日々草子 入江法律事務所 21

入江法律事務所 21





ホテルでランチを食べながら、沙穂子は直樹が話す法曹界の裏側など、とても興味深そうに聞いていた。でしゃばることもせず、直樹の話に相槌を打って耳を傾けてくれるため、話し甲斐もある。

「そういえば、直樹さんの事務所の女性の方。」
ふと沙穂子が話を切り出した。
「相原ですか?」
「相原さんと仰るんですね。ええ、そうです。」
「彼女が何か?」
「とても優しい方ですね。」
「え?」
「私が傍聴席のどこに座ればいいか迷っていた時、直樹さんが一番よく見える席にどうぞって仰って下さったんです。」
「そうだったのですか。」
「はい。おかげで凛々しい直樹さんがよく見えました。」
「凛々しい」と言った時、またもやほんのりと沙穂子の頬が染まったが、直樹は気に止めなかった。
それより、琴子があの席に座らなかった理由は沙穂子に遠慮したからだったという事実を知り、不思議と胸の中の黒いものが消えていくことに爽快感を覚えた。琴子は西垣の傍に座りたかったからあの席へいたわけではなかった。沙穂子に気を遣っただけであった。



「はあ…。」
一人寂しく割引券を使ってラーメンを食べた後、琴子は事務所に戻った。直樹はまだ戻っていなかった。今頃、あの美しい女性と楽しくおしゃべりをしているのだろう。
「先生が調子が悪い時に必要なのは、私じゃないんだ…。」
直樹は沙穂子に慰めてもらうことを選んで行ってしまった。それが何より琴子にはショックだった。
大蛇森が置いて行ったカトレアの花束を、琴子は花瓶に生ける。花に罪はない。
「綺麗…。」
飾ったら事務所がパッと華やかになった。それは傍聴席に座っているだけで絵になった沙穂子のように。
あの大蛇森でさえ、直樹の傍に相応しい女性として認めた沙穂子である。
「私なんか足元にも及ばない…。」

直樹は二時を過ぎても戻って来なかった。今日は特に来客もないし、問題はない。
「沙穂子さんとそのままデートしているのかも。」
今日が直樹の誕生日だということを、沙穂子は知っているのだろうか。いや直樹から告げているかもしれない。「一緒に祝ってほしい」と直樹が言っているのかも…。



「戻ったぞ。」
琴子の席の問題が解決し、軽やかな気分で事務所に直樹は戻った。
「お、お帰りなさい。」
その直樹の気持ちを知る由もない琴子は、やや戸惑った様子で直樹を出迎える。
「電話が数件ありました。」
沙穂子と何をしていたか気になる所ではあるが、まずは仕事と琴子は留守中の電話メモを直樹に渡す。
「サンキュ。」
何となく晴れ晴れとしているのは、沙穂子と話して気分転換できたからだろうか。琴子の気分は重くなる一方であった。

電話は緊急を要するものはなかった。琴子は「そうだ」と思いだす。
「先生、あの…お疲れじゃありません?」
「疲れ?」
「ほら、疲れている時は甘い物がいいって。」
「何だ突然。甘い物なんてあるのか?」
ここで琴子はハッとなった。考えてみればホテルのランチ、デザートがついているはず。
「いえ、何でも…。」
「付き合ってやってもいいぞ。」
「え?でもランチで…。」
「俺は食べなかった。」
「そうなんですか。」
「で?どこかへ行くのか?」
「いえ、あの、すぐ用意できますので!」
琴子は急いで給湯室へと向った。
沙穂子のことも気になるが、今日はせっかくの直樹の誕生日である。心をこめて自分なりにお祝いしたい。琴子は気を取り直して準備を始めることにした。

「…何だ、これは?」
琴子がテーブルに用意した物を見て、直樹は眉を潜めた。
「何だってケーキですよ、ケーキ。」
「ケーキ、ね。」
それはもはや崩れかけていた。いや、琴子の運び方が悪くて崩れたわけではない。最初からこのような形なのである。
それもそのはず、このケーキは琴子の手作りの、直樹のバースデーケーキである。

「見た目はちょっとあれですけど、味は大丈夫!」
「本当か?」
どうも不安な直樹をよそに、琴子はろうそくをケーキに挿し始める。
「バースデーケーキはろうそくが必需品ですからね~。」
と楽しげに用意していたライターでろうそくに火を灯し始めた琴子の隣に直樹はそっと座った。無邪気にはしゃぐ琴子が微笑ましい。

