日々草子 永遠に君を愛す 27

永遠に君を愛す 27






「すみません、満太郎様。」
建物を出て少し歩いたところで琴子が申し訳なさそうな顔をした。
「ちょっとお待ち頂いてよろしいでしょうか?」
と琴子はタタタと走って行き、一人の少年の前で止まった。満太郎は後を追いかけた。
その少年は靴磨きをしていた。ここはまだ病院の敷地内である。そのような所で珍しいなと満太郎が思っていると琴子が少年の前に自分の足を出した。少年は嬉しそうに磨き始めた。
「お姉ちゃんの靴は特別丁寧に磨いてやるからね。」
「いつもありがとう。」
どうやら琴子は常連らしい。
「こんな古い靴磨かせて悪いのだけれど。」
「ううん、そんなことないよ。だってお姉ちゃんのおかげでここで商売できるようになったんだしさ。」
手を動かしながら少年は「お姉ちゃん」の隣で自分を不思議そうに見ている満太郎に気付いた。
「…お姉ちゃんの旦那さん?」
「違うわよ!」
とんでもないと琴子が否定すると、その勢いのあまり足が箱からずれた。
「こちらは、私が働いているお家の方。」
「ふうん…」と疑問が晴れないといった顔で少年は手を動かし続けた。
磨き終わると「はい、お代」と琴子は少年にお金を渡した。
「お姉ちゃんはいいのに。」
「そんなこと言っているうちは商売に成功しないわよ?」
商売もしたことないだろうにと満太郎は琴子がおかしかった。

「俺の靴も頼めるか?」と満太郎が琴子が足を置いていた箱に足を乗せた。
「すごい…今までたくさん靴を見て来たけれど、こんな立派な靴は初めてだ。」
少年は満太郎の靴に驚いて本当にいいのかと琴子の顔を見る。
「俺、こんな靴上手く磨く自信がない…。」
「大丈夫。落ち着いて磨いてくれればいいから。」
満太郎が安心させるように笑うと、少年は息を吸って丁寧に磨き始めた。
「こんなにもらえないよ!」
満太郎が出した料金は通常の倍であった。
「いや、君の腕はそれくらいの価値がある。」
琴子や少年に気を遣ったわけではない。本当に丁寧かつ手際よく磨かれ満太郎の革靴は美しい光沢を放っていた。
「君の仕事に対する正当な報酬だ。」
「…お兄さん、難しいことを言うんだね。意味が分からないけど。」
戸惑いながら少年は満太郎から料金を受け取った。



「あの子、進くんって名前なんです。」
ぶらぶらと歩きながら琴子が口を開いた。
「最初はあそこで靴を磨いていたんです」と病院の門から少し離れた所を琴子は示した。
「でもあそこじゃお客さんも来なくて。話してみたら礼儀正しいし素直で明るい子だったので、西垣先生にお願いして病院の敷地内で仕事をさせてもらえるようにしたんです。」
この病院は金持ちが多い。診察の合間や見舞客が時間をつぶすのに相手にしてくれるのではと琴子は思った。西垣は琴子の頼みを快諾してくれ、ここぞとばかりに大泉家の主治医の立場を利用して病院を説得してくれた。そして琴子の読みは当たり、今では結構な客が利用してくれるのだという。
琴子も病院に来るたびに、進に靴を磨いてもらっているらしい。それで病院からの戻りが遅いのかと満太郎は納得した。
「進くんの親御さん、戦争で亡くなって…あの子、一人ぼっちなんです。遠い親戚が家に置いてくれているらしいんですが居心地がよくないみたいで。」
なるべく家にいる時間を少なくするために朝早くから出て来て、病院が閉まった後は場所を変えて夜遅くまでああして靴を磨いているのだという。

「私も両親がいないのであの子の気持ちが少し分かる気がして。」
琴子に家族がいないことを満太郎はこの時初めて知った。
「戦争で両親を?」
「いえ。両親は戦争が始まる前、幼い頃に。でも父の友人ご夫婦が引き取って下さって、とてもよくして下さいました。」
話しながら琴子は満太郎の顔を見た。満太郎が何か思い出さないかと期待したが残念ながらそれはなさそうである。
「あの子、お金をためて今の家を出て一人で頑張るんだって。そういう所も私と似ているなと思って。だから力になりたいんです。」
「…じゃあ俺も力になろう。」
「え?」と琴子は満太郎を見た。
「往診ではなく、次回から病院に通うことにしよう。そうすればあの子の客になれる。」
「でも、それではお嬢様が心配なさいます。」
「俺だっていつまでも病人でいるわけにいかない。少しずつ世間の風に当たっていかないと。」
もっとも病院と屋敷の往復では世間の風に当たることにならないと満太郎はおかしくなった。しかしこういう理由でもなければ沙穂子の手前気軽に外出もままならない。
「ありがとうございます、満太郎様。」
満太郎の優しさが琴子は嬉しかった。こういう優しい所は直樹も同じだった。やはり直樹は満太郎なのではないだろうか。
一方、満太郎は琴子が他人の家で育ったという話を聞いて、だからどこか共通した意識を感じていたのかと思った。もしや琴子の夫というのは、育ててくれた家の息子だったのではないだろうかとも思う。そういう話は珍しくない…と思ったところでふと満太郎の中におかしさがこみ上げてきた。自分もそうではないか。引きと取られた大泉家の孫娘と結婚が考えられている。

