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2016.07.26 (Tue)

君に花を捧ぐ 5






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「どうしてこんな所に痣が。」
鏡台に向かうコトリーナは、首筋に浮かぶ青痣に首を傾げていた。
「あの恐ろしい化け物騒動の時に作ったのかしら?」
「そうかもしれませんね。あの時お嬢様、すごく興奮なさっていらっしゃいましたもの。」
世話をするモッティが気にするなと笑っても、コトリーナは首から目を離さない。
「目立つ?」
「いいえ。ここまで顔を近づけないと分かりません。」
モッティがふざけて顔を近づけると、コトリーナは「やだ」と笑った。
「でも…念のため、襟の高い服を着るわ。消えるまでは。」
「あら、左様でございますか。」
本当に気にするほどではないのにとモッティが言っても、
「だって、また山猿が暴れたからと笑われるもの。」
「山猿?」
「ナオキヴィッチ様に…。」
「まあ、そんなことを。」
「ひどいでしょ?」
「ナオキヴィッチ様、お嬢様の本質を理解なさっていらっしゃること。」
「ちょっと!」
と、怒るコトリーナであったが、
「そういえば私が寝ている間、ナオキヴィッチ様のご様子は?」
と、心配した。
あの化け物騒動から二日、コトリーナはベッドから起き上がれなかった。医者を呼ぼうかと父が言ったが、熱があるわけでもなく、ちょっとショックが大きかったのだとコトリーナはそれを断った。村では病人が増えていると聞いているのに、これしきのことで自分が医者を呼んでは本当に必要とする人が困ることになる。

「それがお部屋から出ていらっしゃらないんです。」
こちらも心配するモッティであった。
「一歩も?」
「はい。」
これまで午前中は出てこなくても午後は出て来たナオキヴィッチである。しかも最近はコトリーナと時間を過ごすことも増えつつあったのに。
「まさか私が騒いだせいで悪化したとか?」
顔色を変えるコトリーナに、
「お嬢様の騒ぎは別として、やはり心配であちらにもお医者様をと申し上げたのですがいらないと。」
「あ、コーヒーは?」
自分が毎朝淹れていたコーヒーはどうしていたのかとコトリーナが訊ねると、
「私がお淹れしたものをお持ちしました。」
「ああ、そうなの。」
ここで自分からのコーヒーしか飲みたくないと言ってくれたらちょっとは嬉しかったのにと思ったが、すぐにそんなことより、コーヒーだけは口にしていたのかと安心することにするコトリーナであった。


「ナオキヴィッチ様、コーヒーです。」
二日ぶりのコーヒーをそれは丁寧に淹れ、コトリーナはナオキヴィッチの部屋をノックした。
「…部屋の中に。」
中から聞こえた声に、コトリーナは驚いた。今まではナオキヴィッチが青白い顔をのぞかせコーヒーを受け取っていたのに、部屋へ入っていいなんて。
「…失礼します。」
緊張しながら、しかし嬉しさもかみしめながらコトリーナは部屋へ入った。

もう日が高いというのに、相変わらずカーテンは閉めきられたままだった。青空も広がっているのだから窓を開け放って風を入れたいところであるが、相手は病人であることをコトリーナはすぐに思い出した。
「ナオキヴィッチ様?」
「こちらへ。」
そう言われてもコトリーナは動けなかった。
動かないコトリーナを不審に思ったナオキヴィッチが、
「どうした?」
と聞いてくる。
「あの…私、鳥目でして。」
「鳥目?」
「はい。ですからこのように暗い場所は見えなくて。」
「何だよ。」
ぼやき声の後にクスッというあの笑い声が起きた。
「どうしましょう?」
困るコトリーナであったが、やがてポッとランプが小さく灯った。ナオキヴィッチが点けてくれたようである。仄かな灯りを頼りに、コトリーナはコーヒーを手にベッドサイドへ向かった。

