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2016.04.19 (Tue)

入江法律事務所 51


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「くしゅん!」
花粉症のピークは過ぎたというのに、まだ琴子はくしゃみをしていた。
「お前、ヒノキ花粉もアレルギーか?」
直樹が言うと、マスクをした顔を琴子は横に振った。
「いえ、風邪引いちゃったみたいで。」
「ほう、バカなパーリーガルのくせに?」
「バカじゃないってことです。あとパラリーガルです。ちゃんと覚えました!」
そう言いながらもまた「くしゅん」と琴子はくしゃみをした。
「どれ?」
直樹は立ち上がり、琴子の前に立った。顔を近づけた途端、琴子は「わあ!」となぜか後ろへ逃げた。
「何だよ?」
「頭突きするつもりでしょ?」
「何で、そんなことを。」
呆れながら直樹は琴子の額に自分の額をくっつける。
「…熱、あるんじゃないの?」
「…今ちょっとだけです。」
顔を真っ赤にして琴子が答えると、直樹はクスッと笑ってマスクを引っ張りバーンと琴子の顔に弾いた。
「あんまり辛いようだったら早退して病院行けよ?」
「はあい。」

それから裁判所へ出かけた直樹だったが戻ったその手にはティッシュの箱があった。
「ったく、またこれの出番ってことか。」
琴子の机の上にドーンと置いたのは、花粉症シーズンに直樹が買ってやっている高級ティッシュである。
「うう…何度もすみません。」
すでに鼻の下がガサガサなのだと言いながら、琴子はそれをありがたく受け取った。
席に戻る直樹に感謝していた琴子だったが、ハッとなった。
「もしかして先生…。」
机の上に積まれた高級ティッシュを見て、琴子は想像するーー。

************

「ったく本当に金のかかる面倒な奴だよ。」
直樹の本心が出た。
「お前レベルの鼻なんぞ、トイレットペーパー、いやチラシで十分だぜ。」
「そんな、先生。いくらなんでもあんまりです。」
遠慮しながら、駅前で受け取った安いティッシュで鼻をかむ琴子。
「チラシなんかで鼻をかんだら、鼻がすりへっちゃうじゃないですか。」
「ふん、すりへるような鼻の持ち主かって。」
椅子に大股を広げて座る直樹が琴子を睨む。
「そんな顔に埋没している鼻はチラシで十分だよ。」
「いや、そりゃあ高いとは言いませんけれど、でも埋没までは…。」
「顔面の真ん中に二つ穴が開いている程度だよ。鏡を見ろ、鏡を。」
「そんなあ。」
泣きべそをかきながら琴子は鏡を見た。
「…ちゃんとありますよ、鼻。」
「まったく、俺のような鼻を持って言いたいことは言えっていうんだ。」
直樹は鼻筋の通ったそれを撫でた。
「俺様のような鼻だったら、高級ティッシュも使うべきだがお前レベルには勿体ないよ。」
「…すみません。」
確かに直樹の鼻は高いし美しい。そう言われて琴子は返す言葉がない。
「あーあ、お前と結婚したら毎年高級ティッシュに金使うのか。ったく勿体ないなあ。」
「いや、じゃあ普通のティッシュで…。」
「なんか面倒だから結婚やめるか。」
「そんなあ!!」

************

「…風邪のせいでいつもより妄想に夢中になってるみたいだな。」
大きな声で独り言を言う体力がないのか、直樹の席にはブツブツという風にしか聞こえない。が、その顔はどこを見ているのやら。
しかし潤んだ目でブツブツ呟く琴子を見ても嫌いにならないどころか、
「そういうところも可愛くて好きなんだよな。」
と、つい直樹はにやけてしまう。

が、さすがに心配になり、
「おい、大丈夫か。」
「先生!」
直樹が声をかけたところで、琴子がやってきた。
「あの、お給料前借りさせてもらえませんか?」
「は?」
いきなり前借りとは、直樹は面食らった。
「何だ、またくだらねえ手帳だとか、ヒラヒラした服とか、ああ、そうか、あの無駄に長い能面マンガ買って金がねえのか。」
ったく、しょうがない奴だなと直樹が呆れると、
「いえ、病院へ行こうと思います。」
という答えが返ってきたではないか。
「やっぱり具合悪いのか。」
それにしても診療代もないとは呆れる直樹であるが、婚約した間柄ゆえそれくらい自分が出してもいいと思った。
「これで足りるよな?」
財布から一万円札を出し、直樹は琴子を見た。
「すみません、足りません。」
琴子は申し訳なさそうに言うではないか。
「足りない?え、だって保険きくよな?」
それとも保険証を忘れてしまったのかと直樹が心配すると、
「保険…きかないんじゃなかったのかな。」
と琴子は呟いた。
「保険がきかないって、お前、どんな病院へ行くんだ?」
もしや怪しい闇医者かと本気で心配すると、
「どっちの病院がいいか迷っているんです。」
と困った顔を琴子が見せた。
「“好きな言葉は情熱です!”っていっている病院と、“Yes!○×クリニック!”っていっている病院、先生はどちらがいいと思います?」
「そんなキャッチフレーズの病院、あったか?」
「CMでやってるじゃないですか。」
「CM?」
直樹は思い出そうと努力した。内科でCMなんて見たことあっただろうか。

