日々草子 永遠に君を愛す 52

永遠に君を愛す 52






「すっかり動かせるようになったよ、ほら。」
椅子に座って足首を前後に動かしながら、新川は琴子を見た。
「よかったわ。」
足が治ったことも喜ばしいが、これであの病院へ行かずに済むという意味合いの「よかった」、それが琴子の本音だった。
「これで大阪へ安心して行けるよ。」
新川は居間を歩き回った。
「琴子、どうかした?」
座ったまま一点を見つめている妻の顔を新川は覗きこんだ。
「え?あの…大阪へ持って行く荷物をそろそろ考えないとって。」
咄嗟に琴子は誤魔化した。
「ああ、そうだね。今度は仮住まいじゃないから家具も新しくしないか?」
「そうね。」
返事をする琴子の表情は晴れないままである。

「琴子。」
気付くと新川が琴子の元に膝をついていた。
「あなた、そんなことをしたらせっかく治った足が。」
「平気さ。それより…。」
琴子の手を新川は優しく取った。
「大阪へ行くのは不安かい?」
「そんなこと。」
琴子は慌てて首を振った。新川も両親や親戚はいないし、琴子も同様である。東京に心を残すものなど何もない。
「大阪は一年ちょっと暮らしたから、懐かしいわ。」
「ならいいけれど。」
「大丈夫です。」
琴子は夫を安心させるよう笑いかけた。それを見て新川も笑顔になる。

「ところで。」
新川は琴子の隣に座り身を寄せて来た。
「なあに?」
「…そろそろ、子供が欲しくないかい?」
その言葉を聞いた途端琴子の心臓がドキリと音を立てた。
「会社も順調だし、もうすぐ結婚して二年になるだろ?大阪で子育てをするのもいいんじゃないかな?」
「そうかもしれないわね。」
琴子は笑顔を作って答えた。当たり前のことを言われているのだ。現に大阪で知り合った人からは「お子様はまだ」「そろそろかしらね」と言われてきた。
「琴子に似た子だといいな。きっと可愛いよ。男でも女でも。」
のんきなことを言いながら新川は「風呂は?」と琴子に訊ねて来た。もう支度は出来ていると琴子が言うとさっさと済ませてくると言って風呂場へと行った。

夫に続いて琴子も風呂に入り、寝室へと向う。既に敷かれた布団の上で新川は待っていた。
「おいで。」
琴子へ向かって新川が両手を出した。琴子はおずおずとその間に座る。とすぐに新川は琴子を抱きしめた。琴子の唇に軽く自分の唇を重ねるとそのままゆっくりと布団の上に倒れ込む。
胸元が軽くなったことで、夫が自分の寝間着の前を開けたことが分かった。肩から寝間着が脱がされていくのを感じながら、閉じていた目に更に力を入れて次の行為を待った。



「…やっぱり無理?」
どれくらい時間が経っただろうか。次の行為をいくら待っても夫が動く気配がない。と思ったらそんな声が聞こえ琴子は目を開けた。悲しそうな新川の顔がそこにあった。
「そんな…。」
「いいんだ、分かっていたから。」
新川はゆっくりと琴子の上から離れた。琴子は起き上がった。
「…もうそろそろいいかなって思ったんだけど、やっぱり無理か。」
「違います、そんなことは。」
新川は無言で傍の小さな鏡台の上から手鏡を取って、琴子に渡した。
「顔を見てごらん。」
そう言われても琴子は鏡を見る勇気はなかった。

「ごめんなさい…もう少し…。」
「…無理だよ、きっと。」新川は琴子を振り返った。「元々は僕が待とうって言い出したことだったね。」

いよいよ結ばれるんだと気持ちを固めた琴子に新川が思いがけないことを言ったのは、大阪へ到着して入った宿の夜だった。
「無理しなくていいよ。」
二組の布団が敷かれた傍で、新川は琴子を安心させるように言った。
「君が大切に想っていた人を忘れることができる日まで待つから。」
直樹のことを全て新川に話していた。それを聞いて琴子がどれほど直樹を想っていたかを知っての上で新川は結婚したのである。琴子の気持ちを大切にしたい、いつかその人が完全に過去になった時にと新川は優しく琴子に告げた。琴子はその気持ちを有り難く受け取り、必ず直樹のことは過去にすると決めた。そして新川との結婚生活をスタートさせたのだった。新川は辛抱強く、今日まで待ってくれた。それなのに…。


「…君がその人を今でも忘れていないことは知っていた。」
俯いたまま、琴子は新川の話を聞いた。
「でも、そこに今でも君の宝物があるよね?」
琴子は驚いて顔を上げた。新川は寝室の物入れを指さしていた。
「ごめん、引越しの時に見てしまったんだ。」
新川は立ち上がり、物入れを開けた。奥をごそごそと探るとがっちりと封印された箱が出て来た。新川はそれをそっと琴子と自分の間に置いた。
「引越しの時、荷物を落としてしまって。この箱が中から出て来て中身が出てしまっていた。その時に見てしまった。」
新川は箱を見つめたまま続ける。
「物入れを整理した時、またこの箱を見つけた。その時はもうしっかりと封印されていた。君が一生懸命過去を忘れようとしてくれているんだということが分かったから気付かないふりをしたんだ。その時決めた。この箱が物入れから消えた時、処分してくれた時に僕は君と…って。でもそれは叶わなかった。」
そんなことを新川が思っていたなんて。琴子は申し訳なさで顔が上げられないままだった。

