日々草子 縁ありて 2

2012.12.13 (Thu)

縁ありて 2


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「義母上様、お味を見ていただけますか?」
「どれどれ…。」
お琴に頼まれ、紀子がこんにゃくを一つ口に含んだ。
「いかがでしょう?」
「うん、お琴ちゃん。味がよくしみこんで、とってもおいしくてよ。」
「よかった!」
料理上手の紀子に太鼓判を押され、琴子は頬を紅潮させた。

「うわあ、全体的に茶色い。」
喜んでいたお琴に水を差す人物がそこに現れた。直樹の年の離れた弟、裕樹である。
「何だこれ?卵焼きか。すげえ、こんな色しているの初めて見た。」
「裕樹!!」
紀子は裕樹に雷を落とす。
「義母上様、やはりこれでは…。」
すっかり自信を喪失してしまったお琴が涙目で料理を見た。確かに裕樹の言うとおり、全体的に茶色い。それは煮物中心というわけではなく、お琴が料理を焦がしているからである。
「そんなことないわ。卵焼きはお砂糖とお醤油が入っているからどうしても焦げやすいものなのですよ。大丈夫、大丈夫。」
目は裕樹を睨みつつ、口元はお琴を安心させるために微笑む紀子である。

「それにしても直樹さんが代稽古だなんてね。」
出来上がった料理を重箱につめるお琴を見ながら、紀子が珍しいことだという顔をした。
「はい。何でも師匠の剣術の先生が風邪をこじらせたとかで。それで師匠にお稽古をお願いされたそうです。」
直樹は大身の旗本、入江家の長男であった。幼少のみぎりより剣の道場に通っていた。
「昔から黙々とお稽古をしていたけれど、代稽古を務められるほどの腕前になっていたのね。」
「何を仰るのですか、母上。」
卵焼きを一つ頬張り「苦い」という感想を漏らした後、裕樹が呆れた。
「兄上は学問はさることながら、剣の腕前もかなりのものです。兄上はこのあたりの武家の息子たちの憧れの的なのですよ。」
「そうなんだあ。」
お琴がうっとりとなった。

「お仕事の方は大丈夫なのかしらね?」
直樹の本業を紀子は心配した。
「はい、先日新しいお話を仕上げたばかりなので余裕もあるみたいです。そういえば。」
お琴は裕樹を見た。
「裕樹さんは、師匠にお稽古つけてもらわなくていいの?師匠が今お稽古している道場に通っているのでは?」
「冗談じゃない!」
裕樹が顔を真っ赤にして叫んだ。
「兄上の道場をお前は知らないからそんなことが言えるんだ。あそこは江戸でも指折りの名門で稽古が厳しいことで有名なんだぞ。そんじょそこらの腕じゃ付いていけないんだ。」
「ふうん。」
「お琴ちゃん、裕樹にはちょっとあそこは厳しすぎるのよ。この子、学問は昌平坂の学問所(旗本の子弟の教育をするための江戸幕府直轄の学問所)も入れると太鼓判を押されているけれど、武術は直樹さんに似なかったみたいで。」
「母上!」
せっかく誤魔化そうとしていたのに、母親に暴露されてしまって裕樹は頭から湯気を噴き出す勢いで怒っている。そしてその怒りの矛先は兄嫁のお琴へと向けられるわけで。
「ふんだ、お前なんてそのうち兄上に見捨てられるんだからな!」
「裕樹さん!」
あっかんべーをしながら、裕樹は台所から風のように去っていってしまった。
「全く逃げ足の速いこと!ごめんなさいね、お琴ちゃん。」
「いいえ、私は弟がいなかったのでこういうことも楽しいですから。」
紀子への気遣いではなく、純粋にお琴は裕樹とこうやってじゃれ合うことを楽しんでいた。



出来上がった料理は直樹の昼食であった。お琴はそれを抱え、直樹のいる道場をめざす。
「ここか。」
看板が掲げられた門をくぐり、お琴は入るところを探した。
「ん?」
道場の傍に人だかりがしているのを琴子は見つけた。それも皆、女性ばかりである。
「女の人も入門したいとか?」
だがそんなことではないことを、お琴はすぐ知った。

