日々草子 続・マンガ狂騒曲
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続・マンガ狂騒曲





入江くんが神戸から帰って来た!
もう少しですれ違いになるところだったけど、まさか入江くんが予定より早く神戸から戻ってくるなんて嬉しい!

「入江くん、洋服片付けたよ。」
「ああ、サンキュ。」
わずか1年足らずの単身赴任とはいえ、荷物が結構ある。段ボールが何箱も神戸からやってきた。その中身を片付けていくのが大変。
でもそれも「妻」の大事なお仕事よね。入江くんの服とか堂々と触れるのなんてこの世にあたしだけ、ムフフフフ。
「おい、そこの変態。」
「はあい!って、変態?なんですと?」
妻に対する呼びかけとは思えない言葉が愛する夫から出て来た!
「今のお前を変態と呼んで反対する人間はいないと思うぞ。」
「どうしてよ!」
「お前、何を握りしめて笑ってるんだ。」
入江くんの冷めた目をあたしは辿った。
「自分のパンツ握って笑っている奴と結婚して、すげえ後悔してる。」
「やだ、そういうつもりじゃなくて!」
幸せに浸って、自分が何を握っているか忘れていたわ!別に入江くんのパンツが好きってわけじゃなくて、たまたまパンツだっただけで!
「ま、そっちはお前に頼むわ。」
入江くんは向こうから持ってきた論文集が入った、仕事関係の段ボールを抱えて書斎へと行っちゃった。
「変態って何なのよ。」
寝室に残されたあたしは不満を口にしたけど、それでもプライベートを入江くんに全て任せられた気分で鼻歌を歌いつつ、衣類の入った段ボールを押し始めた。


「入江くん、洋服は片付けたよ。」
書斎にはまだ段ボールが残っている。
「本を並べるの、手伝うね!」
1年で本がだいぶ増えたみたい。そりゃあ入江くんは専門を勉強するために神戸に行ったから、本が増えるのは当たり前よね。
「少し休んでいていいぞ。」
入江くんがあたしを気遣ってくれた。
「ううん、平気。こういうのも妻の役目だもの。」
あたしは「妻」というところを殊更強調した。そう、あたしは入江くんの「妻」なのよ、変態じゃないの。
「お前だって仕事で疲れているだろ。」
あら?入江くんから珍しく優しい言葉が…じーん。ああ、離れた一年は無駄じゃなかったのね。
「平気、平気」とあたしが答えると、入江くん、何とおでこに…あたしのおでこにチュッって!
入江くん…大好き。浮かれたあたしは本を並べるのを手伝うことにした。段ボールから取りだした本を入江くんに渡す。入江くんが並べていく。うーん、夫婦の愛の共同作業。

「本の段ボールはあとこれだけかな?」
残った箱は1箱。早速開けましょうとあたしはカッターをキリキリと動かした。
「それは!」
入江くんが焦った声を出したので、あたしは振り返った。
「え?」
「そ、それは…俺がやるから。」
だってこれも本でしょ?二人でやった方が早く終わるじゃない?
入江くんが話すところによると、この箱は患者さんの個人情報に触れるものが入っているらしい。あら、本じゃなかったのかしら?じゃあ、それじゃあたしが見るわけにいかないいわね。
あたしは、入江くんを書斎に残してリビングへと向かった。

コポコポコポ…コーヒーの香りが辺り一面に漂う。
「…何かおかしい。」
あの入江くんの焦りよう、おかしい。おかし過ぎる。
「何であんなに焦る必要があるわけ?」
あれは明らかに、あたしに触ってほしくないといわんばかりだったわ。たかが仕事上の書類でしょ?
「ちょっと待って。」
あたしは気づいてしまった。
「個人情報って病院から持ち出せた?」
社会人になってすぐの研修で一番強調されたのは、個人情報の持ち出し厳禁ってことだったわ。そりゃそうよって話を聞きながらあたし、大きく頷いたもの。患者さんの病歴、住所、氏名…もう数え切れない個人情報を扱うのだから気をつけろって言われた。だからパソコンに勝手に自分でUSBを挿したりしないようにって言われたし。
ああ、そっか。神戸の病院はそのルールがゆるゆるなのか。患者さんのデータを大量にプリントアウトしてお持ち帰りしても全然OKってことか。そっか、病院によってルールが違うのね…って、んなわけあるかあ!!
神戸だろうが斗南だろうが個人情報は厳重に管理されているはず。入江くんだって持ち出せないはず。
うーむ、おかしい。何であんなに焦ったんだろ?見られたくないものが明らかにあの段ボールに入ってるってこと?見られたくないもの?入江くんの全てを見たあたしにも?
あ、いや!入江くんの全てって変な想像してないから!
「これじゃ本物の変態じゃない。」
「何だ、変態と自ら認めたのか。」
つい漏らした独り言を、休憩にやってきた入江くんが聞いていた。
「変態、コーヒー。」
「はいはい、変態コーヒーをただいまお持ちしますよーだ。」
もうヤケよ、ヤケ。あたしはコーヒーをカップに注いだ。



