日々草子 サブ・ローザ 21

サブ・ローザ 21






琴子は「え!?」と声を上げるところを何とか堪えた。
―― 虐待?
一瞬耳を疑った。しかし間違いなく、直樹はそう言った。

「自分でも突拍子のないことだと何度も思いました。しかしそう考えると符号が全て合う気がするんです。勿論、間違っていたら大変失礼なことだと分かっています。」
「それを承知の上で、お尋ねだということですか?」
「はい。」
直樹の意思は固いものだった。
「私が理志を虐待したと?」
「いいえ。寺崎さんではないでしょう。」
直樹の答えに、琴子は胸を撫で下ろした。あの寺崎が虐待していたとしたら…想像もしたくなかった。

「仮に寺崎さんが虐待していたとしたら、理志さんは今、政治家の道を歩むことはなかったはずです。理志さんは非常に優秀な方です。父親の選んだ学校で過ごしたとしても、卒業後に自分の好きな道へ進むことは可能です。」
寺崎は黙って直樹の推論を聞いている。
「自分を虐待していた親と仕事でも家でも顔を合わせることを選択などしないでしょう。それにもう一つ、気にかかることもありました。」
「気にかかる?」
「はい。“お金で買われた人間”と理志さんが言われたことです。」
波名子のあのセリフかと、琴子は思った。あの時はどういう意味かと思ったが。

「私は担当医として、どう考えても寺崎さんがそのような、金で人を言いなりにさせるようなことをする人には見えませんでした。寺崎さんは権力を振りかざす人とは思えません。」
「先生に仰っていただけるような人間ではないですよ。」
寺崎はクスッと笑った。

直樹の考えに琴子も同じ思いだった。寺崎は琴子が思い描いていた政治家とは全く違うタイプであった。そんな寺崎が理志を金で買い、虐げることなどするわけがない。

「…そうなると、妻か?」
寺崎は直樹に訊ねた。
「確かにあの女ならば理志を虐げても、不思議はないな。」
「…いいえ、違います。」
直樹の返答に琴子は驚く。寺崎でなければ残るは波名子しかいないのではないだろうか。
理志は波名子に無視され続けたと言っていたことだし。
しかし驚く琴子とは対照的に、直樹の答えを聞いても寺崎は落ち着いたままであった。

「奥様は確かに、理志さんに好意的ではないようです。しかし奥様も虐待をするようなことはない気が私にはします。」
「…プライドの高い女だからな。そんな愚かな真似はしないと私も思う。」
「率直に申し上げますが、もしも虐待をしていたとしたら、いくら寺崎家のためとはいえ自ら縁談を持ってくるとは考えられません。」
「なるほど。」

それならば一体、誰が理志を虐待していたというのだろうか。琴子は緊張しながらその答えを待つ。


「では誰だというのだね?」
寺崎も琴子と同じ考えであった。
「それは…。」
直樹は口を開いた。

「理志さんの実の母親ではありませんか?」

これまで平静を保っていた寺崎の顔色が、明らかに変わったことを琴子は見逃さなかった。

「理志さんの実の母親が虐待をしていた。そう考えると“金で買われた”、サブ・ローザの部屋を嫌う理由、すべて辻褄が合うのです。」

寺崎は何も答えなかった。もしや具合が悪くなったのではと琴子は思い腰を浮かせた。それは直樹も同じ思いだったらしく、脈を取ろうと寺崎の手に触れようとした。
「いや、大丈夫だ。」
寺崎は手を振ってそれを拒んだ。
「大丈夫だ、気分は悪くない。続けてくれ。」
「…いいのですか?」
「ここまで話しておきながらおしまいとは、あまりに残酷ではないかね?」
直樹は寺崎の顔を少しの間見つめた。すると寺崎は直樹の視線を交わすように、ベッドサイドのバラの絵を見た。
「この絵の前で話すことは秘密にする。それは確かだね?」
「…はい。」
「ならば話してもらおう。」

「最初に考えたのは、なぜ理志さんがその部屋を嫌うかということです。」
寺崎の希望通り、直樹は最後まで話すことにした。
「相原看護師はその部屋の装飾を褒めたと話していました。それなのに出ようと促された。それもすごい剣幕で。その部屋で過去に何かが起きたのでしょう。それは何か?」
直樹は淡々と話す。
「それはお金で自分を買う父親の姿を目撃したのではないでしょうか?」

では波名子の話は誇張ではなかったというのか。そんな酷いことをなぜ寺崎が?琴子の頭の中は疑問符だらけであった。
ここで自分がこのような重大な話を聞いていていいのかと、琴子は迷った。やはり自分は外に出て直樹と寺崎の二人きりにするべきではないか。

「相原さん。」
思わず直樹が自分を呼び、腰が中途半端に浮いた状態で琴子は顔を向けた。
「俺と寺崎さんは話をすると夢中になるだろうから、相原さんはちゃんと寺崎さんの様子に気を配っていてくれないか?」
直樹はここで琴子が遠慮することが分かっていたのだった。
そんな直樹の目は、看護師として自分を信用していると言っている。琴子にそれがはっきりと伝わった。
「少しでも寺崎さんの様子に異変を感じたら、迷わずストップをかけてくれ。」
「分かりました。」
琴子は再び椅子に腰を下ろした。そうだ、自分は寺崎の担当看護師である。看護師として患者の様子を見守ることが一番の仕事だ。直樹はそんな自分を信頼して、この場に同席させてくれているのだ。

「なぜそのような状況になったのか。それは寺崎さん、あなたは理志さんをどんな方法でも救わなければいけない理由があったのではないかと思ったのです。」
「それが金だと?」
「はい。」
直樹は頷いた。

