日々草子 縁ありて 4

縁ありて 4





「松本家からのお招き?」
「はい、左様でございます。」
お琴の乳母からの話に、直樹と渡辺屋は顔を見合わせた。
「松本様は渡辺屋ともお取引させていただいておりますが、確か相原家同様の石高だったかと。」
「はい、あちら様も二十五万石でございます。」
その松本家よりお琴に招待が来ているのだという。

「それであの格好か。」
直樹が目を向けた先では、
「もう少し人妻の色気が出るお化粧を。」
と、お琴が奥女中たちを相手に騒いでいる。

「松本家の裕姫様は琴姫様とお歳も同じ。お家の格も同様。ゆえに色々とお付き合いがございまして。」
「成程。」
だが、それとお琴のあの張り切り様はどう関係するのだろうか?
同じ年頃の姫君が二人顔を合わせたら、さぞ雅な雰囲気が醸し出されるのではと思うのが男二人の考えである。

「裕姫様はどのような姫君で?」
直樹が訊ねると、
「裕姫様はお茶、お花、水墨画と姫君のたしなみがすべて完璧な方でいらっしゃいまして。」
と乳母が答えた。
「千代田のお城などに大名家の奥方様、姫様方が集まる折などそれはもう目立つお方でございます。」
「ということは見た目も。」
「美しい姫君でいらっしゃいます。」

「姫様、少し頬紅が濃くなってしまいました。
「まあ、落とさないと。裕姫様に笑われてしまうわ。」
あちらでは相変わらず琴姫が女中相手に騒いでいる。
美しい姫君と顔を合わせるとなると、それは念を入れるのも無理はない。

「姫君の中の姫君という方なのだな。」
「そんな!」
直樹の言葉に渡辺屋がお琴を庇った。
「お前、夫のくせにそんなことを言うな。」
「だって聞いている限りそうじゃねえか。」
「そんなことないよ、お琴ちゃん、いや琴姫様だって…。」
渡辺屋の目が部屋の壁に止まる。
「もしや、あちらは姫様の描かれたものでは?」
壁には水墨画が掛けられていた。
「はい、左様でございます。」
「ほうら!」
渡辺屋が直樹に笑いかける。
「琴姫様だってああして姫君としてのたしなみがおありなんだ。見ろよ、あのぷっくりとした人参を。」
「ぷっくり?」
直樹も絵を見た。確かに人参らしきものが描かれている。
「人参ってところが気取りがなくて琴姫様らしいですよね、うん。」
渡辺屋が乳母に言うと、
「あちらはお庭の池の錦鯉を、姫様が描かれたものでして…。」
と、それはもう言いにくそうな返事が返ってきた。
「錦…。」
「鯉…。」
渡辺屋は失言に青ざめているし、直樹は直樹で「確かに人参の方が近い」と思った。幸いだったのは、描いた本人の耳に入らなかったことである。



「それで俺たちも一緒にお招きに預かるってわけだ。」
とうとう見かねた乳母が琴姫の世話を焼き始めたのを横目に、男二人が話を続ける。
「でもお前はともかく、俺も一緒でいいのかな?俺、町人だし。」
「先方が構わないって言っているんだから平気なんだろ。」
直樹は全く緊張している気配がない。

「そっか。それならまあ。でもお琴ちゃんが一緒に来てほしいっていうのも分かるよな。」
羽織を直しながら渡辺屋が溜息をついた。
「何で?」
「何でってお前なあ。そんな完璧な姫君相手に怯えているんだろ。そんなことも分からないで亭主をよくやっているな。」
「怯えている?」
「ああ、そうだよ。話を聞く限り、裕姫様ってのは結構性格がきつそうだと俺は思う。」
「会ってもないのに?」
「お琴ちゃんがさっきから“あちらにバカにされる”って騒いでいるだろ。きっと重箱の隅をつつくような性格なんだぜ。」
「そうか?」
「そうだよ。きっといつも嫌味とか言われていてさ。お琴ちゃんは可哀想に怯えてしまうんだ。そう、子犬のように。」
「子犬ねえ…。」

「師匠、じゃない、殿。笄はどちらのものがいいと思います?」
お琴が出している物を見て、
「右手に持っているやつ。」
と直樹は指示を素早く出す。
「右手ですね、はあい。」
直樹に選んでもらった笄を女中に飾らせるお琴。

「お琴ちゃんをちゃんと守ってやれよ。」
「守るねえ…。」
どうも渡辺屋の言うことが今一つ、信じられない直樹であった。



一行は松本家の上屋敷へと到着した。
「これは見事な庭園だな。」
通された庭園の景色に直樹は感嘆する。
「相原家も見事だが、こちらも素晴らしいな。」
これには渡辺屋も直樹と同意見であった。

庭園に設けられた緋毛氈の上では松本家の奥女中が琴を演奏し、まるで別世界のようであった。

「お久しぶりでございます、琴姫様。」
そこへ登場したのは、あでやかな打掛をまとった美しい姫君だった。
「こちらこそ、裕姫様。お招きありがとうございます。」
お琴も挨拶を返す。

