日々草子 Nurse X 3

2016.07.06 (Wed)

Nurse X 3


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「…何がナースXだ、まったくただのお荷物以外の何でもない!」
そう怒っているのは斗南大病院の大蛇森医師である。
「役にも立たないのに、迷惑ばかりかけやがって。」
「まあまあ、大蛇森先生。そんな言い方も。」
なだめているのは西垣医師である。
「だって入院だぞ?給料泥棒じゃないか。」
「先生、病人に対してそんなこと。」

「ナースX」―― どこにも所属することなく、病院を渡り歩くフリーの看護師。
これは一匹狼の看護師の話である。常に人手の足りない看護師。看護系大学の数は増えているにもかかわらず、すぐに退職していくのはその激務のため。その危機的な医療現場の穴埋めに現れたのがフリーランス…すなわち、一匹狼のナースである。たとえば、この女。
群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、正規な手段で取得したライセンスとその度胸だけが彼女の武器だ。 看護師、入江琴子。またの名を、ナースX。

…と、何が起きたのか、そのナースXは何と入院してしまったのである。しかも手術を要する状態。

「まあ、いい。オペはそこにいる遣木(やるき)先生にお願いすることにした。」
大蛇森が言うと、そこに控えていた若い男性医師が「御意!」と頭を下げた。
「遣木先生、肩の力を抜いてね。」
西垣が言うとまたもや「御意!」と頭を下げる遣木。まったく忠実な医師である。

「お待ち下さい。」
三人が集う部屋に、静かな声が響いた。
「この声は…。」
大蛇森と西垣がゆっくりと声がする方を見た。
「その手術、彼に任せるわけにはいきません。」

「西垣先生、こちらは…?」
突如現れた見目麗しき男性を、遣木は見たことがなかった。
「入江看護師紹介所の入江直樹所長だよ。」
「というと、この患者の?」
「入江琴子はうちの看護師だ。」
入江直樹は遣木医師に目もくれず、大蛇森と西垣の前に立ちはだかった。

「大事なうちの看護師のオペをこんな若い奴に任せると?」
「う、うん…だって、いい経験になると…。」
「はあ!」
付き合ってられないとばかりに直樹は顔をゆがめた。
「冗談じゃない!何で大事な琴子をこんな頼りない医者に!」
「いや、でも入江所長?遣木くんは若いが実力はあって…。」
「こんな、吹けば飛ぶようなペーペー、いや、駅前で配られている二、三回鼻をかんだらすぐに荒れるようなボロペーパーのような若手に、うちの大事な琴子の手術を!」
「い、いや…でもね、入江…あ、看護師の方の入江くんの手術は…。」
「何の冗談かと!」
「でも、だって遣木くんはちょうどタイミングよく…。」
「こっちのタイミングも考えてほしいものですが。」
「入江所長、落ち着いて。」
食いつくように大蛇森にせまっている直樹を、西垣が止めに入る。
「君も医師免許を持っているからには経験があるだろ?外科医のオペデビューは…虫垂炎が多いって!」

…ナースXの病名は虫垂炎である。



「あ、あの…入江…先生?」
どうして医師が看護師紹介所を経営しているのだろうかと疑問に思いつつ、遣木は恐る恐る口を挟んだ。
「あ?」
「あの、僕、大丈夫です。僕、失敗しないので。」
「…お前、なめてんのか?」
先ほどまで大蛇森を睨み付けていたその目を、直樹は遣木に向けた。その眼光の鋭さに遣木は震え上がった。
「僕失敗しないので?ああ?道路に落ちて雨に打たれた汚えチラシのようなペーペーがどの口叩くんだ?」
「…さっきより酷い扱いになっている。」
思わず西垣は呟かずにいられなかった。が、その呟きは直樹と遣木に届くことはなかった。
「そんな口は手術を何十回、いや何百回も経験して命を救った医者が言うもんだ。」
「す、すみません…。」
「虫垂炎ごときとかお前、思ってるんだろ?虫垂炎なめんなよ?虫垂炎をなめた外科医は虫垂炎で泣くぞ?」
「は、はい…。」
可哀想な研修医はブルブルと震えることしかできなかった。

「まあ、入江先生。ここは遣木くんに一つ任せてみないか?」
大蛇森が直樹をなだめた。
「君だって研修医の時代があったろう?最初の執刀は医者ならば誰にでも来るものだし。」
「そうそう、後進の指導だって立派な仕事さ。」
「…分かりました。」
直樹は渋々二人の申し出を受けることにした。
「ではこちらも条件があります。」
「条件?」
まさかまた、何々はいたしませんとか言い出す気か?いたしませんも何も、当の看護師入江琴子は手術を受ける身だからできないじゃないか。

