日々草子 猫神家の一族 23(最終話)

猫神家の一族 23(最終話)





事件が解決して二週間が過ぎた。
「あっ。」
街中を急いでいた琴子は反対側から歩いてくる人物を見て、思わず声を上げた。
「こんな所で会うなんて。」
それは、この事件の被害者の中で一番早く退院した大蛇森弁護士だった。
「何だ、君か。」
「どうも。」
お互い会いたくはなかったという顔を隠すこともない。
大蛇森弁護士は警察署へ出向くところだった。
猫神家の財産は猫神桃太郎の実子である鬼頭祥平、啓太が相続することに決まったのだった。
「何せ多額な財産ゆえ、色々と決めねばならないことが山ほどある。」
遺言書の内容を漏らしたことをすっかり忘れているのか、大蛇森は大仕事だと張り切っていた。
「これも入江さんのおかげだよ。入江さんが僕を愛の力でこの世に呼び戻してくれたから。」
「地獄の閻魔大王にも拒まれたからでしょう?」
「はあ!?」
相変わらずの二人である。
「まったく、こんな所で君の相手をしている場合じゃない。雉子さんと啓太くんの罪も軽くなるよう頑張らねばならない。」
「そこはちゃんとお願いしますね。」
「君に言われんでもそうする!」
ぷりぷりと怒りながら、大蛇森は行ってしまった。
「まったく、少しは心を入れ替えたかと思ったのに。」
殺されかけても変わらないのかと呆れながら、琴子も自分の目的を思い出した。
「いけない、急がないと。」
余計な時間を取ってしまったと、琴子は走り始めた。

人影もない斗南駅のホーム。直樹はその古ぼけたベンチに腰を下ろして列車を待っていた。
「入江さん!」
「何だ、来たのか。」
うるさいのがやって来たという顔を直樹は琴子に向けた。琴子は直樹を見つけ手を振りながら走って来た。
「ひどいじゃないですか、一人で黙って帰ろうとするなんて。」
直樹の姿が見えないと屋敷中を探し回っていたら、女中から直樹は東京へ戻ったと聞かされた琴子であった。
「もう全部片付いたしな。」
「だからといって、お別れも言わないで。」
「俺は元々、招かざる客だったから。」
琴子は直樹の隣に座った。


「猫神財閥の経営は、東馬さんが担うんだってな。」
「はい。経営には自分より東馬さんが向いているからって啓太さんが。」
「あの人、頭はいいからな。女でしくじらなければうまくいくだろう。」
元々自分の力で成功したいと願っていたくらいである。東馬にとってはやりがいのあるものとなるだろう。
「東馬さんのお見舞いに昨日行ってきたんですけれどね。」
「ああ。」
「私の姿を見るなり、『琴子ちゃん、僕のすね毛見た!?』って聞くんですよ。」
もう何を気にしているんだかと琴子は思い出してクスクスと笑った。
「ばっちり見ちゃったけれど、本人が傷つくだろうから『見えませんでした』って答えたらよかった、って。」
「まあ、そこそこ濃かったからなあ。」
直樹もクスッと笑った。

「あと、啓太さんは金ちゃんにも猫神の財産を分けるそうです。お店の資金にするためにって。」
「金之助もようやく、自分のやりたいことをできるようになるわけか。」
「開店後も色々援助はするって。金ちゃん張り切ってました。」
「いとこ同士、いや叔父と甥というか。とにかく三人は協力し合っていくと決まったわけか。」
「啓太さんは、社会事業を手掛けたいそうです。色々あったから罪滅ぼしというか。」
「そうか。」
「すべての事業に関しては、あの大蛇森弁護士が顧問につくそうですよ。あの人、うまいことやりましたよね。」
「うちの顧問弁護士にもなりたそうな顔をしていたぞ。」
「ええ!あの人を顧問にするのはどうかと思いますよ?」
「ま、そんな暇は当分なんだろう。雉子さんと啓太の弁護もしなければいけないし。」
「あの二人、どうなりますか?」
琴子は心配そうに直樹を見た。
「被害者三人が厳罰を求めていないからな。東馬さんと金之助は自分らの母親がしでかしたことを考えると、こうなるのも無理はないと寛大なところを見せているし。」
あの強欲姉妹からよくあんな息子たちが生まれたと、今でも直樹は感心せずにいられない。
「助かったからそう言えるんだけどな。被害者本人がそう望んでいる以上、母親たちも何も言えないだろう。」
「犬子おばさまも、猿子おばさまもすっかりおとなしくなって。」
もう財産、財産と喚き散らすこともなくなった二人だった。息子を失いかけたことで自分を見つめ直すことを始めたのかもしれない。
「ここは田舎だし、猫神家はこのあたり一帯に幅を利かせている大金持ちだし。警察を丸め込むのもうまくやるだろうよ。」
さして重い罪にならないのではと、直樹は考えていた。