ベッドでナオキヴィッチはけだるそうに寝ていた。その顔は薄暗い中でも青白いことが分かる。
「ナオキヴィッチ様、お加減はいかがですか?」
「お前は?」
「私はこの通りです。」
自分も伏せていたことを知っていてくれたらしい。コトリーナはそのような些細なことが嬉しかった。
「鬼の霍乱だな。」
「鬼…。」
今度は鬼かとコトリーナは恨めしそうにナオキヴィッチを見つめた。ナオキヴィッチはその目からゆっくりと視線をそらした。
「そこに置いてくれ。」
「はい。」
言われたとおり、サイドテーブルにコーヒーのセットを置く。ナオキヴィッチはチラリとコトリーナの首に目をやった。襟の高い服なんてこの季節、着ることはないのに。それも自分のせいか…。
「ナオキヴィッチ様?」
「…眠る。」
「はい。」
本当に大丈夫だろうかとコトリーナは不安だった。
「また…。」
目を閉じたナオキヴィッチから声がもれた。
「くだらない物語に付き合ってやるよ、落ち着いたら。」
「…はい!」
ナオキヴィッチと話をすることはとても楽しい。コトリーナは「ゆっくりお休み下さいね」と言い残し、静かに部屋を出て行った。

「…距離を置かねばならないのに、どうしてあのようなことを。」
もうコトリーナと顔を合わせまいと思うのに、どうして話をするなんて言ってしまったのか。ナオキヴィッチは激しく後悔した。



「まあ、お嬢様は。」
眠ったコトリーナの様子を確かめようと、モッティがその寝室を訪れたのはそれから数日経った真夜中のことだった。
ナオキヴィッチは少しずつ気分が良くなっているようで、そうなると沢山話ができるようにと、コトリーナはベッドに本を持ち込んでそのまま眠ってしまった。
「本当に夢中になられると。」
一生懸命なのだからとモッティは笑いながら、ベッド周りの本を片付け、令嬢とはかけはなれた寝相をさらしているコトリーナの布団をかけ直す。
「でもよかったこと。あれから恐ろしい目に遭わなくて。」
きっと悪い夢でも見たのだろう、しかもかなり具体的な。モッティは今ではそう思っていた。純粋ゆえコトリーナは恐ろしかったに違いない。

「さて、私もそろそろ休みますか。」
メイド頭として館を見回り、今日の仕事は終わりである。他の使用人たちも休んだ様子。最後に玄関を見ておこうと、モッティは足を向けた。
「あら…?」
玄関への階段を下りていくと、見慣れぬ姿を見つけた。
「あれはナオキヴィッチ様…?」
こんな時間だというのに、きちんと身支度を調えたナオキヴィッチが玄関ホールを歩いているではないか。
「何か御用でも?」
声をかけようとしたモッティであったが、それが出ることはなかった。
ナオキヴィッチは玄関のドアに近づかなかった。その側の壁をスッと抜けていったのである…。

「な、何なの、今のは?」
しばらくの間階段でモッティは自分の体を支えるのが精一杯であった。ランプを持つ手が震える。が、確かにハッキリと見た。
モッティはゆっくりと、震える足で玄関に出た。玄関の扉は重厚であり開けたら音がする。音一つ、今聞こえなかった…。
鍵もしっかりとかけられている。それを確認すると、モッティは扉の側の壁に恐る恐る手を伸ばした。手は壁に当たった。
「抜けない…。」
当たり前である。が、確かにこの目で見た。ナオキヴィッチはこの壁を抜けていったのだ――。



「今朝もまだ起きることは難しいのね、ナオキヴィッチ様。」
食堂に姿を見せないナオキヴィッチをコトリーナは心配していた。
「またコーヒーをお持ちしないと…モッティ?」
「え?は、はい?」
「どうかして?」
「いえ、何でも。」
「顔色が悪いわ。まさかモッティも村で流行っている謎の貧血に?」
「いえ、そのようなことは。」
「だめよ、無理しては。」
コトリーナは他のメイドを呼び、モッティを部屋で休ませるよう命じた。
「お嬢様、私は大丈夫です。」
「いいえ、命令よ。一日休むこと。」
自分の世話で疲れさせてしまったに違いない。メイドに連れられちゃんと部屋に戻るかコトリーナは付いて行く。
「さ、眠ってちょうだい。後でお食事を運ばせるわ。」
「お嬢様、そのようなことまで。」
「だめよ。モッティに何かあったらこの館はめちゃくちゃになってしまうもの。」
コトリーナは絶対部屋から出てはだめと念を押したのだった。

