日々草子 縁ありて 17

縁ありて 17





それからしばらく経った後、お琴は渡辺屋にいた。
「お琴ちゃん、どうかした?」
中で待っていた渡辺屋は、お琴の顔色が尋常でないことに不安を覚えた。
「渡辺屋さん、師匠が…師匠が。」
朝餉も食べずにとりあえず髪だけを結ってもらってから渡辺屋にやってきたお琴は、それだけ言うのが精いっぱいで座敷に座り込んでしまった。
「入江が?」
お琴から渡された直樹の文を見て渡辺屋も顔色を変えた。
「何だ、これは…。」
これが自分宛のものだったら、絶対に握りしめていただろう。
「とりあえず、何か食べた方がいい。」
渡辺屋は奉公人に命じてお琴へ食べる物を運ばせる。やがて何事かとご隠居まで奥の部屋から出て来た。

「ごめんなさい、渡辺屋さん、ご隠居様。」
出された朝餉はとても喉が通らなかったが、事情を打ち明けられたこともありお琴は幾分か落ち着きを取り戻しつつあった。
「どうしていいか分からなくて。もしかしたらこちらに来ているのではないかと思ったのですが。」
しかし直樹は渡辺屋には顔を見せていなかった。
「師匠…どこへ行ってしまったのでしょうか。」
目に涙を浮かべお琴が俯く。
「大丈夫ですよ、お琴ちゃん。」
ご隠居がお琴の背中を優しく撫でた。
「かならず入江様はお琴ちゃんの元へお戻りになりますから。」
「ご隠居様…。」
「心当たりをとにかく探そう。」
渡辺屋はあまり騒ぎを大きくしない方がいいと考えていた。それはお琴も同じ考えであった。
「さりげなく俺が剣術の道場へ行ってくる。先生のその後を気遣う感じで行けばばれないしね。」
まずはそこくらいしか直樹が行きそうな場所は思い当たらなかった。
「お琴ちゃん、入江様のお屋敷には?」
お琴は首を振った。
「師匠が元気をなくされていることで、皆様ご心痛ですから。せっかく義父上様のお体もよくなってきたところですし。」
「そうですね。ご子息が消えたなんて一番体と心にこたえることでしょうから。」
まだ当分は黙っておいていいのではとご隠居が言ってくれる。
とりあえず、渡辺屋は手土産を用意させ番頭を伴に道場へと向かった。
しかし、直樹はそこにもいなかった。



「お琴ちゃん、こちらにいらしたら?」
ご隠居が勧めてくれたものの、お琴は自分の家へ戻ることにした。
「もしかしたら師匠が戻ってくるかもしれませんから。」
だがあんな文を残して消えたのだから、その可能性が少ないことはお琴が一番よく分かっていた。
それでも直樹の帰りをあの家で待ちたかった。

それから渡辺屋と手分けしてお琴は直樹の姿を探す日々を送ることになった。
渡辺屋は以前直樹と共に出かけた師匠の隠居所まで探してくれたが、そこにも姿はなかった。

「鴨屋さんにもいる気配はないし…あとは…。」
「何も知らせが来ない所を見ると、私の実家にもいないみたいです。」
もし直樹が相原家に転がり込んでいるのならば、何かしらの使いが来るはずだった。それは今のところない。大体捨てた嫁の実家へ行くほど直樹は厚かましくない。

縁側からお琴は庭を眺めた。物干し竿に直樹のふんどしがなくなってもうどれくらい経つだろうか。
「師匠…。」
お琴はまた涙に暮れる。
「ったく、入江の馬鹿は何をしてるんだか。」
渡辺屋も親友が心配で夜も眠れない。

「ごめんくださいまし。」
泣いていたお琴は顔を上げた。玄関に誰かが来たらしい。声は聞いたことのない声だった。
「渡辺屋さん、すみません。」
「ああ、気にしないで。」
渡辺屋に断りを入れ、お琴は玄関へ向かった。

「ごめんくださいまし。こちらは入江様のお宅でございましょうか。」
一見、商家の番頭といった様子の男が玄関に立っていた。
「左様でございますが。」
広くもない家であり、玄関先の声は奥まで聞こえる。入江という名前が聞こえ渡辺屋も玄関に顔を見せた。が、その顔が凍りついた。
――あの風体は…。

「入江様よりのお言伝をお持ちしました。私は春日屋の者でございます。」
「春日屋さん?え?師…主人からの言伝と申しますとそちらに?」
「はい、ここしばらくおいでです。」
「まあ!」
お琴の顔が明るく輝いた。が、なぜか渡辺屋の顔は浮かないままであった。
「お琴ちゃん、ここは俺が…。」
渡辺屋がお琴の前に入ろうとした。
「入江様より金子を用立ててほしいとのお言伝でございます。」
しかし春日屋の奉公人の方が早かった。
「金子?」
お琴は首を傾げる。
「あの…そちらのお店は…?」
「吉原に構えさせていただいております。」
「やはり」と渡辺屋は額を押さえた。付き合いでそういう場所へ出向いたことのある渡辺屋は、この男から発せられる普通のお店の奉公人とは違った雰囲気からすぐに分かった。
「よ…吉原?」
大名家の姫育ちであってもその地名にお琴は聞き覚えがあった。直樹が書いてきた物語にも出てくる、それは遊郭の街。