「これは美しい」と渡辺屋は裕姫を見て思った。歌舞伎の女形も吉原の花魁も足元にも及ばない美しさである。渡辺屋は咄嗟にお琴を慰める言葉を考え始めていた。

「嫁がれたとお聞きしましたけれど。」
裕姫の目つきが変わったことを直樹は見逃さなかった。
「ええ、そうなんですの。」
お琴の目つきも変わったことを渡辺屋も見逃さなかった。
「まあ、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「あなた様のような方が嫁がれる日が来るとは、ちっとも思っておりませんでしたけれどね。」
「私も、裕姫様のような素晴らしい姫君より先に嫁ぐとは思ってもおりませんでしたわ。」
「私は琴姫様のように、身近なところで手を打つことはどうも。」
「私は裕姫様のようにいつまでも選り好みをして、嫁き遅れにならずに済んでようございました。」

「入江、あそこに火花が見えているのは俺だけか?」
姫二人の会話を聞きながら渡辺屋が目をこすると、
「いや、気のせいじゃない。」
と直樹が答える。
お琴、裕姫の間には確かに火花が飛び散っていた。その背後には獅子と虎の姿が見えているかのようである。雅な世界などどこかへ飛んで行ってしまっているかのようだった。

「私は選り好みをしているわけじゃございませんことよ。私にふさわしい殿方が現れないので嫁がないだけ。自分の意志です。琴姫様がうらやましいですわね。ご自身が平凡だと理想が低く済みますもの。」
裕姫が意地悪く笑うと、
「理想を追いかけて“いかず後家”などと噂されないよう気を付けられたほうがよろしくてよ。」
と、お琴も負けてはいない。

「あいつがやられっぱなしのタマじゃないことは分かっていたけれど。」
どんどん燃え上がっていく姫たちの争いに直樹は思った。
こんなことに怯えるお琴だったら、毎日自分を巡っておうめ婆さんと争えるはずがない。
「うん、俺が甘かったよ…。」
女って怖いと渡辺屋はその時本気で思っていた。



「…そこまで仰る、琴姫様の素晴らしい御夫君をご紹介下さるんでしょうね?」
嫁いでいない自分の形勢が不利になってきた裕姫である。
「ええ、もちろん。我が殿、こちらに。」
「これで突然殿呼ばわりしていたのか」と直樹は合点しながら、お琴の傍に立った。
「ま…。」
直樹を一目見た裕姫の顔が変わった。裕姫だけではない、お付きの奥女中たちも同様である。
「こちらが我が殿、入江直樹様ですわ。」
「勝った」とお琴は自信たっぷりな顔をした。賢く美しい裕姫にずっとバカにされてきたのである。今こそ、裕姫の鼻をへし折る時だと信じて疑っていない。

「そうですか、あなた様が。」
ところが裕姫の表情はちっとも負けたという様子ではなかった。むしろ自信があふれ始めている。
「確か、物語を書いていらっしゃるとか。」
「え?何でそれを?」
これにはお琴が驚いた。そこまで裕姫に話してはいないはず。
「拙いものでございますれば。」
相手は大名の姫君であるので、自然と直樹の言葉づかいも改まる。
「拝読いたしました。」
「嘘!」とお琴が声にならない叫びを上げても、裕姫は動じない。

「ありがとうございます。お恥ずかしい限りでございます。」
「とんでもございません。私、あのような物語は初めて読みましたがあそこまで学が深いものだとは思わず驚きました。」
「学が深い?」と、お琴は直樹と裕姫を見比べる。

「そちらが版元の方かしら?」
裕姫は渡辺屋のことも忘れていなかった。
「お二人でご立派な本を出されて、素晴らしい。」
「ありがたきお言葉でございます。」
渡辺屋も平伏している。

「入江様は四書五経なども全て深くご理解されているとお見受けしましたが。」
「そのようなことは。」

「渡辺屋さん、ししょごきょうって?」
とお琴が渡辺屋に耳打ちすると、
「ええと、それはね。」
と渡辺屋が簡単に説明する。

「御謙遜を。ただの物語ではございませんでした。歴史や地理など読んでいると学ぶことができる内容で素晴らしゅうございます。」
「裕姫様は学問がお好きなのでしょうか?」
「ええ。ですがおなごということでなかなか詳しく教えてくれる者がおりませぬゆえ、歯がゆい思いをしております。そうですわ。」
裕姫が美しい微笑みを見せた。
「入江様、今日ご教授下さいませ。学問がお好きな方とお話できることが嬉しくてたまりませぬ。」
「私でよければ喜んで。」
「では、早速。」

そして裕姫はお琴の存在を今頃思い出したような顔をした。
「御夫君をお借りしてもよろしくて?」
「へ?」
「このような機会、滅多にありませんもの。琴姫様もご一緒にいかが?」
「わ、私は…。」
「ああ、琴姫様は学問がお好きではありませんでしたわよね。失礼を。」
形勢は完全に逆転してしまった。お琴の手がわなわなと震える。
「では、入江様。」
裕姫は直樹を連れ屋敷へと向かってしまった。


「師匠…そんな…。」
「お琴ちゃん…。」
渡辺屋はもう慰める言葉が見つからなかった。
「師匠…ひどい…。」
妻である自分を置いて、他の女と消えてしまうなんて。
「師匠…師匠…うーん…。」
「姫様!」
「お琴ちゃん!」
衝撃のあまり、お琴はその場に倒れてしまったのだった。




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結婚後に松本裕子が登場!!
どんな展開??と思ったらこうなりましたか~
うーーーーん琴子ちゃん、学問はだめだからねぇ~
とにかく頑張れ!!

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素敵な題名ですね♪
これからの展開がとても楽しみになりました。
素敵な水玉ワールドのイリコトにぴったりですね♪

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