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2013.09.12 (Thu)

サブ・ローザ 22

長くなったので、話を分けますね。






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「…入江先生、お見事です。」
寺崎が弱々しく微笑んだ。
「もはや私に弁明の余地はありません。あなたは政治家としても十分、弁が立つかと思いますよ。」
「国を動かすようなこと、私にはとても。」
直樹も寺崎の軽口に乗った。だが、二人ともすぐにまた、元の固い表情になってしまった。

「…妻の性格はお二人とも御存知かと思います。だからといって許される理由にはなりませんが、私は他の女性に安らぎを求めました。そこに理志が生まれたのです。」

と、ここで寺崎は琴子を見た。

「すみません、相原さん。お水をいただけませんか?」
「はい。」
琴子はペットボトルの水を湯呑に注いで、寺崎の前に置いた。寺崎はそれを一口飲み、「ふう」と息をつく。直樹の話を聞いている間、きっと緊張していたに違いない。

「…私は純粋な愛情を理志の母親に注いでいました。しかし、彼女は違っていました。彼女は私のことを金のある政治家としか見ていなかった。金があれば誰でもよかったのです。」

あの気性の激しい波名子から逃れ、安らぎを求めた筈が、とんでもない女性につかまってしまったといったところだろうか。

「それを知って、私の愛も冷めました。もはや彼女と交際を続ける気は全くなかった。しかし子供は違います。まぎれもない私の子です。可愛いと思いました。だけど理志を引き取ることはできなかった。私の子でもあるが、彼女の子でもある。理志を母親から取り上げるという行為が残酷に思えたのです。そして波名子の存在もあります。あんな女ではありますが、波名子を裏切ったということは事実なのですから。」

確かに波名子を裏切ったことは間違いない。寺崎は夫として最低な行為をしたことに変わりはない。

「自分でも勝手だと思いました。結局、理志を認知し充分な養育費を与えるということで結論が出ました。」

認知しただけでもましだと直樹は心の中で思った。世の中には自分の子供と認めないからこそ、醜い財産争いが起きるのだから。

「理志が不自由ないように送金を続け、定期的に様子を知らせるよう手配をして数年が過ぎた頃です。」
「…虐待されていることを知ったのですね?」
直樹の問いに、寺崎が頷いた。

「充分過ぎるほどの養育費を送っているというのに理志が薄汚い格好をしているという連絡が入ったのです。同年代の子に比べどうもやせ細り過ぎていると。私は自分の目で確かめに行きました。理志が母親と共に暮らしているアパートに出向いたら、その部屋から悪臭が出ていた。私は管理人に事情を話し部屋を開けさせました。するとそこに、もう泣く気力もなくなっていた理志が寝ていたのです。たった一人で。」

琴子を握る手が震え出した。琴子も震えずにいられなかった。

「…ネグレクト、ですね。」
直樹の言葉に寺崎は小さくうなずいた。

「調べたら母親は理志を放り出し、何日も帰らない事が多々あると。私が理志のためにと送り続けた金は男たちに貢いで、一銭も理志のために使っていなかったことが分かりました。もうそんな女の元に理志を預けておくことはできませんでした。私はそのまま理志を連れ帰りました。」

どんな思いで幼い理志はそんな状況に耐えていたのだろうか。それを考えただけで琴子の胸は張り裂けそうになる。あまりにかわいそう過ぎる。寺崎が連れ帰ったことは当然だと思う。

「当然、母親は怒鳴りこんできました。しかし私は一歩も譲る気はありませんでした。母親は理志を愛してなどいませんでした。それなのに誘拐だの、何だのと騒ぎ立てて。そう、理志が嫌っていたあのバラの部屋でのことです。」

寺崎はまた、直樹が飾ったバラの絵を見た。バラは寺崎にとっても辛い思い出なのかもしれない。

「金に汚い女です。私はかなりの額の金を母親の前に積み重ねました。すると思った通り、すぐに黙りました。ゴクリと唾を飲み込む音、今でも私は覚えています。」

寺崎の話しぶりがあまりに具体的で、琴子は自分もその場にいるような錯覚をした。

「私が金を準備したことで、もっと絞るとることができるとあの母親は考えたのでしょう。意地汚く要求してきました。しかし私はこれ以上出すつもりはない。この金額で今後一切、理志の前に姿を見せるなと強く出ました。すると母親は私とのことを世間にばらす、私の政治生命を断ち切ってやると喚いたのです。」

