日々草子 永遠に君を愛す 39

永遠に君を愛す 39




「元気そうで安心したよ。」
この日、大泉家を訪れた重樹は直樹の様子に安堵していた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。」
この目の前に座っている男性が父親だと言われているが思い出せないままの直樹であった。
「いやいや、とんでもない。」重樹は直樹を気遣うように微笑む。「こうして元気で過ごしていることが何よりも嬉しいのだよ。」
「そうですよ。」重樹に同調したのは隣に座っている紀子であった。
「私たちはこうして、亡くなったと聞かされていたあなたが生きていたことだけで嬉しいのだから。」
それに間違いはなかった。戦死の知らせを受け取った時は絶望のどん底に落とされたがこうして戻ってきたことは何よりも嬉しい。
「お体がよろしくないと聞いていましたが。」
しかし戻ってきたとはいえ自分たちのことを忘れてしまっている息子が不憫でならなかった。以前の直樹であればこのような口の利き方はしなかった。これがどことなくお互いに遠慮を生じさせてしまっていることは否めない。
「僕のせいで?」
「そんなことありませんよ。」紀子はとんでもないと手を振った。「年のせいかしらね。なかなか時代の流れに体がついていけなくて。」
直樹のせいではない。琴子がいなくなったからだとは重樹たちには言えなかった。裕樹も含めた三人で相談した結果、琴子の存在は直樹には打ち明けないでおくことに決めた。自分を思い出すことで直樹を苦しめることが辛いと言っていた琴子の気持ちを尊重し、そして直樹が苦しむことも避けたいということからだ。

紀子が起き上がる気になったのは沙穂子の来訪が原因だった。伏せ続けてまた来てもらうことは避けたかったということ。そして裕樹が心配になったからである。
少し元気を取り戻さねばと、沙穂子が来訪した翌日、紀子は家の廊下をゆっくりと歩いていた。庭に面したところに来た時、女中二人がヒソヒソと話をしている後姿が目に入った。声をかけようとした紀子の口がやんだのは、女中が手にしていた花束を見た時だった。それはおそらく、沙穂子が自分への見舞いとして持参したものだろう。見舞いの品について何も聞かされていなかった紀子であったがすぐに分かった。
「裕樹坊ちゃまが…。」「奥様に…。」「そんなことをしたら坊ちゃまがまたお怒りに。」女中たちから洩れてくる言葉に、紀子は背を向けた。この場は見なかったことにしようと思った。

部屋に戻り横になった後、紀子は裕樹が可哀想でならなかった。裕樹はきつい物言いをするが心根は優しい。花を粗末にするような子ではなかった。それなのにあのようなことをさせたのは自分がこうして寝込んでしまっているからだ。不甲斐ない母親のせいで息子がおかしくなってしまう。それにせっかく生きて戻ってきてくれた直樹にも申し訳がない。裕樹が大泉家に冷たくすれば直樹が苦しむことになる。いくら記憶を失っていても弟が自分の妻を嫌っているなど辛いことは間違いない。
紀子はこの日から、琴子のことは自分の心に封印することに決めたのだった。



「だいぶ良くなりましたから、お土産を持ってきましたよ。」
紀子が風呂敷をとくと、重箱が表れた。
「直樹の好物を朝から母さんが一生懸命作ったんだ。」
料理ができるほど回復したのだと重樹は嬉しそうに言う。
重箱の中身を見ても直樹はそれが自分の好物かどうかも分からなかった。大泉家で出されている物は機械的に口に運んでいる感じであった。
「いただきます。」
煮物をまず口に含んでみた。大泉家のものとは違うその味は不思議と直樹の口に合った。大泉家のものよりも箸が進む。それを両親は微笑んで見守っていた。
「こちらのお野菜は新鮮なんですよ。食べてみて。」
紀子に言われるまま、直樹はサラダに手を付けようとして呟いた。
「キュウリ…。」
「キュウリ?キュウリはあなたが嫌いだから入れてないけれど。」
記憶を失うと好みも変わるのかと紀子は思った。
「いえ、キュウリで何か昔あったような気が。」
―― 無理して食べてもキュウリは喜びません。
どこからか声が聞こえた気がした。一体誰の声だろうか。
「直樹?」
具合が悪くなったかと紀子が顔を覗き込んだ。
「大丈夫です。」
直樹はサラダを食べた。