「お金で子供を引き取るなど、あなたのような清廉潔白な方は一番軽蔑する方法だと思います。それなのになぜ、そのような手段を選ばねばならなくなったか。それは理志さんを実の母親に養育させることができない状況が発生したからではないでしょうか。手元に置いておけない理由となると、第一に考えられるのは虐待です。」
直樹もこのようなことを口にしたくないのだと、琴子は分かった。それなのに話をしなければいけない直樹、聞かねばならない寺崎を見ていることが琴子には辛かった。

「しかし実母はなかなか息子を渡そうとしなかった。愛情からではなく、何かあった場合にあなたを脅す手段として理志さんを手離したくなかったのでしょう。しかしそのまま理志さんを預けておくといずれ、生命の危機が迫るかもしれない。あなたはそれだけは避けたかった。そして、彼女が一番望む形で理志さんを引き取る方法に出た。それが金銭的解決です。」

寺崎の手が震えていた。震える手で布団を力の限り握りしめている。琴子はそれを見て、直樹の推論が正しいことを知った。
知ったと同時に、琴子はついと立ち上がった。
直樹が何事かと、琴子を見る。琴子は寺崎の傍、直樹と向かい合う形で座った。

「寺崎さん、私の手を握って下さい。」
「え?」
「私の手、こう見えてもかなり頑丈なんです。力の限り握って下さって構いません。」
「相原さん?」
「布団より、人の手の方がずっと温かいです。落ち着くと思います。」
琴子は寺崎の手の前に自分の両手を差し出した。
自分にできることはこれくらいしかない。寺崎の顔を見ているだけでは歯がゆい。
「…ありがとう。」
緊張で強張っていた寺崎の顔が、少しだけほぐれた。そして琴子の手をしっかりと握る。
それを見て、直樹も微かに笑ったのが琴子に見えた。

寺崎の手に触れながら、琴子は直樹の話を振り返った。お金で買われたという話の元はそうだったとしたら、なぜそれを寺崎は理志に訂正しようとしないのだろうか。
その答えは間もなく直樹が発した。

「話に戻りましょう。そう考えると、寺崎さんはなぜ、理志さんの誤解を解こうとしないのかが不可解になってきます。金で買ったわけではない、苦渋の決断だったと一言言えば、優秀な理志さんはすぐに理解するはずです。しかし、敢えてあなたはそれをしようとしなかった。それはなぜでしょうか?」
寺崎の手が震える。琴子はしっかりとをそれを受け止めて、直樹の話の続きを待った。

「理志さんは、虐待されていた事実を覚えていないのではないでしょうか?」

少しの間、沈黙が病室を包んだ。

「私の先輩医師が虐待された子供を診察したことがあったそうです。体に受けた傷も見ていられなかったそうですが、その子供は心に受けた傷も相当深かったそうです。その子供は…虐待されていたことを全く覚えていなかったというのです。」

「覚えていなかった…。」
思わず琴子は口に出してしまった。が、直樹は気に止めずに続ける。

「全く覚えていなかった、すなわち自分の心に蓋をしたのでしょう。だから警察や児童相談所がいくら訊ねても虐待をしていた人物を明かさなかった。いや、覚えていないのだから明かせようがなかったとういことだそうです。それは理志さんにも当てはまったのではないかと私は考えたのです。」

寺崎は目を伏せていたが、体は大丈夫そうであった。

「理志さんも母親に虐待されていたことを忘れていた。辛い記憶など忘れたままの方がいい。寺崎さん、あなたはそう判断したのでは?」
寺崎は答えなかったが、その表情は肯定していた。

「しかし、何らかの形で理志さんはあの部屋で、あなたが実母にお金を渡すところを目撃してしまった。理志さんはそれを見てあなたが母親から自分を金で買ったと思い込んだのでしょう。それを訂正することは簡単です。だが訂正すると、なぜあなたが母親に金を渡していたかという事情を説明しなければいけない。それは理志さんに虐待のことを思い出させることになってしまう。」

直樹は寺崎の様子をうかがう。寺崎はまだ目を伏せたままだった。

「それだけはあなたは避けたかった。あなたは理志さんを何としても辛い過去から守りたかった。それであなたは、自分が憎まれることで理志さんを守ることを決めたのです。だから理志さんにどう責められても、あなたは何一つ言い返さなかった。」

直樹は告げた。

「あなたは父親として深く理志さんを愛しているからこそ、そのような辛い決断をしたのです。」


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まあちさん、ありがとうございます。

確かにあの執事みたいな雰囲気ですよね。
鋭い推理を披露する名探偵…。
入江くんだったら執事も似合いそうですよね。

YKママさん、ありがとうございます。

あははは。
確かに、これだけの洞察力をなぜ愛妻に使わないのか?
きっと琴子ちゃんを前にすると全然働かないんでしょうね。というか働くけれど、全然違う方向へとすすんじゃったり。
寺崎親子は、このままでは二人とも不幸ですよね。いい方向へ行くといいのですが。

たまちさん、ありがとうございます。

確かに寺崎さんも気の毒ですよね。
息子に生まれたまま生きていくなんて。いくら過去を封印するためとはいえ。
一人息子なのに。
本当にかわいそうすぎる気がします。
理志さんがうまく気づくといいんですけれど…。

紀子ママさん、ありがとうございます。

いえいえ、そんなことないですよ。
今回のお話はちょっと重かったですよね。紀子ママさんに辛い思いをさせてすみません。
確かにヒール波名子だったら、憎めますもんね。
実の母親だったなんて悲しすぎます。
寺崎さんはきっと一生、理志さんに思い出して欲しくないと思っているでしょうね。
子供が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がいいって、まさしく無償の愛ではないでしょうか?
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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