日々草子 水面に映る蓮の花 5
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水面に映る蓮の花 5






今日も相変わらずこちらを見下した態度だと、柘榴を見て桔梗は思った。

「本日は欅宮様から東宮妃様へのご提案にまいりました。」
「ご提案ですか?」
やはりあの欅宮は反省などしていなかったと桔梗は思った。
「どのようなご提案なのですか?」
本来ならば「ですか」などという言い方を教える師琴子はしなくてもいい立場なのにと桔梗は悔しい。東宮妃なのだからもっと偉そうにしていいのにと歯がゆい桔梗であるが、それが琴子の偉ぶらない性格でもあるのだからと思い直す。
「東宮妃様に学問を教える師を宮様はご紹介されたいと。」
「学問を教える師…ですか?」
宮中に入った琴子には、まずはしきたりをゆっくりと学んでもらおうというのが王妃の方針であった。学問はあまり無理しないよう、妃として教養を身に着けることを中心に、あとは琴子が興味を抱いたものをということになっていた。
「恐れながら、東宮妃というお立場、それなりの学問を身に着けることが必要ではないかと欅宮様はご心配あそばされております。」
どうも柘榴の物言いが気になる桔梗であるが、口を挟むのも憚られる。
「東宮様はあのように学問に秀でたお方、おそばにいらっしゃる東宮妃様もそれなりの知識を身に着けるべきだろうと欅宮様のお言葉でございます。」
確かに欅宮の言うことはもっともだと琴子は思った。自分は学問が得意ではない。が、こうして宮中に入った今そのようなことを言っている場合ではないとも分かっている。何より、自分を大切にしてくれている王妃や直樹に甘えてばかりいるのも申し訳ない。
「ご安心あそばせ。師は欅宮様が信頼できる方をご紹介あそばすどうでございます。」
琴子が黙り込んだのを、どのような師が来るかという不安からだと思い込んでいる柘榴がにんまりと笑う。
「東宮妃様のお力に合わせた指導方法をするよう、師に申しておりますゆえ。」
「東宮妃の力」という言い方が嫌味にあふれていることは、琴子にも桔梗にも分かった。つまり、琴子のことを完全に馬鹿にしている、学問が不得意であることも分かっているのだ。

「恐れながら柘榴殿…。」
あまりの無礼に桔梗がとうとう口を挟もうとしたのを、
「欅宮様のお心遣い、感謝申し上げます。」
と琴子が遮った。
「ありがたく、お申し出をお受けするとお伝えして下さい。」
「東宮妃様!?」
まさか琴子が即答すると思っていなかった桔梗は驚いてその顔を見た。琴子は桔梗に頷く。
「確かに承りました。では早速戻り宮様にご返答をお伝えいたしましょう。」
外に出た柘榴を桔梗が見送りに出た。
「…思ったよりご自分の立場を理解しておいでのよう。」
去り際に柘榴がつぶやいた。
「そなたも、主を見習って出しゃばった真似をせぬように。」
その言葉をそっくり返したいと思いつつ、桔梗は歯ぎしりをしながら後姿を見送った。

「どうして即答なさいました!」
戻るなり桔梗は琴子に詰め寄った。
「せめて王妃様にご相談申し上げてからでも…。」
「それは避けたかったの。」
琴子がきっぱりと言った。
「ご挨拶の時も義母上様にご迷惑をかけてしまったし、また同じことを繰り返すわけにはいかないわ。」
「でも姫様、王妃様は頼ってほしいと仰っておいでですのに。」
「そのお言葉に甘えてはいけないのよ。なんでも頼ってばかりでは。」
「しかし。」
「桔梗、欅宮様がご紹介して下さった師を受け入れようと思ったのは少しでも宮様が私をご理解してくださればいいと思ってのことなのよ。」
「ご理解…ですか?」
「ええ。ご自身が紹介して下さった師が私に少しでも感心して下されば宮様も私のことを認めて下さるのではないかと思って。」
「まあ、それはそうかもしれませんけれど。」
「それに、直樹様のおそばにふさわしい女人になりたいし。」
「もうすでにそうなっていらっしゃいますよ。」
直樹が琴子に求めるのは学問が得意だとかそういう表面的なものではないのにと桔梗は思う。それも琴子は分かっているだろうに、それだけではだめだということもまた事実なのである。
「さ、頑張りましょう。」
ニコッと笑う琴子に、桔梗も「そうですね」と笑い返したのであった。



