日々草子 入江法律事務所 25

入江法律事務所 25






「では、年明けにでも案を詰めて行くという方向で。」
都心の一等地のビルにある大泉総合法律事務所にて、直樹は事務所の弁護士たちとの会議を終えた。
弁護士になったばかりの頃、この事務所と同規模の事務所にいた直樹としては渉外法律事務所の雰囲気は懐かしかった。
「入江先生、お疲れ様です。」
会議が終わるのを待っていた秘書が競うように、直樹にコーヒーを運んで来る。

「直樹くん、お疲れ。」
そこに滅多に現場に出て来ない大泉弁護士が姿を見せ、秘書たちがサッと姿を消した。
「うちのアソシエイト(雇われ弁護士)たちだけでなく、パートナー(経営に携わる弁護士)たちも君の優秀ぶりには驚いているよ。いいカンフル剤になって嬉しい限りだ。」
「恐れ入ります。」
この事務所に顔を見せるようになって、直樹の耳にも彼らの声は聞こえている。「やがてはこの事務所の跡を継ぐ」とまで思われているようだった。

「ところで直樹くん、沙穂子は邪魔をしていないだろうか?」
どうやら大泉弁護士の話はそこらしい。
「君の事務所を手伝うと意気込んでいるが、何分、世間知らずに育っているからね。逆に足を引っ張ってしまっているのではないかと心配で心配で。」
「そのようなことはありません。」
直樹はコーヒーを飲みながら微笑んだ。
「沙穂子さんは非常に優秀な秘書として頼もしい限りです。なるべく残業などはしないでもらえるようにしておりますが…。」
「いやいや。秘書なのだからとことんこき使ってくれたまえ。」
と話したところで大泉弁護士が「話がもう一つあるが」と切り出す。
「その…君さえよければ正式な婚約を交わしたいと考えているのだが。」
優秀な孫婿をとにかくつかまえておきたいのだろう。
「どうだろうか?」
「…そうですね。」
期待されているからには、それに応えようと直樹は思っている。



「ええ、左様でございます。当事務所はそのような案件は扱っておりませんので…。」
大泉総合法律事務所の受付が、受話器に向かって繰り返していた。
「納得してくれた?」
電話を切った同僚にもう一人に受付が話しかけるのが、直樹に聞こえた。
「何とか。」
「困るわよね。うちはそんな小さな個人の事件なんて扱ってないってのに。」
どうやら藁にもすがりたい個人が、電話帳を見て法律事務所に片っ端から当たっているらしい。
「あ、入江先生!お疲れ様です。」
直樹に気付いた二人がパッと顔を輝かせる。直樹は軽く「どうも」と挨拶をしてエレベーターホールへと出た。

エレベーターを待つ間、直樹はふと思い出していた――。



「ただいま…。」
事務所に戻った直樹は思わずギョッとなった。
「あ、先生…。」
涙で目を真っ赤にした琴子が応接ソファから立ち上がる。その前には一人の老婆がこちらもハンカチで目を押さえていた。

「おい、ちょっと。」
直樹は琴子を事務所の外へと連れ出した。
「何がどうなってるんだ?」
「ひどいんですよ!あのおばあちゃん、お嫁さんからいびられて家まで取り上げられそうになっているんです!可哀想で、可哀想で。」
「お前の親戚か近所の知り合いか?」
「戦争で旦那さんを亡くして女手一つで息子さんを育て上げたってのに、本当になんて気の毒な…ぐすっ!」
「いや、あの婆さんはお前の関係者なのか?」
「いいえ。」
きっぱりと琴子が否定した。
「ビルの前でうちの看板見てたんです。それで御用ですかって声をかけたら困っているって。それで中にお通ししてお茶でもどうぞって。」
「…お前って奴は。」
「先生、助けてあげて下さい!お願いします!」



―― あれはまだ、開業して間もない頃だったな。
クスッとつい笑みを零す直樹。この件が直樹にとっての初めての個人案件だった。お婆さんは直樹(&琴子)の尽力あって家を追い出されずに済んだ。今でも感謝の年賀状が事務所に届く。

到着したエレベーターに直樹は乗り込む。
「…あの仕事を終えた時、弁護士になって独立してよかったって心底思えたな。」
それなのに、また大きな企業相手の仕事に戻ろうとしている自分。あの頃の自分はどこへ行ったのだろうか――?



「お待たせしました。」
クリスマスイブということもあり、ランチタイムのこの時間、啓太の店はいつもより賑わっていた。日を追うごとに客足は増えつつある。
「はい、こっち出来たぞ!」
「はあい。」
サンタのコスチュームに身を包んだ琴子が、カントリー調の店の中をせわしなく料理を運ぶ。
「わあ、おいしそう!」
「この店、同僚から勧められたんです。」
「ありがとうございます。」
恋人たちもいるが女子同士もチラホラ見える。皆がおいしそうに啓太の料理を食べている様子を琴子は嬉しい思いで見つめる。

しかし、料理の他にも客の興味をそそるものがこの店にはもう一つあった。
「うわ、すげえ。」
「あれ、今日がクリスマスだからサービス?」

グラグラと揺れる食器。それをいともたやすく片手で運んで行くのはサンタ姿の琴子。今にも落ちるのではないかという、究極のスリルを客の全員が味わっている。

「お前の特技、全然さびついていなかったな。」
「特技?」
「自覚ないのかよ。」
食器洗浄機にお皿を入れながら首を傾げる琴子を見て、啓太とバイトは笑った。



「今月オープンしたばかりのレストランです。イブの夜にいかがでしょう?」
ランチタイム終了後、琴子は通りで店のチラシを配っていた。
ランチに比べディナーは少し値段が上がる。そのせいか、昼に比べ夜の客足はいま一つなのである。
「あ、サンタさんだ!」
小さい子がサンタの琴子を見て声を上げる。
「おいしいご飯がいっぱいだから、来てね。」
琴子はにこやかに子供にチラシを渡す。
「チェッ、プレゼントじゃないんだ。」
「ごめんねえ。」
なかなか生意気だと思いつつ、これも営業営業と琴子は表情を崩さない。