「さ!準備できましたよ!」
と、琴子がケーキから顔を動かした時だった。琴子の手元を見ていた直樹の顔が至近距離にあった。と、その拍子に…二人の唇が触れ合った。

「…!」
突然のことに驚いた二人が同時に体を仰け反らせる。

「あ、あ、ええと…。」
偶然のキスに、琴子は狼狽する。まさか、こんな状況で直樹とキスをすることになるとは。
嬉しさと恥ずかしさでどうしたらいいかわからない。

しかし、直樹はそれを琴子が困惑しているように見えた。確かに驚くべき事態ではあるが、なぜ琴子はこんなに狼狽しているのか。

―― 俺とキスをすることになったのが、嬉しくない…?

女心に疎い直樹の思考はそこへ辿り着いてしまった。

「せ、先生…あの。」
「…ノーカウント。」
「え?」
「カウントしなくていいってことだよ。」
「カウントしないって?」
ドキドキしながら琴子は直樹の顔を見た。
「…意にそわないキスは、キスに入らないってことさ。」
「意に…そわないって…。」

直樹は琴子を安心させるためにそう言ったのだった。自分とキスをしたことで困惑している琴子を、これ以上見るのは辛かった。

「…心が通じ合ったキスが本当のキスって意味。」
「そ、それじゃ…先生…先生にとってもこれは…カウントなしって…ことですか?」
「…そうだな。」

ハプニングとはいえ、琴子にとっては大切な直樹とのキス。カウントに当然入れたいと思うのに、直樹にとってはノーカウントのキス。
それは即ち…。

―― 先生は私のことを何とも想っていない…。

「そ、そうですね!じゃ、そういうことで!」
これ以上直樹を困らせたくなかった琴子は、無理をして声を張り上げた。
それを聞いて直樹は更に思う。この様子は一体何だろうか。自分がああ言った途端、元気になるとは。それの意味することは…。

―― 俺のことを男として意識してないってことだ。

琴子は直樹を特別だと思って世話を焼いていたわけではなく、単に人の世話が焼くことが好きだってことである。つまり、沙穂子に席を譲った好意と、直樹の世話を焼く好意は同じレベルであるということ ――。



「…消すぞ。」
直樹はそう言うと、琴子が付けたろうそくの炎をフッと一息で消した。

「そうだ、先生!コーヒー淹れて来ますね!」
琴子は立ち上がると、給湯室の方へ走って行く。それを直樹は目で追うことをしなかった。

「コーヒー、コーヒー…。」
直樹のカップ、そして自分のカップを並べて準備を始める琴子。コーヒーメーカーがコポコポと音を立て始めた。そしてコーヒーの滴がガラス容器の中にポト、ポトと落ち始めた。
が、落ちたのはそれだけではなかった。
ポトッ、ポトッ…。
琴子の手に、透明のものが落ちていく。それは琴子の目から零れる涙だった。

「先生は…私のことなんて、何とも思ってないんだ…。」
立っていられなくて、琴子はその場にしゃがみ込んでしまった。そして声を押し殺して泣き始めた。

直樹の誕生日は、二人にとってほろ苦いものとなってしまった。そしてこの日、琴子が編んだマフラーがバッグから取り出されることはなかったのである ――。









というわけで、次回の更新(不定期更新)に続きます…。




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水玉さん♪更新ありがとうございます。

この法律事務所、琴子ちゃんの切なさがとっても大好きなんだけど
直樹さんの鈍感さを見ちゃうと、やっぱりお馬鹿~~!!と
叫んでしまうわ!!!
一生懸命に空元気の琴子ちゃんが・・・・
マフラーをどんな気持ちで編んでいたかと思うと・・・
そしてマフラーをプレゼントする場面も想像していただろうに・・・・
早く琴子ちゃんに笑顔と元気が戻りますように!!直樹さんしっかりね!!

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佑さん、ありがとうございます。

うふふ、佑さんも入江くんの琴子ちゃんばりの妄想を楽しんでいただいているんですね!
そしてゴミ箱行き(笑)確かに、そうですよね!

名無しさん、ありがとうございます。

そうなんです。お互いを思いやりすぎて全然違う方向に行ってしまって!
そうですよね、すっきりしませんよね。
琴子ちゃんのマフラーはどこへいくのやら…?
もう少しお待ちくださいね!

