日々草子 永遠に君を愛す 45

永遠に君を愛す 45






結婚しているのだから子供ができてもおかしくない。直樹は何度も自分を納得させるように心の中で繰り返した。しかし動揺はおさまらなかった。
待合室に座っている琴子は時折、首を動かしていた。夫が到着するのを待っているのだろうか。そして琴子の名前もなかなか呼ばれない。
直樹は食堂へ行かねばと思いながらも足が動かなかった。このまま見ていてどうしようというのか。夫が来るまで早く立ち去らねば。そうしないと自分の傷が深くなる一方だというのに。

すると、琴子が突然立ち上がった。診察室から看護婦は出てきていないので順番が来たわけではないようだ。立ち上がったと思ったら早足で歩いて行く。直樹はそれを目で追いかけた。

「琴子。」その呼び方に直樹の心臓は抉られる思いだった。自分以外に琴子を呼び捨てにする男がいる。しかもその呼び方に愛情をこめて。その名を呼んだ男は松葉杖をついていた。
「あなた。」
そして琴子が男をそう呼んだことに、また直樹の心臓は抉られた。
「ごめんなさい、空いている席がここしかなくて。」
琴子が駆け寄った松葉杖の男は、新川だった。
「診察に時間がかかると思っていたのに、早く終わったんですね。」
「ああ。」
どうやら琴子は夫の診察が終わるのを待つ席を探しているうちに産婦人科の前に来ていただけらしい。整形外科の診察室は産婦人科の近くだった。直樹は胸を撫で下ろした。
「大丈夫?」
「ああ。」
琴子は甲斐甲斐しく、杖に不慣れな新川を支えていた。新川の嬉しそうな顔が印象的だった。二人は直樹に気づくことなく、ゆっくりと会計のある場所まで歩いて行った。



新川が出て行った後、整形外科の外来の看護婦が交代して診察室から出てきた。
「入江先生、こんなところでどうされました?」
病院中の憧れの直樹に出会い、その看護婦は嬉しさを溢れさせる。
「今出て行った患者さんだけれど。」
「え?」
看護婦は会計の方へと目をやり、「ああ新川さんですか?」と口にした。
「松葉杖に慣れていないようだけど、怪我したばかり?」
「ええ、そうです。何でも転んで足首の骨にひびが入ったとか。」
転んでひび…結構鈍くさいのかと直樹は医者らしくないことを考えてしまった。ということは暫く通うことになるわけか。

「仲がいいんですよ。新川さんご夫婦。」
「ご夫婦」という単語に直樹の眉がかすかに動く。そういう些細な言い回しで琴子が他の男のものであることを自覚させられることが辛い。
「新川さんがどうかされましたか?」
看護婦は当然の質問をしてきた。これに困った直樹は少し手荒な答えを返す。
「いや、待っているはずの家族が見当たらないのならば、手くらい貸してやってもいいんじゃないかなと思って。」
「待っているはずの奥さん」と言うところをあえて直樹は「家族」と言った。とても「奥さん」とは言いたくなかった。
「え…?」
「杖に慣れていないようだし、転んだりしたら更に怪我が深刻なものになるだろう?」
「すみません、不注意でした。」
浮かれていた看護婦はすっかりしょげてしまった。間違ったことは言っていないが、別にこういう形で注意しなくてもいいと分かっている。こういう誤魔化し方をする自分の方がひどい人間だと思いながら直樹はその場を立ち去った。



この日の夜、琴子と新川の仲を見せつけられた腹いせで直樹は夜の街を飲み歩いた。しかし何杯飲んでも、琴子と新川の仲の良い姿が目に焼き付いて離れてくれない。しかも飲めば飲むほどどんどん色濃くなるばかりである。夫婦仲がよいことは喜ばねばならないことだと分かっている。しかしそれが出来ずにこのような所でヤケ酒をあおっている自分の器の狭さにも直樹は嫌気がさし、さらに酒量は増えて行った。
いい男が一人で飲んでいるのだから、当然女が何人も近寄って来た。最初は無視していた直樹であるが、ふと最後に隣に座って自分を見ている女に気づいた。
「琴子…?」
髪が長い女は琴子に見えた。自分に関心を持ったことを知った女は笑顔を見せた。
「誰かしら?いい方?」
直樹のグラスに酒を注ぎながら、流し目を向けてきた。直樹はそれに答えず注がれた酒を飲み干した。
「ね…?」女が直樹の耳元に口を近づけた。「今夜付き合ってくれないかしら?」
その筋の商売女であった。しかし直樹にはそれが琴子に見えたままだった。
「…いいよ。」
直樹が承諾したことに女は歓喜の色を浮かべた。気が変わらないうちにと急いで店を出て直樹の手を引いて部屋へと向かう。

