日々草子 永遠に君を愛す 20

永遠に君を愛す 20







「さて、これからどうするかな…。」
全財産である鞄を抱え、琴子は石段に座って考えた。
東京から佐賀まであの混乱に立ち向かって行けるかと考えたら、それは無理だと思う。何より汽車賃がない。紀子たちに無事を伝えようと電報を打とうかとも考えたが、佐賀の実家もどうなっているか分からない。紀子たちはともかく入江家の血を引いていない自分が紀子の実家に甘えていいのかいう迷いもある。
ならば東京でしばらく働こうと琴子は思った。その方が一人になっても生きていけるようにと考えてくれた直樹の思いに応えることになるのではないだろうか。

と、そこまで考えた時だった。
「オジョウサン、オジョウサン。」
片言の日本語に琴子は顔を上げた。すぐ間近に青い目の男が迫っていた。
「イクラ?」
「いくら?いくらはここに入ってませんけど?」
いくらが食べたいのかと思いそう返した琴子であったが、軍服を着た青い目の男は「No」と首を横に振る。そして琴子を指さし「イクラ?」と繰り返す。
「どういうこと?私はいくらじゃなくて…。」
懸命に説明しようとする琴子だったが、男はせっかちなのかその手を引っ張った。
「え!いくらを売ってる場所なんて知らない!」
「イクラ…ハウマッチ?」
「いくらとはまち?お寿司が食べたいってこと?お寿司屋さんは分かりません。」
しかし「No No」と男は言うばかりで、琴子の言葉など無視してその手を引っ張って行こうとする。
「待って!」
と、男に抗っていた琴子の体がドンと突き飛ばされた。一体何事かと琴子は目をパチクリとさせる。
「あたしの客、取るんじゃないわよ。」
濃い化粧に派手な格好をした日本人の女が琴子を睨みつけていた。
「客?」
「後から入って来ようなんて甘いって言ってるの。」
と琴子に吐き捨てると女は表情を一変させ「OK、OK」と男に笑顔を見せる。そして二人でどこかへ行ってしまった。
「何なの、あれ?」と琴子は立ち上がる。と、よく見ると先程の女と似た格好をした女があちこちに立っているではないか。しかもこれまた先程と同じ、青い目の男―アメリカ人と親しげにしている。

「…あんまり見るんじゃないよ。」
「え?」
興味深く見ていた琴子に通りかかった中年女が耳打ちした。
「あいつら、体売っているんだから。」
「え!?」
ということは自分もそういう風に見られたということか。ショックを受ける琴子に、
「若い女を見るとそうしてくれるって向こうも思ってるのさ、気にしなさんな。」
と気のいい女は肩を叩いてくれた。それでも琴子のショックは消えなかった。

やがて落ち着いた後、彼女たちもああして生きることに一生懸命なのだと琴子は気付いた。自分だって看護婦になっていなかったら、もしかしたらああなってしまったかもしれない。
「もっともあたしじゃ誰も相手にしてくれないだろうけど。」
自嘲して琴子は、取りあえず病院を片っ端から当たって見ようと決意した。



ところがどこの病院も琴子を雇ってくれなかった。
「看護婦はもう間に合っていて。」
「医者だったら…。」
戦地へ行って帰って来ない男たちと違い、女は足りているのだという。申し訳なさそうに言ってくれる病院もあれば、「もう勘弁してくれ」と断ることに疲れている病院もあった。
「免許があっても働けないなんて…。」
このままでは日が暮れてしまう。寝る所もどうすればいいのか。
しかし落ち込んでいる暇はない。たくましく生きていかねば。看護婦は無理でも他の仕事でもと言ってみようと、琴子は次の病院を探し始めた。

「悪いけれど看護婦はもう十分いるから。」
「そうですか…。」
今まで回った病院の中で一番大きなそこでも琴子は断られてしまった。だが大きさにしては事務員の態度が丁寧だったことで琴子は救われた。
もう夕方だった。今日はこの病院が最後になりそうだった。泊る場所を今度は探さねばいけない。闇市の値段を考えると一体いくらかかることになるのか。

奇跡的に空襲で焼け残ったと思われるその病院は建物から門まで少し距離があった。琴子はそこをトボトボと歩いた。その傍を車が通り過ぎて行く。
「ここってお金持ちの患者さんが多いのかしら?」
敷地内に車の出入りが多い所であった。
「だとしたら、この格好で断られたのかも。」
着たきりすずめの琴子である。
「どうしようかなあ…」と夕暮れの空を仰ぐ琴子の肩がポンと叩かれた。こんな立派な病院にまでひったくりが?咄嗟に鞄を胸に抱え防御の姿勢を取り、恐る恐る振り返った琴子の目が驚きで大きくなった。
「やっぱり琴子ちゃん!」
「西垣先生!!」
京城の診療所で共に働いていた医師の西垣が見覚えのある笑顔で琴子を見ていた。



