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2018.07.09 (Mon)

水面に映る蓮の花 9


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琴子と裕樹が街へ写生へ出かけた日から10日後、宮中を歩く佐川の姿があった。
「一体、何事だろうか。」
突然、宮中へ来るようにと馬車を差し向けられたのである。しかも呼び出したのは王妃であった。
「後宮とは縁のないはずだが。」
王妃の住む白鷺殿を前に、一体何がこれから起きるのだろうと佐川は緊張で体を固くした。

「そなたが佐川殿ですね。」
「はい。」
王妃はにこやかに佐川を迎えた。それも茶菓のもてなしまで。どうやら叱られるために呼び出されたわけではないらしい。
「少し、そなたのことを調べさせてもらいました。」
「はっ…。」
「佐川家は貴族でありますね。」
「官位の低い、名ばかりの貴族でございます。」
「絵を描かれているとか。」
そこまで自分のことを調べ抜いたかと、佐川は身を固くした。名ばかりの貴族ゆえ貧しい佐川は、得意の絵で生活費を稼いでいたのだった。
「客に求められたものを描き、納めております。王妃様のお耳に入れるようなお話ではございませぬ。」
「とんでもない。その絵のことでお願いがあり来てもらったのです。」
王妃の言葉に、佐川は驚いた。まさか絵のことで呼ばれるとは。王室で絵を描く仕事がもらえるのだろうか。いや、王室にはすでに専用の絵師が所属しているはず。
「実は二の宮の絵の師になってほしいのです。」
「二の宮様の絵の師に、私がでございますか?」
絵の家庭教師の話とは全く思っていなかった佐川は目を丸くした。
「ええ、そうです。二の宮は絵を描くことが好きなのです。師を探しておりましたところ、佐川殿が適任との話を聞きました。ぜひとも頼めないでしょうか。」
「恐れながら王妃様。」
佐川は慌てて言った。
「私ではとても宮様の絵の師は務まりませぬ。もっとふさわしい、それこそ高名な絵師がたくさんおられますゆえ…。」
「いいえ。」
佐川の必死の言葉に、王妃は首を振った。
「そなたがいいのです。二の宮の絵を理解してくれるであろう、そなたが。」
なぜそこまで自分をかってくれるのだろうか。佐川は不思議でならなかった。
「しかし…私は絵を商売にしている身でございます。二の宮様のお側に私のようなものが…。」
「商売が忙しいのですか。邪魔になるなら…。」
「いえ、それはどうにでも…あ、いえ。」
素が出そうになった佐川を、王妃はクスッと笑った。が、すぐに真顔になった。
「…二の宮は、絵が上手とはいえませぬ。ただ、本人が好きで好きでたまらなくて描いております。それを理解して導いてくれる師を探しておりました。」
これまで師は何人も変わったという。
「東宮と年が離れているゆえ、私が甘やかしたところもあるためわがままなところがあります。その都度叱っておりますが、今までの絵の師と二の宮の性格が合わなかったことも事実。佐川殿ならば、二の宮のよき師となってくれると思っております。」
「しかし、私のような貧しき貴族が…。」
「身分は関係ありませぬ。ただ、二の宮を優しく、時に厳しく導いてくれる師であればいいのです。あの子の性格を理解し、生涯の師となってくれれば。」
「生涯とは畏れ多いことでございます、王妃様。」
またもや恐縮したしまう佐川であった。
「私の顔色をうかがうことなく、わがままであればたしなめて下さい。間違っていることは間違っていると。佐川殿ならばそうできるでしょう。」
「王妃様…。」
「実は、佐川殿に絵の師になってほしいと申したのは二の宮自身なのです。」
「宮様ご自身がでございますか?」
「ええ。宮がどうしても佐川殿に自分の師になってほしいと。」
一体二の宮はどこで自分を知ったのだろうか。ますます訳が分からなくなってきた。
「親ばかと笑ってくれて結構です。二の宮は人を見る目はあります。あの子はまだ年端もいきませぬが、人を見る目は確かだと私は信じております。」
佐川だけではなく、琴子もそうだったと王妃は思った。琴子に最初に懐いたのは裕樹だった。

「王妃様。」
そこへ女官長が声をかけた。
「二の宮様がいらっしゃいました。」
「通すように。」
返事をすると、王妃は佐川に言った。
「直接、佐川殿に自分からもお願いするよう申しつけたのです。」

「母上。」
「二の宮、こちらが佐川殿です。」
「はい。」
頭を下げる佐川の耳に、大人のそれと違う足音が聞こえた。その足音は佐川の横で止まった。
「佐川殿。」
「はっ。」
佐川は頭を上げた。
「あっ…。」
つい礼儀にかなっていない声を佐川は上げてしまった。そこには見覚えのある顔があったからだ。
「あなた様は…。」
「お願い申し上げます。どうぞ私の絵の師になって下さいませ。」
裕樹が家族以外に頭を下げたのは、これが初めてであった。
「…。」
佐川はしばし考えたが、口を開いた。
「私でよろしければ、宮様の絵の御指導をさせていだきます。」
裕樹の顔に満面の笑みが広がった。

