日々草子 永遠に君を愛す 17

永遠に君を愛す 17

続きを待っているとコメントして下さった皆様、お待たせして申し訳ありませんでした。
コメディ調のお話を書くことでようやく続きに取りかかるテンションにできたのでお届けいたします。

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「…琴子ちゃんか。」
静かに襖を開けたつもりであったが、重樹は気配で察知したらしい。
「ごめんなさい。お邪魔するつもりでは…。」
「いやいや」と重樹は笑顔を琴子に向けた。が、その目は沈んだままであった。
「…母さんは?」
「…今日も何も召し上がらずに。」
「そうか。」
そう話す重樹の前に酒が置かれていることに琴子は気付いた。
「ああ、これかい?」
と琴子の視線に気づいた重樹が白い盃を軽く持ち上げた。
「…直樹とあまり飲むことがなかったなと思ってね。」
酒の向こうには白い布で包まれた白木の箱箱が置かれていた。戦死公報が来てから間もなく届いた―直樹の遺骨であった。

満州の、直樹のいた軍病院が攻撃されたのだと説明があった。誰が誰だかも分からないほどの爆撃の大きさだったという。そのような状況でなぜ直樹かと分かったかというと、傍らに落ちていたお守り袋からだった。
「細君が作られたというお守り袋を軍医殿はそれは大切にされていたのを見てましたので。」
琴子が作ったお守りが身元を確定する決定打となったのだった。

「琴子ちゃんには申し訳ないね。一番辛いのは琴子ちゃんだというのに。」
「いえ、そんな。」
自分よりも産み育ててきた重樹、紀子、そして大好きな兄を失った裕樹の悲しみの深さは琴子に量り知れなかった。
直樹の葬儀は戦時中も羽振りのよい入江家の長男ということもあり名誉の戦死だと周囲が大きなものにしようと騒いだ。が、重樹は今はそういうことに手をかける場合じゃないと言い訳をつけ、家族だけの質素なものとした。

琴子は悲しみに浸る間もなかった。紀子と裕樹の状態が気がかりだったのである。
紀子はずっと伏せったままで食べることもしていなかった。それでも琴子を気遣う優しさは忘れず「ごめんなさい、琴子ちゃん」と琴子が顔を見せるたびに繰り返す。
裕樹は部屋に籠ったままで時折出てくるとその目は腫れているまま。家族と言葉を交わすこともなかった。
このような様子だから自分がしっかりしなければと琴子は気を奮い立たせて家中を動き回っていた。重樹はそういう琴子を見るのが辛く申し訳なかった。

「墓は内地…東京に作ってやりたいと思ってる。それまでこうしていていいかな?」
「はい。その方が…直樹坊ちゃんも喜ばれると思います。」
そう遠くない将来におそらくこの地を離れることになるだろうという予感が重樹にしていた。商売人としての才覚がそれを察知していたのだろう。



やがて7月も半ばを過ぎるころ、漸く紀子が起き上がるようになった。裕樹も家族の前に姿を見せる時間が増えてきた。
「琴子ちゃんばかりに苦労させていたら、お兄ちゃまに叱られてしまうわ。」
「そうだぞ。」
台所に立てるようになった紀子に重樹が優しく笑いかける。それが琴子には嬉しかった。

「お話したいことがあるのですが。」
紀子が少し元気を取り戻したことにより明日から診療所へ復帰するという日、琴子は改まった様子で重樹と紀子の部屋を訪れた。
「琴子ちゃん、どうしたの?」
いつになく固い表情の琴子に紀子が不安な気持ちになる。
「あの…。」
琴子は手をついて頭を下げた。
「私をこのまま、このお家に置いていただけないでしょうか。」
「え?」
「直樹坊ちゃんが悲しいことになった今、私はこの家を出なければいけないのだと分かってはいるのです。でも…このまま入江家の皆様のお力になりたい、いえ大した力もありませんが少しでもお助けしたいのです。」
結婚したとはいえ籍も入れていない、子供もいない。このような自分が婚家である入江家にいつまでもいることはおかしいと琴子は分かっていた。本来ならば実家へ戻されるところだろうが戻る実家も琴子にはない。

