日々草子 入江法律事務所 22

入江法律事務所 22






「えっ!!西垣先生、知っていたんですか?」
酒の席に西垣を誘いだした幹は驚いてグラスを倒しそうになった。
「琴子が入江先生に振られたって、知ってたの?」
「まあね。」
西垣はビールを幹に注いでもらいながら答えた。
「なあんだ。」
「桔梗くんは琴子ちゃんから聞いた?」
「ええ。あの子に呼び出されて“先生に振られた~”って。もうすっかりしょげちゃって。あの子のプレイヤー、知ってます?」
「プレイヤーって、音楽聞くあれ?」
「そうです。見事にズラッとクリスマスソングの失恋バージョンばっかり。“クリスマスイブ”でしょ?“白い恋人たち”でしょ?“津軽海峡冬景色”まで!」
そこで西垣はビールを噴き出しそうになった。
「ちょっと待って。津軽海峡…はクリスマスソングじゃないじゃん!」
「あたしもそう言いました。そうしたら“さーよならーあなた~私は帰ります~”ってところが今の気持ちにぴったりだからって。それを聞きながらオイオイ泣いてました。」
「とりあえず、青函連絡船はもうないから飛び乗ることはないか。」
「どうでしょ?」
と、ここで幹が話を本筋に戻す。
「ところで、どうして先生はこのことを知ってるんですか?」
「それは…。」
言い淀む西垣はビールをあおった。
「それは、何ですか?入江先生から聞いたんですか?」
「うん、まあ。」
「何ですか?歯切れが悪いなあ。」
「それはね…。」
桔梗の悲鳴が居酒屋に響き渡った ――。



「おはようございます。」
「おはよう。」
事務所で琴子は平静を装いながら直樹を迎えていた。
「先生、コーヒーです。」
「…ありがとう。」
あれからどれほど経ったか。とにかく一事務員として琴子は粛々と仕事をこなしていた。
失恋の痛みは消えないが、こうして傍にいられるだけで幸せである。想いを胸に秘めておけば直樹の邪魔にならないだろう。それくらいは許されるのではと思う琴子だった。

しかし、そのささやかな願いが今、消えようとしていた。

「相原、ちょっといいか。」
珍しく自分の机から離れ、直樹が応接スペースに琴子を誘った。何だろうと思いながら琴子は前に座った。
「これからのうちの仕事内容についてなんだけれど。」
「はい。」
仕事の話ということで琴子は緊張を覚える。
「今までと少し、いや大分変わるかもしれない。それを承知しておいてほしいんだ。」
「今までと変わるって具体的にどう変わるのでしょうか?」
「そうだな。大企業の法務関連が増えると思う。合併とかそういった類。」
「…難しくなりそうですね。」
今までも企業法務は扱ってきたが、どちらかというと中小企業のものが多かった。
「個人の案件は減ると思う。」
「…分かりました。」
「俺が外に出る機会も増えると思うから、そのつもりで。」
「はい。」
事務所で直樹と顔を合わせていると息がつまりそうだった。直樹もそうなのか、最近は留守にすることが増えつつあった。それよりも増えるということなのか。
「あと、もう一つ。」
「はい。」
直樹は琴子の顔をじっと見た。あまりに真剣に見つめられ、思わず琴子は目を伏せてしまった。
「…俺、結婚を前提に付き合うことにした。」
「…え?」
伏せたばかりの目を琴子は大きく見開いた。
「結婚を前提に?」
「…ああ。」
「ど、どなたと?」
「…大泉沙穂子さん。」

琴子が直樹は自分に恋愛感情がないと思っている同様、直樹も琴子の気持ちが自分にないと思い込んでいた。
こんなに一緒にいたというのに、琴子は自分をただの雇い主としか見ていない。それが何より直樹にショックだった。
その時になって初めて、直樹は自分が琴子を好きだと自覚しそうになった。が、それをすぐに否定した。琴子が自分を好きだと思い込んでいたからこそ、自分も同じだと思おうとしていたのに違いないと自分に言い聞かせる。
琴子の気持ちが向いていないことを知った今、自分は琴子を好きではないという結論に達した。

大泉総合法律事務所の大泉弁護士から、大型案件の業務提携について話をもちかけられたのはそんな時だった。
弁護士として非常にやりがいのある仕事、直樹も興味を持った。大泉弁護士も直樹が優秀であるからこそ、共にやろうと誘ってくれたのである。

その打ち合わせの過程で、大泉弁護士から孫娘と結婚を前提に交際しないかと持ちかけられたのだった。
沙穂子は美しく聡明、人柄もよく申し分のない女性である。どこの世界にこんな素晴らしい女性を袖にする男がいるだろうか。
いつまでも振り向いてくれない人間を女々しく追いかけるより、自分を必要としてくれる相手を選ぶ方がいいのでは――。
直樹は交際の申し出を受けたのだった。



