日々草子 サブ・ローザ 13

サブ・ローザ 13





直樹の元に驚く相手から連絡が入ったのは、琴子に離婚届を渡してから一週間経った頃だった。
未だ琴子からは「提出した」という話は聞いていないので、まだ自分たちは夫婦なのだろうと思いながら、直樹は連絡の内容を伝えにVIP病棟へと出かけた。



「親父、最近は落ち着いているみたいですね。」
その頃、琴子は理志と病棟の一角で話をしていた。最近になってようやく理志は父親の病室へ顔を出すようになっていた。
「ええ、あとはお食事が。」
しかし、相変わらず寺崎の食は細いままであった。そこが琴子は気がかりである。
「寺崎さんのお好きな物とかあれば、持って来ていただけたら。」
琴子の勧めに、理志は困った顔を見せた。
「…お恥ずかしいことに、親の好物も知らないので。」
何だか悪い事を聞いてしまったと、琴子は申し訳なくなった。
「とりあえず、他の秘書とかうちの家政婦とかに聞いてみます。」
「そうですね。」
琴子はホッとした。

一方、理志は理志で琴子の様子が気になっていた。
「相原さん、最近何かありましたか?」
「え?」
「お疲れなんでしょうね。」
「いえ、そんな。」
いつも通りに振る舞っているつもりであったが、患者の家族に見抜かれてしまっているなんてと、琴子は恥ずかしくなった。こういうところが看護師として自分はだめなんだと落ち込みかけ、いやいや、今考えてはいけないと思い直す。
「まあ、俺や親父のせいなんでしょうけれど。」
「そんなことありません。すみません、気を遣わせてしまって。大丈夫ですよ、元気です。」
と、琴子は腕を上げて笑顔を見せた。
「そうですか?それならいいんですけれど。」
「もう元気ですから、どんどん寺崎さんのお世話もしちゃいますからね。」
「ハハハ。」
理志が笑ってくれて、琴子も安堵する。

「そういえば、相原さんは何がお好きなんですか?」
「好き?」
「食べ物。嫌いな物はあるんですか?」
「特にはないですね。」
「だったら、俺の知っているいい店で今度、御一緒にどうでしょう?」
「え?」
「そんなに気取った店ではないんで。おいしい肉料理の店があるんです。カジュアルでOKなんで。」
「でも…。」
この間週刊誌に書かれたばかりだというのにと、琴子は困惑する。仕事もできず、夫の気持ちも理解できず、離婚まで切りだされた自分にここまで優しくしてくれるなんて。

「こんな時に言うと怒られるかもしれませんが。」
理志の顔が真剣なものになった。
「俺、相原さんと患者の家族と看護師という関係を超えたものになりたいと思っているんです。」
「超えたもの?」
この手の話題にはとんと鈍い琴子は、話の要領がつかめなかった。
「お付き合いできたらと。勿論結婚を前提にして。」
「そ、それは!」
さすがに琴子は顔を赤くして狼狽した。
「理志さん、それは…。」
「理志さん、東京のことでちょっと。」
はっきりと断ろうとした時、間が悪く二人の所に他の秘書がやってきた。
「今、行きます。」
理志は席を立つ。
「理志さん、あの!」
「返事は急ぎません、それじゃ。」
理志は爽やかに琴子の元を去って行ってしまった。

「もう…困ったな。」
あとでちゃんと断らなければと、琴子も自分の持ち場へと戻ろうと立ち上がった時だった。
「あ…。」
これまた間の悪く、直樹がそこに立っていた。

「…入江くん、あの。」
「あれ、出したか?」
腕を組み、直樹は琴子を冷たく見据えていた。
「…ま、まだ。」
「あれ」とは離婚届のことだと琴子にはすぐ分かった。
「さっさと出せよ。お前はサインだけすればいいように書いておいただろ?」
「ごめん…なさい…。」
「ったく、本当にトロい奴だよ。」
「ごめんなさい…。」
俯いたままの琴子を、直樹はなおも冷たい目で見つめる。
直樹は、理志が琴子に気持ちを打ち明ける場面を目にしてしまっていた――。

「あの、用件はそれ?」
琴子が悲しげに自分を見てきた。
「…親父から電話があった。」
「お義父さんから?」
「ああ。こっちに来ているから食事でもどうかって。」
こんな状況に、まったくタイミングの悪い重樹の申し出だと直樹は思う。
「今夜だけど。」
「ごめん…今夜はちょっと。」
「だよな。お前が来るわけないよな。」
のこのこと重樹の前にやって来て、笑顔を振りまくなんて芸当は琴子にはできないだろう。

「お義父さんによろしく伝えておいて…ね?」
「…今度二人で親父の顔を見る時は、離婚報告の時か?」
直樹は最後まで琴子に冷たいまま、出て行った。



「おお、元気そうじゃないか。」
約束の店は日本料理店の個室であった。そこに先に到着していた重樹は笑顔で直樹を出迎えたが、一人であることに怪訝な顔をした。
「琴子ちゃんは?」
「仕事。」
何があるかは知らないが、そう言えば重樹は納得するだろうと思い直樹は答えた。
「そうか、忙しいんだな。」
「まあね。」
重樹にはまだ気付かれたくない。直樹はいつもと変わらない様子を演じることにしていた。

