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2014.10.20 (Mon)

永遠に君を愛す 5


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「…勅使河原の仲間だったか。」
女学校時代のノートを見ながら直樹は呆れた。
「そういえばお前、休みにも学校行ってたな?」
あれは追試だったのかと今になって直樹は思い出す。
「…基礎ができてないんだな、これは。」
「…もうどこが分からないのかも分からないって感じです。」
円卓を挟んで琴子が小さくなって呟いた。

「これは従軍する、しないの問題じゃないな。日赤は間違いなく受からなかっただろう。」
「めざす学校も難しいですか?」
懇願するように琴子は直樹を見た。
これが平穏な時代であれば難しかっただろう。が今はそのようなことを言っている時代ではない。少しでも看護婦の数を増やしたいというのが学校、病院の思惑。名前さえ書ければ受かるとまでは言わないが、そこそこ基礎ができていれば試験は通るだろうというのが直樹の見立てであった。

「とりあえず時間はない。」
試験まで二月とないのである。琴子が理解する時間を考慮したらもっと時間は少なくなる。
「試験に出そうなところを説明する。お前はそれだけ、何が何でも石にかじりついてでも覚えろ。風呂でも覚えろ、飯食いながらでも覚えろ。」
「は、はい!」
猛勉強になることが分かり琴子は背筋を伸ばした。
「いいか、ここはこの公式を…。」
直樹の説明に琴子は必死で耳を傾け始めた――。



とりあえず問題を解いてみろと命じられた琴子は唸りながらノートに鉛筆を走らせていた。その間、直樹は部屋を見回した。
一番日当たりのいい六畳間が琴子の部屋だった。京城のこの家に引っ越してきた時、琴子は自分には勿体ないと何度も固辞していたことを思い出す。
「直樹坊ちゃんか裕樹坊ちゃんのお部屋にして下さい。」
自分は台所の隣の三畳間で十分だと言っていた琴子だが、
「だめよ、女の子がそんなところにいたら。」
「そうだよ、琴子ちゃん。明るいところで過ごしなさい。」
直樹は日中はほとんど家にいないから日当たりは気にしないし、裕樹はその直樹の隣の部屋がいいと主張したため、ここが琴子の部屋となったのである。

窓際に机、そして壁際には紀子が買ってやった小さな鏡台があった。本棚は内地から持って来た少女雑誌が並んでいる。同じ家の中であるがやはり女の子の部屋は直樹の部屋と違い明るく見えた。

「坊ちゃん、これでどうでしょうか?」
琴子に言われ直樹はノートを見た。
「ああ…ほら、ここ。単純な計算間違い。」
「え?あ、本当だ。」
「こういうところで点数なくすからな、気をつけないと。」
「はい。」
そしてまた問題に向かう琴子。その横顔を直樹は眺める。
―― それなりに成長したもんだ。
初めて入江家にやってきた時は大きなリボンをつけて、紀子の後を追いかけてばかりだった。今は時代柄華美な飾りができないだけに髪型はただのお下げ。だがそれが琴子によく似合っている。顔もそれなりに変化したなと直樹は眺めた。美人の部類ではないが可愛いほうではないか?なるほど級友が騒ぐのも分かるような。

「坊ちゃん、できました!」
「うん、今度は正解。」
頑張って解いたのだからと、直樹は大きな赤丸をつけてやった。
「わあ、そうしていただくとやる気がでます!」
「裕樹と変わらないな、まったく。」
単純な琴子に直樹は呆れた。



二ヶ月はあっという間に過ぎた。直樹はできる限りの知識を琴子の頭につめこむことに時間を費やした。琴子も直樹の教えに報いようと最初に言われたとおり、食事中も入浴中も教科書やノートから目を離さなかった。
見かねた紀子が一日くらい休むようにと言っても、琴子は休まなかった。
「坊ちゃんが貴重な時間を割いて私に教えて下さっているんですもの。」
医大を卒業するまでの二年弱、本当ならば家族との貴重な時間を自分のために割いてくれている。琴子はそれがどんなに申し訳ないことかといつも思って机に向かった。