「まあまあ、全部食べてくれてうれしいこと。」
自分の料理が口に合ったことが嬉しくて紀子は空になった重箱を笑顔で見つめた時、ドアがノックされた。
「失礼します。そろそろ食後のお茶はいかがかと思いまして。」
家族団らんを邪魔しては悪いと遠慮していた沙穂子が美しい笑顔を見せた。その後ろではお茶を乗せたお盆を持ったおつねが従っていた。
「直樹がお世話になりっぱなしで。」重樹と紀子は沙穂子に頭を下げた。
「とんでもないですわ。」
そして沙穂子は空になった重箱をのぞいて言った。
「ぜひ今度、直樹さんのお好きな物を教えていただけますか。私も作って差し上げたいのです。」
「ええ。」
重箱を片付けながら返事をする紀子を見ながら直樹は呟いた。
「ネギを焼いたものって…。」
「え?」
風呂敷を結ぶ紀子の手が止まった。
「ネギを焼いたものも僕は好きだったのではと。」
「そ、それは…。
紀子は俯いて風呂敷を結ぶことに集中しようとした。さして難しいわけでもないのに、なぜか紀子の手はうまく動かなかった。
「何となくネギを焼いたものが懐かしく思い出されたのですが、違いますか?」
「では今度、私がお作りしますわ。」
沙穂子が明るく言った。直樹の好物が分かったことが嬉しくてたまらないといった様子であった。

「ああ、おつねさんと仰いましたわね。」
紀子は小さな袋を取り出し、おつねに渡した。直樹が世話になっている礼であった。
「お義母様、そのようなことをされては。」とんでもないと沙穂子がおつねから渡されたそれを紀子に返そうとした。
「いいえ、沙穂子さんだけでなくこちらで働いていらっしゃる皆様にもどれほどお世話になっているか。」
「ですが。」
返そうとする沙穂子の手を押して紀子は言った。
「不甲斐ない親である私たちのささやかな気持ちです。どうぞお受け取りに。」
「では」と、これ以上遠慮するのも紀子に悪いかと思った沙穂子はおつねに頷いた。「ありがとうございます」とおつねは紀子からの謝礼を受け取った。




「焼いたネギ…琴子ちゃんの得意料理だったわ…。」帰りの車の中で紀子は涙を流しながら言った。「沙穂子さんに悪いから琴子ちゃんのことは封印しようと決めたのに、だめね。」
「そんなことはできないよ。無理をしないでいいんだ。」重樹が優しく妻を慰める。その言葉に甘え、紀子は更に思い出話を続けた 。
「焼きネギは頭がよくなるからって得意そうな琴子ちゃんの可愛かったこと。」
「それで直樹と裕樹はネギくさいって文句を言ってたな。」
賑やかだったころが懐かしい。
「お兄ちゃま、記憶を?」
「いや、そこまではいってないだろう。」
重樹の返事に紀子は肩を落とした。
「仮に記憶が戻ったからといって…もう…。」
「…ああ。もう二人はそれぞれの人生を歩み始めてしまった。」
もう戻れない直樹と琴子であることを二人は痛いほど分かっていた。
「でもあなた。お兄ちゃまが沙穂子さんと結婚した後、もしもお兄ちゃまが記憶を戻したらどうなるのです?」
「どうもこうもならないだろう。」
「…そうなったら、沙穂子さんはお兄ちゃまをそのまま受け止めてくれるのかしら?」
「…その時にならないと分からないな。唯一分かることは。」重樹は辛そうに言った。「…直樹が今以上に苦しむ姿をわしらは受け止めてやらねばならないということだ。」
そうなった時に備えて今から覚悟をしなければという重樹に、紀子は俯いてしまった。

「それにしても、あの女中頭にまで気を遣うとはな。」
重い雰囲気を変えようと重樹が話題を変えた。
「お金で解決しているようで気は進みませんけれど。」
でも一応おつねに感謝しているふりを見せねば直樹の大泉家での立場も悪くなるだろうと気遣ってのことだった。
「それに先日、裕樹が失礼なことをしたようですしね。」
「裕樹も複雑な心境なのだろう。」
何をしたかは問い詰めてはいない二人であった。
「せっかく戻って来たお兄ちゃまのためですもの、何だってしますわ。」
「そうだな。」
そう話しているうちに、車は入江家に到着した。



「大変だわ、私としたことが。」
七重の慌てた様子に庭を掃除していた琴子が飛んできた。
「どうしたのですか?」
すると七重は弁当箱を掲げて見せた。
「旦那様に渡すことを忘れてしまったの。ああ、お昼に困っていらっしゃるかも。」
週に数回、真瀬は勤めに出ていた。詳しいことは琴子も聞いていないが、その折には必ず七重の弁当を持って出ていたことは知っている。
「では私が届けましょう。」
琴子は明るく言った。
「お腹がすいて倒れてしまったら困ります。」
琴子の明るい調子に七重は「おほほ」と笑い声を上げた。
「ではそうしていただける?」
「はい。」
七重はすぐに真瀬の勤め先までの道を書いて琴子に渡した。行先は銀座の会社だった。琴子は愛用の肩かけ鞄を提げると弁当を手に家をすぐに出た。

「銀座かあ。どんなお仕事なのかしら?」
電車の中で琴子は真瀬の仕事を色々と想像していた。「まったく老人をこき使って」とよく笑っている。
「剣道の腕をかわれて警備のお仕事かも。」
あの腕前だったらそれもおかしくないと思っているうちに、銀座に到着した。