「大阪の支社に来るついでにな、お前たちの顔を見ておこうかと思って。」
「そう。」
とりあえず、直樹は重樹に酒を注いだ。
「それじゃ、お前にも。」
素直に重樹は直樹に酒を注ぐ。


「うん、上手いなあ、この店。」
料理に舌鼓を打つ重樹は御機嫌であった。
「今度、琴子ちゃんと来たらどうだ?」
「…高くて無理だよ。」
重樹だから予約できたような敷居の高い店である。だが静かで落ち着いて話ができる。

そういえば、こうして差し向かいで飲むことは珍しいと直樹は思った。
いつだったか、重雄と飲んだことはあったが。重雄に諭され、直樹は関係が悪化していた紀子の元へ戻ったことを思い出す。

「あのさ…親父。」
「ん?何だ?」
「…俺が会社継がないって知った時、ショックだったよな?」
親に勝手に将来を決められて憤慨した理志の姿が、あの頃に自分に重なって見えていた。
「…まあな。」
クスッと重樹は笑った。
「親父は…俺に苦しんでほしくないと思ったから、会社を継がせたかった?」
そして寺崎がもらした言葉も、直樹は気になっていた。
「いいや。」
重樹は否定した。

「いくら親の会社だからといって、お前が苦労しないなんて保障はないさ。むしろ苦労の方が多いと思っていたぞ。」
「そうなのか?」
「当たり前だろ。もしあのまま、お前がパンダイに入ってみろ。やっかみの方が多くて大変だし、失敗したら“それ見たことか”“だからボンボンはだめなんだ”とうるさく言われるぞ。」
「それじゃあ、何で俺に跡を継がせたかったわけ?」
「お前が優秀だったからだろうな。」
くいっと重樹は酒を飲みほした。

「わし以上に優秀なお前が、わしの親父、そしてわしが作った会社をどこまで発展させてくれるか。それが見たかったというのが本音だった。」
重樹は目を細めた。
「お前ならそれをやり遂げるという自信もあったし。」
「…だけど、俺は親父の期待を裏切ったんだよな。」
優しい重樹の口調は、直樹の心に刺さった。
「俺は親父の期待通りの大学も行かなかったし、会社も継がなかった。すげえ親不孝の連続だったんだよな。」
「そんなことはないぞ。」
落ち込む息子に重樹が明るく声をかけた。

「確かにお前はわしの期待とは違った道を進んだ。そりゃあ最初はがっかりしたが、今思うとこれでよかったと思う。」
今度は手酌で重樹は酒を注いだ。
「当時のお前は優秀なばかりに、何の希望も持っていなかったからな。やりたいと思ったことは何でもできるから夢も何もなかったんだろう。出来がいいというのは生きにくいもんなんだな。」
「そんなことないと思うけど。」
「いや、そうだろうよ。仮にお前がわしがすすめるまま、T大に入りパンダイに入ったとしたら、お前は人間らしくない性格になっていたような気がする。」
話の内容の割には、重樹はどこか嬉しそうであった。

「だけど、俺が医者になるってことを隠していたから…。」
「え?」
「隠していて、あんな形で打ち明けることになったから…親父は倒れることになった。」
直樹は漸く、ここでずっと心に重く圧し掛かっていた気持ちを打ち明けることができた。
「俺が自分のことばかり考えていて。もっと親父の状況とかをよく考えて行動していたら、親父は倒れずに済んだんだよな。」
重樹が倒れた時、冷静に救急車を手配していた直樹であったがその心中はとても言い表せるものではなかった。紀子と裕樹の狼狽ぶりなど未だに思い出すと辛くてたまらない。

「親父、あの時は本当に悪かった。ごめん。」
直樹は長年、ずっと口にしたかった言葉を重樹に告げることができた。



「…だが、わしはあの時、お前がパンダイを継いだらとどうなるかということを見ることができた。」
重樹は笑顔のまま、直樹に話しかけた。
「ケガの功名とでも言うべきかな?あれでお前は会社経営よりも医者の方が向いていることが分かったんだ。」
「そうなのか?」
「ああ。確かにお前はよくやってくれた。あのまま会社に残ってほしいという声も多かったし、お前をボンボン扱いする人間もいないことが分かった。だがな、お前があのままパンダイに残るってことは…。」
「…彼女と結婚することになるわけだった。」
重樹は直樹の言葉に頷いた。

「会社のために結婚したら、お前は幸せになれなかっただろう。そりゃ、相手を不幸にすることはないだろうが、お前自身はどうなのだと思った。それに、パンダイの仕事をするお前はやはりどこか冷めていた。そこで分かった訳だ、お前をパンダイに縛り付けるとどうなるかということが。」
重樹は直樹に徳利を傾けた。直樹は素直に受け取る。

