日々草子 サブ・ローザ 27

サブ・ローザ 27






丸一日が休みということで、久々に琴子はウィンドーショッピングなどしようかと1人で街をぶらついていた。
「あ、このシャツ入江くんに似合いそう。」
などといい気分だった時である。

「ちょっと。」
「はい?」
服を見ているだけなのにと思いながら、琴子は振り返った。黒塗りの車が傍に止まっていた。
その後部座席の下ろされた窓から見えていた顔、それは寺崎波名子であった。
「話があります。」
「え?話?」
「乗りなさい。」
「乗りなさいって、あの、それはちょっと…。」
「人が見ているでしょう、グズグズしないで!」
琴子が見回すと、運転手がついている車は明らかに注目されている。
「どうぞ。」
いつの間に出てきたのか、その運転手が後部座席を開けた。
「さっさと乗りなさい!」
波名子の命令口調に威圧され、琴子は車に身体を滑り込ませた――。



琴子が連れて来られたのは、波名子が毛嫌いしていると聞いていたあの寺崎邸であった。
「相変わらず陰気臭い家だこと。」
本当に嫌っていることが、その表情から分かる。
以前理志に案内された応接間でも、あのバラの部屋でもない部屋に琴子は通された。
その部屋も応接目的で作られたようである。一体、寺崎家にはこのような部屋がいくつあるのだろうか?

「どうぞ…。」
先日来た時とは全く違い、どこか怯えている様子の家政婦はお茶を出すとさっさと出て行ってしまった。

「ずいぶんと大層なことをしてくれたようね。」
単刀直入とばかりに、波名子が言った。
「あなた、一体どいういうつもりであんなことを言ったの?」
「あの、お話がよく見えないのですが…。」
多分あのことだろうとは見当はついていたのだが、琴子は波名子に一応確認しようと思った。
「とぼけないでちょうだい!」
窓枠が音を立てたのではと思う波名子の声である。
「大山田建設のご令嬢になんて失礼なことをしたのかって言っているのよ。」
やはりそのことかと琴子は思った。

「いい?あの男が妾腹だってことは私共の世界では知れ渡っていることなの。当然よね。私からあんな息子が生まれるわけないもの。世間では政界のプリンスだ何だともてはやされて調子に乗っているでしょうけれど、見ている方は見ているものなのよ。」
別に理志は調子に乗っていないと思うがと琴子は言いたかったが、黙っていた。
「そんな生まれの男のために、この私が骨を折って探してきた縁談なのよ。せめて嫁はきちんとしたお家からと思って。大山田様のような御立派なお家が、妾腹の男でもと仰って下さってお見合いまでこぎつけたというのに…。」
波名子はテーブルをバンと叩いた。
「それをぶち壊すなんて、あなたは一体どういうつもりなの?」
「わ、私は壊すつもりなんて…全然…。」
「おだまりなさいっ!福子さんはあんな男を気に入って下さったというのに。あんな男のために東京から神戸まで足を運んで下さったというのに、ひどい扱われようだったというじゃありませんか。あなたのような分際であの福子さんを愚弄するなんてどういうつもりなのかしら?」
「愚弄なんてしてません。私は何も…。」
「考えてみれば、週刊誌に取り上げられた時からあなたは虎視眈々と寺崎の地位と財産を狙っていたのね?私が問い詰めたときはそんなつもりないと言っておきながら、こうしてまだ、寺崎の周りをチョロチョロしているじゃない。ああ、これで大山田建設のバックアップもなくなってしまったじゃないの。この責任、あなたはどう取るつもりかしら?」

波名子の中では、琴子は理志を誘惑する悪女になっているらしい。

「まったく、どこの馬の骨かも分からないこんな小娘の、どこがいいのかしら?やはり血の流れというものかしら?あんな女から生まれたから、自分もどうしようもない女を選ぶものなのね。」

ものすごく罵倒されていることに琴子は気付いていたが、それを訂正する気はなかった。
というより、この波名子という女性はおそらく、自分の生まれた家(それがどんな家かは知らないが)と同レベルの家の関係者しか人間に見えていないに違いない。自分の育ってきた世界(どんなものかは知らないが)にいない人間は全て「どこの馬の骨か分からない」人間となるのだろう。そう考えることしかできない波名子が、琴子には哀れに見える。