「王妃様、東宮妃様がおいででございます。」
「ああ、通しなさい。」
佐川はもう一つ思い出した。あの時、「姉」と名乗った女性がいたことを。
「東宮妃、佐川殿が宮の師を引き受けてくれましたよ。」
「まあ、それはよろしゅうございました。」
東宮妃はあの時の女性だった。二人でお忍びで歩いていたのだ。
「佐川殿、宮様をよろしくお頼み申します。」
「はっ。」
「宮様、お軸にする絵を楽しみにしておりますね。」
「おう。きっと最高傑作を見せてやるよ。」
仲の良い義理の姉と弟だと、佐川は微笑ましく眺めていた。


「姫のおかげで素晴らしい師が決まりました。」
佐川と裕樹が去った後、王妃と琴子は二人部屋に残った。
「とんでもございません。裕樹様がご自身で見つけられたのです。」
「いいえ。裕樹から聞きましたよ。」
自ら菓子を取り分けてやりながら、王妃は微笑んだ。
「裕樹が姓を聞かれた時、すぐに助けてくれたと。あの時姓を名乗ったから、きっと佐川殿に不審がられることがなかったのだと感謝しておりました。直接姫に感謝の言葉を述べるよう言ったのですが、あの子はもう素直じゃなくて。」
「はあ」と溜息をつく王妃に、琴子は笑った。
「とんでもございません。義母上様、裕樹様はとても素直でいらっしゃいます。私のことも何かとお気づかい下さいます。優しい方です。」
「ああ、そんなこと言ってくれるのは姫だけです。」
王妃は琴子の手を握りしめた。王妃にとって琴子は本当によく出来た嫁であった。失礼なもの言いばかりの裕樹を実の弟のように可愛がってくれ、裕樹も懐いている。前の東宮妃では裕樹はこんなに懐かなかったし、人生を導いてくれるような師とも巡り合わなかっただろう。
ただ、そんな琴子に王妃は一つ、気がかりなことがあった。
「姫や。」
「はい、義母上様。」
にっこりと琴子が微笑んだ。
「最近、東宮とは…。」
その途端、琴子の顔に戸惑いが広がるのを王妃は見逃さなかった。女官長から、あれほど仲睦まじかった二人が最近様子がおかしいという話を聞いていたのである。
「…私が至らないばかりに。」
これ以上は聞いてくれるなとばかりに、琴子は俯いてしまった。
「そんなことはありませんよ。東宮は人の心に疎いところがありますから。至らないのはあちらの方でしょう。」
「そのようなことはございません、義母上様。私が…私がもっとしっかりとしていれば。」
「大丈夫ですよ、今のままで。あなたは私の可愛い可愛い娘ですからね。」
王妃に抱きしめられる琴子であったが、「今のままで」という言葉がまたもや引っかかってしまったのだった。



「よろしゅうございましたね、裕樹様に素晴らしい師の君様がいらして。」
「ええ、本当に。ますます絵にのめり込まれるでしょうね。」
今以上の枚数を描いて見せに来てくれるだろうかと、琴子は楽しみだと桔梗と笑った。
「ところで、姫様。」
ずいと桔梗が膝を進めて来た。
「なあに?」
「いかがでしょう?直樹様から頼まれている香を調合されては?」
「香…。」
琴子が溜息をついた。それを見た桔梗は悲しくなった。香の調合は琴子が一番好きなことなのに。直樹の依頼だけでなく、自分の御殿に焚きしめる目的でも調合をしようとしない。
「どこぞ、ご気分でも悪くていらっしゃるのでしょうか?」
体調が悪いのではということを桔梗は心配した。
「いいえ。」
琴子はかぶりを振った。
「…私って香を調合することしか能がないのかしら?」
「そのようなことはございません。」
桔梗がとんでもないと否定した。
「香の調合は立派な特技でいらっしゃいますよ。たしなみとしても申し分ないことですし。」
「でも、学問はちっとも。」
楠が講義に使っていた書物を琴子はめくった。
「香を調合するだけの東宮妃なんて、役に立つのかしら。」
「そんなおっしゃりよう、おやめ下さい。姫様、もっと自信をお持ちに。」
琴子の自信喪失が桔梗は心配だった。これも前の東宮妃の存在が大きすぎるからだと、逆恨みの一つもしたくなる。
「今日はやめておくわ。直樹様も急がなくてもいいと仰っていたし。もっとも。」
書物を閉じ、琴子は「ふう」と溜息をついた。
「…もう私に頼んだことなど、お忘れかもしれないわ。」



急がなくてもいいという香の調合が、とんでもない騒動を引き起こすことになったのはそれから間もなくのことだった。

「東宮妃様、東宮様が至急御殿へいらっしゃるようにと。」
「直樹様が?」
血相を変えてやってきた東宮付の女官に、琴子と桔梗は何事だろうかと顔を見合わせた。直樹は最近また忙しくなっていると聞いており、あちらから呼ばれることも、やってくることもとんと御無沙汰であった。
「とりあえず、お支度をしましょう。」
さすがに今回は理由をつけていかないと返事をする場合じゃないことは二人にも分かった。

