日々草子 永遠に君を愛す 25

永遠に君を愛す 25

「沙穂子」と打とうとしてまた「あほ子」と打ってしまった…。

☆☆☆☆☆







あっという間に満太郎の部屋は書斎へと様変わりしていた。最初は書類に目を通させて理解させる目的だったのだが、満太郎の頭脳の回転の早さ、覚えの早さは想像を超えたもので今では大泉はすっかり満太郎を信頼するようになっていた。
すぐにでも満太郎を秘書にして側に置きたいと思っていた大泉であるが、何とかそれを我慢していた。やはり記憶を失っているということと、身元が定かではないことが引っかかるのである。いずれ孫娘の婿として正式に披露する時まで待つことにした。

「満太郎様、お茶です。」
そんな満太郎を琴子は密かに心配していた。最近は寝る時間を惜しんで仕事をしている。
「少しお休みになった方がいいのでは?」とこの日も琴子は何度も繰り返した台詞を口にした。
「大丈夫だ。」
そして満太郎の返事も同じものであった。満太郎としては世話になっている分、少しでもできることをしたいという恩を返したいのである。それにこうでもしていないと自分の立ち位置が不安定でならないということもあった。
「ですが、お顔の色が最近優れないように見えます。」
「西垣先生はこの間の往診で何も問題ないと言っていたから気にすることはない。」
「でも」と心配する琴子の前で、満太郎はお茶を一気に飲み干した。お茶をゆっくり飲む暇もないのかと思いつつ、琴子はそれ以上何も言えなかった。

満太郎を心配しているのは沙穂子も同様であった。このところ夕食を終えると早々に部屋に入ってしまう満太郎である。しかし結婚して大泉家の正式な後継者となったらこれ以上忙しくなるだろう。今の忙しさも今後の幸せのために慣れておくために必要なのだと自分に言い聞かせていた。

そんな中、久々に満太郎の体が空く日がやってきた。満太郎の影ながらの尽力によりかねて手がけていた仕事が一段落したため、書類仕事からわずかの間、解放されたのである。
血圧を測る琴子の気分も明るいものであった。
「今日はゆっくりと過ごされるのでしょう?」
何気なく話題をふると、
「そうするつもりだったのだが。」
という返事である。沙穂子と外出するのだという。
「それは…」と琴子は言葉につまった。せっかくの休みなのだから読書でも昼寝で満太郎の好きなことをゆっくりとしてもらいたかったというのが琴子の本音であった。
「このところずっと一人にさせてしまったから、退屈しているだろうと思って。」
我儘を口にしない沙穂子を気遣っているようである。
「そうですね…きっとお嬢様も喜ばれることでしょう。」
琴子は笑顔を作って、「異常ありませんね、楽しい時間を過ごされることができますよ」と言った。
そう言われた満太郎であるが、本音は琴子にお茶を淹れてもらいのんびりと過ごしたかった。琴子を相手に他愛のないことを言って過ごせたらどんなにいいだろうかと思う。
その琴子の腰のあたりに付いているものに満太郎は気づいた。それは琴子が直樹からもらったあの花のブローチだった。鞄を持たなくなった今、琴子は手元に常に置いておきたくて目立たない場所につけていたのである。琴子が動いた拍子にシャツの裾が揺れて満太郎の目に見えたのだった。