「あなたにこれ以上、寺崎家をめちゃくちゃにされたくありません。」
と、波名子は美しく彩られた爪で、自分のバッグを開けた。中から出てきたのは分厚い封筒であった。

「これで寺崎家から離れなさい。」

札束が封筒の隙間から見える。

「こんな大金、あなたは見たこともないでしょう?だから十分でしょう。ただし。」
大金を前に言葉を失う琴子に、波名子はきっぱりと告げた。

「東京、神戸には絶対に近寄らないと誓うこと。寺崎の地元は神戸、そして政治は東京です。その二か所にあなたがいなければ変な考えも起こさないでしょうし、あなたも姑息な手を使うこともできないでしょう。」

「そんなこと、できません!」
即座に琴子は答えた。どうして他人に自分の住まいを奪われなければいけないのか。

思いがけない琴子の反論に、波名子が眉を吊り上げる。
「これでは足りないということ?虫も殺さぬ顔をしておきながら、欲の深い人間ね。」
「違います。そういう意味ではありません。お金もいりません。」
「嘘おっしゃい。金目当ての意地汚い人間のくせに!」
「違います。あの…その考え、おかしいです!」
とうとう琴子は黙っていられなくなった。

「まず、私と理志さんには何の関係もありません。私は大切な人がいますので!」
ここは結婚していると言うべきだとは思った。しかし、下手にそんなことを言って直樹の身に何か振りかかったら大変なことになる。
「ですので私は理志さんと結婚することもありません。」
「どうかしらね?」
琴子の言い分を波名子は頭から信用していなかった。
「本当です。そして理志さんに接しているのは、あくまで寺崎さんの担当看護師としてです。それ以上何も考えていません。理志さんのお気持ちは嬉しいですが、そういう事情ですのでお受けすることはできません。」
「嘘はいくらでもつけるわよね。」
「嘘じゃありません。」
どう説明したらこの女性を納得させられるのか。いや、自分には無理だろう。

「とにかく、私はそういうことなので。東京と神戸に行かないということもできません。今現在、神戸で働いていますし、東京は実家がありますから。」
「何て…何て生意気な!!」
波名子が目を吊り上げ、今にも角を出さんばかりの恐ろしい顔で立ち上がった。
「本当に何て女なのかしら!」
これまで自分に刃向った人間などいなかったのだろう。

「このっ!」
激昂した波名子はテーブルの上の、紅茶が入っているポットを手に取った。
「…売女!!」
叫ぶとそのポットの蓋をとり、琴子へと向ける。
紅茶がかかると分かっても、琴子は逃げることもできなかった。熱さに耐える覚悟をし、目をつぶった。

その時、琴子の体に大きなものが覆いかぶさった。と同時に、バシャーンという音が耳に聞こえた。


音は紅茶が掛かった音だろう。それなのに、なぜ自分は熱さを感じないのだろうか。
そしてこの重みの正体は一体?琴子はおそるおそる、目を開ける。と、すぐにそれが大きく見開かれた。

「入江くん!!」
重みの正体は直樹だった。直樹が自分を守ってくれていた。しっかりと琴子の体に覆いかぶさっている。
が、その背中からかすかに湯気が立っていることに琴子はすぐに気づく。

「…大丈夫か?怪我は?」
「大丈夫。私は何ともない!でも入江くんが!!」
濡れた背中を見て、琴子の理性は一瞬で吹っ飛んだ。
「入江くん、しっかりして!!入江くん、入江くん!!ああ、お味噌!!お味噌!!」
「馬鹿か、ったく。味噌なんてきかないって前に言っただろ?」
「で、でも…。」
半狂乱となっている琴子に直樹が微笑む。
「お前は看護師になってもそこは変わっていないんだな。」
「入江くん…。」
理性が飛んだ琴子の目から涙がぽろぽろとこぼれる。と、同時に琴子はここで初めて波名子を見た。

「何て…何てことをしたんですか、あなたは!!」
今まで黙っていたが、直樹が傷ついた今、琴子は我慢ができなかった。
「入江くんに何かあったら、私は絶対あなたを許さない!!」

「あ、あなたが悪いんでしょう?」
突然の乱入者に驚いていた波名子は、最初の気迫こそそがれていたものの、まだ強気だった。
「だからといって入江くんに…。」
「…ストップ、琴子。」
興奮してわめく琴子の口を直樹が止めた。
「でも、入江くん。」
まだ何か言いたそうな琴子を黙らせると、直樹は波名子へ顔を向けた。

「確かにあなたはいいお生まれかもしれない。だが中身は下品そのものだ。」
「な、何ですって?」
「俺の妻に向かって何と言いましたか?売女?そんな下品な言葉で侮辱するな!!」
美しい直樹の顔が怒りに燃えている。それを見て、さすがの波名子は口をつぐんだ。

バシャーンッ!!