欅宮のことで色々不安になることが多い琴子に、ささやかな喜びがもたらされたのは数日後のことだった。

この日、琴子は自分で調合した香を直樹の部屋で焚いていた。唯一の特技である香は、直樹の体調や気分を気遣って心を込めて琴子が調合している。それを直樹も気に入っている。
「このところ、お疲れの日が続いたでしょうから。」
「うん、癒されるな。」
目を閉じてその香りにくつろぐ直樹を、琴子は嬉しそうに見ている。目を閉じている様子を見て、このまま眠る可能性を思い体にかけるものをと琴子が立ち上がりかけた時だった。
直樹の目がカッと見開き、思わず「きゃっ!」と琴子が悲鳴を上げた。
「ど、どうなさいました?」
「…思いついた。」
「な、何をでございます?」
まだ心臓をドキドキさせながら琴子は直樹が姿勢を正すのを眺める。
「診療所に香を焚くのはどうだろうか。」
「診療所でございますか?」
「ああ。薬を扱うゆえどうしても独特の匂いが生じてしまう。その匂いだけで子供が泣き出し、診療が進まないことが多いのだ。香を焚いたら少しは変わるのではないだろうか。」
くつろいでいるように見えて、直樹の頭は医療のことでいっぱいなのだと琴子は微笑んだ。
「いいお考えだと思います。確かに薬の匂いはあまりいい匂いというものではありませんもの。私も昔はその匂いが嫌で薬を飲まないと駄々をこね桔梗を困らせました。」
「きつい匂いが多いからな。」
「あと」と直樹が続ける。
「病室もいろいろな匂いが混じって患者の気分を害することもある。清潔に保つように心がけてはいるがどうしても匂いが何かしら生じる。このようなくつろぐ香をほのかに漂わせれば患者も回復を早めることができるのではないだろうか。」
子供の様に目を輝かせて考えを口にする直樹が琴子は嬉しかった。
「まずは診察室から試してみるか。」
「ぜひ。」
そこで直樹は琴子をじっと見つめた。
「直樹様?」
「お前、試しに調合してくれないか。」
「えっ?」
突然の直樹の申し出に、琴子は仰天した。
「お前がいつも俺にしてくれているように、香を調合してほしい。」
「そ、そんな…私などが…。」
オロオロと琴子は直樹に話す。
「私は医療のことは何も知りませんし、もっと上手な方にお願いしたほうが。」
「いや、お前ならできる気がする。」
直樹は断言した。
「いつも俺のことを気遣って、丁寧に調合してくれるお前ならできると思う。」
まずは試しでいいのだからと直樹は琴子に繰り返した。
「俺の力になってほしい。」
この言葉が決定打となった。
「私でお役に立てるのならば…。」
自信はないが、人のためになるならばと琴子は引き受けることにした。
「ありがとう、琴子。」
直樹に抱きしめられる琴子だった。

「それは素晴らしいことでございますね!」
翌朝、琴子から話を聞いた桔梗も大喜びであった。
「直樹様から診察室の様子を伺ったの。これを参考にいろいろな香を調合してみましょう。」
「ええ、ええ。」
久しぶりの琴子の晴れやかな顔に、桔梗の心も弾む。
「準備が忙しくなりますね。」
自分が率先して琴子を手伝うことはもちろんだが、ほかにも数人女官を手伝わせねばと桔梗は算段する。
「ええ。学問の師がやってくるのもすぐだし。」
「ああ、そうでした。」
途端に桔梗は現実に引き戻された。



「これからよろしくお願い申し上げます。」
欅宮が遣わした学問の師は女性であった。欅宮と同じくらいの年齢であろうか。学問好きゆえ、学者の妻となり、名前を楠という。
「あちらは…。」
楠は部屋の片隅に控えている桔梗に目をやった。
「東宮妃の女官長の桔梗と申します。」
桔梗が礼儀正しく挨拶をした。
「此度は欅宮様じきじきに派遣された楠様の教えを、ぜひ私も学びたいと思い、東宮妃様にお願いしここに座ることをお許しいただきました。」
「楠殿、私からも頼みます。」
「東宮妃様が仰るのでありましたら。」
渋々といった体で楠は桔梗の参加を許可した。
もちろん、桔梗が参加を願い出たのは学びたいわけではなく、琴子を守るためのものであった。何かあった時、自分が証人になれるようにとの目論見もあった。

「ではこちらの漢文から…。」
学者らしく楠が講義を始めた。が、やがてそれが琴子にとっては難解なものであることはすぐにわかることとなった。
「これは基礎学力がなければ理解できないのでは?」
まだ琴子が側室候補だったころ、直樹が学問を教えてくれたことがあったがそれとはまったく違う。楠の教え方は基礎的なことは身についているとの前提なのであった。
「楠殿、講義中に申し訳ないのですが。」
頃合いを見計らって琴子が声をかけた。
「この個所が私はまだ理解できていないのですが。」
「おや、そうでしたか。」
楠は自分の教え方に問題があるとは思わず、理解できない琴子を責める目を向けた。
「それは失礼いたしました。これくらいのことはご存知かと思っておりましたゆえ。」
「やはり欅宮が派遣しただけある」と桔梗は腹立ちを覚えた。完全に琴子を馬鹿にしている。
「申し訳ありませぬ。」
「いいえ。ではこちらの説明を先に…。」
「ああ、こちらもちょっと。」
まだ分からない部分があるのかと、楠は呆れたようだった。
そのような楠の振る舞いに桔梗は腹立たしさを感じていたが、さらにそれが増す言葉を楠は次に放ったのである。

