浪江が感動して呟いた。
「それで入江殿は何をされたいと?」
医師長が直樹に尋ねた。
「私は…。」
直樹は少し考えた末に口を開いた。
「最後まであきらめたくはありません。助けを求める患者を見離すことはしたくありません。」
「…よう言われました。」
医師長が頷いた。
「しばし医療の場を離れて、その間人格が変わってしまったかと心配しておりましたが、情熱は失われてなかったと見える。」
「師の君。申し訳ございませんでした。」
直樹は改めて頭を下げた。
「そこで、この診療所から医師を遣わしていただけないかと思うのですが。」
「それはご自身が出向かれればいいのでは?」
「え?」
師の君の言葉に、直樹は顔を上げた。
「入江殿ご自身が診察すればいいのではないかな?」
「しかし私は修行中の身で。」
「もう充分、反省はできたのではないかな?」
師の君は浪江を見た。
「はい、充分でございます。入江殿はもう現場に復帰していただけますとも。」
浪江も力強く頷いた。
「何より、小児の治療は入江殿がこの診療所で一番の腕利きです。入江殿以上の適任者はおりますまい。」
「そんなことは決して。」
「いや、私もそう思いますぞ。」
師の君は言った。
「入江殿、どうしますか?」
「…私が診察をしていいのでしょうか。」
「他に適任者はいないと、私も浪江も思っております。」
「ならば、力を尽くしてまいります。」
体の中から湧き上がる興奮を必至で抑え、直樹は答えた。現場に戻れる。それが何より嬉しい。

「医師長、一つ気がかりなことがございます。」
直樹が出て行った後、浪江は医師長に心配そうに言った。
「小児、しかも女児といいますと手伝いの者が必ず必要となるかと。」
「確かに。入江殿一人行かせるわけにはいくまい。患者の両親も嫌がるし、本人も拒否するだろう。」
「そうなると、手伝いも女人が必要です。」
「そうだな。」
言いにくそうに浪江は続けた。
「入江殿は優秀な医師であることは間違いありませぬ。ですが、自分自身に厳しいことはもちろん、他人にも厳しい。正直なところ…。」
ここで浪江の言葉が止まった。
「…看女(看護をする女人)には敬遠されているのだろう。」
医師長が笑った。
「はい。頭が良すぎてその回転の早さに看女は付いていけませぬ。看女は怖がっております。」
「看女を育てることも我らの役目であるが、まだそこまで追いついておらぬか…。」
医師長は溜息をついた。
「とりあえず、一番優秀な看女を付けましょうか?」
「そうだな。そうしてくれ。」
「かしこまりました。」
浪江は医師長の元から離れた。その背中に「待て」と医師長が告げた。
「私にあてがあった。」
「あてとは看女のあてのことでしょうか。」
「そうだ。」
医師長は頷いた。
「入江殿にくらいつき、患者の気持ちを理解し、助手として見事な働きをしてくれる女人を私は一人知っている。」
「そのような奇特な女人がいるのですか?」
浪江は目を丸くした。
「左様。入江殿にどれほど厳しくされてもへこたれぬ、強く優しい、この世に一人しかおらぬ看女をな。」
医師長はにっこりと微笑んだのだった。



関連記事

comment

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ついに・・・

東宮直樹と東宮妃琴子ちゃん仲直りできるかなぁ。。。

祐樹の大事な親友の許嫁ちゃんを助けるためにきっと・・・!

先がすごく気になりますぅ。。。

本当に東宮一家とその周囲の人たちは優しい人たちばかり

ですね!

欅宮なんてペペッと排除して幸せになってほしい!

水玉様、また今年も花粉が飛び始めて大変とは思いますが

お体に気を付けて、気が向いたら続きをお願いしますね!

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

あれ⁉️
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

最新記事
最新コメント
Private
カレンダー
07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
リンク
カテゴリー+月別アーカイブ