静まり返った部屋に水音が響いた。

「入江先生、手段を選んでいられないので。」
直樹の背中に、理志がバケツに入った水をぶちまけていた。
「次を。」
「はい!」
家政婦に持たせていたバケツの水を受け取り、理志はまたそれを背中にかける。家政婦は空いたバケツを手に次の水を急いで汲みに行く。

「もう、大丈夫です。」
何杯目かの水でシャツがビショビショになった時、直樹が手で理志を制した。

「申し訳ありません、先生。」
自分もすっかり濡れた理志がその場に膝をついた。
「俺のせいでこんなことに…本当に何とお詫びしていいか!!」

「…何よ、一体!!」
波名子の怒声が部屋に響いた。
「いい加減にしなさいよ!!」
すっかり逆上した波名子は、テーブルの上のカップを壁に向かって叩きつける。
「どいつもこいつも!!私を馬鹿にして!!」
カップを粉々にしてもまだ気が済まないのか、波名子は部屋に飾られていた花瓶などの装飾品も手当たり次第、床や壁に叩きつける。

ガシャーンという音が次から次へと続く。
琴子は直樹を守ろうとしたかった。しかし体は動かない。なぜなら直樹は怪我をした身体で琴子を守ろうと、しっかりと抱きしめていたからである。直樹は何があっても、琴子を守るつもりだった。

「入江先生、相原さん。車で送らせますから玄関へ。」
物が壊れる音が響く中、理志が言った。
「でも…。」
「これ以上お二人に危害を与えるわけにいきません。さ、早く!」
理志に背中を押されるように、直樹と琴子は立ち上がる。それでも直樹は琴子を庇っている。

「今日はとりあえずお帰り下さい。お詫びは後日改めて。」
「でも理志さんに何かあったら…。」
こんな状況に理志を残すことは、琴子も直樹も不安だった。
「大丈夫です。」
理志が運転手に頷くと、車は静かに発進した――。




関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

水玉さん、こんにちは。
更新ありがとうございます。

理志さん、直樹の話に驚かれてるようですね。直樹は琴子一筋ですよ。
理志さん、諦めるしか無いよね。
琴子も直樹一筋ですから。
夫婦でありながら、内緒にしていた事は不審を、でも二人には、恋人期間が無いのよね。
だから、夫婦でも秘密にして、恋人関係を。
事情お察しいただけましたでしょうか?
そんな二人の会話中に、あの後妻さん波名子が琴子を拉致したようですね。
琴子を強制的に寺崎家へ連れてきて、罵倒していますね。
何で琴子がこの方に、罵倒されないといけないのかしら、おまけにポットに入ってる紅茶を琴子目掛けて。
でも咄嗟に直樹が庇ったようで、直樹が大変な状況に。直樹も波名子に向かって、怒りを
爆発させたようですね。
売女発言、許せないですよね。
理志さんも、お手伝いさんも直樹に水を。
本当に酷い事をされますね、このお方。
ここは、取り合えず退散ですね。
病院へ急がないと、いけないのでは。
冷やしたとは言っても。
しかし、ここ迄酷い事をされるなんて、困ってしまいますね。
この方、もう正常ではないですね。
この後、理志さんに危害を加えないかしら。
直樹も琴子も気がかりだよね。

tiemさん、ありがとうございます。

そうです、琴子ちゃん拉致されました(笑)
私はどなたかが、コメントで拉致と言って下さるのを待ってました。ありがとうございます(笑)
確かに理志にひどいことをしないか心配ではありますが、イリコトがいるとますますヒートアップしそうですしね。
入江くんと琴子ちゃんはお互いしか見えていないから、誰も間に入れないんですよね。

トトロンさん、ありがとうございます

こちらこそ、読んで下さりありがとうございます。
波名子さん、もう通常の人間の物差しじゃ計れないくらいのスケールになってますけど(笑)
でもちょっとは寂しさがあるのかもしれませんね。トトロンさん、優しいですね♪
ぜひ次回も楽しんで下さるといいなあと思っております。

hinaさん、ありがとうございます。

そうなんですよ、自分で自分を不幸にしているんですよね。
とりあえず、その人を見下す性格を直さないと。
自分が一番だと思っている感じですし。
だから琴子ちゃんも怒りよりも哀れさを先に感じたんでしょうね。
彼女の存在を認める…いつか出てくるといいですね。
サブキャラ、しかもヒールなのにここまで考察して下さってとても嬉しかったです。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

現在の御訪問者
現在の閲覧者数:
御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

カテゴリー+月別アーカイブ
 
最新コメント
最新記事
カボチャの世界
Private
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
リンク