「東宮妃様のお越しでございます。」
「…入れ。」
部屋の中から聞こえた直樹の声は厳しいものだった。
「桔梗も共に。」
「え?」と桔梗は驚いて琴子の顔を見た。いつもは琴子一人だけなのに。琴子は桔梗に頷き、部屋に入った。

部屋で直樹は厳しい顔で座っていた。琴子が来てもその顔は変わらずギロリと睨んでいる。
「お呼びとうかがいました。」
「座れ。」
いつもの優しさは何処へ行ったのか、琴子は自分が直樹を避けていた罰を受けるつもりで座った。
直樹は控えていた鴨狩に目で合図をした。鴨狩が困った顔をして、盆にのせたものを直樹と琴子の間に置いた。かけられていた布を鴨狩がはずすと、現れたのは香炉であった。
「これは何だ?」
直樹は顎でそれを指した。鴨狩が火をつけると香りが漂い始めた。
「これは…。」
琴子と桔梗には、これがかなりの高価な香であることが分かった。
「お前、本気でこれを診療所で使えと?」
「え?」
琴子は直樹の顔を見た。
「先ほどお前の元から届けられたものだ。こんな高価なものを診療所で使えというのか?」
「お待ちください、直樹様。」
怒っている直樹に、琴子が必死で言葉をかける。
「どういうことか私にはさっぱり。」
「…お前、そんなに俺のために香を調合するのが嫌だったか。」
「どういうことでしょう?」
「面倒になって、東宮妃の立場をふんだんに利用して高価な香を香炉に放りこんでおしまいってわけか?」
「そのようなこと、私は…。」
「そんなに学問がしたいのか。学問がしたいから、病人の世話なんてまっぴらだと。」
「直樹様、東宮妃様はそのようなお考えではないことは…。」
「お待ちくださいませ。東宮妃様は香は…。」
「お前らは控えよ!」
直樹の言い過ぎを止めようとする鴨狩と桔梗を、直樹は怒鳴った。
「香の…香の調合が遅れたことはお詫び申し上げます…。」
唇を震わせながら、琴子は謝った。一体何が起きているのか、さっぱりわからないままだが、とりあえず直樹の怒りを納めようと必死だった。
「でも…私…。」
「何だ?」
桔梗は琴子が、自分が調合していないものだと否定することを期待した。きっとそうするに違いない。そうすれば直樹の怒りも解けるはず。
「…学問をすることは、そのように悪いことなのですか?」
ところが桔梗の期待とは全く違う言葉が、琴子の口から出た。
「は?」
「私とて学問をいたしとうございます。それなのに直樹様は難しいからとか、しきたりを先に覚えろとか…。」
「難しいのは事実だ。あの書物はお前にはまだ無理だと言ったまでだ。」
「どうしてそう決めつけるのですか。私だって…私だって…。」
目に涙を浮かべながら、琴子は直樹を見上げた。
「私だって、前の東宮妃様のようになりとうございます!」
「…。」
琴子がそのようなことを言うとは思っていなかった直樹は、意表を突かれた顔をした。

「…お前は前の東宮妃のようにはなれない。」
直樹が言い放った言葉は、どんな言葉より琴子の心を抉った。琴子は涙を一滴もこぼすまいと歯を食いしばり立ち上がった。そして挨拶もせず直樹の元を足早に去って行った。
「姫様!」
桔梗も挨拶を忘れ、琴子を追いかけた。
直樹はプイと横を向いて、その姿を見まいとしていた。

「…片付けろ。」
しばらくした後、直樹は香炉を片付けるよう鴨狩に命じた。鴨狩黙って香炉を元の盆にのせた。
「直樹様、恐れながら申し上げます。」
鴨狩に直樹は返事をしなかった。
「あまりの仰りようではありませぬか?」
「…下がれ。」
「直樹様、東宮妃様がこのようなことをする方だと?」
「下がれ!!」
あまりの剣幕に離れた場所に控えていた女官が飛んで来た。騒ぎを大きくしたくないと鴨狩はそれ以上何も言わず、部屋を出て行った。




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 |  2018.07.09(Mon) 22:51 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.07.09(Mon) 23:51 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.07.10(Tue) 06:59 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.07.10(Tue) 12:33 |   |  【コメント編集】

★No title

また、おばさんの仕業?入江君も、もう少し冷静になればいいのに⁉️おばさんのじが難しく😣💦⤵️すいません
なおちゃん |  2018.07.11(Wed) 12:09 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2018.07.11(Wed) 23:00 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.07.13(Fri) 06:46 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.07.23(Mon) 15:42 |   |  【コメント編集】

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 |  2018.08.01(Wed) 22:16 |   |  【コメント編集】

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