昨夜は一睡もできていなかったモッティであり、顔色が悪いのも無理はなかった。が、ベッドに入っても眠れず色々考えてしまう。
昨夜のナオキヴィッチは本当にナオキヴィッチだったのか。そんなことを繰り返し考えていくうち、ナオキヴィッチが来たばかりの頃、客間で枯れた花を見つけたことを思い出した。枯れた花…壁を通り抜けるナオキヴィッチ…。

「貧血の患者が出た…?」
モッティは記憶を辿る。コトリーナが見舞いに出向いているので大体の日付は覚えている。
「ナオキヴィッチ様が朝、出てこられないのは…。」
患者が出た翌日である。そして今日もそう。昨日新たな患者が出た…。
「まさか…ね。」
自分の考えすぎではないか。貧血患者とナオキヴィッチ、どう関係があるというのか。
「昨夜も私、夢でも見たのね。」
この間のコトリーナと同じだと笑おうとしたモッティであるが、その表情が凍り付いた。
「お嬢様の首…痣…。」
そして出てこないナオキヴィッチ…。
「…疲れているのよ、きっと。」
これ以上考えてはいけない、モッティは頭まで布団をかぶり目を閉じたのだった。



モッティは仕事に復帰し、やがてナオキヴィッチもコトリーナと再び時間を過ごすようになった。
「みんな元気になってよかったわ。」
この日、コトリーナはナオキヴィッチの前で刺繍をしていた。勿論ナオキヴィッチは刺繍をすることなく、本を読んでいる。いつの間にか、同じことをせずとも二人で顔を合わせるようになっていた。
「今度はモッティも誘ってピクニックへ行きましょう。」
「ピクニック?」
「ええ、ナオキヴィッチ様の体力が戻ったら。」
「俺は静養を必要とする人間だぞ。」
「そうだけど…でも…。」
「…あんまり遠くじゃなければな。」
コトリーナの顔が輝いた。

「それにしても、へたくそ。」
不器用なコトリーナの手つきにナオキヴィッチは呆れるばかりだった。
「刺繍は難しいんです。」
言い訳するが、確かにお世辞にも上手とは言えない。
「あの…もしよかったら。」
「ん?」
「ナオキヴィッチ様のハンカチに刺繍をしてもよいでしょうか?」
「その腕でよく言えたもんだ!」
「だ、だって。」
確かにその通りであるが、ナオキヴィッチの身の回りの品に自分が何か証をつけたいと思うコトリーナであった。
が、そのようなことはとても言えない。
「ほら、人様に差し上げるものを作ったら上手になるかも。」
「練習台かよ。」
「…すみません。」
やっぱりダメかとしょんぼりとなるコトリーナであった。

「…ま、ハンカチくらいならいいが。」
「本当ですか!」
「人に見せなければいいからな。タンスの奥に放り込んでおけばいい。」
「ああ…そうですね。」
それでもナオキヴィッチが持っていてくれるならばとコトリーナは気を取り直し、図案をあれこれ考え始めた。
「じゃあ参考にこれを貸してやる。」
ナオキヴィッチはポケットから取り出したハンカチをコトリーナの前に放り投げた。
「まあ、綺麗な刺繍…。」
ナオキヴィッチのイニシャルが美しくデザイン化され、見事な手で刺繍が施されてあった。
「まさかナオキヴィッチ様が?」
「俺がするわけないだろう。」
「では?」
まさかこのようなことをしてくれる、付き合いのある令嬢がいるのだろうか。コトリーナは不安に陥る。
「母だ。」
「お母様!」
「手先が器用な人だからな。刺繍を教えるのは前も話したとおり無理だが、代わりにそれを参考にするといい。」
「いや、このような美しい刺繍はとてもとても。」
母の作品と知り安堵したコトリーナはハンカチと、自分の手元にあるものを見比べる。こんな素晴らしいものを仕上げるナオキヴィッチの母は何て素晴らしい貴婦人か。