しかし、これで全て丸く収まったと考えていいのだろうか。直樹は不安を胸に琴子を見た。啓太が財産を相続することに決まったということは、琴子と結婚しないということなのか。いや、財産なんか琴子は気にしないだろう。そうなると…。

一方、琴子は事件後に交わした啓太との会話を思い出していた。啓太は、あの時直樹を犯人と琴子に思わせようとしたことを、謝った。
「お前があいつに愛想をつかすよう仕向けたかったんだけど、無駄なことだったな。」
琴子はすっかり直樹を信頼し、いやそれ以上のものを抱いていたことを知らされるだけだった。
直樹に暴露された自分の気持ちを、あえて啓太は琴子に言い直さなかった。その必要はないことも、そして言ったところで返ってくる答えも分かり切っていたからである。だから琴子も、啓太の気持ちには気づかなかったふりをしようと決めたのだった。

「入江さんには本当に、なんとお礼を言っていいか。」
琴子は深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。」
「…お礼を言うのは俺の方だ。」
「え?」
「このことで、俺も変われた気がする。」
「入江さんが?」
「ああ。」
直樹は立ち上がり、ベンチの後ろに回った。琴子に背を向けるよう、ベンチにもたれた。
「俺は軍医として戦地に赴いたが、そこで地獄を見たんだ。」
紀子が前に話してくれたことを琴子は思い出した。自分から直樹が軍医の話をしようとしている。
「山のように傷ついた兵隊たち。足りない医薬品。それを上官が奪っていく。いくら俺が抗議しても一介の軍医になすすべはなかった。結局、俺は何もできないまま、兵隊たちが死んでいくのを見ていた…。」
それは直樹のせいではないと琴子は言いたかったが、黙っていた。ここで口を挟んではいけない気がしたからである。
「医者なのに救える命を救えなかった。そんな経験が辛くてね。それで帰って来た時、決めたんだ。もう医者はやめようって。親父の仕事を手伝おうって。俺に医者を続ける資格なんてなかったから。」
「いや」と直樹は続けた。
「…医者どころか生きている資格すらないと思っていた。それで家族に当たって、本当、最低な男だよ、俺は。」
そんな時に、琴子から助けを求める連絡が入江家に入ったのだという。
「親父もお袋も、宙ぶらりんな俺を優しく見守っていてくれた。そんな二人が、知り合いの娘を助けてくれないかって。俺としては親に迷惑をかけている後ろめたさもあったから断れなかったというのが一つ。もう一つは、しばらく家族の元を離れてみるのもいいかと思ったんだ。」
それで直樹はここに来た。
「引き受けたものの、汽車に揺られているうちにもしかしたら、すごく面倒な女だったら嫌だなという気持ちが湧いて来た。“助けて、助けて”を繰り返しているばかりの鬱陶しい世間知らずの娘だったらイライラするだろうし。それで、初対面であんなことを言ったんだ。」
「あんなことって?」
「大八車に引かれても無傷だって。」
「ああ、それ。」
琴子は笑った。
「最初は何て乱暴なことを言う方だと思いましたよ。でも面白いなって。私ってそういう風に見えるんだって。」
「うん、それでピーピー泣き出す女だったらすぐに東京に引き返すつもりだった。でも違ったから。」
東京で報道されていたような娘だったら、絶対助けなかっただろうと直樹は思った。
「あの発言は悪かったな。」
「いいえ。」
琴子は笑顔を直樹に向けた。直樹も笑みを浮かべた。

「大八車に引かれても無傷って言うのは当たっていたかもな。お前、根性あるし頑張るところは頑張るし、どんなにひどい状況になっても自分ができることを懸命にやっているし。いや、あの強欲三姉妹に責められてもあの屋敷に踏ん張っているのは、その辺の女じゃできないことだ。」
「入江さんがいてくれたからですよ。」
琴子もベンチから立ち上がり、直樹の傍に寄った。
「入江さんが一緒にいてくれたから。だから頑張れたんです。本当に入江さんのおかげです。」
「だからそれを言うのは俺の方だって。」
ここで直樹と琴子の視線が合った。
「お前と一緒にいると、生きているって素晴らしいことなんだなと思えた。生き生きとしているお前と一緒にいられて、俺ももう一度生まれ変わったつもりで頑張ってみるかと思えたんだ。こんな清々しい気持ちで東京へ戻れるのもお前のおかげだ。」
そして直樹は、琴子の顔をしっかりと見つめて言った。
「ありがとう。」
「お医者様に戻られるのですか?」
琴子は顔を赤くして、目を反らしながら訊ねた。
「ああ。もう一度頑張ってみる。あの時救えなかった命の分まで救えるよう頑張りたい。」
「よかった!」
琴子は手を合わせ喜んだ。
「猿子おばさまが倒れたとき、入江さんが介抱されているのを見て、ああ、お医者様になるべくしてなった方なんだなって思ったんです。東馬さんたちも助けてくれたし。」
「そうか?」
「はい。」
会話をしている二人の耳に、汽車が到着する音が聞こえて来た。