「念のために聞くが、お前、内科に行こうとしてるんだよな?」
「いいえ。」
琴子はキッパリと否定した。
「鼻を治そうと思って。」
「鼻なら耳鼻科じゃないのか?」
「耳鼻科じゃ高くしてくれないでしょ?」
「高く?何を?」
「だから鼻です。」

二人の間にしばし沈黙が流れたーー。


「ね、先生?どっちの病院がいいですかね?」
「いや…。」
直樹は愛する婚約者が何を考えているのか、その頭脳をフル回転させて理解しようとした。が、高いIQをもってもそれは理解できない。
「その…俺は行ったことないから、そういう病院に。」
「そりゃそうですよね。先生みたいな完璧な顔は整形でもしなきゃ叶わないですけど、先生は生まれつきその顔なんですもの。」
「そうだな…。」
「うーん、こうなったら名前を書いて、先に床に落ちた方に行こうかな。」
席に戻って紙にそれぞれの病院の名前を琴子が書こうとしたところで、直樹は我に返った。

「いや、お前が行くのは美容外科じゃなく、内科だろ!!」
「うわあ!」
いきなり直樹が怒鳴ったため、琴子は驚いた。
「お前は風邪だ、行くなら内科。鼻が辛いっていうなら耳鼻科だ。お前が治すのは鼻の高さではない、鼻づまりだ!」
「そんなことありません!」
何故か琴子がムキになって言い返した。
「鼻を高くしないと、このティッシュに合わないんですもん!」
「はあ?」
「このティッシュを使うためには、鼻を高くきれいにしないとダメなんです!だから先生、お給料前借りさせて下さい!」
「何をアホなことを」と直樹は絶句した。しかし琴子は必死である。

「いいか、琴子。」
「何です?」
「お前がティッシュに卑屈になってどうするんだ?」
「卑屈?」
じっと琴子は直樹を見つめた。
「そうだ、たかがティッシュじゃねえか。」
「でもお高いティッシュですけど。」
「高かろうが何だろうがティッシュはティッシュだ。こんなん、ただの紙だ。たかが紙にお前が何でそこまで気を遣う?」
「でも。」
「よく聞け、琴子。」
直樹は高級ティッシュを琴子の目の前にずいと出した。
「ティッシュがお前を選ぶんじゃない。お前がこのティッシュを選ぶんだ。お前がティッシュに鼻を合わせるんじゃない、ティッシュがお前の鼻に合わせるんだ!」
「ティッシュが私の鼻に…。」
「そうだ、お前はティッシュより偉いんだ。」
「私はティッシュより偉い…。」

すると琴子はティッシュを机の上に起き、「オホホホホ」と笑い始めた。風邪でどこか可笑しくなったかと、不安になる直樹の前で、
「そうよ、私は琴子。高級ティッシュより偉い女なの!お前ごときにバカにさせないわ!私の鼻がお前を選んでやったのよ、ありがたく思いなさい、オホホホホ!」

「…乗りやすい奴。」
「オホホホ」と高笑いを続ける琴子から離れ、自分の席に戻った直樹は溜息をついた。とにかく、おかしな考えからは離れてくれたらしい。
「こんな女でも嫌いにならない俺って。こういうのが“ゾッコン”ってやつなんだろうな。」
高笑いをする琴子ですら、抱きしめたくなる可愛らしさを感じずにいられない直樹である。



終業時刻まで頑張った琴子だったが、やはり体は限界だったらしい。一人で帰すことは不安なので、直樹は送って帰ることにした。
「…しょうがない、ふぐ吉まで行くか。」
家に帰っても琴子は一人である。上がり込んだら琴子の父重雄に今度は何を言われるか。かといって、自分の家というのも問題だろう。

「らっしゃい…って、何だ。」
暖簾をくぐった直樹を見て、重雄は顔をしかめた。相変わらず自分への信頼は失われたままのようである。
が、直樹がぐったりとなった娘を連れているのを見て、さすがに重雄も表情を変えた。
「おい、琴子。大丈夫か?」
「風邪がひどくなったみたいで。」
送って来たと直樹が言うと、重雄は琴子を連れ店の二階へと上がった。

「じゃあ、俺はここで。明日は休ませてあげて下さい。」
帰ろうとすると「直樹くん」と重雄が呼び止めた。

「その…琴子が迷惑をかけたな。すまなかった。」
重雄は素直に頭を下げたではないか。
「いえ、そんなことは。」
直樹は慌てて言った。
「俺が悪かったんです。もっと早くに帰しておけばよかったのに。従業員をこんな状態にするまで働かせたのだから、経営者失格です。」
「そんなことはない。琴子をちゃんと送ってきてくれた。本当にありがとう。」
「おじさん…。」
「…俺も意地を張り過ぎたな。」
エヘヘと重雄は恥ずかしそうに笑い、直樹をカウンターに座らせた。
「こんないい男が娘婿になってくれるっていうのに。すまなかった。」
どうやら重雄の心が解かれていったようだ。これは夢ではないかと直樹は信じられない気持ちだった。
「すまなかったな、直樹くん。」
「おじさん…。」
「よかったら何か食べていってくれよ。お礼だ。」
「それじゃ。」
認めてくれたということだろうか。琴子が知ったら大喜びしてくれるだろう。

