日々草子 永遠に君を愛す 32

永遠に君を愛す 32






大切なブローチを失くしてしまったことだけで十分悲しいというのに、更に追い打ちをかける出来事が琴子に起きた。

「満太郎様とお嬢様のご婚約がこの度整いました。」
使用人たちを集めた場でおつねが誇らしげに宣言した。もっとも皆、いつかはこの日が来るだろうと思っていたのでさして驚きもなかった。代わりに歓声が起きた。
「おめでとうございます!」
「いつになるかと思っておりました。」
そして拍手が起こる。満足そうに頷くおつねは、使用人たちの後ろでひっそりと控えている琴子に目をやった。琴子は立っているのもやっとであった。

「相原さん、あなたはこのお話に何か不満でも?」
そんな琴子を見てわざわざ話をおつねは振って来る。皆の視線が一斉に琴子に注がれた。
「…とんでもありません。」気持ちを悟られまいと琴子は唇の端を上げた。「おめでとうございます。」

「今後は忙しくなります。」おつねが表情を更にひきしめた。「満太郎様は正式に大泉家の後継者としてのお披露目に備えることになります。その傍ら、事業を学ばれますので健康管理にますます留意せねばなりません。」
「はい」と使用人が一斉に返事をする。
「まず最初のお披露目としては、婚約パーティーが行われます。」
「どちらかのホテルで行われるのですか?」
女中の一人が尋ねた。
「いいえ。婚約パーティーはごく内輪で行われることになります。」
「まあ、それは勿体ないことですね。」
おつねの機嫌を取ろうと女中たちが残念そうに言った。
「満太郎様のたってのご希望なのです。」
「ではご親族だけでしょうか。」
この問いにもおつねは「いいえ」と首を振った。「主に沙穂子お嬢様のご学友を御招待するパーティーです。」
先日出席した友人のパーティーがうらやましくて、それより華やかなものをと沙穂子が希望しているのだという。
琴子は「満太郎のたっての希望」と言う所だけ、何度も繰り返していた。満太郎は沙穂子との婚約を希望している…楽しみにしているということなのだ。

パーティーは佳き日を選んで行うとおつねは告げた。
「お嬢様はガーデンパーティーを御希望なのですが、まだ梅雨が明けない時期です。晴れたらお庭で、雨でしたらサンルームということで。」
「では当日にならねば会場は準備できないということですね。」
これは大変だと使用人たちの間に動揺が広がった。おつねはパンパンと手を叩いて、その動揺をおさめた。
「皆さんは大泉家の使用人です。それくらいで動揺してどうします。」
おつねに言われ、皆大泉家に雇われているという誇りを思い出した。そして一致団結してパーティーを成功させようと頷いたのであった。

「ああ、相原さん。」
話が終わりそれぞれの持ち場へ皆が戻り始めた中、おつねが琴子を呼び止めた。
「あなたにも当日、お手伝いをお願いしますね。」
有無を言わさないおつねの物言いであった。
「会場で女中たちと一緒に、お食事を運んで下さい。」
満太郎と沙穂子が並ぶ姿をずっと見ていなければいけないのかと、琴子は目の前が真っ暗になった。しかし自分は雇われている身。逆らうことは許されない。
「安心して下さい。当日はきちんとした衣装を準備しますから。」
こんな格好で客の前に出すわけにいかないと言わんばかりに、おつねが琴子を見やった。琴子は「はい」と返事をするしかなかった。



その頃、入江家では直樹の一周忌が行われていた。家に住職の読経の声が響く。重樹、紀子、裕樹が俯いて耳を傾けていた。
しっかりとした証拠が出たわけではないが、琴子の勘を信じている裕樹は不思議な気持ちでそれを聞いていた。何せ直樹は生きている。生きているのに法事を行っているとは。
裕樹はそっと目を上げ、両親の表情をうかがった。二人とも悲しげであった。重樹は家族のため、従業員のために日々働き続けている。思いやり深い人柄のため、戦後の苦しさの中事業はうまくいっている。あまりに仕事に邁進しているため、もしや息子を失ったことなど忘れているのではと不安に駆られたことも会ったが、今日のこの顔を見て裕樹は自分の浅はかさを恥じた。今日の重樹は事業主ではない、ただの男親、大事な息子を失った悲しみが癒えることのない父親の顔であった。
そして紀子は時折、目をハンカチで押さえていた。終戦後日本に戻ってから臥せがちであり、ようやく少し明るさを取り戻したかと思っていたが、こちらも悲しみを抱えたままである。
悲しみに暮れる両親を見るにつれ、いくら琴子との約束とはいえ直樹、そして琴子の生存を隠し続けている裕樹は罪の意識にさいなまれた。しかし、いつかはそれからも救われる。大泉家にいる満太郎が直樹とはっきりと判明すれば琴子と一緒にこの家に戻ってくる。そうなればきっと自分の罪も両親は許してくれるだろう…。
裕樹は外に目をやった。梅雨でこの日も雨であった。まるで両親の涙雨のようだと思った時――。

