日々草子 永遠に君を愛す 49

永遠に君を愛す 49







診察室で直樹はまたもや、頭を抱えていた。
「どうしてこういう時に限って…。」
またもや、杉山医師の代診を引き受ける羽目になったのである。整形外科が専門の杉山は交通事故で運ばれてきた患者の手術に入ってしまったから仕方ないのではあるが、今日の診察予定の患者に新川の名前がまた入っていることを知り溜息をついた。
「もっとも、今日で通院も終了といったところか。」
一人つぶやきながら、直樹は一人目の患者のカルテをまずは取り出した。


三人目に入ってきた新川はもう杖は使っていなかった。リハビリも順調のようである。
「今日は入江先生なのですね。」
いつもの人なつっこい笑顔を向ける新川。その後ろに今日は何と琴子がいた。いつもは診察室に入って来ないのに。まさか「おかげで夫婦生活も順調です」と言いたいからかと、直樹は勘ぐってしまう。
直樹の想像どおり、もう通院の必要はなかった。それを告げると新川は「よかったです」と安堵の笑みを浮かべた。
「おかげで安心して大阪へ行くことができます。」
「出張ですか?大変ですね。」
そういえば結婚してすぐに大阪へ行っていたなと直樹は思い出した。
「いえ、違います。今度は大阪へ本拠を移すのです。」
新川の言葉に直樹は驚いた。さりげなく控えている琴子へ目をやると自分と目を合わせないよう伏せている。
「ということは引っ越されると?」
「はい。小さな会社を経営しているのですが大阪へ本店を移した方が商売がうまくいきそうなので。それで思い切って。」
そういう話となると、もうこの二人は東京に戻らないということかと直樹は複雑な気分だった。だがすぐにその気分を打ち消そうとする。琴子が大阪に行こうが博多に行こうが自分にはもう関係ないではないか。
「杉山先生にもお礼を伝えたかったのですが。」
ずっと担当してくれていた杉山医師にそれを言えないのが残念だと新川が言うと、
「私から伝えておきましょう。」
と直樹は答えた。

「入江先生、ありがとうございました。」
新川が挨拶をした後、琴子が口を開いた。
「主人がお世話になりました。本当にありがとうございます。」
そう頭を下げる琴子は、もう直樹の知らない琴子のようだった。自分以外の男を「主人」と呼ぶ日を、そしてそれを告げられる日が来るなんて。直樹は琴子を見つめる。すっかり人妻らしい落ち着きが出て色気さえ感じる。看護学校の時の琴子はもうどこにもいない。
「…お二人とも、体に気をつけて。」
夫婦生活について新川が訊ねてきたのは三週間くらい前だった。今日までどれくらい…直樹はなんて下品なことをと自分を恥じながら診察室を出て行く二人を見送ったのだった。



「この本を見てほしいのだけど。」
自宅の居間でくつろいでいた両親の前に、数冊の医学書を直樹が見せたのは年が明けた昭和24年のことだった。
「医学書じゃないか。これはわしらが見たって訳がわからんぞ。」
「本当に。」
いったいどうしてこのようなものをと笑う重樹と紀子であった。
「これは俺が一番よく勉強している医学書なんだ。」
「何だ?これを売らなければいけないほど金に困っていると泣きつくのか?」
冗談を口にする重樹であるが、直樹の次の言葉で顔が変わった。
「この本を書いた先生が仙台にいる。あちらへ行って勉強したいと思っているんだ。」
「あちらって…仙台へってこと?」
紀子の顔色が変わった。
「ああ。」
直樹は西垣を通して仙台でその博士が弟子を育てたがっていることを知った、もしそういう気があるなら西垣が推薦してくれる話になっていることを両親に丁寧に説明した。
「そんな…だってお兄ちゃま、やっと東京…ううん、私たちの元へ戻って来てくれたばかりだというのに。」
また自分たちから離れるのかと、紀子は真っ青になった。
「ごめん…それは本当に申し訳ないと思っている。」
自分のことで家族がどれだけ心配をしていたか、直樹はよく分かっていた。だが仙台行きは自分にとってもチャンスだと思っていた。
琴子のことがなくても、直樹は仙台で専門的に学びたい気持ちが日に日に強くなっていた。今の病院はとても居心地がいい。だがそれだけでは医師として飛躍できないことも分かっていた。戦後医師として働き始めてから間もないし、記憶を失っていた間のブランクもまだ埋まっていない。それを補うためには人の倍以上努力しなければいけない。

