2017'08.17 (Thu)

アタリ?それとも…? 5


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「昨日は申し訳ありませんでした。」
翌日、天美に謝られた琴子は「ううん、こちらこそ」と言いかけたのを堪えた。自分が謝る必要はないと直樹に言われたことを思い出したのである。
「…今日も頑張りましょう。」
ニコッと笑いかけそう言うのが精一杯だった。
しかし、これを機に二人の関係がどこかギクシャクしてしまったことは間違いなかった。

天美が一人で医局に出向いたのは、その数日後のことだった。とある医師を呼んでくるよう他の看護師から言われたのだった。
「わざわざ来てくれたんだ、悪かったね。」
怒られるなあと言いながらその医師が出て行った。天美も出て行こうとしたが、ふと医局に一人残っていた直樹に目が止まった。

「あの、入江先生。」
話しかけようかどうしようか迷った末に、天美は直樹に思いきって声をかけた。パソコンに向かっていた直樹は「何?」と天美を見た。
「…申し訳ありませんでした。」
「何が?」
「入江さんに…迷惑をかけてしまいました。」
「何で俺に謝るの?」
「以前、入江先生に言われたから…。」
「俺の奥さんいじめないでね」と声をかけられたことを天美は覚えていた。夫婦だから何が起きているか分かっているだろうと思った。
謝ったが、直樹は言葉を発することはなかった。
「あの…。」
相当怒っているのかと天美が不安になっていると、
「渡辺さんはさ、琴子のこと好きなんだよね。」
と意外な言葉が返ってきた。
「は?」
面食らう天美に、直樹は笑みを浮かべる。
「いや、琴子の前で泣いたって聞いてさ。その時のことをあいつに聞かされて思ったんだ。」
「好き…と言われましても。」
先ほどまで感じていた不安はどこかへ消え去り、困惑がやってきて天美は首を傾げる。一体、直樹の発言の真意は何なのか。
「泣いた理由を考えると、それかなって。だって君、女入江って呼ばれてるんだろ?」
「いえ、それは…すみませんっ!」
別に自分からそう呼んでくれと周囲に頼んでいるわけではないのに、天美は謝ってしまった。
「誤解しないで、俺はそう呼ばれていることを気の毒だなって思っているんだから。」
直樹は笑っている。
「俺にちなんだ呼ばれ方って、いろんな意味があるから。」
「意味ですか?」
「そう。あんまり俺、いい印象与えていないからね。」
「いえ、そんなことはないかと。」
少なくとも女性達の間ではかっこいいと連呼されているし、頭脳も腕もずば抜けているしとフォローすべきかと思ったが、どう言えばいいか分からない。
「琴子なんて、あんな冷たい男のどこがいいって学生時代に散々言われ続けてたからね。そういう男らしいよ、俺。」
「はあ…。」
自虐ネタなのだろうか。天才と呼ばれる男の発言はどう捉えるべきなのか。天美はますます首を傾げる。
「まあ、そういうことで渡辺さんの考えもちょっとは分かる気がする。」
「どういうことで?」と天美は直樹に聞きたいのを堪えた。
「きっと俺や渡辺さんみたいな人間にとって、琴子って絶対的な存在なんだよ。」
「絶対的な存在…。」
「あいつだけは自分を分かってくれる、他の人間に嫌われてもあいつは嫌わないって絶対的な信頼を寄せている。違う?」
「…。」
直樹に言われ、天美は胸を打ち抜かれた気分だった。
「そういうあいつにさ、呆れられてしまった。そう思ったとき涙がこぼれたんじゃない?」
自分でもなぜ、あの時琴子の前で泣いたのか分からなかった天美だった。それをずっと考えていたが答えは出なかった。が、今直樹から言われてストンとしたものが自分の上に下りてきた気がした。
「…そう…でしょうか。」
「だと思うよ。あ、誤解しないでほしいけれど出来がよくない奴に意見をされたからショックを受けて泣いたとか、そういう意味じゃないからね。」
「そうではないことは分かります。」
最初、琴子より自分が出来がいいと思ってたことも事実だった。が、泣いた理由はそこは関係ないことも分かっている。
「そして琴子を傷つけてしまったことが辛かった。それが泣いた理由じゃないのかな?」
「…だと思います。」
「君も自分では気づかないうちに、琴子を好きになっていたんだよ。琴子の仕事ぶりは認めている。が、それで苦労をしている琴子を見るのも辛い。その狭間に君はいるのかもしれないね。」
「入江先生は精神科の医者になる予定でも?」
「全然。俺はここでやっていくよ。」
直樹は机にあった小児外科の本を掲げた。
「違う自分になることを恐れないように。」
最後にそう言うと、直樹は再び画面に目を戻した。天美は一礼すると医局を後にしたのだった。