「…あの病院ですぐに分かったよ。あんな綺麗な顔は二人といないだろ?」
似顔絵も新川は見ていた。だから病院で直樹の顔を見てすぐに、琴子が愛した人だと分かったという。
「君は気付かないふりをしていたけど、目で追っていた。彼もそうだった。」
全て新川は知っていた。琴子の目から涙が零れる。
「その時、意地悪な気持ちが起きたんだ。彼に僕が琴子と幸せな暮らしを送っているところを見せ付けてやろうって。今琴子の隣にいるのは僕なんだって見せつけてやりたかった。」
だからあんなことをあの、入江という医師に言ってしまった。担当医から言われたからなんていうのは真っ赤な嘘だった。自分でも下劣だと思ったが言わずにいられなかった。ただ、答えた時の入江医師の顔を見てすぐに後悔した。その時、まだ琴子を愛していることを知ってしまった。墓穴を掘った自分が愚かでならなかった。

「…もう無理をするのはやめよう。お互いに。」
「私は無理なんて。」
「僕は限界だ、それに僕は彼に負けたんだ。」
「負け…?」
どういう意味だろうと琴子は涙で濡れた顔を新川に向けた。
「ああ、そうだ。明日死ぬかもわからないという時でさえ彼は君に何もしなかった。君の幸せを願い、自分の欲望を抑えて出征していった。それなのに僕は、欲望を抑えることができずに今、このようなことをした。」琴子を見た新川の目にも涙が光っていた。「僕が彼の立場だったら絶対無理だ。僅かな期間であっても君と夫婦になれて、しかも戦地から生きて帰れないと分かっていたら…絶対君を僕のものにした。彼はそれをしなかった。僕の完全な負けだよ。」
「そんなことはない…。」
「慰めはいいよ。」
新川は琴子の言葉を遮った。二人の間に重い沈黙が流れた。

「…大阪へは僕が一人で行くよ。」
どれほど長い沈黙だったか、先に口を開いたのは新川だった。
「それでいいよね?」
泣いてはいけない、辛いのは自分ではない、夫だ。分かっていても琴子は泣かずにいられなかった。泣きながら小さく頷いた。それを見た新川から溜息が洩れた。
「…ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
「…いいよ。君と過ごした時間はかけがえのないものだった。」
新川は琴子の傍に近寄った。布団を握りしめている琴子の左手の薬指から、指輪を抜いた。琴子はされるがままだった。
「…夫婦だったんだから、少しの間見たってバチは当たらないと思って放っておいたけど。」
琴子は布団で前を隠すこともなく、上半身を露わにしたままだった。新川はその体に脱がせた寝間着をかけた。そこにに沢山の口づけをしたかったと思いながら――。

荷物はすべて処分された。思い出がしみついていて見ていることが辛いと新川に言われたからだ。
新川はこれから大阪へ、琴子は真瀬家へ移るその日、二人は最後に向き合った。
「離婚届が気になっているだろうけど。」
新川は茶封筒を琴子に渡した。中を開けてみるよう言われ、琴子はそうした。
「これは…。」
そこから出て来たのは離婚届ではなく婚姻届だった。新川と琴子それぞれの署名が入っているものだった。大阪へ到着してすぐに新川が提出したはずのそれがなぜここに?
「君と結ばれたら出すつもりだった。でも結局こういうことになったけれど。」
新川は琴子から受け取るとビリビリと破いた。
「…今までありがとう。」
「…私の方こそ、ありがとうございました。」
こうして二人は違う道を歩き始めたのだった。

************

琴子は風呂敷を元どおりにして、再び押入れの奥にしまった。自分がこれを処分できなかったために新川を、あんなに優しかった新川を傷つけてしまった。
思えば直樹のこともそうだ。直樹はブローチを持ち続けてくれていたのに、自分はさっさと違う人と結婚した。一体何人の人間を傷つければいいのか。
「私は一人で生きて行くべき人間なのよ、きっと。」
もう誰も傷つけたくない。看護婦として一人で生きて行こうと琴子は固く誓い押入れの戸を閉めた。



○△記念病院の院長から、渡したい書籍や仙台の博士への土産をと言われていたので直樹は再びそこを訪れることになった。更に医師たちからもまだ話し足りないと言われたため、再び顔を合わせることになっていた。
また琴子と顔を合わせたらどうしようかと直樹は緊張していた。琴子をもう傷つけたくない。
しかしそういう時に限って会ってしまうものだった。しかも若い男性医師と親しげだった。
「藤沢先生、また相原さんと話しているわね。」
二人を眺めていた直樹の耳に看護婦の噂する声が聞こえた。
「ご執心だからね、先生が。」
「いい雰囲気だけど、うまくいくかしら?」

