日々草子 縁ありて 15

2013.02.02 (Sat)

縁ありて 15


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「…これが大名の姫君なのか?」

聞き覚えのない男の声に、お琴はうっすらと目を開けた。
辺りは薄暗い。かびの匂いが鼻についた。どこか使われていない蔵の中の様である。

「目を覚ましたか。」
そこには自分を攫った男たちが立っていた。柄の悪い浪人たちが自分を見ている。
「間違いない、ほら。」
その中の一人が、何時の間に奪ったのかお琴の懐剣を袋から出した。
「成程、確かに相原家の紋だな。」
嫁ぐ際に父から贈られたお琴の嫁入り道具の一つである。
「相原家と縁続きになったと聞いた時は家老の娘でももらったと思ったが、まさか姫だったとは。」
そう話している男は他の男たちとは一風違っていた。着ている物が他の男たちよりもいい物なのである。

「一体、なぜこんなことを?」
縛られている体をよじりながら、お琴は訊ねた。
「なぜって?」
いい着物を着た、どこぞの旗本といった、年の頃三十かそのあたりの男が嫌な笑いを浮かべた。
「お前を殺すために決まっているだろうが。」
その言葉にお琴の背筋が凍りついた。男の手には懐剣が握られている。あれでもうすぐ自分は殺されるのだろうか。
「安心しろ、これでは殺さないから。」
鞘に入ったままの懐剣でお琴の頬をぴたぴたとその男が叩く。
「これで殺しても、俺の目的は達せられないからな。」



直樹は「お家騒動」について渡辺屋と啓太に話をしていた。
「そんな…まさか。」
二人とも話を聞いた時は顔が青ざめていた。
「だが、それを知っているのは俺の両親だけだ。」
直樹自身は何も聞かされていない。
「今、両親に訊ねるわけにはいかない。」
「それはそうだ。」
直樹の言葉に渡辺屋と啓太も頷く。直樹の両親が今どれほど苦しんでいるか二人もよく分かっている。
「調べるには時間がかかるな。」
直樹がそこまで話した時、渡辺屋の番頭が足早に三人の部屋へと駆けつけてきた。
「何事ですか、お客様の前ですよ。」
渡辺屋が主人らしく番頭を窘めた。
「申し訳ございません。」
番頭は頭を下げた後、直樹を見た。
「入江先生のご実家より使いの方がお見えです。」
「実家から?」
もしや父に何かと直樹は不安になった。

「直樹様。」
通されたのは古くから実家に仕える用人であった。
「どうした?父上に何かあったか?」
「いえ、殿様ではなく。」
「何だ?」
用人はそこにいるのが直樹だけではないことを気にしている様子であった。
「大丈夫だ。ここにいるのは俺の身内同然の友人たちだ。」
直樹に言われ、用人は口を開く。
「若奥様はこちらではないのでしょうか?」
「お琴?」
直樹は顔色が変わった。
「お琴はそちらにいるはずでは?」
「直樹様の隣の家に、ご実家からのお品をお届けすると仰れてお出かけになられたのですが。」
「一人でか?」
直樹の声色にずっと年上の用人が怯えた。幼い頃から知っている直樹であるが、こんな様子は見たことがない。
「入江、落ち着け。」
渡辺屋が直樹に静かに声をかけた。
「御用人様が何も仰ることができないぞ?」
「ああ…悪かった。」
お琴のことでつい冷静さを欠いてしまった自分を直樹は反省する。

「一人で出かけたのか?」
「若奥様は乗り物がお嫌いでございますし、お一人の方が気軽だと。」
確かにお琴はその通りである。
「もう二刻(四時間)になりますので、話が弾んでいるにしても長すぎるのではと奥方様が某を遣わされました。」
「確かに。」
隣のおうめ婆さんとそんなに話し込むことは考えられない。
「隣には訊ねたか?」
「隣は留守だったそうで、若奥様はお品を留守番の者に預けられたとのことです。」
それで用人はもしやこちらかと思い渡辺屋へとやって来たとのことだった。