「…まず、傷口は0.3㎝以内におさえること。」
「0.3㎝!?」
「そ、それって3㎜ってことですか?」
「お前、小学生でも答えられる単位を理解してないのか?」
直樹がまたもや遣木を睨み付ける。
「本当に医師免許、いや医大出てるのか?」
「そういうことじゃなくて、そんな小さな傷口は無理…。」
「あ!?」
直樹の言葉に大蛇森たちは震え上がった。
「何を言ってる?いいか?俺はな、琴子のあの綺麗な体に傷一つつくことは耐えられないんだ。虫に刺されるのだって耐えられない。そんな俺が、お前が鋭利な刃物で琴子に傷をつけることに耐えろと?」
「い、入江先生…それじゃまるで傷害を負わせるような言い方…。」
「しかも傷をつけるのは俺じゃない、0.3㎝だけでも許可したことに感謝しろ。」
「0.3㎝…。」
可哀想な遣木は親指と人差し指で0.3㎝の長さをつかもうとしている。

「そして、もう一つ条件があります。」
「まだあるの?」
「琴子の体に触れないこと。」
「はあ!?」
先ほどより大きな悲鳴が室内に響いた。
「そして琴子と目を合わせないこと。」
「はあ!?はあ!?」
もはやこの男、正気なのだろうか。大蛇森と西垣は顔を見合わせる。

「体に触れずにどうやって手術しろと?」
さすがに遣木が抗議した。
「お前、虫垂炎ごときに大げさなことをするつもりなのか?」
「さっきは虫垂炎をなめるなって言ったくせに」と西垣は呟いたが、当然それが直樹の耳に届くことはない。
「この俺が他の男に琴子の体を任せることを許可したんだ、それくらいの技術がなければ困る。」
「いや、でも触れるなとか、目を合わせるなとか…。」
「虫垂炎は局部麻酔の手術だ。ということは琴子に意識がある。」
「だから言葉をかけながらできるっていう利点も…。」
「手術中に目が合って、お前が琴子に惚れたら?」
「…はい?」
西垣の顔が引きつった。
「そんなことする暇、医者にあるわけ…。」
「わかりませんよ、こういう、子供の頃から勉強は一番で妙に自分に自信があって、自分以外の人間は全員頭が悪いと思っているような、自分優位な奴は手術中にわけのわからないことを考えるもんです。」
「…んな馬鹿な。」
「とにかく!琴子の体に触れない、傷は0.3㎝、目を合わせない。この三点ができるならば執刀を許可…。」
「ごめんなさい、僕には無理です!!出直してきます!!」
直樹の言葉を最後まで聞かず、遣木は「うわあああああん」という雄叫びと共に部屋を出て行ってしまった。

「…ったく、無駄な時間を費やしてしまった。」
使えない男だと思いながら直樹は大蛇森と西垣を見た。
「じゃ、俺が執刀ということで。」
「うん、そうしたまえ…。」
もう疲れたと二人はぐったりとなって返事をしたのだった。



「結局、自分以外の人間に手術させるのが我慢できなかっただけですよね。」
「ああして自分は触ってるしね。」
直樹の手術風景を見ながら、大蛇森と西垣は溜息をついていた。
「ああ、ほら、キスなんてしてますよ。」
「はん!」
まああれだけ言い放っただけあり、直樹の動きは速い、速い。他のスタッフも圧倒されている。
「…終了。」
そして瞬く間に琴子の手術は終了したのだった。



「どうもお疲れ様。」
「どうも。」
翌日、やってきた直樹を大蛇森と西垣は出迎えた。何はともあれ、これでよかったと思うことにする。
「では、こちらをお願いします。」
「へ?」
直樹が机の上に出したもの、それはいつもの請求書ではないか。
「さ、3000万円!?」
「おい、ちょっと待て!」
さすがに西垣が声を荒げる。
「今回はお前の奥さんの手術だよな?」
「そうです。」
「むしろ、この病院で手術をさせてやった僕たちに感謝こそあれってとこじゃないのか?何で僕たちがこんな大金を請求されなければいけないんだ?」
「あんな役立たずの研修医にやらせて、失敗して。斗南大病院は虫垂炎のオペもまともにできないなんて噂が立つのを防いでやった料金です。」
「いやいや、失敗するとか決めつけるな。」
「そしてこれは契約違反の料金も含まれています。」
「契約違反?」
「あの、あれをさせるな、これをさせるなっていうやつ?」
「はい。」
「誰がそんなことを?」
「昨日の研修医です。」
直樹の言葉を聞き、大蛇森は遣木を呼び出した。

「入江くん、ああ看護師の方の入江くんだけど、彼女に君、何かをやらせたのかい?」
「…え?」
まさに言い当てられたとばかりに、遣木は青ざめた。
「何をさせたのか?」
「そ、その…電話を…。」
「電話?」
「外科病棟に入院している患者を内科にちょっと診てもらいたくて。それで内科の先生に連絡を取ろうとしたのですが、僕来たばかりで内線よく分からなくて。それで入江さんにお願いして電話をかけてもらったのですが…。」
「何てことを!!!」
大蛇森と西垣は絶叫した。
「ああ、新人だから伝わってなかったのか!」
「しまった!!」
頭を抱える二人の前に直樹がバーンと机を叩いた。
「…看護師免許を必要としない業務はいたしませんと、最初に申し上げていましたよね?契約書にも記載されていますよね?」
二人は一言も言い返すことはできなかった。


