日々草子 縁ありて 23

縁ありて 23






「師匠…師匠…。」
お琴は気づいたら盥舟をこいでいた。
懸命にこいでも、波が行く手を阻んで進まない。離れた先には立派な舟が悠々と浮かんでいる。そこに乗っているのは直樹だった。
「師匠!待って!」
しかしお琴の叫びは直樹に聞こえなかった。直樹の傍らにはこれまた絶世の美女が座っていて二人仲睦まじい。

「先生、奥様が盥に。」
離れているというのに、なぜか美女の声がお琴の耳に届く。直樹が首を少しだけ動かしお琴を見た。
「師匠!私はここです!」
「いいんだ、あいつは。」
直樹はぷいっとお琴から視線を逸らす。
「あんな大福に小豆をちょんちょんと付けたような顔の女、俺にはふさわしくない。」
「大福に小豆って、そんな!」
「さ、俺たちはあちらで…。」
直樹が美女の顎を軽く持ち上げた。そして顔を近づける。
「師匠!大福も、大福もおいしいんですよ~!!」



「…お琴、お琴。」
「大福…大福…。」
うなされていたお琴の目が開いた。
「ああ、気づいたのですね。」
この声は渡辺屋のご隠居だ。
「よかった、もう少しで医者を呼ぼうとしていたんだよ。」
渡辺屋の声も聞こえる。
お琴はここで自分が渡辺屋の店先で倒れたことを漸く思い出した。

「ったく、どこまでも食い意地の張った奴だな。」
この声は直樹だった。直樹がお琴を見ている。
「食い意地って。」
「大福、ご用意しましょうか?」
ご隠居が女中を呼ぼうとしたが、
「いえ、ご隠居。大丈夫です。」
直樹が止めた。

「お琴ちゃんが倒れた直後に入江が店に姿を見せたんだよ。」
渡辺屋が安心させるようにゆっくりと話した。
「大丈夫か?歩けるようだったら家に戻るか。」
直樹の声に、お琴は少し考えた後ぶんぶんと横に頭を振った。
「大丈夫じゃないのか?どこか痛いところでも?」
「…師匠と一緒になんて、戻りません!」
お琴は頭まですっぽりと布団をかぶった。
「師匠なんて知らない。もう知らない。ふらふらと女の人と遊んでいるんだから。」
「俺が?どうして?」
意外だという顔を直樹がする。
「自分の胸に手を当てて聞いてみればいいんです。」
「まったく身に覚えがない。」
「しらじらしい。もう知りません。私は渡辺屋さんの所にお世話になります。下働きしてずっとここでお世話になります。」
「そんな迷惑かけるわけにいかねえだろ。大体俺が何をしたと?」
「…こそこそとお金持ち出していたじゃありませんか。」
お琴が布団の中からぼそっと口にした。

「お前、見てたのか。」
「見てたのか、なんて信じられない。」
お琴は布団をかぶったままゴロゴロと転がり続ける。
「入江、お前は。」
渡辺屋の呆れた声が布団の外から聞こえてきた。その調子だとやはり直樹は遊んでいたに違いない。
「とにかく、家に戻るぞ。」
「戻らないって言ってるじゃありませんか。」
「ったく、仕方ねえな。」
直樹は布団ごとお琴を抱え上げた。
「ひゃあっ!」
そしてすまきになっているお琴を肩にかつぐ。
「入江様、そんな…。」
ご隠居の心配する声も無視し直樹は、
「お世話になりました。」
と淡々と挨拶をする始末。
そしてそのまま店の外に出た。



「下ろしてください!」
「やだね。」
すまきにされた状態で担がれていることも恥ずかしいし、このまま直樹に強引に連れ戻されることも嫌である。
道行く人々は明らかに人間を担いでいると分かる直樹に注目している。
「かどわかし(誘拐)か?」と思ったが、あまりに直樹が堂々としているものだから誰も何もできない。

「ちょっと待たれよ。」
町廻りの同心がさすがに直樹を呼び止めた。
「これは何を?」
「私の妻です。」
「ご妻女?」
なぜ妻を担いでいるのかと同心が驚いた。
「色々事情がありまして。ですがご心配に及ぶことはありませんので。」
直樹は同心相手にも一歩もひるむことなく、そのまま胸を張ってお琴を担いで歩いて行った。同心も何も言えずにポカンとそれを見送るだけである。



家に戻り布団から放り出されたお琴はやはり不機嫌であった。
「大福女房に構うことなく、お綺麗な方の元へ行けばよろしいでしょう。」
「何だ、大福って?」
「ふん。」
ツンとお琴が横を向いた。

「…金はこれに使ったんだ。」
直樹が何かを出す気配がした。お琴はチラリと目を動かした。が、すぐにその目が大きく見開かれた。
「これは…?」
それは本であった。それも表紙が普通の本とは違い雅な押絵が表紙に飾られていた。
「中を見てみろ。」
なぜか笑顔の直樹の前で、お琴はゆっくりと表紙をめくった。
「これって…まさか…。」
最初の数行を読んだだけで、お琴はこの本がどのような本かすぐに分かった。
それはお琴が直樹のために書き上げた話であった。

「お前の話、なかなかよく書けていたから本にしてみようと思ったんだ。金はそのためにと準備していたんだ。」
本から目を離さないお琴に直樹が話しかける。
「こんな豪華なご本に…。」
紙も薄く色づかれた、上等な和紙であった。
「それは鴨屋に相談に乗ってもらった。」
「鴨屋…啓太さん?」
「ああ。最高の材料を使った本にしたいと思ってね。」