「入江さん…。」
「ん?」
デッキに乗り込んだ直樹に、琴子は何を言おうか迷った。
「あの…おじ様やおば様、裕樹くんによろしくお伝え下さい。」
こんなことを言いたいわけじゃないのにと、琴子は思った。
「ああ。」
「お体に気を付けて。」
「ああ。」
直樹も言いたいことを心に押し込めたまま、琴子を見つめた。琴子は啓太をどう想っているのだろうか。それを確認したところでどうなるわけでもないのに。

「…琴子。」
間もなく汽車が出ようとする時に、直樹に名を呼ばれた。
もしかして、何かを言ってくれるのではと琴子は目を閉じた。
―― 琴子、一緒に東京へ来てくれるか?」
―― いいのですか?
―― ああ。お前なしではもう生きていけない。

「嬉しい、私も!」
「は?」
答えた琴子の前にいたのは、車掌だった。
「な、何ですか、あなた!」
恥ずかしさのあまりに車掌に当たると、
「それはこっちの台詞だ!」
と当然言い返された。
直樹はいずこへ?琴子はホームを走った。

直樹は席についていた。琴子がドンドンと拳で窓を叩くと、直樹はそれを開けた。
「入江さん、何で勝手に席に行っちゃうんですか!」
「いや、お前目を閉じて自分の世界に入ったから邪魔したら悪いと思って。」
「そこは連れ出してほしいところなんですけれど。」
口を尖らせながら琴子は、
「それで、先ほど何か言いかけていましたよね?」
と直樹に訊いた。
少し間を置いた後、直樹は口を開いた。
「戦争が終わって、女性が自由に生きられるようになったから、結婚相手も自分で選んで、生きる道も自分で決めるって言っていただろ?」
「え?ああ、そんなことを言いましたっけ?」
「ったく、自分で言って忘れているのかよ。」
物覚えが悪いんだからと直樹は苦笑しつつも、
「それを口にした時のお前、すごく輝いて…綺麗だった。」
「え?」
いきなり直樹に褒められ、琴子は顔を真っ赤にした。
「だから、ずっとその考えを変えずにいろよ。な?」
「入江さん…。」
発車を告げるベルがホームに響き渡った。



汽車に揺られて、直樹は窓枠に肘をついて目を閉じた。
これでいいと自分に言い聞かせる。琴子は自分で道を切り開く前向きな女性だ。自分のような過去にとらわれて動けなくなるような男と一緒に来てくれなんて言えない。あれが自分が言える精いっぱいの愛の告白だった。
覆面と共に過去から逃れることができた啓太と一緒にいれば幸せになれるだろう…。

そこまで思った時、直樹は傍に人の気配を感じた。顔を動かすと…琴子がそこにいた。
「入江さん…。」
発車間際、琴子は汽車に乗り込んだのだった。小さなバッグを一つ握りしめ、琴子は直樹を見ていた。
「お前、何でここに。」
「入江さんが言ってくれたから、乗ってしまいました。」
「え?」
「自由に生きて、自分で相手を選んで自分の道を生きていくって。そうするために、汽車に乗りました。」
顔を真っ赤にして、琴子は直樹にはっきりと告げた。が、直樹が何も言わないのを見て、我に返ったのか慌てて言い訳を探し始めた。
「あ、いえ。その…ええと…お礼。やっぱりお礼をちゃんとしなければって。」
「それはさっき言ってもらったけれど。」
「言葉だけじゃなくて、お品とか?東京の方がいいお品があるかもしれないし。」
「金、あるのか?」
小さなバッグにはわずかなお金しかないはず。
「それは…。」
どうしようかと言いよどむ琴子。その時、カーブを汽車が曲がったのか大きく音を立てて揺れた。
「キャッ!」
琴子の体が直樹に倒れ込んだ。

「…じゃあ、お礼をしてもらうか。」
倒れ込んだ琴子を抱えたまま、直樹が呟いた。
「…ずっと俺の傍にいてもらおうかな。」
「え?」



切符を見せてもらっていた車掌は引き返した。
「いやはや。戦争が終わって男女の中も開放的になったものだ。」
汗を拭きながら、とんだものを見てしまったとこぼす車掌。彼が引き返して来たのは、直樹が乗っていた車両であった。
「まったく、男女が公の場で接吻をするなんて!!」

車掌の嘆きも聞こえない二人は、固く抱き合っていたのだった。







☆最後までお付き合い下さりありがとうございました。
あとがきにて後日、ご挨拶させていただきますね。


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そっか!みんな元気だったんですね、なんか安心しました、琴子ちゃんも入江君と、東京に行ったんですね。v-30

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Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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