日々草子 永遠に君を愛す 2

永遠に君を愛す 2





仕事の関係で東京より外地であるここ京城に一家でやってきてから、早くも5年になろうとしていた。その間に直樹は京城帝大医学部に入り、琴子は女学校を卒業していた。
ここでの住まいは東京の屋敷よりも狭いものの、それでも十分な広さを持つ家であった。

「お帰りなさい、直樹坊ちゃん。お弁当はいかがでしたか?」
感想を心躍らせ待つ琴子に、直樹は乱暴に弁当箱を押しつけた。
「そりゃあ注目の的だったよ。」
「やっぱり!」
「あんなもんをでかでかと乗せればな。」
その時のことを思い出し、直樹の眉間にしわが寄った。

教室に戻り弁当箱を開けた途端、その匂いは辺りに漂った。
「何だ、この匂い!」
「おい、薬品を持ち出した奴がいるだろ!」
級友たちは騒ぎながら匂いの元を探り出す。やがてそれが、学年一の秀才の弁当だと判明する。
「ええと、入江…それは一体?」
「悪い、たぶんこれだろう。」
直樹が箸でつまみ上げて見せたのは、焼きネギだった。それもお弁当に入れる大きさではない。
「俺、あっちで食ってくるわ。」
気を遣う直樹を級友たちは「いやいや平気」と止めたが、その後直樹の口からはガリガリという音が聞こえ出す。
「あいつの家は金持ちだったはずだが?」
「弁当のおかずごまかすために石でも入っているのか?」
「入ってたとしても食わないはず。」

「…卵の殻だよ、これは。」
気を遣い続ける自分たちに説明してくれた直樹に、皆同情を禁じ得なかった。



「うわあ、怖いなあ。僕の弁当には絶対手を触れるなよ、琴子。」
直樹の話を聞いて震え上がっていたのは入江裕樹、直樹の年の離れた弟だった。
「これ、何度言ったら分かるの。琴子お姉様でしょう?」
たしなめる母に裕樹は、
「だって僕が物心ついたときから兄様が琴子って呼ぶのを聞いてたんだもん。他の呼び方しらないよ。」
「まあ、これもお兄ちゃまの口が悪いからね。」
「おばさま、私だって未だに直樹坊ちゃんって呼んでますし。」
まあまあと琴子が紀子と裕樹の間に入った。裕樹が生まれたのは琴子が入江家に引き取られてから二年後のことであった。
「そうだ、それ大声で呼ぶのやめろって。」
思い出して直樹は琴子に注意する。
「お前は女中じゃないっていうのを説明するの、毎回苦労するんだから。」
「でも昔からの呼び方ですし、直せるものではないんですよね。だから裕樹坊ちゃんもそれに合わせているわけで。」
「直せ!」
「ええ~じゃあ何とお呼びすれば?」
「いいわよ、琴子ちゃん。こんな息子適当な呼び方で。」
「その適当が思いつかないんです。」
「ああ、もう面倒だな、ったく!」
これ以上付き合ってられないと直樹は台所から自室へと引き上げて行く。その後を「兄様、待って」とついて行く裕樹だった。



「直樹坊ちゃん、洗濯物をお持ちしました。」
夕食後、勉強をしている直樹の元に琴子がやってきた。洗濯物をしまい終えても琴子が去る気配はしない。
「やれやれ」と直樹は琴子を振り返って言った。
「お茶を頼む。」
「はい!」
待ってましたと琴子はいそいそと部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。お盆にはなぜか二人分の湯飲み。
「はい、どうぞ。」
「また自分の分持って来て。」
「お茶は誰かと飲んだ方がおいしいですよ?」
「よく言うぜ。」
いつもこうである。直樹がお茶を要求すると自分の分まで淹れてくる琴子だった。幼い頃は怯えてばかりだったのにこの変化はどうしたことか。