「先生、ご無事だったんですね。」
病院の庭に置かれたベンチに二人は座った。
「琴子ちゃんこそ。」
西垣は昨年の10月に引き揚げてきたのだという。
「…結構苦労しているみたいだね。」西垣は琴子の様子を観察して言った。「といっても、苦労してない人間なんて今のこの国にはいないけど。」
琴子は西垣に問われるまま、家族と離れてしまったこと、一人で何とか日本に帰りついたことを話した。
「苦労なんてもんじゃないね。よく生きていたって思うよ。」
「看護婦免許のおかげです。」
「うん、それもそうだろうけど。」西垣は笑った。「きっとさ、旦那さんが守ってくれたんだね。そして琴子ちゃんの普段の行いの良さを神様が見ていてくれたんだよ。」
それを聞いた琴子の目からポロリと涙が零れた。
「ごめんなさい…何かホッとしちゃって。」
久しぶりに受けた優しさだった。知っている顔に会えたことの安堵もあっただろう。

しかし西垣に聞いてもやはり看護婦の空きはないとのことだった。
「力になれなくて…。」
「いえ、そんな。」
西垣のせいではないと琴子は言った。と、また車が二人の前を過ぎて行った。
「こちらってお金持ちの患者さんが多いのですか?」
「まあね。金持ちから寄付を募って建てられた病院らしいから…。」
と話しかけた西垣の口が止まった。
「先生?」
「…琴子ちゃん、ちょっと待ってて!と、ちょうどよかった!」
西垣は通りかかった背広の男を「おい!」と呼びとめ走っていく。一体どうしたのかと琴子は西垣を見ていた。
西垣は男と何か話していた。と思ったら白衣を翻してすぐに戻って来た。
「琴子ちゃん、君、泊る所とかは?」
「いえ、まだ…。」
「家もないんだよね?」
「はい。」
「それじゃあさ、住み込みでも大丈夫ってこと?」
「住み込み?」
それは願ってもないことであるが一体どういうことだろうか。
「琴子ちゃんにぴったりの仕事があるんだよ!」
「本当ですか!」

またベンチに座ると西垣が説明を始めた。
「さっきも話した通り、この病院は資産家たちから寄付を集めて建てられた病院なんだ。で、そのうちの一人、というか一番の資産家がちょうど住み込みの看護婦を探していてね。」
「住み込みの看護婦…。」
「ああ。琴子ちゃん、どう?」
「ぜひお願いします!」と張り切って返事をした琴子であるがすぐに不安な顔になった。
「でもそんな資産家のお宅に私が行っても?」
「いやいや琴子ちゃんならば僕が自信を持って推薦するさ。」
西垣が力強く頷いた。
「琴子ちゃんは育ちもいいしね。礼儀正しいし優しいし明るい。大丈夫。」
そこまで買いかぶられていいのだろうかと琴子は不安になったが、そんないい話を逃したらもう後がない。
「よし、話は決まった。それじゃあとは今夜の宿だね。」西垣は立ち上がった。「僕の部屋に泊めてあげてもいいけど…というのは冗談で。」
思わず琴子はクスッと笑った。
「事務長に事情を話して、どこか空いている部屋にでも泊めてもらえるようにしよう。」
「ありがとうございます。何とお礼を言っていいか。」
「やっぱりさ、琴子ちゃんには神様と旦那さんがついていてくれているんだよ。」
「そうかもしれません。」琴子は笑って言った。「西垣先生のような方と知り合えたことも神様と…見守ってくれている主人のおかげです、きっと。」
「…本当にいい子だね、琴子ちゃんは。」
西垣の言葉に琴子は頭を下げたのだった。



琴子が資産家の家へ行くことになったのはそれから三日後のことだった。先方の都合が悪かったのである。その間、琴子は着ていた物を洗濯した。少しでも身綺麗にして挨拶をしたかった。
ところが当日、一緒に行くはずの西垣は急患のため付き添えなくなってしまった。故に琴子が一人で先方の家へ出向くことになった。
教えられた住所は東京の中心から少し離れた、木々の多い静かな場所だった。
「桜かな?」
木を見上げながら琴子は思った。春になったらどれほど見事だろうか。桜の花を見たらきっと日本に帰ってきたという実感が湧くだろう。空襲で焼けなくてよかったと思いながら歩いて行く。やがて目当ての屋敷が見つかった。
「大きい!」
かつての入江家ほどではないが、それでもこの辺りではかなり目立つ大きさの洋館だった。
「大丈夫かしら…?」
このような立派な家に自分は雇ってもらえるのだろうか。不安を覚えながら琴子は表札を確認する。太く力強い筆文字で『大泉』とそこに書かれているのを見て、琴子は門をくぐった。



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良かったね~でも…

こんにちは~更新待ってました(*^_^*)今日のお話は…一生懸命病院巡りしている琴子ちゃん…中々見つからないですね。そんな時に出た~西垣先生(笑)西垣先生も無事だったんですね。この話では西垣先生は良い人です(笑)落ち込んでる琴子ちゃんを励ましたり、最後は仕事先を見つけてくれたし、本当に良い人です…でも行った先は大泉家…私はいつ、大泉家が出てくるのかと思ってました。まだまだ琴子ちゃんは、苦労が絶えなさそうですね?
頑張れ!琴子ちゃん、西垣先生が言ってたよね?入江君が見守ってくれるって、私も同感です

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本当に、琴子ちゃんは、いい子ですね、大泉、大丈夫なのかな?琴子ちゃん、苦労しそうですね、入江君k、神様、琴子ちゃんを、見守って、上げてください。

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ぷりんさん、ありがとうございます。

無事でした!
本当に一人で頑張って戻ってきて…さらなる試練という感じです!
もうこの家で何も起こらないわけがないし(笑)
頑張って続きを書きますね!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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