それからしばらく経った後、入江くんが外出の支度をしていた。
「入江くん、どこへ行くの?」
久しぶりのお休み、ゆっくり過ごしているかと思ったのに。
「本屋。」
「本屋…ん?」
ふとあたしは思い出した。そういえば、今日は別冊ペンペン草の発売日じゃないの!
「あたしも行く!」
忘れるところだったわ。まったく、ナオキンが雲南省で遭難しかかっているってのに、その続きをあたしが読まずして、誰が読むというの!
それを話したら、入江くんは気が進まないような顔をした。あ、分かった。マンガを買うことを馬鹿にしてるんだわ。入江くんはマンガを読まないから、その面白さを理解できないのよ。マンガを読まないという点では人生のかなりの部分をもったいないことにしているとあたしは思っているけれど。
ま、それはそれとして。入江くんと一緒に出かけるのもちょっとしたデートみたいで嬉しいんだもん。ああ、結婚して数年、こんな些細なことで喜ぶなんてあたし、片思い時代と全く変わってない…トホホ。

本屋に入ると、今日発売の別ぺはすぐに見つかった。うわあ、冊数が少なくなってる。危なかったわ、もう少しで手に入らないところだった。ナオキンどころかあたしが都内の書店を探して遭難するところだったわ。
入江くんはそんなあたしをまた馬鹿にした。プレゼント応募に年齢のサバを読んでいることを馬鹿にしたので、自分の本を探してくればいいって追い出したわ。
ああ、夫婦だからとて趣味を理解し合うのは難しい問題なのね。

入江くんは医学書コーナーにどうせいるんだろうと思って、そこを探そうとしたんだけれど、入江くんがいたのは違った。
動きが何だかおかしい…あんなの、いつもの入江くんじゃない。
「入江くん、医学書コーナーじゃないの?」
あたしが話しかけると、入江くんはすごく驚いた。ここの書店は医学書はないんだって。
じゃあ、何しに本屋へ来たんだろう?もしかして、マンガ?あたしの目がキラキラと輝き始めた。入江くん、とうとうマンガデビュー?

ところがどっこい。
入江くんが買った本はあたしの想像をはるか上、もうエベレストくらいの高さを超えるものだった。
『季刊・地蔵コレクション』…そんな本がこの世に存在するなんて。
入江くんの全てを知っているつもりだったけど、それはあたしの思いあがりだったわ。入江くん、お地蔵様に興味があったなんて知らなかったよ…。

ん?
ということは、あの『重要』と書かれていた、あたしに見せたくなかった段ボールの中身は…もしや、お地蔵様!?
何でそこまでお地蔵様にハマったの?入江くんに一体何があったの?
神戸での一人寂しい暮らしを、あたしがいない寂しさを、お地蔵様で癒していたってこと?
じゃあ、どうしてあたしにそのお地蔵様を見せたくなかったの?
あ!まさか。あたしのようなダメダメ女に尊いお地蔵様を見せたくなかったと?

あたしは入江くんがいない隙を狙って、家中お地蔵様を探してみた。でも見つからなかった。
もしかして、病院に持っていった?そう思って医局もさりげなく行って見回したけれど、どこにもなかった。
うーん、お地蔵様じゃなかったのか?買った地蔵コレクションも読んだ形跡ないしなあ。