「前の東宮妃様は、この書物を8歳の折に習得されましたが…。」

楠は前の東宮妃の家庭教師も務めていた者だった。それを知っていて、欅宮は琴子の元に彼女を派遣したのである。

それからも楠は事あるごとに前の東宮妃のことを口にした。
「これは前の東宮妃様はすぐに暗唱され…。」
「あの方は砂に水が染み込むがごとく習得がお早く…。」
いずれの言葉も琴子の心を傷つけるものであった。

―― これが欅宮の真の狙いであったか。
気づいた桔梗は唇をかみしめた。琴子が学問が苦手ということをどこぞで聞き及んで馬鹿にするつもりだろうということは想像していたが、前の東宮妃と比較することが欅宮の真の狙いであった。これは一番琴子にとって堪える行いである。

初講義が終了の時を迎えようとしていた。
「ま、仕方のないことでございますね。」
おそらく、想像以上に琴子が不出来であったため呆れているのだろう。楠がわざとらしい溜息をついて書物を閉じた。
「幼き頃より教育を受ける余裕がないお家だったのですから。」
今度は琴子の実家を馬鹿にする発言である。
「おそれながら楠様。」
もう我慢ができない桔梗が、口を開いた。
「何か?」
「先ほどよりの言葉は…。」
「桔梗。」
琴子の声が飛んだ。
「楠殿に失礼です。」
「姫様」と思わず二人きりの時の呼び名を使おうとした桔梗が口をつぐんだ。琴子が自分をにらんでいる。
「…では宿題を差し上げます。」
何もないのならばとばかりに、楠は山ほどの宿題を出した。
「本日の復習もお忘れなきように。」
楠は最後まで琴子を見下していた。



「あれはあんまりです、姫様!」
桔梗が抗議した。
「あの態度は何ですか!たとえ欅宮様直々の師であっても、あれはあり得ません!」
「…仕方ないわ。私があまりに出来が悪いから。」
山と積まれている書物を前に琴子が溜息をついた。
「楠殿が言うよう、私は教育を受ける余裕がなかったから…。」
「たとえお金が山とうなっているお家の姫君でも、あの講義は理解できません。」
桔梗は庇った。
「いいえ…前の東宮妃様は8歳にして習得されたと言っていたわ。」
「本当ですかねえ。」
「桔梗だって、あの方を知っているでしょうに。」
「そりゃそうですけれど。」
確かに完璧な貴婦人であった。それは桔梗も認めざるを得ない。
「ねえ、桔梗。」
「はい。」
「ただ直樹様のおそばにいてお力になりたいという気持ちだけで過ごすことはできない場所なのね…宮中というところは。」

「姫様。」
書物をめくって早速復習をしようとしている琴子があまりにかわいそうで、たまらずに桔梗が声をかけた。
「学問が苦手でいらしても、直樹様が愛していらっしゃるのは姫様ですからね。それは揺るがない事実でございますよ?」
桔梗の慰めに琴子は弱弱しく微笑んだ。
「先ほどは楠殿に抗議しようとしてくれてありがとう。」
「とんでもございません。出過ぎた真似を…。」
「私のためにこれ以上、桔梗が辛い目に遭うのは耐えられなかったの。だから止めたの。」
「私が辛い目にとは?」
「私のような、実家が貧しい主をもって桔梗が辛い目に遭っていることは知っているわ。桔梗は頭もよく気も利くのに、もっといい主を持てるだろうに…。」
「何を仰います!」
桔梗が琴子に手をついた。
「姫様ほどやさしく思いやりのある方はこの世にいらっしゃいません。私は絶対に姫様から離れませんから。」
自分のために琴子が矢面に立っている。どうしてそれに気づかなかったのだろうと桔梗は悔しくてたまらなった。
今後は思ったことをすぐ口に出すことを控え、それで琴子のためになることを考えて行動せねばと誓ったのであった。


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琴子姫はいつまで苦しむのでしょうか?

更新ありがとうございます。いつも楽しみにしています。直樹東宮と琴子姫のシリーズとふとんシリーズが大好きです。
本当にいつまで大泉家に琴子姫は苦しまされなければならないのでしょうか?
山葵がいなくなって沙穂子姫もいなくなってやっと幸せになったと思ったら欅宮のイビリが始まりかわいそうで仕方がありません。
でも、続きが気になって毎日更新して頂いているかチェックしてしまいます。
どうか、早く欅宮と和解してかわいい若宮が授かることを祈っています。

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