「裕樹。」
突然母から呼ばれ、裕樹は我に返った。
「お前の番だぞ。」
焼香の順番が来ていることに気付いていなかった。裕樹は慌てて立ち上がり、焼香に向かった。



「…ぶしつけなことをお聞きいたしますが。」法要後、住職が三人に訊ねた。「納骨はどうされますか?」
直樹の遺骨はまだそのままであった。重樹も裕樹も紀子の気持ちを慮って触れないようにしてきたが、一周忌を迎えたということもありそろそろ…という住職の考えらしい。

「そうですね…そろそろお墓を作ってあげましょうか。」
紀子が言った。
「いいのかい?」
重樹が聞くと、紀子は頷き、
「だってきちんとお墓を作ってあげないと、お兄ちゃまが可哀想だもの。」
と悲しげに微笑んだ。そろそろ紀子も心の整理がついてきたのかもしれない。
「じゃあ、そうするか…。」
「ちょっと待って!!」
思いがけない裕樹の声、それもかなりの大声に両親だけでなく住職ものけぞった。
「裕樹、ご住職の前で失礼ですよ。」
紀子に咎められ裕樹は「ごめんなさい」と一応謝りつつ「でも」と続けた。
「もう少し、もう少しだけ兄様と一緒にいたいんだ。」
「でも裕樹…。」
困った様子の母であるが裕樹は後に引かず、
「お願いします、もう少しだけ。兄様がここからいなくなっちゃうなんて寂しいから。」
「…弟君の心が落ち着くまでこのままに。」
裕樹を思いやって住職が言ってくれた。
「すみません、ご住職。」
裕樹は頭を下げた。今お墓を作られたら大変なことになる。結果、もう少しお墓は待たれることになった。



かなりよく似た絵を進は書いてくれたものの、西垣の調査は進む気配がなかった。琴子の夫と同級生、または先輩後輩の間柄だったという人間も見つからない。京城から戻って来た人間にもなかなか辿りつかず、八方塞がりといった状態が続いていた。

そんな中、西垣が人探しを知っていることを聞いた後輩が連絡をしてきた。彼は医者ではないが高校時代に西垣が可愛がっていた男である。
「残念ながら軍医でもないし、京城帝大も出ていないんです。」
「え?」
全然関わりのない男じゃないかと西垣は不安になった。しかし、後輩の好意を無にはしたくない。
「でも京城に住んでいたから、もしかしたら先輩が探している人を知っているかもと思って。」
「ああ、それなら」と西垣は会わせてくれるように頼んだ。京城に住んでいただけでも会う価値はあるかもしれない。

「…言っておきますが、期待しない方がいいですよ。」
数日後の夕方、待ち合わせ場所の飲み屋にて後輩は西垣になぜかこの台詞を繰り返した。
「分かってるよ、京城に住んでいただけだからってことだろ?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。」
後輩の言葉に西垣は「?」という顔をした。後輩は「あんまり先輩に会わせるのは気が進まないんだけどなあ」と何度目かの溜息をついた。
「本当に虫の好かない奴でして。」
「何でそんな人と君が知り合い?」
後輩は気持ちのいい男である。
「俺じゃないですよ。俺の友達の弟の知り合いなんです。」
「…遠い知り合いだね。」
「ちょっと話をしてみましたが、不愉快になる可能性大なんで。」
そんな間柄でも自分のために取り持ってくれたのかと思うと申し訳ない西垣であったが、
「いえ、先輩には昔から色々とお世話になりましたし。ほら、近くの女学校を覗く方法、覗きが見つかって逃走する方法、道端で待ち構えて口説き落とす方法とか。おかげで勉強一辺倒の青春を送らず楽しい時間が過ごせましたから。」
と楽しげに話す後輩に安心した。
「あ、来た。チェッ、相変わらず格好つけやがって。」
どうやら後輩はかなりその男を嫌っているらしい。

「やあ、待たせてすみませんね。」
後輩が言った通り、どうも虫の好かない男であった。外見はいたって普通だが、戦後のこの時代に上等の代物を着ているところを見せつけたいのか、背広をヒラヒラとするところがわざとらしい。
「来てくれてありがとう。僕の“一高”時代の先輩、西垣さんです。」
「一高…。」
後輩が「一高」の部分を強調したことは謎であるが、まあそれはさして気にしないことにする。
「先輩、勅使河原くんです。」
「どうも。」
勅使河原という男はサラリと前髪を払いのけ、西垣に手を差し出して来た。虫唾が走る思いで西垣は勅使河原と握手を交わす。
「僕は斗南高校の卒業なんです。」
「へえ、お坊ちゃんなんだ。」
斗南高校は華族や資産家の子息が多く通う私立であるが一高と同等のレベルであることは西垣も知っていた。時折、運動部などが交流試合をしていた記憶がある。確か帝大にも斗南から入ってきた者がいたはずだ。
「さほどでも。まあ少々恵まれてはいたかもしれません。」
口とは違って鼻高くする様子に「だから言ったでしょう」という視線を後輩が西垣に送って来た。それにも気付くことなく勅使河原は、
「だからこういう店は慣れていなくて。庶民はこういう所で楽しむんですね。」
とのたまい、これには西垣も唖然となるしかなかった。