「琴子ちゃん、受験票持った?」
「はい、ここにちゃんと。」
愛用の肩掛け鞄をポンポンと叩いて笑って見せる琴子であるが、その顔は緊張で引きつっていた。
「琴子ちゃん、筆記用具は?」
「持ちました、おじさま。」
重樹も紀子と一緒に世話を焼く。
「琴子、便所はちゃんと済ませておけよ。」
「分かってます。教室についたらすぐに行きますね。」
裕樹もどこか心配そうに琴子を見ている。
「これ、お弁当。」
「ありがとうございます、おば様。」
紀子のお弁当を琴子はしっかりと鞄に入れる。
「そろそろ時間ですので行ってきます。」
時計を見て、琴子はマフラーを巻いた。
「琴子ちゃん、やっぱり一緒に行きましょう、ね?」
外出の支度を始めようとする紀子に、
「大丈夫です。」
と安心させるように琴子は笑った。
「それじゃ行ってきます。」
「琴子、右手と右足が一緒だぞ!」
玄関を出たところで裕樹が叫んだ。大丈夫だろうかと入江家の面々が不安そうに琴子を見つめる。
「おい、待て。」
門を出たところで直樹の声が聞こえ、琴子は足を止めた。すると直樹の手から飛んできた物がある。慌てて琴子はそれを受け取った。
「ったく、それお守りなんだろ?」
直樹からもらったブローチが琴子の手の中で光っていた。昨夜何度も鞄の中を確認して射る間に外れてしまったらしい。
「危なかった…!」
もはや琴子は涙目になってそれを鞄につけた。試験会場でこれがないことに気づいたら琴子の精神状態はどうなっていたか。

「しょうがないな。」
その様子を見ていた直樹がコートを着ながら門から出てきた。
「会場まで一緒に行くぞ。」
「え?大丈夫ですよ、そんな!」
これ以上直樹に迷惑はかけられないと琴子は両手で押しとどめようとする。
「大丈夫じゃねえから言ってるんだ。お前が行くのは右じゃなく左。」
琴子の後ろを直樹は指でさした。
「あっ…。」
「このままじゃお前、会場につかないうちに不合格だ。」
そして正しい方向へ歩いて行く直樹。琴子はその後ろをついて行った。

「今頃気づいたが…。」
目指す看護学校の正門が見えてきたところで直樹は呟いた。
「看護学校ってのは女しかいないんだったな。」
正門に「入学試験」と大きく書かれた看板。そこに入っていくのは女子、女子、女子。親に付き添われている者は少なくないが、直樹のような若い男性が付き添いというのは見当たらない。それだけでも目立つというのに直樹の外見は今回も注目の的となっていた。
「俺、ここで帰るわ。」
ここまで送れば大丈夫だろうと直樹は思った。
「ありがとうございました。」
琴子は深々と頭を下げる。がその肩は震えている。

「…そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」
直樹は琴子を少しでも落ち着かせるよう言葉をかけた。
「この俺が懇切丁寧に教えたんだ、そんじょそこらの受験生よりお前の知識はあるはず。自信を持って受けてこい。」
「坊ちゃん…。」
それでもまだ緊張の色を隠せない琴子に、直樹は大きく頷く。
「大丈夫、これがお前を見守っている。」
琴子の肩掛け鞄に光るブローチを直樹は叩いた。
「…そうですね!これがありますし!これを坊ちゃんだと思って頑張ります!」
ようやく落ち着きを取り戻した琴子がいつもの笑顔を見せた。



入試から二週間後の合格発表はあっという間にやってきた。
「そろそろ掲示されている時間か。」
教室の時計を直樹は見上げる。合格発表も一人で見に行くと言っていた。
「落ちていてもまっすぐ帰ってこい」と言っておいたが大丈夫だろうか。たぶん受かっていると思うのだが、あれだけガチガチだとどうなるか。そして面接もあった。右手と右足がまたもや一緒に出てしまったと帰宅してから泣いていたが。