まさしく修羅場だと、直樹と琴子は思った。そんなことが本当に起こるのかと信じられない。

「私は好きにすればいいと言いました。私の政治生命など理志の命と比べようがなかった。私が妻を裏切ったこと、理志を作ったことは事実なのだからその責めは負う覚悟だとはっきりと告げました。その代り、理志を虐待したことをすぐに警察に通報すると。途端に母親は黙りこんでしまいました。私が世間体を気にして要求するがままの金を用意すると思っていたのでしょう。脅しが全く通用しないことで気をそがれたらしく、用意した金を受け取り、姿を消しました。それ以降、理志の前に姿を見せていません。何をしているかも私は知りませんし、知りたいとも思いませんでした。」

この寺崎が本気を出したら、その辺の人間は太刀打ちできないだろうと直樹は思う。政治家一家に生まれただけでは、あの世界で生き抜くことはできない。寺崎の強さは本物だ。

「波名子の荒れようは手がつけられないほどでした。私は裏切ったことは事実なのだからその点は何度も謝罪しました。それでようやく、理志を手元に引き取ることができたのです。」
「理志さんの虐待のことは、奥様はご存知ないのですね?」
直樹の問いに、
「ええ。それを話したら間違いなく、波名子は理志に告げるでしょうから。波名子には申し訳なかったのですが、どうしても跡取りがほしいと主張して認めさせました。波名子はいくら周囲がいっても子供を作る気はなかったのです。母親になることより、着飾って遊びまわることを選んでいましたから。私も波名子との間に子供を持ちたいとは思いませんでした。」
と寺崎は答えた。

「よく、奥様は理志さんについて詳しく調べなかったと思うのですが。」
続けられる直樹の問いに寺崎はフッと笑って、
「あれは人間を上流、下流に分けて考えます。勿論自分は上流の人間。夫を寝取った女など下流。そんな下流の人間を調べるような暇は自分にない、気にもしないのが上流の人間だと考えていますから。その点だけは、あの性格で助かりました。」
と答えた。

「私は理志を今まで辛い思いをさせた分を取り返すように大事に育てようと決意しました。些細な苦しみももう与えたくなかった。まずは大学までのびのびと過ごせる小学校を選びました。ただ、過保護にならないようにだけ気をつけました。悪いことをしたら叱りましたし。親ばかと笑われますが、理志はなかなか出来のいい子供で学業も優秀で人望もありました。私はこれならば跡を継がせられるのではと期待するようになったのです。でも理志は理志でそれに息苦しさを感じていたのですね。」

「恐らく理志さんは決めつけられた自分の将来への不満、奥様の自分に対する態度。なぜ自分はこのように生きなければいけないのか。何が起点でこういう生き方をすることになったのかと考えたのでしょう。それである時、突然、バラの部屋での出来事を思い出したのではないでしょうか?」
直樹が言った。
「自分を跡取りにしたくて引き取ったと理志さんは思い込んでいる。それで実の母親と引き離された。人というものは記憶の中ではどんどん美化されていくものです。理志さんが父親のあなたに反発を覚えると同時に、理志さんの中の実母はどんどん美化されていったことでしょう。そこでふと、幼い頃の記憶の断片を思い出した。大金を間に対峙するのは自分を押さえつけている父親と、幼い頃に別れた母親。どちらが悪人に思えたかは…言うまでもないでしょう。」

サブ・ローザ―― あまりに悲しい事実だった。寺崎は息子を思うあまりに憎まれることを選ぶ。理志の誤解を解くためには、深く傷つくことは避けられない。

―― 可哀想すぎる…二人とも。

こんなに寺崎は理志を愛しているのに。その愛が報われることがないなんて。あまりに悲しすぎると琴子は泣きそうになった。
が、自分が泣くわけにはいかない。一番悲しいのは寺崎なのである。他人の自分が泣いたとて何も解決しない。

寺崎の手の温もりが辛いと琴子が思った時だった。

バサッ…。

ドアの向こうで書類が落ちる気配がした。それに三人とも顔を動かした。

ドアの近くにいた琴子が立ち上がる。「まさか」と思いながらドアを開けた。

「理志…。」

足元に落ちた書類を拾おうともせず、理志が真っ青な顔でそこに立っていた。




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