だけど、入江くんは明らかに挙動不審だった。
ある夜、あたしは目が覚めた。でも入江くんはベッドにいなかった。まだ勉強しているのかなって思って寝室を出た。
家中、みんな寝ている時間。足音をさせないようそっと書斎へ向かう。書斎のドアの隙間から灯りがもれていた。やっぱりまだ勉強していたんだ。
トントンとノックすると、書斎の中でバサバサと物音が聞こえた。ん?何かおかしい?
「入江くん、まだ起きてるの?」
ドアを開けてみたら、入江くんが立ち上がって机の上を明らかに隠していた!
「いや、うん…もうちょっとな。」
こんなに動揺している入江くん、初めて見たかも!何?何を隠しているの?
「あ、ええと…コーヒー淹れようか?」
「え?ああ、いや。もうそろそろ寝るからいいや。ありがとう。」
「そう?」
ドアを閉めようとした時、プリンタが印刷した紙をあたしの足元へ落とした。
「あれ、これ?」
何かの本の表紙のような…と拾おうとしたら、入江くんが目にも止まらぬスピードでそれを拾い上げた。
「お休み、琴子。」
「お休みなさい…。」



この夜の出来事で、入江くんが何かをあたしに隠していることははっきりした!
あの本の表紙みたいなもの、何?入江くんが作ったの?何のために?
「いつか俺の医学書が出版されたら、こんな表紙にしたいなあ」
って作ってたのかしら?いやいや、そんな暇はないでしょう!
ということは、内職?本の表紙だけを作成する内職ってあるのかしら?入江くん、内職しなければいけないほどお給料少ないの?

本当はこんなことしたくないけれど…あたしは決意した!
入江くんが何を隠しているのか知りたい!
入江くんが帰ってくるのは、まだ先の時刻。あたしは書斎を探すことにした!
そう、入江くんの秘密を明らかにしないと夫婦仲に亀裂が入ってしまう。
こんなことしていいとは思わない。
でも!あたしなら許されるはずよ!
あたしは入江直樹を愛し、入江直樹に愛された女!サンシャイン琴子!イエエェェー!!
…いや、そんなネタを披露している場合じゃないんだって。

この書斎は二人で使っているのだから、あたしが探しまわってもおかしいことはないわよね。
そんな自己弁護をしながら机の周りとか探す。うーん、特に何もないなあ。

そうなると本棚か…ま、一番怪しいのはここだけど。
あ!もしかして本棚の裏に隠し扉があるとか?本棚を動かすとそれが出てくる…動かない!
あたしは端から本を探して行った。普通だったらへそくりがあるけど、そんなの入江くんがあんなに焦る必要ないしなあ。そんなことを考えつつ、棚の端から本から確認していく。
残念ながら、本にお札は挟まっていなかったわ…チェッ。
いやいや、へそくり探しが目的じゃないんだって。まったくあたしって何でこうなんだろう?
ん?本の後ろにまだ本があった。ああ、奥行きが余っているから並べたのね。さすが入江くん、整理整頓も完璧!

あれ?この表紙ってあの夜見たような…そこにあった本は、他の医学書よりサイズが小さくて薄かった。そして表紙は一応シリーズぽくなっているけど、何かおかしいような。
あたしはその中の一冊を手に取った。『研修医マニュアル1』か。病院で白衣のポケットに入れられるようこのサイズなのかな?何の気なしにあたしはページをめくった。

…何なの、これ!!!
そこにあったのは研修医の「け」の字もなかったわ!だってこれ…『こち亀』なんだもの!!
何でこち亀がここに!?何で表紙が違うわけ!?
2も3も…ここに並んでいる本、全部こち亀!!!
入江くんが何でこんな手の込んだことをして隠しているのかしら?堂々と並べればいいじゃない…。

…。
…。
…はっ!つい1冊読んでしまったわ!読んでいる場合じゃないっていうの!
どうして入江くんが、これを隠しているのか。あたしに見せたくないのか。忙しい合間をぬって、表紙を偽造してまで隠しているのか!推理しないと!
大丈夫よ、琴子。あたしはサスペンスドラマを見ている女。この間もお義母さんと一緒に見てたじゃないの。
サスペンスかあ。サスペンスといえば浅見光彦シリーズなんだけど、中村俊介から交代しちゃうのよねえ。残念だわあ。そうそう、『科捜研の女』って、あの科捜研がしている仕事って鑑識じゃないのっていつも思うんだけど。

…って、だから!今はサスペンスについてあれこれ語っている場合じゃないんだって!
現実に戻ろう、うん!
で、何を推理しようとしてたんだっけ?ええと…あ、そうだった。こち亀をなぜ入江くんが隠しているのかってことだ。
隠している、つまり人にばれたくない。あたしにもばれたくない。それはなぜか。
…読んでいるところを誰かに馬鹿にされたんだわ。それは誰なの?誰があたしの入江くんを馬鹿にしたというの?