「昼休みも勉強なんて熱心ね。」
外のベンチに座って本を読んでいた琴子はガバッと顔を上げた。
「沢渡さん!」
「久しぶりね。」
それは琴子のプリセプターだった沢渡だった。
「隣、いい?」
「はい、どうぞ!」
喜んで琴子は隣を空けた。
「外来、どうですか?」
「ん?結構忙しいわね。でも夜勤がないから子育ては何とか両立できてる。」
産休を終えた沢渡は内科の外来で勤務していた。
「でもいつかは病棟に戻りたいと思っているわ。」
「待ってます!」
「こらこら、外科に配属になるとは限らないんだから。」
沢渡は琴子の膝に置かれた本を手に取った。
「なあに?『尊敬される上司になるための本』?どうしたの、転職?」
「違います。実は…。」
琴子はプリセプターになったこと、それで色々悩んでいることを沢渡に吐露した。
「それでこんなものを読んでいるってことか。」
「自分ができなさすぎて嫌になって。」
「はあ」と大きなため息をつく琴子だった。
「だからプリセプターに選ばれたのでしょうか。」
「どういうこと?」
「出来の悪い私を見て、ああ、こんな人でも看護師やっていけるんだ、辞めずに頑張ろうって新人が思うように選ばれたんじゃないかって。」
「そんなことあるわけないでしょう。」
沢渡がはっきりと言った。
「細井師長がそんな考えでプリセプターを任せるような人じゃないこと、あなただって知っているでしょう。」
「そう思いたいですけれど。」
新人にあそこまで呆れられるなんてと、自己嫌悪の塊となっている琴子はどんどん落ち込んでいく。
「みんな、あんな出来のいい新人でラッキーねって言うんですけれど、私はずっと違和感があって。楽だ、楽だって言われているのに、そんなこと全然なくて。渡辺さんには悪いんですけれど、正直、すごく大変だってずっと思っていたんです。でもそれは私が出来が悪いからでしょうし。」
今まで誰にも、直樹にすら言えなかったことを琴子は沢渡に打ち明けた。
「そうね、すごく大変な新人だと思うわ。」
「え!?」
すんなりと自分の気持ちを認めてもらって、琴子は狼狽した。
「ほ、本当ですか?」
「ええ。あなたが大変だと思うのは間違っていない。」
沢渡はきっぱりと言ってくれた。
「そして、あなたの苦労はおそらく、プリセプターの殆どが経験する苦労だと思う。」
「そうなんですか?」
「だって、私がプリセプターだった時、そういう苦労をしていた人多かったもの。」
「あ、あの…そうだとすると。」
琴子は聞きたくない、が、聞かずにいいられないことを沢渡に言った。
「…私が新人の時、沢渡さんの苦労はもう言葉にできないようなものだったのでは?」
「全然。」
これまたキッパリと沢渡は否定した。
「あなたを指導していたとき、私はちっとも大変じゃなかったわ。」
「でも、失敗多かったですよ?ほら、採血したスピッツを落としたり。」
「あんな失敗、想定内よ。だから平気。」
沢渡は笑った。
「点滴の失敗、血圧測定の失敗、そんなものはこちらだって想定していたわ。だからああ、やっぱりねって感じ。でもね、あなたには当たり前のことを指導する必要がなかった。それはとても楽なことだった。」
「当たり前のこと?」
「そう。患者さんへの態度とか。普通に考えたら分かるよねってこと。常識としてそれどうよってこと。そういうことを逐一指導する必要はあなたになかった。それをせずに済むということは、どれほど助かったか。」
「そうだったのですか?」
琴子は目をぱちくりとさせ、沢渡を見つめる。
「話を聞いていると、入江さんだからこそ苦労が多いんだと思うわ。だって入江さんは、当たり前だと自分で思って患者さんに接し方を変えているんだもの。自然にね。だからどのように指導すればいいか分からない。そうね…本能で接しているとでもいうのかしら?」
「本能なんてそんな大それたことは!」
と、琴子は手をすごい勢いで振った。
「本能で動いているんだもの、理由なんてない。だから指導方法が分からない。難しいと思う。苦労しているわね。」
「沢渡さん…。」
ホロリと琴子の目から涙がこぼれた。自分が苦労していると思っていたことは間違いじゃなかった、それが分かっただけで安心したのだった。