「入江…。」
「先生…。」
渡辺屋と啓太が不安な顔で直樹を見た。
「一度家に戻ってみる。」
直樹は立ち上がった。腰には重樹から贈られた刀がある。
「それじゃ俺も。」
「いや、お前たちはここで。」
一緒に行こうとする渡辺屋たちを直樹は止めた。
「何かあったら大変だ。」
「だけど。」
「お前たちはそれぞれ大店を背負っている身だろ?」
二人には店、そして働く奉公人たちがいる。
「お前たちに何かあったら、路頭に迷う者が大勢出る。」
直樹はこれ以上二人を巻き込みたくなかった。



直樹は用人をとりあえず実家へと帰した。そして自宅へと戻った。
「ああ、先生!」
直樹の帰りを待っていたおうめ婆さんが駆け寄る。
「すまない、あたしが留守だったばかりに。」
「大丈夫です。おうめ婆さんのせいではありませんから。」
直樹はおうめ婆さんを安心させるように話す。
「留守番の者にあの子のことを話しておけばと思ったよ。」
「そのお気持ちだけで。」
心配しなくて大丈夫だとおうめ婆さんを家へと戻し、直樹は自分の家へ入った。
中は荒らされた様子はなかった。お琴がいる気配もない。
「一体どこへ?」
そう呟いた時、直樹は縁側に何か落ちていることに気づいた。
それはお琴の簪だった。文が結び付けられている。

『女房を返してほしくば…。』

直樹は目を通した後、その文をびりびりと引きちぎった。その目は怒りに燃えたぎっていた――。



「あなたたちは一体、誰なのですか!」
縛られている中でお琴は声を張り上げていた。
「どうするんです?」
浪人が旗本らしき者を見る。
「最後に教えてやるか。」
薄ら笑いを浮かべながら、旗本はお琴に顔を近づけた。
「俺は江藤という。」
「江藤?」
聞いたこともない苗字である。
「知らないのも無理はない。しかし藤波という名前ならわかるだろ?」
「藤波?」
お琴は懸命に思い出そうとした。が、いくら考えても藤波という苗字も記憶にはなかった。
「とぼけるのもいいかげんにしろ!」
「とぼけてなど!」
「亭主から聞いたことくらいあるだろう?」
「ありません。」
「嘘付け!」
江藤の怒鳴り声にお琴は体を震わせた。
「亭主の実の親の名前を知らないわけないだろう!!」
「実の…親?」
お琴は「まさか」と目を見開いた。

「藤波とは入江直樹の生みの親の名字だ。直参旗本で二千五百石。そして俺は藤波の当主の甥にあたる。」
「そんな人がなぜ、こんなことを?」
直樹が入江家の養子であることはお琴も知っている。だが生みの親の名前は直樹からも入江の両親からも聞いたことはない。
「藤波家は跡取りがいない。そこで俺に白羽の矢が立った。貧乏旗本の二男が二千五百石の殿様になれるんだ。」
江藤は冷酷な笑みを浮かべている。
「だが、藤波家には生まれてすぐ養子に出した息子がいた。それが入江直樹だ。あいつがこの世にいる限り、いつ藤波の家に戻るか分からない。」
「そんなことあるわけないでしょう。」
お琴が震える声で言うと、
「分からぬ。現に藤波の家臣の中には入江を取り戻すべきだという声も上がっているからな。」
と江藤が答えた。

「それで…それで?」
「ああ、そうだ。入江直樹をこの世から抹殺すればもう藤波の家を継ぐ者は俺の他にいなくなる。俺の将来のためには入江は邪魔なのだ。」
江藤がクククと笑う。
「苦労したぞ。地本問屋にあらぬ罪を着せ牢へ放り込み評判を落とし、入江の当主を謹慎させるために幕府のとある人物へ金子を渡し…。」