そんな自分のことを推薦してくれる西垣、受け入れようとしてくれている仙台の博士の懐に直樹は飛び込もうと決意した。厳しい所に身を置けば必ず医師としてステップアップできると思う。いやしなければいけない。医師という職業で一生生きていくためには。
直樹は自分の決意を両親に語って聞かせた。

「直樹がそうしたいというのならば、仙台へ行くといい。」
重樹は息子の決断を受け入れてくれた。
「でも、あなた。」
「おいおい、直樹はもう三十近くになるんだ。そんな大きな息子をいつまでも手元へ置いておくのか?」
「だけどあれだけ苦労したのですよ。」
紀子の悲しみは重樹も直樹も理解していた。一時は生きていないと思っていて、助かってもすぐに戻ってこなかった。母親としてそれがどれほど辛いことだったか。
「仙台に行くといっても、一生そこにいるわけじゃないよ。」
先方の博士も学び終えたら東京へ戻るといいと言ってくれている。やはり東京はどの地方よりも医療では進んでいることを理解してのことだった。
「そう…ね。」少し考えた後、紀子は小さく頷いた。「戦争で若い方もたくさん命を落としたわ。その方たちだってやりたいことは山ほどあったはず。直樹はそれができるだけ幸せなのだわ。」
こうして生きて帰って来てくれただけで十分だと、しかも遠くへ行ける体もある。そのことを喜ばねばと紀子は納得した。
「平和な時代になったんだ。もう直樹はどこへも消えないさ。」
「そうですね。電話だってできるし。」
「ああ、なるべく声を聞かせるから。」
それくらいしなければと直樹は思った。親孝行を忘れることはしないと約束すると紀子は「分かった」と言ってくれた。
「それでいつから?」
重樹が訊ねると直樹は4月から向こうで勉強をしたいので三月には東京を出ると言った。



そういうことだったので、それからの直樹の周りは慌ただしかった。仙台に一度行き、博士とその勤務する病院へ挨拶をして住む場所を見つけた。すぐに東京に戻り日々の診察をこなしながら引き継ぎをする。その合間に西垣との二人だけの送別会、病院での送別会、家族の送別会が行われた。
「裕樹、合格おめでとう。」
家での送別会は裕樹の合格祝いも兼ねられた。裕樹は春から名門の高校へ通うことになった。しかもトップの成績だったので入学式に新入生代表の挨拶をすることになったという。
「親父とおふくろのこと、頼むな。」
「任せてよ、兄さん。」
「兄様」と呼んでいた裕樹はそこにいなかった。いつからか「兄さん」と男らしい呼び方に変わった弟を直樹は頼もしかった。
「高校でもトップを維持して、父さんと同じ大学へ入るつもりさ。」
「帝大…じゃない東大になったんだっけ。そうか、それはすごいな。」
今年の5月から、東京帝大と呼ばれていた学校は東京大学になることになっていた。
「ああ、でも兄さんが仙台にその時もいたら、東北大学もいいかも。」
呼び方は変わっても兄を慕っている点は全く変わらない裕樹に、
「何を言ってるの。そんなこと言っているとどこも入れなくて泣くことになりますよ。」
と紀子が笑った。
賑やかな家族に別れを告げ、三月末直樹は仙台へ向けて旅立った――。



仙台に到着するなり、直樹は忙しくなった。思っていた以上に直樹が優秀であることを知った博士が次から次へと患者を直樹へ任せていった。と同時に論文執筆も命じられる。
想像以上の厳しさにさすがの直樹も辟易したが、余計なことを考える暇がないことがありがたかった。病院近くに探したアパートに一人帰ると、どうして琴子のことを思わずにいられなかった。だからアパートにいる時間はあまり作りたくなかった。
そして仙台でも直樹は女性に人気があった。若くて独身、しかも優秀とくれば注目の的になることは当然であった。
厳しい博士の手前、看護婦たちは控え気味であったがそれでも自分こそはという気持ちを抱いていた。自分たちの仕事を懸命にやり、まずは同僚として認めてもらおうと動いていた。