「…そんなこと心配しなくていいんだよ。」
重樹の優しい言葉に琴子は顔を上げた。
「そうですよ、琴子ちゃん。」
紀子が琴子の手を取った。
「琴子ちゃんはずっとうちの娘なんだし。それに直樹にも頼まれていてね。」
「直樹坊ちゃんから?」
「ああ。自分にもしものことがあった時は琴子ちゃんを頼むと。琴子ちゃんが新しい幸せを見つけるその日が来るまで頼むって。」
重樹の言葉に頷きながら紀子は目頭を押さえた。
「ええ、そうなんですよ。琴子ちゃんが幸せを見つけた時は…この家の娘として支度をして嫁に出してやってほしいって。」
「直樹坊ちゃんが…。」
「籍も入れていないし自分は琴子ちゃんに何もしていないからって。だから堂々と相手には琴子ちゃんは綺麗な琴子ちゃんだって言ってほしいって…直樹はそう言い残していったんだよ。」
つまり自分との結婚はなかったことにして次の幸せを見つけられるようにという直樹の心遣いだった。
「坊ちゃんが…私のために…。」
今まで流せなかった涙が琴子の膝にポツリポツリと落ちる。
「そんな…私は新しい幸せなんて…。」
「いや、今すぐ見つけろとは誰も思ってないんだよ。」
重樹も泣き笑いといった体で話した。
「だけど、琴子ちゃんは若いんだ。ずっと直樹にしばられて生きていくのは可哀想だからな。」
「ええ…。」
紀子も同じ意見であった。
「何年か経って、もしこの人ならという人とめぐり会えた時は遠慮なく私たちに教えてちょうだい。ちゃんと入江家の娘としてお嫁に出してあげますからね。」
琴子は手の甲で涙を何回も拭った。が、それでも涙は零れ続けた。
「琴子ちゃん。」
重樹と紀子が頭を下げた。
「直樹のわがままを聞いて嫁になってくれてありがとう。あいつは世界一幸せな男だったと思う。」
「おじ様、おば様…。」
それは自分の方だと言いたかった琴子だが声が出なかった。代わりに琴子は二人に抱きついた。
「そんな…そんな…」と繰り返した後琴子は初めて声を上げて泣いた。重樹と紀子は泣く琴子の肩をしっかりと抱いていつまでもそうしていた。



翌日、診療所では先輩看護婦が大丈夫かと琴子を気遣ってくれた。西垣の影響からかさほど愛国者でもない彼女の口からは「名誉の戦死おめでとう」と出なかったことが琴子には嬉しかった。

そして西垣も優しかった。
「無理しないでいいからね。」
「大丈夫です。長いことお休みして申し訳ありませんでした。」
頭を下げる琴子の肩をポンポンと西垣は優しく叩いた。
そして西垣は何事もなかったように琴子の前で振る舞った。それは琴子にとってありがたいことであり仕事に集中することで一時でも直樹を失った悲しみを忘れることができた。

が、悲しみというものは不意に襲ってくる。琴子の場合、ようやく元気を取り戻しつつある紀子たちの前で明るく振る舞っていることもあり家で泣けないということもあった。

この日、琴子は配給所に並んでいた。日々食料事情は悪化していく。わずかな配給を求め人々は行列を作っていた。
「はい、じゃあこれで2銭ね。」
お釣りを受け取ろうとした琴子の後ろから「ごまかすな!」という声が聞こえた。ハッとなって琴子は振り返った。
「ちょっと、5銭だろうが!若い子をだますんじゃない!」
注意してくれたのは年配の女性だった。店主は「チェッ」と舌打ちしながら正しいお釣りを琴子に乱暴に渡した。
「あんたもしっかりしないと!」
「ありがとうございます。」
お礼を言って琴子は列から離れた。またお釣りの計算を間違えてしまった…前にもこんなことがあったことを琴子は思い出した。と同時に目から涙があふれ出す。
――違う、5銭だ、亭主。
――お前は計算もまともにできないのか。暗算でやれ、暗算で。
懐かしい声が琴子の中で繰り返された。それはもう二度と聞くことのできない声である。
堪え切れずに琴子は近くの空き地に飛び込んだ。そこに置かれていた土管の中に飛び込む。
「うう…ひっく…うっ…うっ…。」
ここならば誰も気づかないし声も外に漏れないだろう。このまま家に帰ったら紀子たちが心配する。自分を気遣って明るく振る舞ってくれている紀子と裕樹の前で泣くのは申し訳ない。琴子は子供のように声を上げて泣いた――。


こうしてそれぞれが悲しみを抱えているうちに8月を迎えた。
暑いある日、重樹が家族全員を集めた。
「荷物を一つにまとめておくように。」
誰かに聞かれぬよう声をひそめ重樹は言った。
「一つって…どこかへ行くということですか?」
紀子の問いに重樹は、
「いや、まだどうなるか分からないが、いつそうなってもいいようにということだ。」
準備をしておけということらしい。
「絶対に持って行きたいものだけをできるだけ小さく。わしが号令したらすぐに持ち出せるように、いいな?」
「はい」と紀子たち三人は返事をした。