「こちらの服…ううん、やはりあちらがいいわ。ああ、でもやはりこちらがいいかしら?」
琴子が部屋を訪れたとき、沙穂子は洋服を選ぶことに夢中だった。色とりどりの洋服が並ぶのを見て琴子は思わず自分の格好を見る。大泉家の雇われ看護婦として恥ずかしくないようにと女中頭のおつねより数着支給されているが、いずれもズボンであった。もんぺは卒業できたものの、沙穂子の服とはかなりかけ離れたものである。
「ああ、相原さん。満太郎さんのご様子はいかがでした?」
服を両手に持ったまま沙穂子が琴子に尋ねた。
「大丈夫です。」
「よかった。安心して出かけることができるわ。」
そして沙穂子は琴子に「どちらの服がいいかしら?」と尋ねた。琴子が右手に持っているものの方がと答えると「やっぱりね、私もそう思っていたわ」と満足そうにそれに決めた沙穂子だった。
「やはり同じくらいの年頃の人の意見は参考になるわ。」
笑う沙穂子に琴子も合わせて笑う。
「今日はね銀座まで出かけてくる予定なの。お昼も食べて来るの。満太郎さんがそうしようって。」
何でも今日の外出は満太郎から申し出たことなのだという。仕事が忙しくても自分を忘れていなかったことが嬉しいと沙穂子は琴子に話した。それを聞くと満太郎は直樹ではない、満太郎の中には沙穂子でいっぱいなのだと知らされ琴子の辛さが増した。



満太郎と沙穂子は楽しい時間を過ごしたのか、夕方になって戻って来た。夕食までの時間、今度は満太郎の部屋で話をするのだと沙穂子が嬉しそうに出向いてから一時間ほど経った頃、異変が起きた。

「相原さん!すぐ来て頂戴!」
何事かと琴子は急いで満太郎の部屋へと向かった。そこでは真っ青な顔をした満太郎を沙穂子がベッドに寝かせようとしているところだった。
「満太郎さん、お熱があるようなの。」
沙穂子の言う通り、満太郎の額は燃えるように熱かった。
「大丈夫?しっかりなさって。」
沙穂子が呼びかけても満太郎は返事をしない。苦しそうに息を吐くだけである。やがて呼ばれた西垣が到着し、満太郎の診察を始めた。

診察の間、沙穂子はいったん居間に入った。
「どうしてこんなことに?せっかく楽しい時間を過ごしていたのに…。」
満太郎の辛さを思い涙を浮かべる沙穂子に掛ける言葉が琴子にはなかった。しかし容赦のない言葉を琴子にぶつける人間がそこにいた。
「何のための看護婦なのですか。」
女中頭のおつねが琴子を叱りつけた。
「満太郎様のためにと雇ったのに、何の役にも立たない。しかもこうして満太郎様の具合が悪くなってしまって。ちゃんとご様子を見ていたのですか?」
「…申し訳ございません。」
寝不足と季節の変わり目、そして慣れない人ごみに出かけたためだろうと琴子は思った。寝不足であることを知りながら行かせたのは自分の間違いだったと琴子は悔やむ。
「もし満太郎様に万が一のことがあったら…。」
「おやめなさい、おつね!」
そのようなことを想像したくもないと沙穂子が声を荒げた。
「でもお嬢様。看護婦が付いていながらこのようなことになったことは事実です。」
「だからといって満太郎さんの不幸を考えないで。恐ろしくてたまらないわ。」
沙穂子に言われおつねはそれ以上言わなかったが琴子への攻撃はやめなかった。
「大体お嬢様のお優しさに甘えているんですよ。もっと経験のある看護婦を雇うべきでした。こんな年端もゆかない娘に大事な満太郎様を任せるなんて。」
何を言われても琴子は項垂れるしかなかった。
「相原さんが…。」
沙穂子が琴子を見た。
「満太郎さんのこと…もう少しよく見てあげてくれていたら…。」
「…申し訳ございません。」
優しい沙穂子にそう言われてしまったことは琴子の心に傷を残した。

やがて西垣が居間にやってきて診察結果を沙穂子に話した。やはり琴子の予想通り寝不足から来る疲れと人混みに酔ったことで熱を出したのだろうということだった。命に別状はないとの西垣の言葉に沙穂子は安堵した。

