日々草子 永遠に君を愛す 22

永遠に君を愛す 22






毎朝満太郎の部屋に行き、体温、血圧を計測して体調を確認して記録する琴子の仕事が始まって、あっという間に一週間が経った。今のところ満太郎の体調に問題はなかった。
果たして満太郎は直樹なのだろうか。それを確かめる術は琴子になかった。「あなたは入江直樹ですか」と訊ねたい気持ちを毎日押さえる日々である。
だがこんな美しい顔をした男性が他にいるとも思えなかった。痩せているものの身長も同じくらい。満州で見つけられた、その経歴だって直樹と同じではないだろうか。そのような思いに耐えて琴子は看護婦として働いていた。

そんなある日の朝のことである。
「あら?」
いつものように血圧を測っていた琴子の眉が寄せられた。本のページをめくっていた満太郎の手が止まり、その目が琴子をとらえた。
「おかしいな。」
満太郎の視線に気づかないで琴子は空気を入れ続けている。
「…ちょっと。」
「あれれ?」
「…おい。」
「うーん、変だなあ。」
「…腕の色が変わってきているんだけど。」
「脈の音がしない…。」
「見ろよ、おい!」
口数の少ない満太郎の怒声に琴子は「え!?」とその腕に目を落とした。
「キャア!!何でこんなことに!」」
満太郎の腕はパンパンに膨れ変色していた。慌てて琴子はカフを外した。
「すみません、もう一度やってみます。」
「患者の言葉に耳を傾けてくれないか?」
「はい、気をつけます。」
謝りながら琴子は、初めて満太郎と会話らしいものを交わしたことに気付いた。これまでは血圧を測ります、体温をお願いしますと琴子が一方的に話すだけで、体調の変化を尋ねても「特には」と素っ気ない回答が満太郎から返ってくるのみだった。
―― 直樹坊ちゃんと言い方も似ている。
やはり直樹なのだろうか。でもまだ確定はできない。
それにしてもこれまで正常に測定できていたのにおかしいと思いつつ、琴子はもう一度カフを満太郎の腕に巻いた。

「…あの、何か体調に変化はありますか?」
やはり脈の音が聞こえなかった。体調が悪くてこうなるのだろうか。琴子は満太郎の顔を見た。
「何もない。」
「そうですか。おかしいなあ?」
シュポシュポと空気を入れ続ける琴子であるが、やはり脈の音が聞こえてこない。
「何がおかしいと?」
「脈の音が聞こえないのです。念のために西垣先生に来て頂いて診察してもらった方が」と琴子が話す途中で満太郎がカフをベリッとはがした。一体何をするのだと琴子が目を丸くしていると、満太郎は中から聴診器を出した。
「これって、こうやって入れるものなわけ?」
「あ…。」
忽ち琴子の顔が真っ赤になった。何と聴診器が裏返しに入っていたのである。
「すみません、本当にすみません!」
一週間が経ち慣れから油断してしまったのかもしれない。いや満太郎が直樹なのかそのことで頭がいっぱいでこのような学生でもしない失敗をしてしまった。看護婦失格である。

頭を下げる琴子の上で「ぷっ」という声が聞こえた。恐る恐る顔を上げると満太郎が手を口に当て笑いを堪えている。
「…笑うんだ。」
「は?」
途端に満太郎の表情が元の気難しいものになってしまった。
「いえ。満太郎様も笑われることがあるんだなと。」
「…初めてかもしれない。」
「初めて?」
「思わず、心から笑ってしまったのはこの家に来て初めてかもしれない。」
笑うことも忘れるほど過酷な経験をしてきたのだと琴子は満太郎の心に同情を寄せた。
しかし満太郎はそういう意味で口にしたわけではなかった。記憶を失いこの大泉家では本当によくしてもらっている。何処の何者かも分からないというのに主人の家族待遇である。しかしいつもどこかしら緊張をしながら暮らしているので心からくつろいだことはなかった。当主や沙穂子との会話で笑顔を見せることはあるものの気を遣って笑顔を作っているという方がふさわしかった。
なので、こうしてつい笑いを洩らしたということは久々のことだったのである。

「あんた、本当に看護婦か?」
「あんた」という呼ばれ方に琴子は胸の痛みを覚えた。いつも直樹からは「琴子」「お前」だった。
「はい、そうです。」そして琴子は続けた。「あの、お疑いならば免許を見せますけど。」
「いや、そこまでしなくても。」
一生懸命な琴子にまたもや満太郎の口元が可笑しそうに動いた。
「そうですか…でも見たくなったらどうぞご遠慮なく仰って下さいね。」
真面目な琴子の言葉に満太郎が堪え切れず声を立てて笑った。それを見た琴子もつられて笑った。



満太郎の存在を知って琴子は入江家にあてて電報を打つことをしばし待つことにした。入江家が自分の無事をどれほど心配しているかは想像できたのだが、それを知らせるとすぐに自分たちの元へ来るようにと言うだろう。それは本当にありがたいことであるが、このまま満太郎と離れることは琴子には辛かった。直樹とそっくりの男性だということが明らかになればそのようなことはないが、もしかしたら直樹かもしれない。それをはっきりさせるまで、琴子は入江家に心の中で謝りつつ、ここで働くことに決めたのだった。