「ナオキヴィッチ、この雑巾は何ですの?」
「母上、それはこのしょうもない小娘がどうしても俺にと。」
「まあ、雑巾を息子に?何て娘なんでしょ?」
「すみません、それはハンカチです、奥様…。」
「はあ!?これがハンカチ?宅の雑巾の方がずっと美しくてよ!」

会ったこともないナオキヴィッチの母とのやりとりを想像していたら、
「痛い!」
つい、指に針を刺してしまった。
「いけない、血が…。」
ああ、何て不器用なのだろうと泣きたくなっているコトリーナ。
するとナオキヴィッチがその指を手に取り、自分の唇に押し当てた。
「ナオキヴィッチ様…?」
突然のことにコトリーナの顔が真っ赤になった。
「あっ。」
我に返ったのかナオキヴィッチは顔を指から離した。そして顔を背けて席を立つ。
「あの…。」
「…花でいい。」
「え?」
「お前の下手くそな刺繍の図案だ。」
「でもお花は嫌いだって。」
「お前は好きなんだろ?好きなものを題材にすれば少しはマシになる可能性がある。」
ナオキヴィッチはぶっきらぼうに言い残し、足早に部屋を出ていった。

「とうとう、俺はそこまで血を…。いや、そんなにあいつのことを…。」
客間に戻ったナオキヴィッチが、コトリーナへの行動を激しく悔やんでいることも知らずに、後に残されたコトリーナはそっと指を唇へ当てたのだった。





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 |  2016.07.26(Tue) 15:16 |   |  【コメント編集】

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 |  2016.07.26(Tue) 16:04 |   |  【コメント編集】

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 |  2016.07.27(Wed) 09:07 |   |  【コメント編集】

★りょうママさん、ありがとうございます。

そうなんです、モトちゃんは見てはいけないものを見てしまった…。
本当、刺しゅうをしたいなんて完全にコトリーナちゃんはナオキヴィッチに心惹かれてますね。
もう恋に落ちているし。
ナオキヴィッチもすっかり優しくなって。
でもそのままコトリーナに近づくことを迷っていますよね。
私もここまで一気に書いてきましたが、続きをどう進めるか迷い始めました。
水玉 |  2016.07.29(Fri) 21:49 |  URL |  【コメント編集】

★マロンさん、ありがとうございます。

いえいえ、こちらこそ読んで下さりありがとうございます。
そりゃあ寝込みますよ。あれだけ怖い思いをしたら。いくら元気印のコトリーナちゃんでも。
ナオキヴィッチ、どうしてもコトリーナと一緒にいたいようですよね。傷つけると分かっていても。
そうそう、頭の回転が速いからすぐに気付きそうだけど、でも信じたくないから頭から否定。
ナオキヴィッチ、ずっと葛藤していくんでしょうね。
水玉 |  2016.07.29(Fri) 21:52 |  URL |  【コメント編集】

★shirokoさん、ありがとうございます。

一瞬、金髪の女性の方を想像しました。そうだ、あの人もそういう地位だったと(笑)
正解です!ちなみにうちの母も彼女の名前を聞くとこの話を思い出すと言っています(笑)
ナオキヴィッチは完全にコトリーナを気にしていますよね。
でもやっぱり心に引っかかるものがあって…。
確かに、悲劇が多いですよね。相手が天使ならば別なんですけれど(笑)
悲恋の雰囲気を醸し出しつつ…という感じで進めて行けたらいいなと思っています。
水玉 |  2016.07.29(Fri) 21:54 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2016.07.30(Sat) 20:04 |   |  【コメント編集】

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