「すぐそこのレストランです。よろしくお願いします。」
「相原さん…?」
チラシを配る手が止まった。琴子はゆっくりと声がした方を振り返った。
「やっぱりそうだわ。相原さん!」
沙穂子が笑顔で近づいてきた。そしてその後ろには直樹の姿も。

「あ、あの…デートですか?」
「そんなデートと言えるようなものでは。」
沙穂子が照れた様子で手を振った。
「直樹さんのお仕事、すごく忙しくて。今夜も仕事だというのでランチだけでもクリスマスを味わって来たんです。これから場所を変えてそこのホテルのラウンジでお茶に行くところです。」
「そうですか。」
直樹は直樹で琴子の様子を上から下まで見ていた。

――去年もそんな格好してたような。
昨年の今頃もサンタ姿だった琴子を思い出す。あの時は自分だけそれを楽しめたことを密かに喜んでいたものの、今は違う。その証拠に琴子は男物のブルゾンを羽織っていた。それはおそらく啓太のものだろう。
自分以外に上着を貸す男がいるとは。それを考えているだけで直樹の中に、すっかり影を潜めていたモヤモヤが広がり始める。

「あの、そちら頂けませんか?」
「え?」
沙穂子が手を出していた。
「レストランなんですよね?」
「え?あ、そうです。開店したばかりで。」
「今、そのお店を手伝っていらっしゃるんですか?」
「はい。前からの知り合いが店長兼シェフで。すごくおいしいお店なんですよ。」
「まあ、でしたら一度行ってみましょうよ、ねえ、直樹さん?」
チラシを受け取った沙穂子が直樹を振り返った。
その様子を琴子は複雑な心境で見ていた。直樹と沙穂子が親しくする様子を見たくなくて転職したというのに。これでは意味がないではないか。

ところが直樹は意外な行為に出た。
「直樹さん?」
それまで黙っていた直樹が突然、沙穂子の手からチラシを奪った。その乱暴な行動に沙穂子が驚く。
「こんな所、俺たちにはふさわしくありませんよ。」
そしてチラシを琴子の手に押し付けた。
「俺たちの口に合いませんから。」
「ちょっと、何てことを言うんですか!」
あまりの失礼な言い様に琴子が声を荒げた。
「こんなくだらない格好をしている店員のいる店なんて、行くだけ足の無駄です。」
「直樹さん、何てことを!」
これには沙穂子も抗議する。
「…いい加減にして下さい!」
琴子がとうとう怒りを爆発させた。
「さっきから失礼なことを言って!私のことを馬鹿にするのは構いませんけれど、お店とか料理の味は馬鹿にしないで下さい!来たこともないくせに!」
「行かなくたって、お前を見ていれば分かるよ。ああ、もうお前がどんくさくてイライラするだろうってね。」
「余計なお世話です!」
激しく言い合う琴子と直樹の間で、沙穂子はオロオロしてしまっている。

「結構です!二度と来ないで下さい!こちらにもお客を選ぶ権利はあります!」
「頼まれたって行かねえよ。」
「行きましょう」と沙穂子に告げ、直樹は歩き出す。その後ろから、
「どうした、琴子?」
と啓太の声が聞こえた。
「何でもないわ。啓太くん、塩をまいて!塩!」
興奮冷めやらない琴子の声。啓太が落ち着かせようと必死になっている。
「とりあえず、切れた食材をそこのスーパーで買ってきてくれ。」
という啓太の声を背に、直樹は歩く。

「どうなさったの?直樹さん、あれは琴子さんが怒るのも無理はありません。」
ホテルのラウンジで沙穂子が直樹に訊ねていた。
「…別に何でも。」
「お疲れなのではありませんか。いつもはあんな仰りようじゃありませんもの。」
「いつも?」
「ええ。いつもは優しくていらっしゃるのに。」
そう話す沙穂子に直樹は「クスッ」と笑う。
「直樹さん?」
と言いかけた沙穂子であったが、その言葉は大きく鳴り響くサイレンでかき消された。サイレンの聞こえる方向へラウンジの客が首を動かす。
「消防車でしょうか?」
「みたいですね。」
それで沙穂子の気が反れたことで、直樹は助かったと思った。

だが、それも束の間だった。


「さっきの消防車、何台来ていた?」
「分かんねえ。とにかく沢山だったな。」
どうやら火事が近くで起こっているらしかった。ラウンジに入ってきた客の話し声が直樹の耳に届く。
「冬は空気が乾いていますものね。」
沙穂子が心配そうに呟いた。
「そうですね。」
直樹が適当に相槌を打った時だった。

「火元スーパーだってさ。」
「何でも一人取り残されているって大騒ぎになっている。」
「サンタの格好した女の子らしいぞ。逃げてきた客が叫んでいた。」

その瞬間、直樹の手からコーヒーカップが落ちた。それは直樹の膝を直撃したが、直樹は熱さを全く感じなかった。

「直樹さん?」
沙穂子がハンカチをバッグから取り出すのも、直樹はスローモーションに見えた。
が、その時既に直樹は立ち上がっていた。

「直樹さん!!」
沙穂子の声を聞きながら、直樹はラウンジを飛び出し、全速力で火事現場へ走り出していた ――。




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No title

琴子ちゃんは大丈夫でしょうか?直樹は自分の気持ちに素直になれるかな?沙穂子さんは自分は愛されてない寂しさを感じてと三者の結末が楽しみです。

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プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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