「入江。」
「手足の動かし方くらいで落とす学校、こっちから断ってやれ。」
「入江。」
「大体、どこの学校も教授ってのは生徒のあらを探すのが得意なんだよ。気にすることはない。」
「…生徒のあらを探すのが得意で悪かったね。」
そこで直樹は顔を上げた。
「…いや、そもそも君は探してもあらが見つからなかったが。しかし今日はどうやらそのあらとやらを見つけることができそうだ。」
今は授業中だったことを直樹は思い出した。
「学校への不満はとりあえず置いておいて、私の質問に答えてくれないだろうか。」
「…申し訳ありません。」
謝罪の言葉に級友たちから笑いが一斉に起きた。幸いユーモアの分かる教授だったことで直樹は救われた。



どうしてこんなに自分がそわそわしなければならないのだと思いながら直樹は校舎を出た。もう琴子は帰宅している頃だろう…まっすぐ帰っていれば。まさか家の近所で紀子と裕樹が琴子の名前を呼んで探しているのではなかろうか。いやいや、変なことは考えないでおこうと直樹は頭からそれを振り払う。

校門を出ていく学生たちがコソコソと話をしているのに直樹は気づいた。何だろう、一体と思いながら直樹も彼らに続いて校門を出た。すると、
「坊ちゃん!」
琴子がそこに立っているではないか。男しかいない大学、それも医学部の校門で若い女子が一人立っていればそれは噂になるというもの。
「お前、何をしてるんだよ。」
とりあえず男たちの目から琴子をそらせようと直樹はその手を引っ張った。と、その手がとても冷たい。
「手袋はどうした?」
「あ…興奮したら熱くなって外して…でもやっぱり寒いですね。」
「当たり前だ、ばあか。」
見ると頬も真っ赤である。一体どれくらい前からここに立っていたのか。
「坊ちゃん、私…私…。」
琴子の目に涙が浮かんだ。ああ、そうか。やっぱりそうだったか。
「いい、分かった。」
直樹は琴子のマフラーの上から、さらに自分のマフラーを巻いてやった。
「坊ちゃん、苦しいのですが…。」
「うん、苦しかったな。お前はよく頑張った。その頑張りは無駄にならないぞ。」
さらに直樹はマフラーを締めた。
「ぼ、坊ちゃん…ぐるじい…。」
「帰ろう、お袋も裕樹も、会社で親父も気にしているだろうから。大丈夫だ。」
「…合格してました。」
「そうか、合格か。残念だったな、今夜は思い切り泣け。」
「合格したのに?」
「ああ、そうだ。合格したのに…え!?」
直樹は琴子の顔を見た。二本のマフラーでぎゅうぎゅうになっている琴子の真っ赤な顔。
「…合格?」
「はい!坊ちゃんのおかげで合格しました!!」
叫んだ琴子であるが、その後苦しさのあまり咳き込んだ。
「坊ちゃん、ありがとうございます!」
「いや…。」
直樹の中に少しずつ喜びがわいてくる。
「合格したか…。」
直樹の頬も緩み始めた。
「…おめでとう、よく頑張ったな。」
琴子の頭を直樹は撫でた。途端に琴子の目から涙が溢れ出す。
「本当に…嬉しくて。」
「これからが大変だけどな。」
「…頑張ります!」
ここが学校の前でなければ。人がいないところだったら直樹は間違いなく、琴子を抱きしめていただろう。



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 |  2014.10.20(Mon) 21:23 |   |  【コメント編集】

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 |  2014.10.20(Mon) 22:19 |   |  【コメント編集】

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 |  2014.10.21(Tue) 06:57 |   |  【コメント編集】

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 |  2014.10.21(Tue) 11:22 |   |  【コメント編集】

