日々草子 永遠に君を愛す 18

永遠に君を愛す 18







終戦で京城の様子ははっきりと変わった。
琴子の勤務していた診療所は慌ただしく閉鎖された。重樹の会社、入江商会の京城支社も閉鎖となった。
食べる物に困る日本人が続出しているという噂が届いたが、入江家は恵まれた方であった。
終戦前より地元の人間との関係を大切に、日本人に接すると同じように接していた重樹と紀子の人徳からこっそりと食べ物を運んでくれる者たちがいたのである。

そして重樹は内密に動き回っていた。これまで商売を成功させてきただけに時代の先を読んでおり、いつかこういう日のためにと築き上げていたコネを利用し始めていた。
その効果が出たのは年が明けた昭和21年1月であった。

「ようやく手に入ったぞ。」
重樹の手には京城から釜山までの切符が握られていた。
「これで釜山から船に乗って日本へ帰ろう。」
何と出発は明日とのことだった。既に荷物の準備はできているが慌ただしいことは変わりなかった。
長年住み慣れた家を離れる寂しさを噛みしめる余裕は一家になかった。襲われないよう目立たない格好をする。
「これは内側に付けておいた方がいいわね。」
いつも使っていた肩掛けカバンの蓋の裏側に琴子は直樹からのブローチを付けた。子供のお小遣いで買ったものとはいえキラキラ光る物は狙われるだろう。

「直樹坊ちゃんは私がお連れしてもいいでしょうか?」
いざ出発という時、琴子が重樹に訊ねた。
「大丈夫かい?」
「はい。しっかりとお連れします。」
自分が連れて行こうと思っていた重樹であるが琴子の気持ちを慮り頷いた。それを見て琴子は白布の輪を首に通した。何があっても直樹だけは守ろうと決意した。

駅から出発した列車は恐ろしいほどの混雑ぶりであった。文字通りギューギュー詰め、芋洗い状態である。当然立ちっ放し。
「おい琴子、大丈夫か?」
人混みの中から裕樹が琴子を気遣う。
「大丈夫です。」
つぶされないよう琴子はしっかりと白木の箱を守っていた。何としてでも日本に連れ帰れねば。それだけが琴子の願いだった。

港のある釜山に到着したのは何時間経っていたか。しかし満員列車から解放された疲れを癒す暇はなかった。一刻も早く船に乗らねばならない。
「よし、全員いるな。」
重樹が確認して船へと歩き始める。
「おば様、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、琴子ちゃんこそ。」
「私は大丈夫です。」
紀子と琴子は手を繋いで重樹、裕樹の後に続いた。

船は意外と大きかった。「漁船かと思ったけど…」と紀子が呟くのが聞こえた。確かに漁船で引き上げて行く者も多いと琴子は聞いていただけに少し安堵した。が、緊張は高まった。
「直樹坊ちゃん」と琴子は鞄の蓋、ブローチがついている個所に手をやった。自分たちを守ってほしい、その願いを琴子はブローチに込めた。

船の中も芋洗い状態であった。横になる場所もないほどである。それでも琴子は紀子のために少しでも空間を取った。そして自分は直樹の遺骨を抱えるように座った。
出港の合図が鳴り、船が出る気配がした。乗船客が皆、ホッとする様子が手に取るように伝わった。もう大丈夫、後は日本、博多の到着するのを待つのみ――。

ところが、そうはいかなかった。
船が出て一時間ほど経った頃だろうか。突然起きたドカンという衝撃音でウトウトしていた乗船客たちの目が覚めた。
「何だ、一体!」
ざわつく船内。
「あなた…。」
紀子は不安な気持ちで重樹を見た。
「琴子…。」
「裕樹坊ちゃん…。」
琴子と裕樹も身を寄せる。様子を見に行きたくても動くことができない。
やがて船が大きく傾いた。と同時に誰かが叫んだ。
「魚雷にぶつかった!!」

「そんな…戦争は終わってもう爆撃の心配はないと思っていたのに。」
紀子が真っ青になった。
「魚雷はまだたくさん残っているからな…。」
海には戦時中に発射された魚雷が残っている。どうやらそれに当たってしまったらしい。

たちまち船中は修羅場と化した。赤ん坊の泣き声、女の悲鳴、男たちの怒声が溢れだす。皆一斉に助けを求めようと甲板を目指し始めた。
重樹たちも助かるために行動を起こした。甲板目指して人混みの中を進む。
「皆、手を離すな!」
重樹が怒鳴った。ここではぐれたらおしまいである。

甲板は船室よりもひどかった。皆が押し合い自分が生き残ろうと鬼の形相だった。しかしその中で重樹は冷静さと保とうとしていた。ここで混乱に乗じてしまったら見えるものも見えなくなる。
その甲斐あって、重樹は救命ボートに空きを見つけた。
「さ、紀子、琴子ちゃんも。」
「いえ、先に裕樹坊ちゃんを。」
紀子と裕樹が先に乗り込んだ。次に琴子は強引に重樹を押し込んだ。とにかく重樹がいなければ動けなくなる。