が、そのようなことをしても無駄かもしれないという噂が流れたのは直樹が仙台に来て一月経った頃であった。
それは直樹が病棟を回っている時のことだった。
「入江先生、こちらを落とされたようです。」
共に回っていた看護婦が直樹の白衣から落ちたものを拾い上げた。それがお手製のお守りだったことに気づき看護婦は驚いた。
「ありがとう、一番大事なものなんだ。」
それを受け取る時の直樹の嬉しそうな顔。不器用な縫い目で端も焦げているのに直樹はそれを大事な宝物のようにポケットへ入れた。
「あんな風に扱うってことは…。」
「東京に恋人がいるのかしら?」
自分たちを恋愛対象として見ることはないと、看護婦たちは悟るしかなかった。
忙しいながらも充実した日々を送る直樹の夢に、琴子が出てくることはもうなかった――。




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頑張れ~入江君

琴子ちゃん夫婦は大阪に行っちゃうんですね…琴子ちゃんの口から「主人」と言われ、入江君はかなりショックを受けてますね…そして入江君は仙台に行っちゃうし、このまま二人は離れ離れになっちゃうのかな(>_<)
入江君は琴子ちゃんが作ってくれたお守りを、大事に持ってたんですね(;_;) 読んでても辛いです。

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こんな風に、みんな忘れてしまうんですかね?入江君は、琴子ちゃん、琴子ちゃんは、入江君を、琴子ちゃんは、大阪、入江君は、仙台、二人バラバラ?これでは?もう会えないですよね、二人もう、会えないの?いつかは、二人は、ハッピ-エンドに?なるんですか。

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なんか寂しい。。。

琴子は新川さんと大阪へ住まいを移し、直樹は尊敬する博士に支持するために仙台へ・・・。
二人の人生は、決定的に別れてしまったんですね。
琴子が直樹に「主人がお世話になりました」っていうセリフを言ったところで思わずウルって来ちゃいました(T_T)
でも、琴子は本当に愛している人以外と夫婦生活を送れるほど器用じゃないと思うんだけどな・・・。しようとしても、結局まだみたいなことなんじゃないかなってちょっと期待しちゃったりもしてるんですよね(裏の直樹みたいに)
新川さんも無理やりするような人ではないと思うし。
仙台へ行っても、直樹はやっぱり琴子を思ってるし。出征前に琴子がくれた手作りのお守りを未だに肌身離さずに持ってるんだもんね。
どうかまた二人の人生が合わさって寄り添っていけるようになることを祈っています。

水玉さんの最後の一言コメント、私大好物なんです!あの一言を見たとき、思わず喪黒タッチのアホ子お嬢が頭に浮かんでしまい爆笑してしまいました!!また何か思いついたらポロッとお願いしますね!
直樹は、結局クラッシュしすぎて逆走をはじめちゃいましたね~。
高速道路でわけわからなくなって逆走しちゃうお年寄りじゃあるまいに(・_・;)
天才なんだから、アスラーダみたいなナビゲーションシステムでも作れば良かったのに(アスラーダは知ってる人は知っている)
でも、直樹とアスラーダだとすっごいケンカが絶えなさそう。二人とも自分が一番正しいと思っていて、譲らなさそうですもんね~。

今後がどう展開していくか、ますます楽しみです!
また寒波が来てますけど、風邪とかインフルとかに気を付けて頑張ってくださいね~。

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naokouさん、ありがとうございます。

泣いて下さったんですね、ありがとうございます。
自分でも思いがけずタイトルに近い内容になりつつあるなと思って。
そうですよね、記憶をなくした間も琴子ちゃんに惹かれていたくらいですもの。
琴子ちゃんは自分だけ幸せになってしまったと思っているのでしょうね。
「主人」はそんなつもりで書いたのではありませんが、そう思って下さった方が多くてびっくりでした。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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