「それはよいお考えですね。」
直樹の考えを聞かされた啓太は大きく頷いてくれた。
「おかみさんをあれだけ心配させたんですもんね。たまには女房孝行していただかないと。」
それで啓太に相談に乗ってもらいながら、お琴の話に相応しい紙をあれがよい、これではどうかと直樹は選び上げたのだった。

「製本は勿論渡辺屋に。」
渡辺屋も大喜びで直樹の考えに賛同してくれた。
「うちが一番信頼するとっておきの職人に製本を依頼しよう。」
そしてこの話を聞いたご隠居までもが、
「でしたら本を綴じる紐は私にぜひ。」
と言ってくれたのであった。
「ご隠居様が…。」
紐は美しい色合いである。

「あとは俺がお前の話を写したんだ。」
本の文字は直樹の手蹟であった。
「それで、渡辺屋さんの元へ通われていたのですか?」
「ああ。お前の前でやるわけにいかないしな。ご隠居が静かで落ち着く場所で書いた方がいいと自分の部屋を貸してくれたんだ。」
お琴が心配していた移り香は、ご隠居が焚いていた香が移ったのだった。

「表紙は母上だ。」
手先が器用な紀子がこの提案にどれほど喜んだことか。
「よくぞ頼んでくれました。」
と、大喜びで紀子が押絵を手掛けてくれたのだという。

「それだけじゃないぞ。」
「あ!」
本をめくっていたお琴がまた、驚きの声を上げた。
そこにはこれまた見事な色のついた挿絵があったのである。
「それを描いてくれたのは誰だと思う?」
お琴は考えた。啓太は紙、渡辺屋は製本、紀子は表紙で直樹は文字…。
すると直樹が愉快そうに外を指さす。その先にあるのは――。
「おうめ婆さん!?」
かつて吉原の太夫であったおうめ婆さんは、書道、和歌、琴と諸芸に秀でているが中でも得意としていたのは絵画であった。
「それで家に籠りきりだったのですね。」
「何だかんだいって、あの婆さんはお前が相当好きなんだろう。」
お琴の本のために、何枚も何枚も描いて仕上げてくれたのである。直樹は自分よりもお琴のことをおうめ婆さんが気に入っていると思っている。

そして本の題名は『縁ありて』。
「師匠が考えて下さったのですか?」
お琴は書き上げるだけで精いっぱいで題名はつけていなかった。
「お前に相談せずに勝手につけて悪いと思ったが。」
謝る直樹にお琴は、
「素敵な題名です。私では考えられませんでした。」
と笑った。

「こんなにたくさんの方が私のために…。」
本を大事に抱えるお琴の目から大粒の涙がこぼれた。
「それなのに、私ときたら。」
「皆、お前のためならと喜んで協力してくれたんだ。たった二冊だけの本のために。」
渡辺屋も啓太も商売人であり、この仕事は少しも儲けにならない。それなのにお琴のためならと二つ返事で引き受けてくれた。
「ご隠居も母上もおうめ婆さんも、お前の喜ぶ顔が楽しみだって言ってくれた。俺はこんなに慕われるお前を嫁にしたことをこんなに誇りに思ったことはないよ。」
「本当ですか?」
「ああ。お琴は俺の誇りだ。俺の自慢の嫁だ。他の女なんて足元にも及ばない。」
直樹に抱きしめられたうえ、絶賛され、お琴は夢を見ているようである。
喜ぶお琴を抱きながら直樹は本を作ってよかったと思った。
本当は売り物にしてもいいかと思ったのだが、これはお琴が自分への想いを率直に綴ったものである。世間に知らしめることは勿体ないと思ったのだった。

「そういえば二冊作ったという話でしたけど?」
お琴はふと思った。あと一冊はどこにあるのだろう?
首を傾げる恋女房に、直樹は意味ありげに笑った――。



「姫にしてはよく書けているではないか。」
こちらも綺麗に製本された本を手に微笑んでいるのはお琴の父、重雄であった。
「やはりこういう幸せな結末が姫には似合っているような気がする。」
そして改めて表紙や挿絵、製本の仕様を重雄はじっくりと見た。
「姫のためにこんなに協力してくれる者がいるとは…何と幸せなことか。」
お琴がいかに周囲に慕われているか、それを自分に知らせるために本を作ってくれた直樹に重雄は深い感謝の念を抱いたのであった。



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わらしべ長者♪

琴子ちゃんが心温まるご縁を繋ぐわらしべ長者に見えました。途中は直樹にブーイングし続けていたのですけれど(笑)最後は琴子ちゃんと一緒に涙です。 お蔭様でとても心が癒されました。 素敵なお話を有難うございましたm(__)m

お琴ちゃんの想いが報われて良かったぁ~。直樹が他の女に現をぬかすことはないと思っていましたが…

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No title

水玉さんのお話は心が温かくなりますね。
いつもありがとうございます。

たった二冊しかないご本、きれいに光輝いていることでしょう。
私も目にしたいです。

この二人は本当にお互いを思って生きている。すばらしいなぁ~
↑とか言っている割には直樹さんにイラッとしちゃうときもあるのだけど♪

重雄ぱぱもいい感じ~

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Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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