「琴子ちゃん、早く!」
「今行きます!」
直樹の遺骨を抱えた琴子が救命ボートに乗り込もうとした時であった。
「あたしが先よ!」
ドンという衝撃と共に琴子は突き飛ばされた。
「てめえ、何をしやがる!!」
裕樹の怒声が聞こえ、琴子は立ち上がってボートを見下ろした。琴子が座る筈の隙間に若い女が乗り込んでいた。それは見覚えのある女だった。
「ちょっと、うちの娘の分なのよ!」
「何するんだ!!」
この女が乗ったら琴子の隙間はない。しかし女は重樹たちの抗議を無視することを決め込んだらしく顔を背けていた。その顔を見て重樹たちはハッとなった。
「お前…兄様と見合いした女!!」
琴子を突き飛ばしてボートに乗り込んだのは羽崎多音子であった。

「てめえ、降りろ!今すぐ降りろ!」
裕樹が立ちあがって多音子の肩を掴んだ。
「乱暴はやめなさい!」
と裕樹を止めているのはこちらも見覚えのある顔、多音子の乳母である。
「おい、動くな!」
「降りたいならさっさと降りろ!」
裕樹が動くことでボートが不安定になる。乗客たちが非難の声を上げ始めた。
「裕樹坊ちゃん!」
琴子の声に裕樹が顔を上げた。琴子は首から急いで直樹の遺骨を下ろすと裕樹へと渡した。
「直樹坊ちゃんをお願いします!」
「おい、琴子!」
「ボートを下ろすぞ!」
「待って、琴子ちゃんが!」
紀子が悲鳴を上げた。
「琴子ちゃん!」
重樹も叫ぶ。
「琴子!おい!」
裕樹の叫び声を最後にボートは下ろされていった。

「琴子ちゃん、そんな!私も、私も船に残ります!」
立ち上がろうとする紀子に「動くなって言ってるだろうが!」という怒鳴り声がぶつけられる。
「紀子!」と重樹が紀子の体を押さえつけた。このままでは紀子までも海に突き落とされる。裕樹は兄の遺骨を抱えたまま、多音子を睨みつけていた。

「ああ!!」
紀子の悲痛な叫びが響いた。引揚げ船が大きく傾いたのである。
「船が沈む…琴子ちゃん!!琴子ちゃん!!」
こんなに時間をおかずに沈んだら…他の救命ボートを探す暇が琴子にあるわけがない。
「琴子ちゃん、琴子ちゃん!!」
何度も紀子は叫んだ。重樹は紀子の体を抱いて沈む船を見つめる。叫びたくても声が出ない。
「琴子ー!!」
裕樹が声を枯らさんばかりに叫ぶ中、船体はゆっくりと真冬の海へと沈んで行った。





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No~!!

水玉様、連日の更新ありがとうございます!
ちょっと時間が出来たので覗きに来たら更新されてたので
大喜びで読んでいたら・・・。
何てこと!琴子ちゃん大ピンチ!!
しかもよりにもよって、クソ性悪女(←オリキャラをスミマセン)
のせいで!!
思わずわたしも裕樹と一緒に『降りろ、てめえ!!』と叫んで
しまいました(笑)
琴子ちゃんどうなっちゃうんですか?
無事ですよね?
生きてますよね?
琴子ちゃん、直樹、入江家の皆様の今後がすっごく気になります!!
続きが楽しみで楽しみで。
完全に『日々草子&チラシ裏依存症』です(笑)
とりあえず、琴子ちゃん、直樹頑張れ~!!

そんな…

連日の更新ありがとうございます。今日の話は…大変な事に!琴子ちゃん達が乗った船が沈みかけてるのに、出た~あの最低で嫌な女が意地悪したせいで、琴子ちゃんが…船と一緒に沈んじゃうなんて…死んでないよね?琴子ちゃんは根性があるから大丈夫だよね?続きが凄く気になります。

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きゃー!琴子ちゃん?どうなるの、入江君、金持ちの、娘でも、息子でも、❓本当に、いやなやつ、そこまでして、助かりたい!

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六華さん、ありがとうございます。

いえいえ、そこまで憎んでいただけるためにオリキャラにしたものですから。
一緒に叫んでいただけて嬉しいです。
琴子ちゃん、大ピンチです。
ちょっと急ぎすぎたかなと思ったのですが楽しんでいただけて何よりです。
依存症なんて嬉しいことを!ありがとうございます!

さなさん、ありがとうございます。

そうそう、あの意地悪な女のせいで琴子ちゃんが危険なことに。
どんどん琴子ちゃんばかりが苦労する展開ですみません。
確かに、琴子ちゃんは根性があるから大丈夫です!