「先生!」
「おい、琴子。お前休んでいなくていいのか?」
そこへ琴子が現れた。琴子も下で起きていたことを察知して来てくれたのか。
「先生、ほら、見て!」
琴子の手にはチラシが握られていた。
「こうしてチラシをクシュクシュって丸めて広げるでしょ?ほうら、柔らかくなった!」
直樹の顔色が変わった。まさか…。
「これだったら鼻をかんでも痛くないですよね?先生にティッシュで無駄なお金を使わせることもないし!これで結婚してもらえますよね?」

ダァァァン!!

包丁がまな板にたたきつけられる音。直樹は恐る恐るそちらを見た。

「…おい、お前。」
重雄が呼んだのは直樹ではなく、下っ端の板前だった。
「これで、そこの店行って、一番いいティッシュを買えるだけ買ってこい!!」
バァンッとカウンターに重雄は一万円札を叩きつけた。「へい!」と下っ端板前はそれを握りしめ、転がるように店を飛び出して行った。

数分後、カウンターにはティッシュが山となって積まれていた。
「すごい…これ、スーパーウルトラ鼻リッチじゃない!」
それは直樹が買うものよりも高いティッシュである。
「おい、そこのしみったれ変態ドケチ弁護士さんよ?」
包丁をクルクル回しながら、重雄は直樹を睨んだ。
「いいか?琴子は嫁なんぞいかなくとも、親の俺がこうしてティッシュに不自由させない暮らしをさせることができるんだ。分かったか?」
「いえ、俺もそれは…。」
「ティッシュがもったいねえからチラシ丸めて鼻をかめ?ああ?君は、何様だ?君の稼ぎはそんなにねえのか!」
「そんなことありません!」
どうしてまたこんなことに…直樹は琴子を見た。早速琴子が最高級ティッシュで鼻をかんでいる。それを見て溜息が止まらない。
「全然違う。先生、やっぱり私、鼻を高くする病院行った方がいいですかね?」
「鼻を高くする?ああ?」
重雄が直樹を睨んだ。
「…うちの琴子の鼻が気に入らないから、君は手術して来いって行ったのか?」
「言ってません、言ってません。」
「直樹くん、君はちょっとばかし人より面構えがいいからって、琴子の顔をいじれと?そこまでの権限が君にあるというのか?」
と、重雄が言った所で、琴子が「くしゅん」とくしゃみをした。

「琴子、父さんが卵酒作ってやったぞ。」
どこから出たのか、打って変わって優しい声で重雄は琴子に話しかけた。
「熱いからな、フーフーしてから飲むんだぞ?」
「うん。」
言われたとおりフーフーして卵酒を飲む琴子。

直樹はこれ以上こじれないよう、退散することにした。
「直樹くん、お代がまだだよ?」
重雄が引き留める。ああ、ごちそうすると言ってくれたのに、いやその前に料理も出されていないのに。
「俺、料理食べていませんが。」
「水を飲んだだろ?」
「え?」
直樹はカウンターを見た。確かに自分が飲んだ後のコップがそこにある。
「…おいくらでしょう?」
「1万円。」
「はあ!?」
手を出す重雄に直樹は驚きの声を上げた。
「だって水だけですよ?水ですよ?」
「直樹くん、席料とサービス料をお忘れだよ。」
「どこのぼったくりバーだ!」と悲鳴を上げる直樹。その直樹を睨んだままの重雄――。


その後、板前たちがさすがに直樹を気の毒がって取りなしてくれたため、何とか直樹は料金を払うことなく店を出られた。
「大将、琴子お嬢さんを大事にしていますから。」
「分かっています。」
これも試練、試練だと直樹は自分に言い聞かせた。

「先生!」
琴子が直樹を追いかけ店を出て来た。
「先生、またお父さんが困ったことを言ったんでしょう?ごめんなさい!」
「いや、今日はどちらかというとお前の方が…。」
「ん?」
ああ、そんな潤んだ目で見つめられると何も言えない。
「惚れた弱みってやつだ。」
「先生…。」
「絶対、おじさんに認めてもらえるよう頑張るから。それまで待っていてくれるか。」
「当たり前じゃないですか!」
抱きついてきた琴子を直樹も抱きしめる。

「…琴子の風邪を悪化させる気かね?」
板前たちに止められながら、重雄が暖簾の間から直樹を睨んでいた。途端に直樹は琴子の体を離す。邪魔をされた琴子は父親をふくれた顔で睨んだ。
「おじさん、俺、認めてもらえるよう努力します。」
「…フン!」
琴子を連れ、重雄はぴしゃりと戸を閉めた。
直樹は夜空の星を見上げ「やっぱり駆け落ち考えるか…」と呟いてしまった。




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