「何て素敵な先生なんでしょう!」
「弟から教えられて来た甲斐があったわ!」
「ああ、あの汗を拭いてさしあげたい。」

皆、直樹目当てなのであった。
「そんなあ…。」
自分というれっきとした妻がいるのにと思いつつ、どういう態度を取っていいか分からずお琴は立ちすくんだ。

だが、それもすぐに終わることとなった。

「すまないが。」
キャーキャー騒ぐ女性たちの傍に、いつの間に来たのか直樹が立っていた。憧れの君がこんな近くへやってくるとは思ってもいなかった女性たちは顔を真っ赤にしている。
「何でしょうか?」
「稽古の邪魔だ。出て行くように。」
「…え?」
「気が散ると言っている。」
直樹の厳しい声に震えあがった女性たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまった。

その一部始終を見ていたお琴は、
「私も帰った方がよさそう…。」
と帰ろうとした。
「あれ?お琴ちゃん。」
聞き慣れた声にお琴は顔を上げた。
「渡辺屋さん!」
「どうしたの?あ、入江に昼飯持ってきたんだね。」
お琴が抱えている重箱を見て、渡辺屋は笑った。
「渡辺屋さんはどうしてこちらに?」
「うん、入江の奴がちゃんと代稽古しているかなと思って…というのは冗談で。あいつがどんな指導しているか興味があってさ。」
「そういえば渡辺屋さんもこちらの道場でお稽古されていたんでしたね。」
渡辺屋も元は直樹同様、旗本の子息であった。ただしこちらは長男でなかったがため、母の実家である渡辺屋の養子となり商人の道を進んだのである。

「そろそろ昼時だね。入ろうか。」
「でもお邪魔のようで。」
先程の出来事をお琴は話した。
「ふうん、そうか。」
「ええ。だから…。」
「入江先生!御妻女がお昼をお持ちになられてますよ!」
渡辺屋は突然、道場に向かって叫んだ。
「渡辺屋さん!?」
お琴は目を丸くする。

「御妻女?」
「入江先生の?」
ちょうど稽古が終わったところだった弟子たちが途端に声のした方へ顔を向けた。
「なべ屋の奴…。」
苦虫をつぶしたような顔をした直樹は、つかつかと歩いてきた。

「ほら、お琴ちゃん。」
渡辺屋に肩を押され、お琴が前に出る。その顔は真っ赤である。
「あれが御妻女か。」
「まだ子供子供している感じだが。」
そんな感想がお琴の耳に容赦なく飛び込んでくる。
「あ、あの…ええと…。」
ここは挨拶の一つでもしなければ、直樹に恥をかかせることになるのではとお琴は思い、口を開いた。
「い、入江の妻女です。いつもお、お、夫がお世話になっております!」
しどろもどろになりながら、お琴は弟子たちに頭を下げたのだった。



お琴と渡辺屋は直樹が使わせてもらっているという、道場主の部屋へと通された。
「先生のお加減は?」
弟子らしく渡辺屋が直樹に訊ねた。
「もうだいぶよくなられたようだ。あとでお前も顔を見せてやれよ。先生も喜ばれるだろう。」
「そうさせてもらうつもりだ。」
渡辺屋は見舞いの品を持参していた。
「ったく、お前が引き受けてくれればよかったのに。」
直樹は渡辺屋を睨んだ。
「冗談。俺はとても無理さ。」
そう謙遜する渡辺屋であるが、直樹ほどではなくともかなりの腕前だとお琴は聞いている。
「俺は人を指導するとか苦手なんだ。お琴を見れば分かるだろ?」
うんざりしながら直樹はお琴を見た。
「いつまでたっても、こいつの作品はものになりゃしない。」
「だからそれは師匠が厳しすぎるんです。」
お琴は卵焼きとこんにゃくの煮つけを直樹へ差し出しながら口を尖らせた。
「渡辺屋さんもいかがでしょう?たくさん作ってきましたので。」
「それじゃあお言葉に甘えて…。」
「お琴。」
手を伸ばしかけた渡辺屋を止めるように、直樹が口を開いた。
「渡辺屋は大商人だぞ。」
「はい?」
「お前の作った飯が口に合うと思うか。こいつはな、朝昼晩と一流の料亭に作らせた飯を贅沢に食っているんだ。舌が肥えているんだ。」
「そんな…。」
冗談じゃないと渡辺屋は思った。そんなことしていたらいくら金持ちでも破産してしまう。第一渡辺屋は隠居している祖母が慎ましやかに暮らしているため、質素倹約を心がけているのが自慢である。
「そうだったのですか。それでは失礼なことを申し上げましたね。」
お琴は申し訳なさそうに渡辺屋を見た。
「ごめんなさい、渡辺屋さんのお口にはとても合いません。」
「いや、そんなことは。」
と言いかけたところで、渡辺屋は漸く直樹の真意に気づく。直樹は恋女房の手料理を自分以外の男に食べさせたくないのである。