★ねーさんさん、ありがとうございます。

いえ、この後ビュンビュン飛びまくる予定です。本当はそんなことしたくないのですが、どうしてもネタがなくて。
確かに映画監督だったら「入江ちゃん、違うって!!そこはこうだよ!」って言いそう(笑)←いつの時代の監督だ?
とりあえず、当時は外地の方がまだ豊かだったようなので書きやすいような気がします。
水玉 |  2014.10.21(Tue) 15:47 |  URL |  【コメント編集】

★紀子ママさん、ありがとうございます。

琴子ちゃんの根性は私、大好きなので!そこはしっかりと書かせていただきました。
ボクちゃんとは全然違うんです(笑)
まだまだそこまで意識してなさそうですよね~直樹さん。琴子ちゃんが可愛くなってきていることは自覚してくれましたけど。
あれ、そんなに出てほしいですか~ニヤニヤ。しょうがないなあ、もう!!これじゃ出す予定がたとえなくともどうにかして出番を作らなければいけないような。いえ、まだどうなるか分かりませんけど!
そうなんですよね。この時代は戦地へ赴く時は「おめでとうございます」ですもんね…心はどうであれ、それ言わないと責められる時代でしたし。入江夫妻も本当は送り出したくないでしょうが、そうすると兵隊にとられちゃいますし。まだ猶予される医学生の方がましだったのかもしれませんね。
水玉 |  2014.10.21(Tue) 15:51 |  URL |  【コメント編集】

★たまちさん、ありがとうございます。

大馬鹿三太郎(爆笑)!!!
本当にそうですよ、人間の最低ラインが彼なんでしょうね。どんだけ出来ない男だったのか。
琴子は違うと奮闘する直樹。もちろん、勉強の出来はともかく中身は全然違いますけど。
入江くんは勉強教える時は結構優しいですよね。キレるけど(笑)でも最後まで面倒見るし。
ここまでしていて、どうして自分で気づかないんでしょう。自分の中では妹思いの兄とできあがっているんでしょう。
最後まであきらめなかった琴子ちゃんの合格を一番に喜んでいるのは入江くんでしょうね。
水玉 |  2014.10.21(Tue) 15:54 |  URL |  【コメント編集】

★こっこ(*^^*) さん、ありがとうございます。

あらあら、ここにも黒いお嬢を待つ方が(笑)なにげにお嬢、大人気なんですね。
いや~ご期待に答えないとダメかしら?
琴子ちゃん、頑張りましたよ!これで夢へ一歩近づきました。
まだ始まったばかりですからね…先は長いです。いやそんなに長くないけど。
アンケート、ありがとうございます。
好きな作品全部にポチポチして下さってOKですよ(笑)
水玉 |  2014.10.21(Tue) 15:56 |  URL |  【コメント編集】

★おめでとう琴子ちゃん(笑)

今晩は~更新されてたのを今気が付き、コメント遅くなりました。ごめんなさい(-.-;)
今日のお話は…琴子ちゃんに勉強を教えながら入江君は琴子ちゃんの顔をみとれてましたね(笑)それから…試験会場に行くにもガチガチな琴子ちゃん…それに大事な大事なお守り代わりのブローチを忘れるなんて、入江君に気が付いて貰って良かったね、もし忘れてたら会場で大パニックになる所でしたね。入江君が心配で着いて来て、凄く安心する琴子ちゃん可愛いです(笑)試験の結果は合格でしたね。良かった~
確かに人が居なかったら入江君は琴子ちゃんを抱き締めてますね(笑)
さな |  2014.10.21(Tue) 19:35 |  URL |  【コメント編集】

★さなさん、ありがとうございます。

いえいえ、とんでもない!!
気づいて下さってありがとうございます。
入江くん自身がもはや、合格お守りですよね、琴子ちゃんにとっては!
入江くんは可愛い琴子ちゃんを抱きしめ損ねて残念でしたってところですが、これに懲りずにまたチャンスを狙ってほしいものです(笑)と、この次ではえらいことをしでかしてますけどね、ぷぷぷ!
水玉 |  2014.10.22(Wed) 18:42 |  URL |  【コメント編集】

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