直樹から話を聞かされて数日後。お使いに出ていた琴子は事務所の入るビルの前に立つ、ベージュ色のコートに身を包んだ女性に気付いた。時折、腕時計に目をやる仕草がとても絵になるその女性。
「沙穂子さん?」
声をかけられ、顔を上げた女性は琴子を見て笑みを浮かべた。
「確か…相原さんでしたよね?」
「はい。あ、すみません。いきなりお名前で呼んでしまって。」
「いいえ、ちっとも。」
ふんわりと笑う沙穂子の表情に気を悪くした様子は見えなかった。

「事務所にいらしたのでは?」
「ええ、そうなのですが。まだお仕事の時間ですよね。」
沙穂子が腕時計に目をやる。5時半少し前であった。
「たまたま通りかかったので、直樹さんにお会いしたくて…でもお仕事の邪魔をしたら悪いですし。」
終わる時間まで待っていたのだと、沙穂子が頬を染めながら言うのを琴子は複雑な気持ちで見ていた。
このような気遣いのできる女性だから、直樹の心も魅了したに違いない。自分ときたら騒々しい、仕事の邪魔をしてばかり。

「あ、5時半になりましたよ。」
琴子が自分の腕時計を見て告げた。しかし沙穂子はそこから動こうとはしなかった。
「どうかしましたか?」
「もう少し、こちらでお待ちしています。5時半ぴったりにお仕事が終わるとも限りませんから。相原さんも私に構わず、どうぞ事務所に戻って下さい。ね?」
沙穂子の話を聞いて琴子は穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになった。沙穂子に比べ自分は何と浅はかなことか。
琴子は笑顔を作って沙穂子の腕を取った。
「相原さん?」
「大丈夫です。今日は先生、時間のかかる仕事はしてないはず。秘書の私が言うのだから間違いないですよ。」
「…いいのですか?」
「ええ、大丈夫。先生が沙穂子さんを追い返すわけないじゃないですか。」
琴子は沙穂子の手を引っ張るように、事務所へと向った。



このように、直樹と沙穂子の交際は順調に進んでいった。沙穂子が時折、お手製の弁当を持ってくることもあった。それを琴子は笑顔で見守るよう頑張った。

しかし、そろそろ限界が琴子に近づきつつあった。



「こんなこと、いつまで続くんだろう…。」
仕事を終え、トボトボと歩く琴子は呟いた。
いつまで続くも、永遠に続くに決まっていた。何せあの二人は結婚しようとしているのだから。琴子があの事務所にいる限り、二人の親密さを見続けることになる。
「琴子?」
ふと名前を呼ばれた琴子は顔を上げた。こんな街中で誰が一体?
「何、しょぼくれて歩いているんだよ。」
そこで笑っていたのは鴨狩啓太、以前琴子がアルバイトをしていた店で働いていたコックだった。

「どうしたの?って、その姿は?」
「とうとう店を出すことになったんだよ!」
パリッとしたコック服姿で胸を張る啓太の姿が琴子には眩しかった。

啓太の店は小さいながらもおしゃれで温かい雰囲気のレストランだった。開店前ということでまだ段ボールが積まれている。

「これもお前と先生のおかげだよ。」
コーヒーを出しながら啓太がニッと笑った。
「あそこで疑いが晴れなかったら、こんな日は来なかったからな。」
「そんな。私は何も。啓太くん、バイトの時からいつか自分の店をと言っていたもんね。」
直樹の話はしてほしくなかった琴子はさりげなく話題を変える。
「そうだな。でも色々大変でさ。経営者になるってこんなにやること多いのかって。」
と、啓太が目を向けた先にはビラがあった。
「バイト募集するんだ。」
「ああ。俺が出た料理学校の学生で使えそうな奴がいたから一人は確保できたんだけどね。厨房もホールも野郎ばかりって客足遠のきそうだから、女の子が一人来てくれないかなって考えてるんだけど。」
この給料じゃ難しいだろうか、募集の手続きが結構煩雑だと啓太がこぼす。
「女の子…。」
琴子はじっとビラを見つめた。



翌日。
「先生、お時間いいでしょうか?」
今度は琴子が直樹に時間をもらうことにした。直樹は「ああ」と返事をして二人で応接スペースに移る。
「突然ですが、こちらを。」
琴子が直樹に差し出したのは辞表だった ――。




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いつも、楽しみに読ませて頂いています。

水玉さま、明日はクリスマスイブなのに(-_-)
この展開は???
悲しくて泣けてきました(;o;)
琴子ちゃんが可哀想だよ(>_<)

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