日々草子 永遠に君を愛す 8

永遠に君を愛す 8







「琴子ちゃん、無理しないようにね。」
「大丈夫です、おば様。」
ここ最近顔色の悪い琴子を紀子は心配していた。勉強に専念するように言っても琴子は紀子の手伝いを怠ることがない。
「でもここのところ、遅くまでお部屋の明かりがついているし。」
「私、出来が悪いから人の倍頑張らないと。」
そう返す琴子の笑顔はどこか弱々しい。だから余計紀子は心配でたまらない。

「ねえ、看護学校の実習ってそんなに大変なの?」
琴子が自室へ行った後、紀子は居間でのんびりとラジオを聞いている直樹に訊ねた。
「琴子ちゃん、あんまり寝ていないんじゃないかしら?」
「俺は医学部だからよく分からない。」
「医学部だって看護だって同じ医学でしょう?」
「違うよ。」
これ以上紀子の相手もしたくないので直樹も自室へと逃げ出した。



「はあ…。」
机の上に広げた教科書に琴子は突っ伏した。一つ理解できたらまた理解できないところが。このままでは落第しかねない。

ここ数日は直樹の同級生だという浜崎が琴子の姿を見つけて(浜崎は待ち伏せしているのだが本人は知らない)、図書館で勉強を見てもらっていた。が、浜崎の教え方が琴子に合わないのだった。
いや、浜崎が手を抜いているわけではない。きちんと琴子が分からないところを聞き出して説明してくれる。たた勉強ができるということと教え方がうまいというのは違うのだということだった。
浜崎も京城帝大医学部に通うだけに秀才であることは間違いない。しかし秀才ゆえに勉強の苦手な人間がどういうものかが理解できていないのである。だから琴子に対してもこれくらいは分かるだろうという様子で教える。琴子はそこよりもっと基本的なことを聞きたいのだが、あまり時間を取らせるのも悪いし、結果として分かったふりをするしかなかった。

そこが直樹と大きな違いだった。直樹は自分があれほど勉強が出来るのに、琴子への教え方も上手である。少し教えて琴子がどこが理解出来ていないかを即座に判断し、面倒がらずに教えてくれた。
しかし、あれだけのことを言われてしまっては直樹に頼ることはできない。

「頑張らなくちゃ!」
琴子は再び教科書に向かった。今夜も睡眠時間を削ることになりそうだ…。



そんなある日のこと、浜崎の機嫌がよいことに直樹は気づいた。
「入江、入江。」
「…何だよ。」
琴子と勉強していることを浜崎は直樹に報告している。それが面白くないので直樹はあまり彼に近づきたくなかった。
「あのさ、俺…昨日…。」
そこまで言うなり浜崎はグフフと怪しい笑い声を上げる。
「話がないなら、移動するから。」
一限目は解剖である。
「ああ、待って。言う、言うから。」
浜崎は直樹にすがりついてきた。
「あのさ、俺…お下げちゃんに言っちゃったんだ。」
「…は?」
「だから、お下げちゃんに、結婚を前提に付き合ってくれないかって!」
直樹は言葉を失った。
「お前、学生だろ?」
「だけど、卒業したらすぐに戦地行きだ。それまでの一年とちょっと、好きな子と一緒にいたいし。」
「あいつの答えは?」
「ああ、返事は待つってことにしたんだ。向こうだって驚いていたし。」
そう言いつつも琴子が承諾したら親に話して、早いうちに結婚したいと浜崎は言う。
「悪い感触じゃないんだけどなあ。期待できるよな?あ、彼女何か言っていたか?」
昨日、琴子は何も言っていなかった。
「…特には。俺、教授に確認したいことがあるから教官室に寄って行く。」
驚いたところを見せたくないため、直樹は足早に教室を出た。



「琴子ちゃん、それでいいの?」
ほとんど食べない琴子を紀子は心配した。
「確かにあまりいい物は並んでいないけど。」
日々、食卓は寂しい物になりつつあった。しかしこれでも内地よりはずっといい方らしい。
重樹は仕事上、軍関係者との付き合いがあるのでそれなりに食料を融通してもらっていたが、自分たちで占領するより会社の社員たちへもという考えから分け与えていた。

「いえ、そういうことじゃなくて。」
琴子は紀子に謝る。
「その…ちょっと解剖で…。」
「ああ。」
琴子も解剖実習が始まっていた。それでは食欲をなくすのも無理はないと紀子は思った。
直樹は直樹で慣れれば食事しながらでも臓器の話ができるようになるのだがと考えていた。
「お腹がすいたら、遠慮なくおっしゃいね。」
食べられる時に食べるようにと紀子は優しく話す。

解剖実習で食欲がないのは事実であったが、睡眠不足で立ちっぱなしで解剖や手術を見学することが辛かった。食べないと体力が付かないことは分かっているがいろいろありすぎて、琴子は疲れていた。