「…小さい奴。」
「え?小さいってお野菜の切り方でしょうか?」
ボソッと呟いた渡辺屋の言葉にお琴が反応する。
「いや、何でもないんだ。さて、先生のお見舞いをしてこようか。」
道場主の住まいは道場と同じ敷地内に建てられている。

「おかみさん、ご無沙汰しております。」
見舞いに向かった渡辺屋と入れ違いに現れたのは、
「まあ、啓太さんじゃないの!」
こちらも裕福な紙問屋の跡取りである鴨屋の啓太であった。
「啓太さんもこちらのお弟子さんだったのね。」
「はい。こちらは武士だろうが商人だろうが身分を問わずやる気のある人間を受け入れて下さる、まことにご立派な道場ですので。」
そう話す啓太であるが、生まれはお琴と同じ大名家である。女好きの父が気まぐれに手を付けた奥女中であった母の腹に生まれた三男坊であり、どこかの家に養子に入らなければ生涯冷や飯食いで終わる身であった。そこで相原家の一人娘であるお琴の婿にという話が持ち上がったのだが、直樹とお琴の間に到底割り込む隙がないことを知り身を引いたのである。
そして権力と女に目のない父と家に愛想を尽かし、実家へ戻り婿を取っていた生母の元へ身を寄せ、今では商売の修行にいそしんでいる。

「どう?うちの師匠のお稽古。」
「それはもう厳しくて。皆ひいひい言っております。でも的確なご指導で腕もどんどん上達していくことが分かり楽しくてたまりません。」
「まあ、それは何より。」
和気藹々としている二人の間に「ゴホン」という直樹の咳払いが響いた。
「あ、失礼いたしました。私はこれで。」
「また遊びにいらっしゃいね。」
「はい、そのうち…。」
と啓太が答えかけたところで、直樹の声がまた飛ぶ。
「お琴、啓太は忙しいんだ。お前みたいにのほほんとしている暇はない。」
「確かにそうかもね。ごめんなさいね、啓太さん。」
直樹に言われ、お琴は素直に反省した。
「いえ…。」
啓太は自分が明らかに邪魔にされていることを悟った。
「…小さい人だ。」
「え?ああ、私ね。そうね、先生や啓太さんと比べると小さい体よね。」
相変わらず鈍感なお琴に苦笑しつつ、啓太も退散したのだった。



見舞いを終えた渡辺屋は、直樹たちのいる部屋の障子を開けようとした。が、その手を寸での所で止めた。
中が異様に静かなのである。
「これはもしや?」
ここで入ったら先程の比ではない直樹の怒りをくらうことになるだろう。
「くわばら、くわばら」と渡辺屋は早々に逃げ出す。

渡辺屋の察した通り、部屋の中では直樹がお琴を抱きしめ、唇を重ねていたのだった。




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 |  2012.12.13(Thu) 23:22 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.12.14(Fri) 08:37 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.12.14(Fri) 15:00 |   |  【コメント編集】

佑さん、ありがとうございます。

そうなんですよ~小さく書きすぎたような気がしないでも。
また入江くんがかっこ悪くなっていくぅ!
水玉 |  2012.12.14(Fri) 23:29 |  URL |  【コメント編集】

YKママさん、ありがとうございます。

私も袴をつけて木刀を手にするかっこいい入江くんを書きたかったんですよ!
それがどこをどう考えたのか、ノミ入江に…涙
お琴ちゃんを一途に愛する入江くんを書きたかったのに、なんかおかしなことになってしまいました。
YKママさんの想像が楽しすぎます!
水玉 |  2012.12.14(Fri) 23:30 |  URL |  【コメント編集】

たまちさん、ありがとうございます。

琴子は俺のもの、 琴子の作ったものも俺のもの、そんな事気付かない琴子も俺のもの、いい、いい!!
入江くんの可愛いヤキモチぶりが表れていて最高です!
本当に大事だったら家の中から出さなければ…とそれじゃ怖い旦那様になってしまいますよね。
入江くんの独占欲はすごいものがありますね~。
水玉 |  2012.12.14(Fri) 23:32 |  URL |  【コメント編集】

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