…船津くんか!あいつに違いない!船津が入江くんを馬鹿にしたのよ!
「入江くんともあろう人が、そんなマンガを読んでいるんですね。全く残念ですよ。やはり僕の相手にはならなかった!アハハハ!」
奴の高笑いまで聞こえてきたわ!あいつが、入江くんを苦しめたんだわ!入江くんはそれで人に馬鹿にされることを恐れてこんな可哀想な状態に…うううっ。
夜な夜な内職の真似事をしていたのも、地蔵コレクションを買っていたのも、全部、全部船津のせいなんだわ!!
それで神戸で、船津の目を気にすることなく堂々とこち亀を読むことができたってわけね。あれよあれよと冊数も増えたってことか。

…あたしの前でくらい、隠さなくてもよかったのになあ。
はっ!も、もしかして…船津だけが隠す原因じゃないとか?
神戸でのびのびとこち亀を読んでいた入江くんに声をかけた女がいたって不思議じゃないわよね。
「入江先生、あら、こち亀を読んでいらっしゃるの?お好きなんですか?」
って美人女医または美人看護師が近づいてきた。
「マンガも自由に読ませてくれないなんて、冷たい奥様だこと。あたしだったら好きなだけ読ませてあげるのに。」
と、綺麗な足を入江くんの膝の上に乗せるのよ。そう、名前は…亀子!!
亀子が…亀子があたしと入江くんの仲を引き裂いたんだわぁぁぁぁぁぁ!!!

「琴子…。」
いつの間にか、入江くんが書斎に立っていたーー。


☆☆☆☆☆

家に戻ると、琴子の姿がなかった。何だか俺は予感がして、書斎へ向かった。
すると琴子が…琴子がとうとうあれを見つけてしまっていた!!

「琴子…それ…。」
もう正直に話すしかないか。ま、笑いたければ笑うがいいさ。
「実は…。」
「亀子のせいなんでしょ!!」
「へ?」
琴子はこち亀を握りしめ、突然謎の名前を叫び始めた。亀子?誰、それ?
「亀子と船津のせいなのよね、入江くん!!」
顔を真っ赤にして訳の分からないことを話し始めた琴子。亀子、そして船津がなぜここに出て来るんだ?
「船津が馬鹿にしたから!それで亀子がなぐさめてくれたのね!」
俺は懸命に推理することにした。まあ、推理するまでもなかった。
琴子は俺が何かを隠していることを知った。それで家探ししたところ、『こち亀』が出て来た。なぜ俺がこそこそそれを隠していたのか。単純に俺を敵視している船津を思い浮かべたってところか。で、神戸でこち亀を読んでいる俺に近づいた女が亀子ってわけか。
亀子…こち亀で亀子…お前、ネーミングセンス壊滅的だな!せめて両子とか勘子とかにしてくれよ!いや、俺のネーミングセンスも似たようなもんか。
そんなことより、それが原因の不倫なんて文春も呆れて取り上げてくれねえよ!

「入江くん、もう大丈夫だから。船津なんて…船津なんて…。」
琴子…違う。船津は無実だ。俺が事実を打ち明けられなかったのは…お前が今手にしているマンガを、あの日、全否定しただからだろうが!!
ったく、こいつって本当に都合の悪いことは覚えていないんだな。

さて、どうするか。琴子に真実を告げるか。お前がこち亀は非現実的だと言ったから言えなかったと。それとも…。
俺は天秤に船津と琴子をのせてみた。琴子を乗せた皿がズトーンッと勢いよく鎖をぶっちぎって落ち、船津はその反動で放り投げられ空の彼方へと消え去った。

「いいんだ、船津の言ったことなんていちいち気にしてないから。」
ここは船津に全ての罪をかぶってもらうことにした。なあに、実害はないんだから構うことはないだろう。
「入江くん…。」
潤んだ目で俺を見上げる琴子。
「お前が俺を理解してくれたことだけで十分さ。」
「うん…あたし、入江くんのこと誰よりも理解してる。亀子よりも!」
「亀子なんて存在しないんだってば。」
「本当?」
「ああ、俺にはこんなに優しい奥さんがいるんだから。」
「嬉しい。」
抱きついて来た琴子を俺も抱きしめた。
これで…これで俺は堂々とこち亀を読めるぜ!!隠れキリシタン生活よ、さらば!







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