「では、最後にこちらを。」
恒例の品物を直樹が出そうとすると、「いや、それは結構!!」と大蛇森は全力で拒んだ。
「どうせまた匂いのきつい何かだろ?」
「そうだ、そうだ。もうごめんだ!引き取ってくれ!」
西垣がわめくと「そうですか、ならば」とあっさりと直樹は部屋を出て行った。



「あ、あの…先生方。」
「え?ああ、君、まだ残っていたのか?」
またもや大金をむしり取られたショックから立ち直れないまま、大蛇森は遣木を見た。
「実は僕…アメリカに行くことを決めました。」
「え?」
「昨日入江先生に言われたことを考えたんです。確かに僕、ちょっと調子に乗っていたと。」
あの言われようでよく自分を省みる気になったものだと大蛇森と西垣は感心した。
「やっぱりもっと腕を磨かなければいけないと。それでアメリカで勉強してきたいのです。」
「留学か。うん、それもいいかもね。」
西垣が頷く。
「それでどこの大学に?」
「いえ、大学じゃなくて。」
「へ?」
「弟子にしてもらおうと。」
「誰の?」
「プリンセステンコーの。」


「…はい?」
大蛇森と西垣の目が点になった。この研修医は今、誰の弟子になると?

「プリンセステンコーの主治医の弟子ってことかい?」
「いえ、プリンセンステンコー本人に弟子入りします。」
「あの人、医者なの?」
「いえ、違います。」
「じゃあ何で?」
「イリュージョンを学びたくて。」
「…はい?」
またもや大蛇森と西垣の目が点になる。

「僕、一晩考え抜いたんです。今まではオペの腕を磨こうとそれだけしか考えていませんでした。でもこれからの時代、それだけじゃ医者として生き残れないことに気づいたんです。入江先生が仰るとおり、体に触れず、目を合わせずにオペをする。そのためには普通に医学を学ぶだけではダメなんだと!」
「いや、それおかしいよ!」
「だからアメリカに渡ります。イリュージョンを学んで入江先生の仰るとおりの技術を身につけてきます!」
「無理に決まってるだろ!」
「それがこれからの医学なんです!」
「違うよ!」
大蛇森と西垣が止めても耳を貸すことなく、遣木は出て行ってしまった。



「あいつのせいで優秀な研修医、いや医者がいなくなってしまった。」
トボトボと西垣が歩いていると、看護師の休憩所から賑やかな声が聞こえてくるではないか。
「やあ、盛り上がってるね。」
ここは可愛い看護師たちに慰めてもらおうと西垣はとびきりの笑顔を見せた。
「あ、西垣先生!」
「見て下さい、これ!」
看護師たちが西垣の前に掲げたのは、これまた高級なメロン。
「そ、それって…。」
「入江先生が差し入れして下さったんです!」
「入江先生、差し入れもリッチ!」
「やっぱりイケメンはやることが違う!」
キャッキャッと歓声を上げながら、看護師たちはメロンを頬張る。

「くそ!!今回は本物のメロンだったのか!!」
あのまま受け取っておけばと、西垣は壁を蹴り続けた。



「ねえ、ねえ、入江くん。さっき聞いたんだけどね、研修医の先生が辞めちゃったんだって?」
一週間後、琴子は直樹にそんなことを言った。
「遣木先生、辞めちゃったんだね。」
「ああ、そうみたいだな。」
しれっと直樹は答えた。
「変わってるよね、せっかく医者になったのにええと…マジシャン?全然違う道に進むなんて。」
「まあ、人それぞれだからな。」
「うん、でもいきなりプリンセステンコーに弟子入りとか、すごいよね。」
「へえ、そうなんだ。」
そこまでは知らなかった直樹である。
「でもね、ペットのホワイトタイガーに追い払われて無理だったって。」
「馬鹿な奴。」
「それでね、今度はイギリスに行ったらしいよ。」
「イギリス?」
「誰だっけ、ほら、スプーンを曲げたとか曲げないとか…。」
「ユリ・ゲラー?」
「そうそう。その人に弟子入りするんだって、探してイギリスを彷徨っているとか。」
「…ふうん。」
「遣木先生、一体何をめざしてるんだろうね?」
「…さあな。」
「頭のいい人は考えていることが分からないね。」
「頭がいいんだか、何だか。」
遥か遠い異国を彷徨う研修医を想像しつつ、直樹は愛しい妻にキスをしたのだった。





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 |  2016.07.06(Wed) 17:30 |   |  【コメント編集】

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 |  2016.07.08(Fri) 16:33 |   |  【コメント編集】

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 |  2016.07.09(Sat) 14:28 |   |  【コメント編集】

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なおちゃん |  2016.07.11(Mon) 09:02 |  URL |  【コメント編集】

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