「満太郎様、何かおもしろいことでもありましたか?」
満太郎が楽しそうだと勘違いしている琴子が笑いかけた。「そうだ」と満太郎は思い出した。
「あんたのこと、何て呼べばいいかと聞きたかったんだ。」
沙穂子やおつねは「相原さん」と呼んでいることは知っている。が、どうも満太郎の中ではその呼び方がしっくりこない。相原と呼び捨てにしようかとも思ったがそれもどこか違うと誰かが囁いている気がした。かといって西垣のように「琴子ちゃん」というのもおかしい気がする。
「そう…ですね。」
改まって言われると琴子は恥ずかしくなった。直樹はずっと「琴子」だった。
「…琴子と呼んで下さればいいかと。」
「呼び捨て?」
さすがにそれはどうかと満太郎は思う。
「あの、私は使用人ですし。ほら、旦那様もおつねさんをおつねって呼ばれてますし。」
直樹かもしれない満太郎に「琴子」と呼んでもらえたらと願う。
「それでいいなら。」
満太郎は心の中で琴子と何度も繰り返した。何だろう、不思議なことに懐かしさを感じる。そしてぴったりとそれが心にあてはまった気がした。
ただし、そう呼ぶのは二人きりの時に限ろうと思った。二人きりの時の呼び方というのも秘密めいていて悪い気がしないと思う満太郎だった。
「それに」と満太郎は思った。きっと琴子の夫もそう呼んだに違いない。呼び方だけでも琴子の夫と肩を並べることができる。同じ呼び方を望むことくらい、亡くなった夫にも許してもらえるだろう。心の広い、よくできた男だったらしいのだから――。



漸く詰襟から解放される日が来ようとしている。未だに慣れない首周りの鬱陶しさに顔をしかめながら裕樹は夏服になる日を待ち遠しく思っていた。
戦争が終わりようやく学問に打ち込める日がやって来た。中学に入学して早くも裕樹の優秀な頭脳はクラスで一目置かれるようになっていた。このまま努力を続ければ父の跡を継ぐことができるかもしれない。
「あとは体育さえなければな。」
順調な中学生活に唯一影を落としているのが体育であった。
「ったく、GHQが体育を廃止してくれればよかったのに。」
兄に似ず運動が苦手な裕樹であった。

「お帰りなさい、裕樹。」
自宅では母紀子が笑顔で迎えてくれた。東京に戻り二か月が経とうとしていた。自宅といってもここは仮住まいであり、現在建築中の新しい住まいにいずれ移ることになっている。京城で暮らした家よりやや小さいが周囲は自然に囲まれた静かな環境は悪くない。
「裕樹のズボンが仕上がってきたから、着替えたらいらっしゃい。」
京城から命からがら逃げてきた一家であった。東京で暮らしていた家は空襲の犠牲となり、ほとんど残っているものはなかった。少しずつ必要な物を揃え始めている。それが紀子のいい気分転換になっているようでもあった。

「この裾がすぐ短くなるくらい、背が伸びるといいわね。」
「なるかなあ?」
「お兄ちゃまに似たら伸びるわ、きっと。」
部屋の隅に裕樹と紀子は揃って目をやった。その視線の先には白木の箱。裕樹が琴子から預かり日本まで持って帰った兄の遺骨がそこにある。まだ本邸が出来上がらないからという理由で納骨せずにいる。

「それは?」
テーブルの上にカラフルな絵が描かれた本を裕樹は見つけた。
「ああ、これは洋装店の方が持ってきてくれたの。」
それは女性の洋服のデザインが集められた本であった。洋装店が紀子も服を作ればと持ってきたのだという。紀子は一度目を通したのか、所々に栞が挟んであった。
「母様、女学生みたいな服を作るんだね。」
年齢よりも若く見える紀子であるが、それでも栞が挟まれている服は若すぎる気がする。
「あら何を言うの。それは私じゃなく琴子ちゃんにですよ。」
「琴子?」
「ええ。ほら、琴子ちゃんに似合うでしょう?一着に絞れなくて。」
成程、それならと裕樹は納得した。確かにどれも琴子によく似合いそうである。
「一番おしゃれしたい年頃が戦争中でもんぺばかりだったもの。明るい素敵なお洋服を着てほしいわ。」
「…そうだね。」裕樹は微笑んだ。「あいつ、そそっかしいからすぐに服を汚すだろうし。着替えに何着も必要だろうね。」
「ま、すぐそういうことを。」
紀子に睨まれるものの、裕樹は平然としている。紀子は「まったく」と笑いながら、いつも近くに置いている写真立てを手に取った。結婚した日に撮影した直樹と琴子が笑っている。