どこをどう歩いたのか、安宿の一室に直樹はやってきた。
「シャワーを浴びてくるわ。お先に失礼。」
そう言ってバスルームへ向かう女の手を直樹は強引に引っ張った。そしてけばけばしい色の布団の上に女を倒した。女は驚いた様子だったがすぐに笑みを浮かべた。
「急かすのね。」
直樹は無言で女の上に覆いかぶさり、派手なワンピースのボタンを引きちぎるように外していく。窓のすぐ外を走る電車の音が部屋を揺らしていた。
上半身のボタンを外したところで直樹は女の顔を見た。
「…誰だ?」
そこにいるのは琴子ではなかった。琴子と見間違えた髪も全然違う。長いのは同じであるがこちらはきついパーマをかけている。そして化粧の濃いこと。直樹は立ち上がった。
「ちょっと!!ここまでしておいて!!」
女は怒りに顔を真っ赤にして怒鳴った。しかし直樹は全く動じない。
「女の体をここまで見ておいて、何もしないってのは汚いんじゃないかい!?」
確かに女の肌は目に入った。が、医者であるので人間の裸体にいちいち顔色を変える直樹ではない。
「あんた、ふざけるのもいい加減にしな!」
喚き続ける女の所に直樹は歩いて来た。気が変わったかと期待して口をつぐんだ女であったが、直樹は財布から無造作につかんだ紙幣を数枚、女の手に握らせた。
「悪かった。」
「…ま、こうしてもらえるなら。」
何もしなくてお金がもらえた女の機嫌はたちまちよくなった。直樹は安宿を出て行った。



朝の光を取り込もうと鎧戸を開けた女中は振り返って、悲鳴を上げそうになった。
「直樹様!!」
いつ帰宅したのか、この屋敷の長男がソファに横になっているのである。
「どうしたの?あら、何てこと!」
やってきた紀子もその様子を見て声を上げた。
「お兄ちゃま、お兄ちゃま…んまっ!」
揺り動かして起こそうとした紀子の顔がしかめられた。寝ている直樹から強い酒の匂いがしたのである。

「やっぱり心は落ち着いていないのでしょう。」
朝食の席で紀子は溜息をついた。あの後紀子は直樹を起こして、部屋に戻るように言った。起こされても直樹はまだどこかおかしい様子だった。
「あんなになるまでお酒を飲んでくるなんて初めてですわ。」
琴子との辛い別れから一年半、医者に復帰して好きな仕事に打ち込んでいる様子を見て安心していた紀子と重樹であった。酔いつぶれるほど飲んできた理由は知らないが、よほどのことがなければああはならないはず。
「普段忘れていても、時折琴子ちゃんのことが思い出されるのかもしれないなあ。」
そしてその「よほどのこと」というのは琴子の思い出に襲われることに違いないと夫婦は思っていた。
「無理もありません。私だって…。」
紀子が涙ぐむ。一番辛いのは直樹だと分かっているから本人の前では涙を見せないようにしているが、思い出す度に涙をこぼさずにいられなかった。
「いっそのこと…見合いをさせてみるかい?」
「…何ですって?」
紅茶のお代りを注ごうとした紀子の手が止まった。
「お見合いって、あなた…。」
「いや、直樹が帰還したことをどこからか聞きつけて、それなりの話は来ているんだ。わしの方で断っていたのだが。」
これからも、こうして時折不安定になるかもしれない。今はまだ酔いつぶれる程度だが、これが進むとアルコール中毒になんてなったら大変である。
「琴子ちゃんのことはどうするんです?」
「どうするも何も、琴子ちゃんはもう新しい幸せを見つけて新しい人生を生きているんだろう?」
重樹の言う通りであった。琴子が何かの偶然で直樹の元に戻ってくることを願うことは、平穏に送っているはずの琴子の新しい人生が壊れることを願うも同然である。
「もし、直樹の気に入る女性が現れたら嫁としてちゃんと可愛がってくれるかい?」
「それは…お兄ちゃまが気に入ったのならば。」
琴子の面影を全て捨てて、新しい嫁を可愛がらねばならないことは紀子も分かっている。直樹のことを思えばこそ、そうせねばならない。
「ま、直樹の気持ち次第だけどな。」
決して無理強いだけはしないようにする、これぞという話が来たらまずは紀子に相談することを重樹は約束したのだった。



「東京に戻った途端、怪我をするなんて気の毒だねえ。」
真瀬は新川の足に巻かれた痛々しい包帯に目をやった。
「でも琴子がいてくれるので助かります。さすが元看護婦だなと思って。」
新川は奥の台所に目をやった。そこからちょうど琴子がお茶を運んで来た。
「本当はこちらからご挨拶へ伺わねばならないのに。」
頭を下げる新川に、
「いやいや。怪我をしているんだから無理はしてはいけない。それにこうして外に出るきっかけがなければ、年寄というものは家に籠りきりになってしまうからちょうどいいんだ。」
と、真瀬が笑った。この日は東京に戻って来た新川と琴子を、待ちわびていた真瀬夫婦が訪ねてきたのだった。