「難しそうですよね、お医者様の勉強。」
机の上に広げられている医学書を見て、琴子は呟いた。
「直樹坊ちゃん、ずっと首席なのに勉強してばかりだし。」
「勉強してるから首席なんだよ。」
「うわあ、一度は言ってみたい台詞です。」
「お前には永遠に必要ない台詞だな。」
「うっ」と言葉につまる琴子に直樹は続ける。
「卒業したらすぐに実地だ。本を見て調べている暇なんてないからすべて頭にたたき込んでおかないとな。」
それを聞いて琴子は「そうですね…」と消えそうな返事をした。
医大生である直樹は卒業後、軍医として戦地に赴任せねばならないことになっている。それは直樹との別れを意味することであり、共にいられるのはあと二年と少しだけ。
直樹が医師を志望した時からそうなることは分かっていた。だから重樹と紀子は、直樹が戦地に赴くその時まで残された時間、家族だけで過ごせるようにと使用人を京城では雇っていないのだった。
それを思う度に琴子は、自分が入江家の団欒を邪魔しているのではないかと不安になる。

「…お前がいなかったらお袋はがうるさくてしょうがねえよ。」
琴子が今、何を考えているか分かっている直樹が言った。
「でも…。」
「親父もお袋もお前を実の娘だと思っているしな。そもそも何度養女にならないかって言われた?」
「たくさん…です。」
琴子が養女になる意味を理解する年齢になってから、重樹と紀子は何度も養女にならないかと言ってくれた。もっとも養女になったとしても名字が変わるだけのこと。
「あの二人のお前への溺愛ぶりといったら。」
直樹はクスッと笑う。それは琴子も感謝していたが、養女になるということには首を縦に振ることはなかった。いつも琴子は「今のままで十分」としか言わないし、重樹たちもそれ以上は追求しなかった。きっと琴子の心の奥深いところに理由があるのだろうと皆思っている。



「なあなあ、入江。」
ある日、級友の一人が直樹に話しかけてきた。
「薬理のノートなら沢田のところだぞ。」
「違う、違う。そうじゃなくて。」
井上というその男は直樹の隣の席に腰を下ろした。
「この間さ、お前に弁当届けに来た子。あの子を紹介してほしいなあって。可愛い子だよな?」
「え?」
直樹は耳を疑った。琴子のことか?
「…お前、目悪いだろ?」
「両目2.0だぞ。」
井上は両手で自分の目をぐいっと見開いた。
「可愛い子だったな。お下げがゆらゆら揺れて。」
「お下げの女ならその辺にもいるだろ。」
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「…あいつは理想が高いぞ。」
琴子の理想など聞いたこともないが、つい直樹はそんなことを口にしていた。
「そうか?そうか…そうだよな。お前と一緒に暮らしていれば理想も高いか。」
「俺?」
今度は自分に話を振られ直樹は驚いた。
「何を言ってるんだよ、お前がそれ言うなよ!」
井上は直樹の背中を叩いた。
「お前と歩いていて、女がお前の顔ばかり見ているのを俺らがどれだけ耐えているか!」
そう言われてもと思う直樹である。
「どんな男だったらあの子、心を許しそう?」
訊かれても直樹には答えられない。そもそも琴子は自分を男として見ているとは思えない。



その日の帰り道、買い物をしている琴子を直樹は見かけた。琴子は両手の指を折って計算している。それで直樹は気づいた。
「それじゃ3銭のおつりってことで…。」
「違う、5銭だ、亭主。」
後ろから聞こえた声に琴子は驚いて振り返った。
「5銭、間違いない。」
直樹の声に店の亭主は渋々言われたとおりのお釣りを琴子に渡した。

「お前は計算もまともにできないのか。」
「すみません。でもちゃんと指使って…。」
指をまた折ろうとする琴子の隣で、
「暗算でやれ、暗算で。」
と言いながら直樹は買い物袋を奪った。持ってくれると分かった琴子は「ありがとうございます」と嬉しそうに礼を言った。

「どうした?」
何も喋らなくなった琴子を直樹は見下ろした。まるで視線を避けるように琴子は俯いている。
「人の目が気になって…。」
「はあ?」
直樹は素早く琴子の様子を見た。いつものお下げ、直樹があげたブローチをつけた鞄を肩にかけている。
「どこもおかしくないと思うけど?」
「私じゃなくて、坊ちゃんです。」
琴子がムキになって顔を上げた。
「俺?何だよ、どっか服に穴でも開いてる?」
「違います。もう、鈍感なんだから!」
「お前に言われたら終わりだな。」
ムッとして直樹は言い返した。