「しゅ…主人は…そちらで?」
お琴の手がわなわなと震え始める。
「はい。もう五日になりましょうか。うちの花魁をよほどお気に召したのか。」
とんだ上客がやってきたと春日屋の者はホクホク顔である。
「それでそろそろ懐がさびしくなってきたから、こちらで用立ててくるようにと。」
「左様でございますか…。」
五日も自分じゃない女人と過ごしているとは、お琴は気が遠くなりそうだった。
「あの…。」
「少しお待ちを。」
お琴は何とか立ち上がり奥へと入った。

普段から贅沢をしない夫婦であったから、金子はしっかりと蓄えられていた。お琴にもその場所は分かっていた。
小さな箪笥の前でお琴は力なく座り込んだ。

「確かにお預かりいたします。」
財布に入れた金子を上機嫌で預かった春日屋の者は足取り軽く家を出て行った。
「お琴ちゃん…。」
「渡辺屋さん…。」
お琴の目からホロホロと涙がこぼれる。
「私…お金を渡さないって言ったら…師匠が戻ってきてくれるんじゃないかと考えてしまったんです。」
「お琴ちゃん。」
「でもそんなことしたら、師匠の恥になるって思い直して。」
「そんなことない。あいつは何てことを。」
あの時なぜ吉原などに行く必要がと真顔で訊ねてきた直樹を思い出すと、渡辺屋ははらわたが煮えくり返っていた。
「師匠を責めないで下さい。親友の渡辺屋さんに悪く言われたら師匠が可哀想です。」
お琴は涙を流し続ける。
「私が悪いんです。私がもっと賢くて気が利く女だったら、師匠の苦しみもきちんと受け止めてあげられたんですよね?」
「そんなことないよ、お琴ちゃん。」
しかしお琴は首を横に振ってばかりだった。
「私が師匠のお役に全然立てなかったから、師匠はやすらぎを求めて出て行ってしまったんです…私が全て悪いんです、私が!」
お琴は玄関につっぷして泣き叫んだ。渡辺屋はもはや慰める言葉がなく、ただただお琴が哀れで仕方なかった。



「そうか、黙って差し出したか。」
春日屋の者から財布を受け取った直樹は「ご苦労だったな」とねぎらった。
「…本当にこれでよいので?」
花魁が直樹を気遣う。
「ああ。何か不都合が?」
直樹は花魁に笑みを向けた。
「あちきは主様のお顔をずっと見られれば満足でありんすけど。奥様がお可哀想。」
「…子供みたいな奴だからな。花魁が気にするような奴じゃない。」
「どうぞ」と花魁から酌を受け、直樹は盃を飲み干した。
「これでまたしばらくはここにいられるな。」
「太夫からあちきは嫉まれてしまいます。」
「太夫が?」
直樹が相手にしているのは太夫の下に位置する花魁である。
「道中されている時に主様をお見かけしたそうな。太夫自らお招きしたいと思われたとか。」
それだけ直樹の顔は目を引くものであった。しかし太夫はそんなことはできないし、直樹とて太夫を呼ぶほどの金はない。
「あちきは太夫でなくてようござんした。こうして主様にお会いできるんですから。」
「それはどうも。」
直樹は太夫をも虜にする美しい顔を花魁に向けたのだった。



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・・・炸裂ですね・・・。

お久しぶりです。

ついに、水玉ワールド炸裂ですね。

このツンデレのツン。
胸にキュゥ・・・ン。ときます。

「キタ━(゚∀゚)━!」って叫んでおりました。(笑)

切なさが痛いなぁ。

更新、楽しみにしております。

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もう!!直樹さんは
へたくそな愛情表現で!!
こんな風に愛情を表現しなくても
琴子ちゃんのそばにいるだけで琴子ちゃんは幸せなのに・・・・・
時々直樹さんって頭の使い方間違えちゃうのよね~

けど直樹さんも辛いのよね。。。。。
きっとその辛さから琴子ちゃんが解放してくれますよ♪
大丈夫直樹さん!しっかりね。

ゆみのすけさん、ありがとうございます。

そうそう、頭の使い方を間違えてしまうんですよね、ぷんぷん!
お琴ちゃんのそばに黙っていればいいのに…
でも今回はたくさんの大切な人たちが苦しんでしまったからこそ、悩んでいるんでしょうね~。
お琴ちゃんがあのパワーでなんとかしてくれるでしょう!
それが直樹さんが選んだお琴ちゃんですもん♪

るんるんさん、ありがとうございます。

お忙しい中コメントありがとうございました!
吉原にいる入江くん…本当に何て所に。
そんな気もないくせに、まったくもう!
入江くんも苦しんでいるんですよね…。

ポンタさん、ありがとうございます。

お久しぶりです!
自分ではワンパターンと思っていても、「来た来た!」と思っていただけるんだなと思うと救われました(笑)
炸裂って結構嬉しい言葉かも(笑)
ツンデレのツンの部分を楽しんでいただけてよかったです!
プロフィール

水玉

Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
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