遺骨になってしまった直樹はあきらめるしかないとしても、紀子は琴子のことはあきらめきれていなかった。いつか絶対、琴子は帰ってくる。そう信じている紀子であった。
そしてそんな紀子を重樹と裕樹は優しく見守っていた。二人も琴子が生きていると信じたい。しかしあの冬の海に投げ出されて生きているだろうか。仮に船から救いだされたとしても、一人で日本まで戻って来られるだろうか。
だからといって紀子の期待を否定することは重樹と裕樹にはできなかった。琴子と離れ離れになって4カ月。もはや琴子の生存は絶望的なのでは…ならばせめて直樹と幸せになってくれるように二人の墓をと思ったこともあるが、ようやく元気を取り戻し始めた紀子にそのようなことが言えるわけがなかった。

部屋に戻った裕樹は鞄を開けて、「ああ」と頭に手をやった。同じ教科書が二冊そこに入っているではないか。掃除の時に机をぶつけて慌てて入れてしまったらしい。
「明日は小テストだったしな。」
教科書がなければ困るだろう。電話をかけてみると友人は在宅しており、裕樹に聞きたい個所もあるからこちらから出向くと言われた。が、裕樹はそれを断り悪いのは持ち帰った自分だから、こちらから出向くと伝えた。まだ紀子は完全な状態ではない。他人を家に入れて気を遣わせることは避けたかった。

友人の家は三駅離れた所であった。
「結構な家がある所だ。」
裕樹の住んでいる所もそうであるが、東京の中心から離れたこの辺りも空襲から逃れたらしく古い家が残っている静かな環境だった。
友人の家で少し勉強を教えた後、裕樹は少し遠回りをして町を見て回ることにした。大きな家が多い。いわゆるお屋敷街といったところか。その中でもひときわ大きな屋敷が裕樹の目に飛び込んできた。
「前の家を思い出すな。」
兄と琴子と三人で騒いで暮らした東京の屋敷を思い出す、そんな洋館だった。
「今度の家もこんな感じになるのかな?」
飾り付けで紀子が更に元気を取り戻してくれればと思いながら通り過ぎようとした裕樹であったが、その足が止まった。離れた場所に信じられないものを見つけたのである。
「琴子?」
思わず裕樹は身を隠した。顔だけそっと出して確認する。間違いない、洋館の門の所に立っているのは琴子だった――。









☆☆☆
「あほ子さん」が浸透して来ているのに出演させられず申し訳ありません。
隠れあほ子ファンにお詫び申し上げます。

念のために申し上げておきますが、わざと「あほ子」と打っているわけでなく、集中してキーを叩いていると左手の薬指の力が入らない時があるのか「s」キーが反応せずに「AHOKO→変換→あほ子」になるということですので。何気なく某所で以前呟いたら結構受けた方が多くて、今回もそうなったので呟いたら受けて下さった方が多くて…最高です!!




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もしかして…

琴子ちゃんは、靴磨きの少年を西垣先生に紹介してたんですね、1人ぼっちの少年を見てほっとけなかったんですね。優しいな~少年には夫婦か?って聞かれたけど、知らない人が見ても夫婦に見えるんだね。私は自分の様に嬉しいです(笑)それに、二人っきりの時だけ琴子って呼ばれて、琴子ちゃんは嬉しかったろうな~満太郎さんもまんざらじゃなさそうだし、良かったね琴子ちゃん!それから入江家の人々久しぶりの登場(笑)紀子ママ元気になって良かった~琴子ちゃんがまだ生きてるって信じて元気になったんですね。やっぱり紀子さんが元気じゃないと入江家は暗くなっちゃうもんね。そんな裕樹君は偶然琴子ちゃんを見かけましたね。もしかして…再開出来るかも?続きが気になります…

いつも楽しみにしています♪

半年ほど前にこちらの小説に出会って以降、大変楽しく読ましていただいてます。
夢中になりすぎて、家事もままならない勢いで読みふけり、とうとう過去の作品全て読破してしまいました。
いつも更新を楽しみにしています。
これからも頑張って下さいp(^^)q

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祐樹君!琴子ちゃんを、見つけたのね、よっかた。満太郎は?まだ?直樹か?わかんないね。他人のそら似でもない気がすりょね?直樹ならいいね。

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でめさん、ありがとうございます。

いえいえ、こちらこそ読んで下さってこうしてコメント下さってとても嬉しいです。
アンケートの方もありがとうございます。
母のこともお気遣いありがとうございます。
もう本当にこのコメントだけで十分嬉しいし、パワーになります!!
ありがとうございます!

ゆかりさん、ありがとうございます。

ありがとうございます!
半年も付いてきて下さって嬉しいです。過去作品全部読んで下さったなんて!!
中には恥ずかしいものもあって…きゃあ!と叫びたくなるかも。
これからもお付き合い下されば嬉しいです。ぜひお気軽にコメントも残して下さればと思います♪
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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