「昔からこうですよね。坊ちゃん、ご自分がどれほど素敵かって少しは意識した方がいいですよ?」
思いがけないことを言われて直樹は唖然となった。
「何、俺ってかっこいいってこと?」
「今更何を!」
琴子は目を見開いた。
「女学校の時、私の忘れ物を届けて下さったことがあったでしょう?」
「ああ、お前の提灯ブルマ!!」
「ちょっと、声が大きいです!」と琴子は真っ赤になって周囲を見回す。
「中身はどうでもいいんです。」
「よくねえよ。何で俺があんなもんを届けさせられる羽目に。」
「とにかく!その時に同級生がみんな大騒ぎで。あの方はどなたってどれだけ訊かれたか。」
「思い出した」と直樹は言った。そういえばその時から女学生と道で会う度に顔をジロジロ見られたものである。
「あれは気分悪かった。でもある時から何だか避けられるようになったな。」
封印していた記憶が直樹の中に呼び戻された。と、それを聞いた琴子の顔色が変わった。
「…お前、何か知ってるな?」
「…とんでもない。」
「いや、白状しろ!」
直樹に怒鳴られ「ぎゃん!」と琴子は悲鳴を上げる。
「…嘘は言ってませんよ?」
左右の人差し指をくっつけながら、琴子は口を尖らせた。
「…直樹坊ちゃんは女の子に興味がないって言っただけです。」
「…そりゃあ避けられるわけだ。」
女に興味がない、すなわち男に興味があると思われたに違いない。
「だって、坊ちゃんはお勉強ばかりで女の子とお出かけになることなんてなかったじゃないですか。」
「言い方に問題があるんだよ、この馬鹿!」
琴子の頭にげんこつを落とすと、見えてきた我が家に直樹は足早に入っていく。
「だって…私にだって興味持って下さらないくせに。」
琴子は直樹に聞こえていないことを分かって呟いたのだった。




関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

こんにちは~

連日の更新ありがとうございます(*^m^*)二人のやりとりは、面白かったです。入江君は自分が格好良い事に自覚がないなんて…流石入江君です(笑)新しいお話し待ってま~す。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

こっこ(^o^)さん、ありがとうございます。

そうですね、入江くんは自分の気持ちに気付いていないことは間違いないです。
幸せになるまで色々あるでしょうね~。
長編になるでしょう、たぶん(笑)
そして、うわ~姪御さんと一緒に読んで下さってるんですか!!しかも『君と交わした約束』、これまたマイナーなお話をありがとうございます。続きって『君と交わした~』のでしょうか?
そしてチラシは…うん、まだ教えない方がよろしいかと思います!!

さなさん、ありがとうございます。

ありがとうございます。私も二人のやりとりはとても楽しく書けたのでそう言っていただけると嬉しいです。
そうですね、入江くんは自覚ないんですよね。自分の外見には興味がないのでしょう(笑)

Yunさん、ありがとうございます。

大河ロマンと呼んで頂けるよう頑張ります!
私らしいなんて、嬉しいです!!切ないのがお好きだなんて、なんて私好みなお方なんでしょうか(笑)
ぜひこれからも読んでいただけると嬉しいです。

たまちさん、ありがとうございます。

先日は僅かな時間ですがお話できて嬉しかったです♪
お弁当も自分の作った物を食べてもらえることが嬉しそうな琴子ちゃんですし。
従軍するまでわずかな時間ですからね。それまでの間、心をこめてお世話しているんでしょうね。
乙女心が届くまで時間がかかりそうです。何せ相手は鈍感そうですし。
今回は琴子ちゃん、モテモテスタートなので私も書いていて嬉しいです。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

カテゴリー+月別アーカイブ
 
最新コメント
最新記事
カボチャの世界
Private
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
リンク