七重の地図は分かりやすかったにもかかわらず、琴子は何度か道に迷ってしまった。その都度人に聞いて、何とか目的地に到着することができた。
「なるほど…こんなに大きなビルだったら警備の人もたくさん必要よね。」
そこは七階建てのビルであった。それを暫く見上げていると、
「こちらに何か御用ですか?」
と後ろから声をかけられた。声の主は仕立てのよい背広を着た、若い男性だった。この会社の社員かと思った琴子は、
「真瀬の家の者なのですが、届け物を。」
と答えた。社員だったら警備部門に案内してくれるかもしれないと期待してのことだった。
「真瀬さんに?」
「はい。」
どうやら男性は真瀬を知っているらしい。それに琴子はホッとする。
「ではこちらへどうぞ。」
男性はニコッと笑うと、会社の正面玄関へと入った。琴子は後を付いて行った。

男性はエレベーターに乗り込んだ。「どうぞ」と笑顔で琴子を招く。琴子は警備は上階なのかなと思いながら乗り込んだ。
エレベーターはどんどん上昇していく。そして気づいたら最上階に着いていた。
「ああ、そうか!」
「え?」
エレベーターを降りた途端声を上げた琴子を男性は振り返った。
「きっと社長さんの警備を直接しているんですね。」
「警備?誰が?」
「真瀬です。」
「真瀬さんが警備…」と男性は呟くと「ぷっ!」と噴き出した。そして笑い転げた。何かおかしなことを言っただろうかと琴子は男性を見つめた。その笑い声を聞きつけたのか、廊下の突き当りのドアが開いた。
「新川さん、どうされましたか?」
中から出てきたのは初老の男性だった。
「いえ、失礼。こちらのお嬢さんを案内してきたものですから。」
新川と呼ばれた男性が琴子を見てまた笑った。
「あの、警備の真瀬がいつもお世話になっております。」
この初老の男性が社長だと思った琴子は挨拶をした。
「珍しい声がするかと思ったら、琴子ちゃんじゃないか。」
同じ部屋から出てきたのは真瀬であった。が、その姿は警備の格好ではなくいつもの和服姿。
「会長、警備とは?」
初老の男性は真瀬を「会長」と呼んだ。
「え?会長?」
きょとんとしている琴子を見て、新川がまた笑い転げたのだった。






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入江君の両親の気持ち

入江君の両親は入江君が心配で会いに行ったみたいですね?お母さん…少しは元気になったかと思ったら、やっぱり裕樹君の態度を見て、本当はアホ子なんか会いたくないけど、やっぱり入江君の事が心配だよね。お母さんの手料理を食べて、やっばりお母さんの手料理は、大泉家の料理よりお母さんの手料理の方が絶対美味しいに決まってるよね。それれに入江君キュウリやネギの事を、思い出したのかな?琴子ちゃんの思い出なのに…お母さんが泣くのが分かります(ToT)辛いよね…お母さんもお父さんも。
一方琴子ちゃんはお世話になってるおじいさんの所にお弁当を持って行ったけど…なんと!あのおじいさんは会長さん?私も琴子ちゃんと同様びっくり!

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う^ん?これからどうなるの?入江君の記憶戻るの?いい人の❓そばに、いるから、今は、心配は、ないんだろうけど?琴子ちゃん、入江君どうなるんだろう。

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セツナイ・・・(T_T)

直樹の中に微かに残る昔の記憶・・・。
それって全部琴子に関することなんですよね。
はぁ、セツナイ。。。
この先、直樹はどうなって行っちゃうんだろう。。。
イリパパも、紀子ママも、裕樹もみんな可愛そう(T_T)
アホ子は、直樹の好きなものがわかったって喜んでるけど、ただ好きなんじゃないんだよ!!琴子が、一生懸命作ってたから直樹は好きだったんだよ!!って言ってやりたい。

それにしても、琴子ちゃんがお世話になってるおじいちゃんは実は大きな会社の会長さんらしい。
大泉家をギャフンと言わせられないのだろうか。。。
ついつい期待しちゃうよね~。
今後の展開も楽しみです!
水玉さん、頑張ってくださいね~❤

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更新ありがとうございます!!

更新していただけることが何より嬉しいです!
続きがすごく気になります!!(*^^*)
たのしみにしていますね(*^^*)

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何か?権力に、モノを、言わせてるみたいで、やだね?金持ちて?あほ子も、お手伝いの、おつねも、大泉も。金持ちて、人の、弱みに付け込むのは<天下一品。

ぷりんさん、ありがとうございます。

ネギでそんなに涙していただけるとは…うう。
がつんと記憶が戻るといいのですが。
しかも夢にまで!!すごい、そこまで夢中になって下さってるんですね、ありがとうございます!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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