「琴子ちゃん。」
沙穂子とおつねが満太郎の部屋へ行った後、西垣が琴子を呼んだ。
「西垣先生、申し訳ありませんでした。私の過ちです。」
「いや、そんなことはないさ。」
西垣は琴子を慰めた。
「一緒に働いていたから琴子ちゃんのことは分かっている。琴子ちゃんは満太郎くんが疲れていることを知らないはずはない。本当は外出せずに家で過ごしてほしかったんだろ?」
「はい…でも…。」
「うん、わかるさ。お嬢様が外出を喜んでいるのを見たら止められなかった。それに血圧も体温も異常はなかったわけだしね。」
「それに満太郎くんがね」と西垣は続けた。「譫言を言ってたんだ。」
「譫言?」
「ああ。“あいつは止めたそうにしてたのに…”って。あいつって琴子ちゃんのことだろ?」
そんなことを満太郎は口にしていたのかと琴子は驚いた。
明らかにおかしかったら体を張ってでも止めるべきであるが、子供でもない人間をそこまで止めることができるわけがない。雇われ人の琴子の立場も西垣は理解していた。
「もっとも一番の原因は人混みの中を歩き回ったことだろうけどね。」
今まで静かな屋敷で暮らしていた人間が突然そんな所へ出かけたら、健康な人間だって疲れ果てると西垣は呆れていた。
だからあんまり落ち込まないで満太郎の看病をするようにと言い残し、西垣は大泉家を後にしたのだった。




この夜、沙穂子はずっと満太郎の傍についていた。もちろんおつねも一緒で琴子も看護婦ということで同じ部屋にいた。
「満太郎様…。」
名を呼びながら沙穂子は何度も満太郎の額の手拭いを取り換えた。おつねに少し休むようにと言われても沙穂子はそばを離れない。誰にも満太郎に触らせないという様子である。
それを見て琴子は看護婦として失格だと自分を責め続けていた。せっかく直樹が励ましてくれたのに。励まされて資格を取ったのに。今そこに寝ている満太郎が直樹かははっきりしないが、直樹から受けた恩を仇で返してしまった思いが強かった。

時計が午前三時を示した頃、おつねが「お願いですからお休みを」と沙穂子に強く主張した。
「満太郎様と共倒れになりますよ」と言われ沙穂子は渋々、休息を取ることに同意した。
「相原さん、お願いします。」
部屋の隅で小さくなって座っていた琴子に頼み、沙穂子はおつねに伴われ部屋へと戻った。
琴子は満太郎のベッドに近寄った。そっと額の手拭いを取ると、燃えるようにそこは熱かった。
枕元のテーブルに置かれた薬の瓶は少しも減っていなかった。目を覚ましたらすぐに飲ませるように、最低でも一回は飲ませるようにと西垣が言っていた。しかし目を覚ます気配はない。このままでは大変なことになる。
薬の瓶と満太郎の顔を交互に見た後、琴子は決意した。
蓋を開け、琴子は自分の口に薬を含ませた。そして満太郎の口へ自分の口を重ねてそれを飲ませた――。
コクンと満太郎の喉が動くのを見て琴子の顔が輝いた。もう少し飲ませねば。琴子はまた自分の口に薬を含ませ満太郎の口に重ねる。コクンと喉が動く。それを数回琴子は繰り返した。
ふと、琴子の中に何かが蘇った。前にもこういうことがあったような気がする。満太郎の唇の感触に覚えがあるような…。
「いやいや」と琴子は首を振った。直樹と口づけしたことはない。直樹以外の男とも当然ない。覚えがあるわけがない。



夜が明ける頃、沙穂子が戻って来た。
「あら?熱が少し下がったのかも。」
手拭いを取り換えた時に触れた感触が違った。
「少し安心していいのかしら?」と喜びながら、沙穂子は今度は琴子に休むように言った。自分は大丈夫だと言いたかった琴子であるがどうやら沙穂子が満太郎と二人きりになりたいらしくそれを察して部屋を出ることにした。熱が下がったことで琴子も少し安心していた。

「満太郎様?」
琴子が出て行って少しした後、満太郎の目がうっすらと開いた。
「満太郎様、おわかりですか?沙穂子です。」
「ああ…。」
「よかった!私のことがお分かりになるのね。」
沙穂子は涙を流して喜びながら、枕元の薬の瓶の中身が減っていることに気づいた。
「薬を飲まれたから熱が下がったんですわね。」
薬など飲んだ覚えはないがと満太郎は思った。
「ずっと…傍に?」
「はい。お傍におりました。」
「お嬢様は寝ずの看病をなさったんですよ。」
おつねが自慢げに言う。