「…浜崎に結婚申し込まれたって?」
二階へ上がる途中、突然直樹に声をかけられ琴子は振り向いた。直樹と話すのはあの時以来であった。
「お前、大事なことを何で黙っていた?」
「それは…。」
琴子は俯いた。
「ったく、そういうのは早く言ってもらわねえと困るんだよ。」
直樹の声が荒くなってくる。
「うちだって色々準備があるし。まあ、いいか。お前、勉強辛そうだしな。嫁に行って『産めよ増やせよ』に協力するのもいいんじゃねえの?」
「そんな…。」
「浜崎も再来年は戦地だ。それまでにボコボコ赤ん坊産んでやれよ。お前、それくらいしか役に立ちそうもねえしな。」
どうしてこう、思ってもいないことを言ってしまうのかと直樹がまた自分に腹を立てていた時だった。
「直樹!!」
文字通り鬼の形相をした紀子が二人を階下から見上げていた。

「あなた…何てひどいことを!」
いつもの呼び方でないことからも、紀子の怒りの度合いが分かった。
「あなたが原因なのね?琴子ちゃんの様子がおかしかったのは!何なの、何が不満でいじめているわけ?」
「おば様、違います。」
「いいえ、琴子ちゃん!もう黙っていられないわ。直樹、学校を辞めるのはあなたです!」
紀子は直樹に言った。
「あなたのような人間が医者になっても患者は不幸よ。家族を追い詰めるような人間に医者になる資格はありません!」
直樹は怒る紀子と泣きそうになっている琴子をその場に残し、憮然とした顔で部屋へと入ったのだった。
その後、紀子に琴子は浜崎の話をした。黙っていたことを謝ると、
「琴子ちゃんは何も悪くないわ。」
と紀子は優しく手を握ってくれた。そして、
「浜崎さんのことは、琴子ちゃんがいいように考えてね。私もおじ様も、琴子ちゃんが幸せになることならば反対はしないから。」
「あの馬鹿息子の言ったことは気にしないで」と紀子は琴子が自分の将来は自分で決めていいのだと優しく話してくれたのだった。



「相原さん、顔色が悪いわ。」
級友が琴子の耳元で囁いた。
「休んでいた方がいいのじゃない?私から先生にお話しておくから。」
「ありがとう、大丈夫よ。」
優しい級友に琴子は無理に笑顔を作って答えた。が、本当に琴子の体力は限界だった。
今日の手術見学は予定時間を超えており、立っているのもやっと。しかし看護婦になったらこのようなことは頻繁にある。これくらい耐えねばと琴子は自分に言い聞かせた。

「やっと終わったわ。」
ようやく手術室から出てきた看護学生たちは皆、疲れた顔をしていた。
「でも助かってよかったわね。」
「ええ、本当。」
琴子もそれが嬉しかった。
「相原さん、大丈夫?」
「ありがとう。ごめんね、心配かけて。」
もう大丈夫だからと力こぶを見せる振りを琴子がした。その時、琴子の周囲がグルグルと回った――。



「しっかりして!」
「誰か、先生を呼んできて!」
手術室の前から聞こえる悲鳴にも似た声に、次の手術を見学するために移動してきた医学生たちは何事かとざわついた。
「あれ、相原さん…。」
戸惑う浜崎の声が聞こえると同時に、医学生たちの中から直樹は走り出ていた。真っ青、いやもはや真っ白な顔で琴子が目を閉じていた。直樹は脈を確認すると、その体を軽々と抱き上げた。
「医務室へ運ぶから。」
「は、はい!」
看護学生たちの輪から抜け出し、直樹は足早に医務室へと向かった。その後ろ姿を見ながら看護学生たちは「王子様のよう」とうっとりと呟いたのだった。



「君の診立ては?」
医務室の医師が直樹に訊ねた。
「貧血でしょう。」
「うん、正解。」
解剖見学で目を回す学生は医学生にも出る。医師は琴子もその類いだろうとさして驚かなかった。
「わしはちょっと事務に行かねばならないのだが。」
「しばらく付いています。」
「入江くんなら安心だな。」
学年、いや大学創立以来の秀才と謳われている直樹がいればと医師は安心して出て行った。
直樹は琴子の寝かされたベッドの横の椅子に座った。布団から出されている琴子の腕には点滴がされている。その中身がポツン、ポツンと落ちていくのを直樹はただ眺めていた。
あの時、倒れているのが琴子と分かったとき、直樹は周囲の声は何も聞こえていなかった。頭の中は真っ白で、気づくと琴子の体を抱き上げていた。



「入江。」
眠っている琴子を起こさぬようにと思ったのか、小声で直樹に声をかけてきたのは浜崎だった。
「貧血か?」
「ああ。」
直樹は立ち上がった。
「悪かったな、お前の役目を奪ってしまって。」
あそこは琴子に惚れている浜崎の出番だった。出過ぎた真似をしたことを直樹は詫びた。
「お前が運んだことにしてくれ。」
「それじゃ…。」
「…その方が琴…こいつも喜ぶって。」
琴子と呼び捨てにするのを遠慮し、直樹は浜崎の肩を叩くと医務室を後にしたのだった。




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とうとう

今晩は~連日の更新ありがとうございます。
琴子ちゃんは相変わらず勉強に苦労してるみたいですね?浜崎君は教えてくれるみたいけど、上手くいってみたいですね…そこはやっぱり入江君の教えが上手なのが良く分かりますね。それから琴子ちゃんはとうとう倒れちゃいましたね?倒れた瞬間入江君が運んでくれましたね。格好いい!この続きが気になります。

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またまた、入江君の、嫉妬、困ったものだね、嫉妬すると、ひどい口調になるなんて<、それじゃ、お医者さん、なんて、無理,紀子ママじゃないけど、

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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