「…陳腐な筋書きだな。」

蔵の入り口から聞こえた声に一同が顔を向けた。

「そんな話を書いたところで一文にもならねえな。」
直樹がゆっくりと蔵の中を進んできた。
「入江、やっと来たか。」
江藤が待ちかねたという顔をする。

「俺も知らなかった実の親の名前をこんなところで聞かされるとはな。」
直樹は入江の両親から自分の生みの親については旗本ということ以外は何一つ聞いていなかったのである。聞けば両親は教えてくれただろうが、そんなことを気にすることもないほど、入江の両親は自分を慈しみ育ててくれたのだった。

お家騒動という言葉を聞き、直樹の脳裏には生みの親のことがようやく浮かんだのだった。
生みの親の家で何かが起きているのではと思ったが、名前も知らないのでは動きようがなかった。かといって病と謹慎で苦しむ父親に訊ねることもできなかった。

「師匠!」
と呼びかけるお琴の顔の前に、浪人が刀を出した。
「俺が来たんだ、お琴は自由にしろ。」
「そうはいかない。」
江藤が直樹の前に進み出た。
「腰の物を差し出せ。」
江藤の言葉に、直樹は刀に手をやった。
「…成程、くだらない筋書きの結末は俺とお琴の心中ってことか。」
「さすが、江戸一番の物書きだな。」
江藤が笑う。
「信頼しているお店、そして育ててくれた父親を苦しませた責任を俺が取るって話にするために、渡辺屋と父を窮地へ陥れたってわけか。」
「正面からお前を襲っても、どうやら敵わないようだったからな。」
直樹は道場の師範代を任される腕前である。
「こいつにお前の腕を確かめさせた結果、力技は通用しないことが分かった。」
そこには直樹と渡辺屋を襲ったあの浪人がいた。
「それでは師匠を襲おうとしたってこと?」
お琴は驚く。
「知らなかったのか?何だ、黙っていたのか。」
江藤は直樹に呆れた顔を向けた後、お琴を見た。
「自分がしでかしたことを自覚させれば、大名のお姫様は反省して実家へ帰るかと思ったら帰らないし。」
「あの投げ文はあなただったのね?」
「投げ文?」
今度は直樹が驚く番であった。
「色々調べたところ、入江はことのほか女房を大事にしていることが分かったからな。女房に出て行かれれば少しは弱くなるかと思ったが、当てが外れた。」
「ずいぶんと姑息な真似をしてくれたものだな。」
直樹に睨まれても江藤は全く悪びれた様子がなかった。
「二千五百石の当主になれるかどうかの瀬戸際だ。手段を選ぶ暇はない。」
「そして最後に全ての責任を取って俺は自分の刀でお琴を殺し、自害するってことにしたいわけだな。」

「そうだ。」
何てことをとお琴は青ざめる。お琴の懐剣を使わなかったことはそういう理由だった。

「ほら、早く渡さないとお前の大事な女房の顔に傷がつくぞ。」
江藤が顎をしゃくると、浪人が刃先をお琴の頬につけた。
「せめて綺麗な顔で死なせたいだろ?」
「師匠、だめです!絶対渡したらだめ!」
刀を突きつけられながらもお琴が叫ぶ。命が惜しいわけではなかった。
「義父上様から頂いた大事な刀をそんな奴に触らせたらだめです!!」
「うるさいっ!!」
「きゃあっ!!」
江藤がお琴を殴りつけた。お琴の頬が赤くなった。
「やめろ!」
二発目を殴ろうとした江藤を直樹が止めた。
「お琴に触るな。渡せばいいのだろう。」
直樹が腰から刀を外すと、江藤へ向けて差し出した。
「刀さえ奪えば、もはやお前に残るものは何もない。」
江藤は喜んで直樹から刀を受け取った。




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