「大阪の生活はどうだった、琴子ちゃん?」
七重が琴子に優しい笑顔を向けた。
「最初は言葉に慣れることが大変でしたけれど、でも人情味あふれて素敵な街でした。」
七重が土産に持参した和菓子を並べながら琴子は答えた。
「支店が軌道に乗るまで予定より時間が少しかかってしまいましたが。」
「いやいや、一年半でそこまで成長させたのはすごいよ。」
真瀬は新川に感心した。
「秀樹さんはとても忙しいのに、私のことまで気遣ってくれたんです。」
「いや、だって慣れない土地で一人留守番している琴子が気になったから。」
「あらあら、仲がよろしいこと。」
互いを気遣う孫のような夫婦を、七重が笑った。「琴子ちゃんはすっかり若奥様という呼び方がふさわしくなって。」
「ところでひ孫の顔は何時見られるのかな。」
真瀬の言葉に新川が照れながら包帯の足に目をやる。
「僕がこんなだから…。」
「まあ、若いお二人ですもの。そのうちにね?」
七重がとりなすと琴子は微笑んだ。





関連記事

comment

管理者にだけ表示を許可する

つ、つらい…。(>_<)

飲んだくれヘタレ男参上!!

水玉さん、連日の更新ありがとうございます。

なんか、読んでてうちの父親がカラオケに行ってよく歌ってる
『飲んで~飲んで~飲まれて~飲んで~』って歌を思い出します(笑)
(歌ってる本人は一滴もお酒飲めませんが・・・これをうたってる本人に
いつも心の中で悔しかったら飲んでみろ!と言ってます)

とりあえず、琴子ちゃんがご懐妊なわけじゃなくてホッとしました。。。
でも、「琴子」「あなた」という呼び方にはやっぱり親愛の情が見えて
わたしも飲んだくれてしまいそう。。。

直樹は、看護婦に八つ当たりした挙句、ヤケ酒して娼婦にまで手を付け
ようとして・・・。まぁ、寸でのところで正気が戻って良かったですけどね。
イリパパは、直樹にも新しい人生をということでお見合いをって言ってるけど・・・。
直樹はこのままヘタレ道まっしぐらなんでしょうか?
直樹と琴子、二人の本当の幸せのチェッカーフラッグはいつ振られるんでしょう?
今夜は久しぶりにわたしも焼酎飲んで寝ます(笑)
次も楽しみにしてますね~!!

ン!なんか❓うまくいってるのかな?琴子ちゃんと、新川さん、でも、何をするにも、入江君は、琴子ちゃんの、顔に、見えちゃうんですね、新川さん、琴子ちゃんが、幸せならと、思いますけど?でも、視聴者側は、やはり、入江君、琴子ちゃんの、二人が、結ばれてほしいです、琴子ちゃん、入江君のこと、本当に、忘れてしまったの、琴子ちゃんの、コトだから、入江君のことも、入江家の、コトも、忘れては、ないと、思いますけど?これから!入江君と、琴子は、どうなるの、教えてください、二人結ばれるの。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

よかった~

連日の更新ありがとうございますm(_ _)m

琴子ちゃんは妊娠して無かったんですね!良かった~それに新川さんは怪我をしてしまったんですね。ラブラブの二人を見て、入江君は整形外科の看護婦に当たってるし、しまいにはやけ酒を飲んで、知らない人と危なく関係を持とうとしてるし、入江君のショックは大きいみたいですね。可哀想な入江君(>_<) 読んでる私も辛いです。琴子ちゃんが幸せそうなのが、救いですね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

葉月綾乃さん、ありがとうございます。

43とこちらへのコメントありがとうございます。
本当にどれだけ精神力が持つのかといったところですよね。
とりあえず琴子ちゃんのお腹はまだ空っぽのようで(笑)
入江くん、自分じゃない男の人と一緒に幸せになっている琴子ちゃんを見て何を思うのか。
そうそう、新川さんはいい人なんです。

ちぃさん、ありがとうございます。

43から連続のコメントありがとうございます。
ワクワクしていただけて嬉しいです。
本当、お見合いしちゃいそうですよね!
そうそう、今までは琴子ちゃんが待つ側、苦しむ側でした。今度は入江くんの番かも(笑)
いつも琴子ちゃんばかり泣いているのでたまには入江くんも…なんてことにはならないでしょう。きっと(笑)

wakoさん、ありがとうございます。

こちらこそ、コメントありがとうございます。
現在せつなさゾーン突入中ですので~。
二人が結ばれるといいですね、本当に!
勝手なお願いなんてとんでもない。皆さんがそう思われているようですよ♪

ちあきさん、ありがとうございます。

あ~ギブアップですか!すみません、ちあきさんにそんなことを言わせてしまうなんて!
確かに琴子ちゃんは今回、可哀想かも。少し幸せになったので読みやすくなったかなと思ったのですが。
そうそう、「あなた」という呼び方にショックを受けた方、結構いたので気にしないで下さいね!
それだけ感情移入していただけて私は嬉しいです。
ありがとうございます♪
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

カテゴリー+月別アーカイブ
 
最新コメント
最新記事
カボチャの世界
Private
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
リンク