ぷりんさん、ありがとうございます。

いいです、いいです。その叫び(笑)
あいつ呼ばわりされればいいと思いながら書いていたのでぷりんさんの叫びが嬉しいです。ありがとうございます!

こっこ(*^^*)さん、ありがとうございます。

琴子ちゃんまでも白木の箱になりそうな勢いですもんね。
そうなんです、琴子ちゃんの優しさが…自分を危険な目に陥らせることに。
でも重樹を優先させる気持ちも分かる気がします。重樹は大事な入江家の司令塔ですし。
夜勤、頑張って下さい!

Yunさん、ありがとうございます。

不幸のジェットコースター(笑)確か不幸のエスカレーターだったはず(笑)
そうなんですここで出てきましたあの見合い女(笑)
忘れた頃にやってきましたよ~。
琴子ちゃんは今までの行為から考えて助かる筈!そうです、幸運の女神は見捨てませんとも。

おばっちさん、ありがとうございます。

そうなんです、直樹坊ちゃんだけではなく琴子ちゃんまで…。
やっと戦争は終わったというのにこんなことってあるでしょうかという展開です。
どうぞ二人の無事を祈ってあげて下さいね。

ユメコさん、ありがとうございます。

最初がゆっくりだったので途中で飽きる方が多かったのではと心配だったので、続きがとても気になるとのお言葉嬉しいです。
入江くんと再会…まさかあの世でということは考えたくありませんが。
琴子ちゃんの無事を祈りたいと思います。

なおちゃんさん、ありがとうございます。

本当にそこまでして助かりたいか!って言いたいところですよね。
とことん嫌な女なので叫んでいただけて嬉しかったです、ありがとうございます。

よしぴぃさん、ありがとうございます。

そうなんですよね。外にいた日本人の引き揚げは本当に大変だったそうで…大変とかいう言葉で片付けられないほどだったみたいですね。
家族全員で帰るぞと言った次の話でもうこんな展開で申し訳ないです。
そして(#`皿´) のマーク、すごく嬉しかったです(笑)そうそう、そう叫んでほしくて作り上げたオリキャラだもんで。
よしぴぃさんのムンクが見たいですよ(笑)
不幸のジェットコースター、順番待ち(笑)いやさすがに乗り込みました!そうですね…トントントンと最初の坂を上ってキャーッと下ったところかな?

佑さん、ありがとうございます。

お!読んで下さっていたんですね。ありがとうございます!
しかし最後の「あの女、沈んだらええねん!!!」は爆笑です!!!!!
うーん、今回もどうやら佑さんからは「もう無理」は聞けそうもありませんね。やっぱ琴子ちゃんの操が危機に陥ってないからですか?(笑)

sanaさん、ありがとうございます。

ますますかわいそう…その言葉が私をどれほど喜ばせているか(笑)嬉しいです。
再会できる日が来るといいですね。
sanaさんにドキドキしてもらいながら続きを読んでもらえるよう頑張ります!

ソウさん、ありがとうございます。

お忙しい中のコメントありがとうございます!
悲鳴を聞くとソウさんも笑うタイプだったんですね(笑)
私もどれほど悲鳴をいただけるか頑張っておりますが…さすがに先に入江くんチーンだったので琴子ちゃんチーンはどうなんだと皆さまも思ってらっしゃるのか(笑)
重雄さんチーンから入江くんチーン、とどめに琴子ちゃんチーンですがいかがでしょう?
私もこんなにチーンチーン鳴らすとは思ってもおらず(笑)
入江くんチーンの次に琴子ちゃんチーンだもんで、ちょっとスピード早すぎるとは思ったのですが…そこはまだ勉強中です。
大陸ならず半島の愛ですがいよいよ日本上陸させます!

kazigonさん、ありがとうございます。

そうです、どうぞ多音子に怒りをぶつけて下さい。そのためのキャラなものですから(笑)
琴子ちゃんのピンチ、どう乗り切るか楽しんでいただけたらと思います!

ナッキーさん、ありがとうございます。

私もタイタニック浮かべました。
とてもあの情景を文章にはできませんでしたけど。
そんでもって、ローズはボートから戻ってくるんですよね。飛んで(笑)私あのシーンが一番驚きましたよ。
やるな、お嬢様って感じで。

紀子ママさん、ありがとうございます。

読んで下さっていたんですね!!嬉しいです。
そうなんですよね、帰国できたことが運がいいとしかいえない苦労でしたもんね…。
私もこれを書くにあたって引揚げの様子を調べたくて色々読んでみたのですが…言葉を失うばかりでした。
そして多音子、とうとうゴキブリになりましたね。地球が滅びても生きている、うんそう思います。
天女のように琴子ちゃんが昇って行かなければいいけれど…。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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