「ええと京城にいたって?」
用件を手っ取り早く済まそうと西垣は本題に入った。
「ええ。父の仕事の関係で。」とまたもや前髪に手をやる勅使河原。後輩が「ケッ」と声にならない罵りを上げたのを西垣はしかと聞いた。
「京城帝大の卒業生を探しているんだ。」
「ふうん…。」
興味もなさそうに勅使河原はつまらない顔をした。「何だよ、京城どころかどこの大学にも引っかからなかったくせにさ。それで父親の仕事にくっついてさっさと日本脱出したくせに。」とボソボソと後輩が呟くのがまた聞こえた。斗南を出て大学に行けないなんて信じられないと西垣は思った。もしや斗南は裏口で入ったか?とも思う。

「この似顔絵の人なんだけど、見たことないかなあ。」
勅使河原は指先で似顔絵をつまみ上げた。と思ったらその両目が見開かれる。
「こ、これは…。」
勅使河原の手から似顔絵が落ちた。その指、いや全身がガタガタと震え始める。
「だ、大丈夫かい?どこか具合が?」
よもや悪い薬でも打っているんじゃと西垣は心配になった。
「あ、あんた…僕に何の恨みがあって!!」
「は?」
「分かったぞ、先輩の手先なんだ!先輩に命じられて僕を探しているんだ、そうだな!?」
「先輩?何?この似顔絵の男を知ってるのかい?」
「とぼけるな!!」
そして勅使河原は両手で頭を押さえ真っ青になって、その後目から涙を流し始めた。「情緒不安定?」と後輩が眉をひそめる。
「入江先輩の手先か!入江先輩がまだ僕を恨んでいるんだ!入江先輩が追いかけて来る!!入江先輩が来たりて笛を吹く~!!」
「入江先輩?」
「うわあ!!!助けてくれえ!!お母様―!!」
転がるように勅使河原は席から逃げ出した。が、椅子に足をひっかけ転ぶ。更に通りか買った客にズボンを踏まれ、真っ赤なパンツが丸見えになった。
「うわああああん、お母様!!」と叫びながら勅使河原はズボンを抱えて赤パン一丁で逃げて行った。

「お母様だってさ!!それにあの格好、最高、傑作!!」と後輩が腹を抱えてゲラゲラと笑った。西垣も顔を赤くして笑い転げた。
「でもさ、感謝するよ。奴のおかげで知りたかったことが少し分かったんだから。」
西垣は似顔絵を広げた。隣から後輩が覗きこみ「綺麗な顔ですよねえ」と同性ながらしみじみと呟いた。
「入江って名前か。」
それさえわかれば後は医者仲間を当たっていけば下の名前も分かるかもしれない。入江という名前で満州に赴任した軍医は絞られるはず。
「それにしても」と後輩が似顔絵を見ながら言った。「あいつ、何でこの人をあんなに恐れたんですかね?」
「さあ?」
西垣も不思議だった。琴子にあんなに細やかな愛情を注いだ男が、なぜあのような小者に恐れられるのだろうか?




☆☆☆
いい仕事をしたのは勅使河原のボクちゃまでした(笑)…戦争の中生き延びたんですな。
あ、ボクちゃまについて知りたい方はこちらへどうぞ




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西垣先生最高

大切にしていたブローチを無くして悲しいのに、追い打ちをかけるように、満太郎とアホ子との婚約…可哀想な琴子ちゃん。それにあの嫌な女おつね…落ち込んでる琴子ちゃんに、看護婦さんなのに、使用人扱い…あんまりです!婚約パーティーなんか出たくないよね~(>_<)
それから…西垣先生、良い仕事をしてますね。出た~あの僕ちゃん、生きてたんだね(笑)すっかり入江君の事はトラウマになってる様ですね思わず笑っちゃいました(笑)
婚約パーティーはどうなるか…気になります。

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ついに手がかりが!!

ガッキーのおかげで、琴子に一筋の光が!!
婚約パーチーなんぞが開かれる前に何とか直樹を取り戻せたらいいのに!!
ただの役立たずのボンボンだと思っていた勅使河原もちったぁ(少しはの意味。)役に立つんですね(笑)

それにしても、おつねもついに動き出しましたね~!!
『炎のクラッシャー女中おつね』と心の中で呼ぶことにしました。
お嬢が華麗にレースをするために、周りの有象無象を片っ端からクラッシュさせるおつね。。。想像するだけで恐ろしい!!
琴子ちゃんはノロノロで周回遅れ寸前っぽいですけど、いつかは逆転して直樹というゴールに飛び込んでいって欲しいものです。

今後の入江家の動きも見逃せないし。
次も楽しみにしてます!!



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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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