院内でも周知の仲なのか。なるほど、気にしているのは自分だけかと直樹は自嘲した。思えば京城時代から琴子に懸想する男はいた。今だってそういう人間がいても不思議ではない。そういう魅力のある女なのだ。

「これは入江先生。」
琴子と別れてやってきた藤沢という医師が直樹に挨拶をしてきた。直樹も軽く挨拶をする。藤沢の声で、琴子はそこに直樹がいたことに気付いた。
「…先日はどうも。」
辺りに人がいないのを幸いに、直樹は思いきって琴子に声をかけた。琴子は「こちらこそ、お世話になりました」と頭を下げた。
「…離婚したんだって?」
直樹は声を潜めた。もしかしたら離婚歴は隠しているかもしれないと思ってのことだった。
「なぜ、それを?」
意外そうな琴子の顔に「看護婦が相原って呼んでたから」と取り繕う。西垣から聞いたと言ったら気分を悪くするだろう。
「でもまあ」と直樹は藤沢が歩いて行った先を見た。「新しい幸せが見つかったなら、よかったな。」
「え?」
「お似合いだよ、いい人そうだし。」
「じゃあな」と言って直樹は琴子から離れた。よし、大丈夫。琴子を傷つけない言い方ができたはず。琴子の幸せが自分の願いだ。ズボンのポケットに忍ばせているあのお守り袋に触れながら直樹は頷いた。

―― 新しい幸せが見つかってよかったな。
その台詞が琴子の中で何回も繰り返された。このまま倒れたくなったが、職場だということが琴子を何とか支えた。
直樹にとって自分は完全に過去の人間なのだ。それを思い知らされてしまった。自分は忘れられずにいるというのに…直樹はもう自分を何とも想っていない…。白衣のポケットに忍ばせたブローチに触れながら琴子は涙を零すことを堪えていた。




☆☆☆☆☆
「ボクチン、やればできる子だもん!」by直樹坊ちゃん

あ〜書き終えて思ったけど、アウトレットな琴子ちゃんでも、よかったような!
その方がメロドラマっぽかったとやや後悔~_~;









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優しい新川さん

新川さん…なんて良い人なんだろう、琴子ちゃんが入江君の事を忘れるまで、抱いてなかったんですね。結局二人は別れちゃったけど、新川さんは籍も入れて無かったんですね。新川さんには幸せになって欲しいです。
入江君は相変わらず琴子ちゃんが他の男の人と話してたら妬いてるし、も~う妬いてる暇があれば、琴子ちゃんとジックリ話してよ!琴子ちゃんは入江君一筋なのに~

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ゴルァ~(,,#゚Д゚):∴;'・,;`:ゴルァ!!

直樹ー!!あんたは本当に京城帝国大学医学部を首席で卒業しとんのか!?あんたの頭には何が詰まってんだよ!カニミソか?プリンか?オガクズか?
なんで周りの噂を全部鵜呑みにしちゃうんだよ?
違うだろ、そこはまずしっかりと話をするとこだろうがよ!!。゚゚(」。≧□≦)」<ノヾヵャ□才~ッ!!!

はっ!!す、スミマセン。取り乱してしまいました(笑)
いやでも、ホントどうしようもないな、ボクチン直樹は。
ここは、男ならまずは取り戻すことを考えるだろうよ。それを、変にかっこつけて『身を引く俺カッコいい』みたいな・・・。あんたみたいなのが一番手に負えないんだよ~!!目ぇ覚ませ、アホンダラ~!!って頭突きでもしてやりてぇ。
この場合、どう考えても直樹が一歩踏み出さないと何も始まらないんだもんね。まったく困ったお坊ちゃんだよ。

その点、新川さんは本当にいい人。結婚して二年も耐えたんですね~。
いや~、琴子ちゃんさすがにチューはしてたけど、真っ新でよかったとわたしは思いますよ?
それにしても、新川さんは直樹の顔を知ってたんですね。それが進くんの似顔絵を見て知ったって・・・。進くんすげぇ♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!
きっと将来警察官とかになって似顔絵捜査官とかになったら重宝がられるでしょうよ。
新川さん、まだ、婚姻届も出してなかったなんて。。。なんて健気。
きっと、大阪に行ったら、キップのいい大阪の元気な女性と知り合って吉本新喜劇みたいな楽しい家庭が築けるはず!頑張れ新川さん!!間違っても変な宇宙人みたいな女には捕まるなよぉ~。

そんなにうまく事が運ぶはずないって思ってはいましたけど、水玉さんじらしますね~。続きが気になって気になって、毎日、まだかなまだかなって何度もここを覗いちゃってますよ(笑)
今後の展開がまたまた楽しみです!お体に気を付けて、がんばってくださいね~!!

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入江くん許さない!!!!(T_T)
もう琴子ちゃんは過去のひとなのかなぁ…(T^T)

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男と、話すと・すぐ?新しい恋人、と、考える、入江君はどうなの<入江君も、進歩ないね、同僚の、人と、話すことて、あるじゃん、仕事以外でも、仕事でも、わかんないやつ、入江君は、

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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