ではこの唇に残っている感触は沙穂子なのだろうか?熱で苦しみ続ける中、唇に何度か温かいものが触れたような覚えがあった。それは前にもあった気がする、懐かしく甘い感触だった。
もしかして沙穂子が口移しに薬を飲ませてくれたのだろうか。尋ねるべきか迷ったが満太郎はそれをやめることにした。尋ねたら夢が壊れる気がした。
満太郎は首を動かして部屋を見回した。
「あの看護婦は?」
「部屋で休んでおりますよ。」
おつねが「看護婦のくせに」という感じで答えた。満太郎はそれを残念に思った。
だが満太郎は知らなかった。休むように言われて部屋に入っても体を横たえることをせず、ブローチを握りしめて満太郎の回復を琴子が祈り続けていたことを――。





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口移し…

満太郎は仕事を頑張ってるけど、琴子ちゃんやお嬢様が止めてるのにやり続けてて、やっとユックリ出来ると思ってるのに、お嬢様と出掛け案の定倒れてしまい、ここぞとばかりおつねに攻められて、可哀想な琴子ちゃん…でも昔入江君が琴子ちゃんにやった口移しで薬を飲ませてましたね…
琴子ちゃん気のせいじゃないよ~入江君がやってくらたんだよ~と私は叫びたいです。この後琴子ちゃんはどうなりんだろう…大泉家の人達に辞めさせられちゃうな?あのおつねが黙ってないと思う心配です。

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ムカつく!!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!

タイトルからスミマセン。
もちろん、水玉様にではないですよ。
お嬢とおつねにです!!
ほぼ不眠不休で働いた満太郎と人ごみの中出かけたのはどこのどいつだよ!
ホント、西垣先生のおっしゃる通りでずっと静かなところで静養していた人間がにぎやかなところに行ったら体調崩すのなんか当たり前です!
もし出かけるのなら、静かな公園とかでゆっくり過ごしましょうとかお嬢が言えば良かったんですよ!
それをあろうことか、我らの可愛い可愛い琴子ちゃんのせいにして!!
怒りに手が震えました。。。
し・か・も!!夜通し看病した琴子の手柄を横取りしやがって(`皿´)ムッキー!!

それにしても、直樹と琴子ちゃん看病の仕方が一緒❤
苦しんでる相手に、少しでも薬を飲ませるために口移し。。。
いいわぁ~。
満太郎がその感覚に懐かしさを感じているってことは、直樹だからなんですよね?
早く、記憶を取り戻してほしい。
そして、幸せになってほしい。
はぁ~、次も楽しみすぎる!!

水玉さん、ほどほどに頑張ってくださいね~(*^_^*)

おつね!やな感じだね⁉いつ聞いても?自分に、頭がないのに、人を、やっかむ何て?ただの⁉嫌な?人❔ただの頭の悪いやつだね。

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克己さん、ありがとうございます。

ありがとうございます!
そうそう、まさしく私の思うツボ(笑)そう感じてほしかったんですよ~!!
ワンパターンですがそんな風にハラハラドキドキしていただけたら嬉しいです。
記憶をなくす前の自分に嫉妬ってすごいと同時に切ないですよね~。
沙穂子さんは嫉妬で変わりつつあるし←これもいつものことか(笑)
琴子ちゃんは本当に一途に入江くんを思い続けていますよね!

ナッキーさん、ありがとうございます。

某所で昔呟いたあほ子さんエピが結構受けたんですよ~!!
だから今回も書いてみました。でも本当、乗ってくるとそう表示されてしまって。
でもまあ、記憶を失った素性不明の男性をここまで慕ってくれるところはいいんですけどね…。
あほ子嬢が打ちのめされる日…それはいつか来るのでしょうか?その時までお付き合いください!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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