ナイトさん、ありがとうございます。

一緒に耐えて下さるとは!うう、すみません。お辛い思いをさせてしまって!
次回、待っていて下さいね!
楽しんでいただけて、とても嬉しいです。

たまちさん、ありがとうございます。

本当にお馬鹿ですよね。
自分に対する琴子ちゃんの気持ちに自信が持てないんですよね。
だから変なことばかりしでかしていくという。
キスも告白のチャンスになりそうだってのに、ダメにしちゃいましたし。
ファンキービジュアル、今回は登場するでしょうか?

ユメコさん、ありがとうございます。

本当に素直になれない二人…すれ違って行く二人…。
幸せになれるのでしょうか?
どっちかが気持ちをはっきり打ち明けたら、うまい方向へ進んでいくんでしょうけどね。
ありがとうございます、続き待っていて下さいね!

カスガノツボネさん、ありがとうございます。

お嬢様、鈍感な入江くん、控えめな琴子ちゃん…見事に揃ってしまったというか。
本当にカスガノツボネさんもどうしたらいいかと叫びたくなりますよね!
そっか、クリスマスがありますよね!!クリスマスまで待つか、それより早く書くか…うーん、考えてみよう!

ピチカートさん、ありがとうございます。

いえいえ、私だってもう乙女と呼ばれる年齢ではありませんが、心は乙女です(笑)
じらしているようですみません。
ですよね、読まれている方にはじりじりですよね。
ピチカートさんがすっきりしてくださるよう、頑張りますね!
こちらこそ、読んで下さりありがとうございます。

よしピーさん、ありがとうございます。

本当に、深読みし過ぎです!そうですよ、素直に受け取ればいいものを!
「俺は好きな女とキスできて嬉しいぜ」くらい言えれば、トントン拍子に運ぶものを~。
でもこんなこと言えないから入江くんなんですけれどね。

そして沙穂子さんで笑えたのは「牛」!!(笑)
私、読み返してきましたよ!そうそう、これはかなり楽しみながら書きました!この時ばかりは私も書きながら沙穂子さんに同情しましたもん!そりゃあ沙穂子さんも自ら身を引くでしょう!

私のコメントのお返事に悶えて下さるなんて!!
いつもお返事が拙くて申し訳ないと思っているので、こちらこそ、本当にそんな風に言っていただけて嬉しいです。
そして五周年へのお祝いコメントもありがとうございます。
そうそう、私もスマホは大の苦手でして。分かります~!!

本当にこれからも気の向くままに続けられたらと思います。

ととろんさん、ありがとうございます

そうですよね。このままいい雰囲気になるかと思いきや…更に悪化。
ととろんさんの胸を締め付けてしまい、申し訳ありません。
でも何とも言えないなんて、うふふ。
次も楽しんでいただけるよう、頑張りますね!

トコさん、ありがとうございます。

ありがとうございます!このシリーズは楽しみにして下さっている方が多くて嬉しいです。
悲しませてしまいすみません。
次回までお待ちくださいね♪

紀子ママさん、ありがとうございます。

そうなんですよね。入江くんは自覚してませんもんね。
ここまで考えて自覚しないのも不思議ですけれど。

やっぱりお嬢様を出すと盛り上がりが違いますよね。
入江くんの行動には必須アイテムなお嬢様です。

いつ入江くんが自覚するか。
琴子ちゃんはどうするのか。

もうちょっと我慢して下さいね。

ゆみのすけさん、ありがとうございます。

ゆみのすけさんはいつも、うちのお話で二人が結ばれるまでの過程を楽しんで下さいますもんね。
本当にお馬鹿な直樹さん。と、今回もゆみのすけさんの「おばか」が聞けて嬉しい限り(笑)
琴子ちゃん、一目、一目どんな気持ちで編んでいたか…心をこめていたでしょうに。
それを渡すことすらできずに。本当に可哀想。
あんなことを先回りして言われたら、手も足も出なくなりますよね。

でめさん、ありがとうございます。

いえいえ、そんな風にまで思っていただけてとても嬉しいです。
そんなに気にしていただけるなんて!有り難い限りです。
そして泣くな、琴子!どあほ、直樹!の叫び、短い中に気持ちがとても伝わってきて。
大好きといっていただけて、本当によかったです!

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るんるんさん、ありがとうございます。

そうです、連れては帰ってきませんでした。
でもこれから、沙穂子さんには活躍していただく予定です(笑)
入江くん、頭がいいのにこういうことは本当に!!
マフラー、どこへ行ってしまったんでしょうね?
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

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