「わしらに黙って編入するくらいだ。そこまでしてお前は医者になりたかった。やっと自分の進むべき道を決めたことを親として喜ばねばいけない。お前がわしらに隠していたのは、親をがっかりさせたくなかったというお前の優しさからに違いない。わしはママとそんな話をしたんだ。」
「おふくろと…。」
そんな話をしていたのかと、直樹は驚いた。
「とにかく、わしが倒れたことを気にする必要はこれっぽちもないんだからな。」
「うん…サンキュ、親父。」
やっと謝ることができ、直樹の心は今までと比べかなり軽くなっていた。
「わしは医者になったお前を誇りに思ってるぞ。だから頑張って名医になれ。」
「頑張るよ。」
すっかり酒で重樹の気分は高揚していた。直樹もそれに負けないくらい高揚している。

「これで、お前の手も動くようになるといいがな。」
「え?手?」
直樹は一気に酔いが冷めた。そしてそれは重樹も同様であった。
明らかに重樹は「しまった」という顔をしていた。





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琴子と直樹幸せな二人の会話が聞きたい

直樹冷たい過ぎる、お父さんに会ってあの頃の話をしてるなら琴子との結婚した時の気持ちを思い出して、何時も直樹の嫉妬心から勝手に琴子に辛く当り、拒絶して、琴子可哀想過ぎ、琴子も何時も入江君大好きて言ってたの忘れてしまったの?この流れは、ドキドキして私の心臓が持たないよ~まだまだ続くのかな?

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水玉さん、ご無沙汰です!!
毎日毎日暑くヘロヘロです・・水玉さんも、お体気を付けてくださいね。
タラコの夏、やっぱりこの暑さで少しずつ体力が低下していくのでしょうね。お大事にしてくださいませ!!

で、こちらのお話!
イリちゃん登場!神戸が舞台とあって家族の皆とは
なかなか合えませんものね。
イリちゃんご登場は今のお馬鹿直樹さんにはいい薬になると思います。
イリちゃんが手の事を知っていた事が謎ですが・・・
色々と良い方向へ進んでほしいです!!

最後に、琴子ちゃん!頑張れ!!直樹のおばか~!!!!

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ムーさん、ありがとうございます。

お返事遅くなり申しわけありません。
10、12と続けてのコメントありがとうございます。

琴子ちゃんは入江くんに愛想尽かされたと思いこみ、その原因は自分にあり、さらに入江くんの苦悩を理解できなかったと自分を責めて何も言えないんですよね。
入江くんは入江くんで自分のことでいっぱいな感じで、自分より他人を優先しているように見えちゃったんだろうし…。
お話はもうちょっと続きます^^

トトロンさん、ありがとうございます。

お返事遅くなり申しわけありません。
11話からの連続コメントありがとうございます。
わ~毎日のぞいてくださっていたなんて!嬉しいです。
光が見えてきたらいいんですけどね。
楽しんでいただけていることが分かって、とても嬉しいです。
続きも楽しんでいただけたらと思います。

ゆみのすけさん、ありがとうございます。

お返事遅くなり申しわけありません。
10話からずっとコメントして下さって、とても嬉しいです♪
本当にヘロヘロになりますよね。クーラーつけても体だるくなるし、つけなかったら暑いし、湿気もあるし…何じゃこりゃっ!って文句を言いたくても自然相手なので言えないし。

そうなんですよ、家族がいないからお互い助け合わないといけないんですよね。
ついでに自力で何とかしないと…
イリちゃんが救世主になればいいんですが。

たらこ、まいりました(笑)

はなこさん、ありがとうございます。

あ~確かに今回は入江くんは自分のことで手一杯といった感じですよね。
愛情がないように思えても仕方ないかもしれませんね。
本当は琴子ちゃんへの愛情たっぷりなんですが…そう読めないのは私の拙さが一因ですね、きっと。
悲劇のヒーローにどっぷり、その通りかもしれません。
今回は入江くんも苦しむんだよ~的なお話を書きたかったのでそう感じられたのかもしれません。
でも琴子ちゃんに愛情のない入江くんなんて私は入江くんじゃないと思うので、それはないですよ~。
「君がため」は入江くんが嫉妬しない、唯一のシリーズですよね。
でも嫉妬しなかったらしないで、どこか物足りなく感じる読者さんもいらっしゃるのも事実でして。
なかなか難しいですね。そのあたりは。
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

※当ブログに掲載されている文章及びイラストの無断転載・使用はご遠慮下さい。

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御訪問ありがとうございます
このブログについてのお願い
当ブログは、『イタズラなkiss』の二次創作をメインとしておりますが、時折管理人の趣味や日々の出来事についての記事も書いております。

原作者様や関係各位とは一切関係ありません。

二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

二次創作が苦手という方及び原作のイメージと合わないと思われる方はどうぞお引き取り下さいますようお願いいたします。

コメント及びメールなどでの苦情及び批判は公開、非公開を問わず、私へ告げることはご遠慮いただけますよう、お願い申し上げます。

このブログ及び掲載されている話が嫌いだと思われたら、黙ってあなた様の中から、このサイトの存在を消去していただけますよう、お願い申し上げます。

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