看護婦として雇われた琴子であるが、仕事は看護婦としての仕事以外にもあった。というより琴子自らそうすることを希望した、いやせざるを得なかったというべきか。
「ではよろしくお願いしますね。」
女中頭のおつねが琴子に押し付けたのは洗ったばかりの洗濯物である。そのカゴを抱え琴子は干し場へと向った。
「寒いなあ…。」
京城ほどではないにしろ、二月の東京も寒かった。北風が容赦なく琴子に吹き付ける。琴子は手に息を吐きながら洗濯物を干していった。
看護婦としての仕事はほとんどないも同然であった。満太郎の健康管理は朝の一時で終わってしまう。満太郎は動けないわけではないので清拭なども不要。自然と琴子は何か手伝いをと申し出た。そうなると待っていたかのようにおつねが女中の仕事を琴子へ分けるようになった。どうもおつねは自分を警戒しているようだった。



「相原さん、今いいかしら?」
洗濯物を干し終えた琴子を沙穂子が探していた。沙穂子の祖父である大泉が少し眩暈がすると訴えたのだという。
「元々血圧が高いから心配で。」
琴子は部屋に戻り血圧計を手に大泉の書斎へと向った。

貿易を中心に幅広く商売をしている大泉は好々爺という呼び方がぴったりの人物であった。琴子が最初に挨拶をした時も「おうおう、よろしく頼むよ」と大らかに言ってくれた。
今度は琴子は緊張することもなく血圧を測ることができた。
「少し高いようです。」
「やっぱり。おじい様、この所忙しすぎたんですわ。」
すぐに寝室へと勧める沙穂子に大泉は首を横に振り「大丈夫」と繰り返す。
「ねえ相原さん。少し休んだ方がいいでしょう?」
「ええ、その方がよろしいかと。」
「ほうら、看護婦さんが言っているんですから。」
可愛い孫にそれ以上逆らえず、大泉は少し休むことに同意した。

「その前に、聞きたいことがあるのだが。」
大泉は琴子を見た。
「満太郎くんの調子はどうだろうか。」
「特に問題はないようです。お元気でいらっしゃいます。」
「ならば」と大泉は切り出す。「満太郎くんに仕事関係の書類などを読ませても大丈夫ということか?」
「お仕事関係の書類ですか?」
「ああ。そろそろ仕事を覚えてもらおうかと。一度に全部とは言わないが少しずつ覚えてもらわないと。沙穂子の婿になってもらうためにもな。」
「ま、おじい様ったら。」
沙穂子が頬を染める。それを琴子は複雑な心境で見る。沙穂子の婿になる…満太郎が…。
「どうだろうか?」
大泉に問われ琴子は気持ちを切り替えた。
「大丈夫だと思います。」
「そうか。ならば沙穂子、秘書に言ってこの書類を満太郎くんに届けさせてくれ。」
「分かりました。おじい様は寝室へ。」
「分かった、分かったからやれやれ看護婦よりも孫の方が恐ろしい。」
「おじい様ったら。」
騒ぐ二人をそのままに琴子は書斎を後にした。本当に大泉は満太郎を孫婿にするつもりなのだ。
「泣いちゃだめ…あの人が直樹坊ちゃんだと決まったわけではないのだから。」
自分に何度も言い聞かせる。
血圧測定を間違えた時だって、直樹であれば怒鳴っていた。「それでも看護婦か!」「このばあか!」と怒鳴っていたに違いない。そうしないのはやはり彼は満太郎であって直樹ではないのか。

自室に戻って琴子は古ぼけた肩掛け鞄を開けた。大事な手紙を取り出す。
―― 琴子、永遠に君を愛す。
この言葉はもう過去のものになってしまったのだろうか。堪えていた涙を琴子は零した。




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う~む・・・。

満太郎(直樹)の記憶、早く戻らないかなぁ。
琴子の前で心から笑えるって、すごく意味のあることですよね。
早く幸せな琴子ちゃんが見たい!
でも、記憶が戻ったら・・・。
修羅場が目に浮かぶ(笑)

水玉様、連日の更新ありがとうございます!
続き、楽しみに待ってます~(*^^)v

複雑な気持ち…

今晩は~連日の更新ご苦労様です(*^_^*)
今日の話は…
一生懸命看護婦さんをやってる琴子ちゃん…何回見ても満太郎は入江君に似てて、緊張していますね…血圧を計るのに、間違えるし、なんか琴子ちゃんが可愛いですね…でも満太郎は沙穂子お嬢様と結婚にって、話が出てて琴子ちゃんが可哀想です。早く記憶が戻ると良いね、琴子ちゃんを笑顔にして欲しいです。

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うううー。辛すぎます。琴子ちゃんの記憶喪失は直樹の苦しみですが、今回は琴子ちゃんの苦しみ(涙)琴子ちゃんファンとしては辛すぎます(笑)

いつも楽しいお話をありがとうございます。通勤電車で絶賛妄想中です(笑)

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タカコさん、ありがとうございます。

私も琴子ちゃんファンなので琴子ちゃんの苦しみを描くのは本当に辛く…←どの口が?
でも琴子ちゃんの辛さの方が感情移入できるんですよね。
続きを妄想していただけて嬉しいです!!どんどん妄想してもらえるよう頑張りますね!

tomokoreikoさん、ありがとうございます。

ああ~大泉でそんな覚悟まで(笑)
ブローチを心の支えに頑張ってほしいですよね。まさかの大泉家ですし。
tomokoreikoさんも一緒に耐えてくれると分かれば琴子ちゃんも心強いでしょう!
そうそう、籍が入っていないことがどう出るか。
永遠に君を愛すの言葉を胸に耐えて頑張れ、琴子ちゃん!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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