「落ち込まないで、自信を持って。」
師長と同じことを沢渡は口にした。
「あなたがやっていることは間違っていないんだから。患者さんに日々、どう思って接しているのか。それを示すだけでも十分な指導になるわ。」
「大丈夫でしょうか。」
「大丈夫。あなたは自分は失敗ばかりだから人に指導する自信がないのでしょうけれど、技術を教えるだけが指導じゃないわ。あなただからこそ、教えられることがあるはずよ。」
「…はい。」
沢渡に励まされ、ようやく琴子に笑顔が戻ったのだった。



「奥さんの忘れ物ですよ。」
琴子と別れた後、沢渡は直樹と会った。そして琴子が置いていった本を渡した。
「といっても、もう必要ないと思いますが。」
「ありがとうございました。」
直樹は礼を述べ、本を受け取った。
「驚きました。突然入江先生が私を訪ねて外来にいらっしゃったから。」
「外来に復帰されていると聞いたので、直接お訪ねしました。」
「病院一のイケメンドクターの登場で、外来の女性患者さん、血圧が上がるほど興奮された方もいらっしゃいましたよ。」
沢渡の言葉に直樹は笑った。指導係だった沢渡に話を聞いてもらえれば琴子も元気を取り戻すのではと思ってのことだった。
「ちょっと、隠れて話を聞いていました。」
「あら、そうだったのですか?」
「どんな風にあいつと話をするのかなって興味があって。」
「合格点はいただけるかしら?」
「…同じ看護師にはかなわないんですね。」
降参という顔を直樹は見せた。
「俺が励ましても今ひとつだったのに、沢渡さんと話をしただけで元気いっぱいになって。ちょっと悔しいな。」
「あら、またヤキモチ妬いてくれてます?」
直樹は肩をすくめた。
「悔しかったら、入江先生も看護師に転向されますか?いつでも歓迎しますよ。」
「…言っておきますが。」
直樹は少し得意げに沢渡を見た。
「あいつの看護師をめざした動機、俺が医者になるからってことからのスタートですからね。」
「あ、張り合ってる。」
クスクスと沢渡が笑った。
「だから医者でいるということね?」
「もっとも俺が医者をめざしたのも、あいつの言葉ですけれど。」
「また惚気られちゃった。ごちそうさまです。」
「どういたしまして。」
お互い頭を下げた後、一緒に声を上げて笑った。
「…入江さんは大丈夫ですよ。」
笑い終えた後、沢渡は直樹に言った。
「新人を育てることができるはずです。」
「ありがとうございます。そう思っています。」
「でも陰でサポートするのも大変ですね。」
「それがまた楽しいのも事実です。」
「入江さん、愛され過ぎ。」
爽やかに笑う直樹に、沢渡も笑い返したのだった。



「こーとーこちゃーん。色々大変みたいだね。僕でよかったら相談に乗るよ。」
「西垣先生、大丈夫です。」
やんわりと、しかしきっぱりと琴子は西垣を拒んでいた。
「今夜、ゆっくり食事でもどう?」
「家で食べますから。」
「そんなこと言わないで。ね?」
琴子の手をちゃっかりと握りしめる西垣。
「可愛いお手手だねえ。」
「ありがとうございます、それじゃあ。」
べちっと西垣の手を叩くと、琴子はスタスタと病棟へ戻って行った。
「もう、つれないなあ。でもそんなところがまた可愛い」とヘラヘラしながら医局に戻った西垣は、自分の机の上に置かれたものを見つけた。
「ん?本?『尊敬される上司になるための本』…何だ、嫌味かっ!!」
「…それ読んで大人しくしてろ。」
ドアの隙間から西垣を見ながら、自分と違い先輩に恵まれている琴子を羨む直樹であった。





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 | 2017年08月17日(木) 21:28 |  | コメント編集

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 | 2017年08月18日(金) 22:07 |  | コメント編集

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渡辺さんが少し変わってくれるといいね、琴子ちゃんへの励ましが先輩ナースで良かったですね、でもいつも琴子ちゃんへの励ましが自分でなく(入江君)ではなく、先輩ナースでちょっと悔しそうな入江君でしたね。v-8
なおちゃん | 2017年08月20日(日) 20:30 | URL | コメント編集

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 | 2017年08月25日(金) 23:02 |  | コメント編集

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