「何だか怖いことが起きるような気がするわ。」
紀子が不安を琴子へ洩らす。
「でもおじ様の言うとおりにしておけば安心ですよ。それに直樹坊ちゃんも同じことを仰ってました。」
「お兄ちゃまが?」
「はい」と琴子は直樹が手紙に有事の際の心がけを書いていったことを紀子に教えた。
「お父様とお兄ちゃまが揃って言ったってことはその通りなんでしょうね。」
と紀子は感心しながら荷物をまとめ始める。
「それにしても、琴子ちゃんの花嫁衣装は先に実家へ送っておいてよかったわ。これも予感の一つだったのかしら?」
「え?そうなのですか?」
「ええ、そうよ。何だかここから出しておいた方がいい気がして、私の佐賀の実家へ預けておくことにしたの。」
直樹が出征してすぐにそうしたのだという。今まで手元に残していたらきっとここへ置いていくことになっただろう。



やがてその日が訪れた。

それを琴子は診療所で知った。正午より大事な放送があるということで診療所は午前でおしまいとなっていた。が、後片付けもあり琴子と西垣は正午までそこにいた。
「…つけるぞ。」
いつもの明るい調子ではない西垣が重々しくラジオのスイッチを入れた――。

放送内容は琴子にはよく分からなかった。助けを求めるように隣の西垣の顔を見上げる。「…終わったんだってさ。」
「終わった?」
「戦争が終わったんだよ、琴子ちゃん。」
戦争が終わった――それは本当だろうか。琴子にはまだ信じられなかった。



同時刻、同じラジオを入江家では紀子と裕樹が正座して聞いていた。
「…どういうことなの?え?」
内容は何となく分かったような気もするが本当だろうか。自信が持てない紀子は息子の顔をのぞいた。
「ねえ裕樹、これってまさか…。」
「戦争が終わったんだよ、母様。」
兄に似た聡明さを持ち合わせる裕樹は内容を理解していた。
「終わったんだ、やっと。」
膝の上に載せられた裕樹の拳が震えた。
「あと少し…あと少し早く受け入れていれば兄様は…。」
それを聞いた紀子は声にならない泣き声を隣で漏らした。



その晩、誰もいない部屋で琴子は直樹の遺骨の入った白木の箱を抱きしめ呟いた。
「…戦争が終わりましたよ、坊ちゃん。」
呟いても返事はない。
「帰りましょう、一緒に日本へ。」

昭和20年8月15日、戦争は終わった。




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皆の悲しみ

今晩は~更新待ってました。
今回の話は…入江君の死は皆、辛いですよね…私も凄く読んでて辛いです。入江君は琴子ちゃんが作ったお守りを大切に持ってたんですね…買い物に行っても入江君の思い出を思いだし、涙を流す琴子ちゃん可愛そうです。私も泣いちゃった。この先入江家の人々はどうなるのか、非常に気になります。

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ねーさんさん、ありがとうございます。

鼻炎大丈夫ですか?無理しないで下さいね。
やっと戦争終わりました。
泣いたのは鼻炎のせいでは(笑)貴婦人コトリーナちゃんも楽しんでいただけて何よりです。
どうぞ無理は本当にしないで、ゆっくり静養して下さいね!

こっこ(*^^*)さん、ありがとうございます。

一番泣きたいのは琴子ちゃんでしょうに、耐えて人知れずこっそり泣くなんて可哀想ですよね。
そして、そうそう土管と来たら青木さんです(笑)私も書きながら青木を思い出してました(笑)
昔のお話を覚えて下さっていてとても嬉しかったです。ありがとうございます。

六華さん、ありがとうございます。

遺骨に変身している入江くんでございます…。
そうそう、本当に琴子ちゃんは誰に何を言われても入江くんだけを愛して行くと思います。
せつないと思ってもらえて嬉しいです。
本当に二人に幸せな未来をあげたいです。

さなさん、ありがとうございます。

一家の中心ともいえた入江くんですもん、その不在だけでも辛いでしょうに…。
琴子ちゃんのお守りを大事に持っていて、それが決めてになるなんて悲しいですよね。
入江家の人々はこの先困難が待ち構えていると思います。

sanaさん、ありあとうございます。

中毒状態なんて嬉しい~!!ありがとうございます!!
更新頑張りますね!!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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