2017年10月 / 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2012.11.30 (Fri)

入江法律事務所 6


【More】





「先生、どうしちゃったんですか?」
その後、休廷を経て今日の公判は何とか終わった。
「珍しいよな、お前が船津の挑発に乗るなんて。」
西垣も首を傾げている。
二人に何を言われても、直樹は言い返す言葉がない。

「入江先生、うちの部下がちょっとオーバーヒートしちゃって悪かったねえ。」
そこに紫のカトレアを手にした大蛇森検事部長が登場した。
「いえ、別に…。」
「そうですよ!」
やり過ごそうとした直樹を庇うように、琴子がずいと前に出た。
「何ですか、船津検事のあの態度は!あの人が変なことばかり言うからうちの先生の調子が崩れちゃったんですよ!こういうところを上司ならちゃんと管理してくださいよ!」
「はあ!君に僕の部下の管理云々を言われたくはないね!」
たちまち琴子と大蛇森の間に火花が飛び散る。
「上司がそんなことやってるから、部下も変なんです。」
「部下が変人なのは上司に関係ないね。入江先生が優秀なのに部下は礼儀もわきまえてないじゃないか!」
「んまっ、私のどこが礼儀をわきまえていないと?」
「いやあ、自分を知らないとは恐ろしいものだ。」
「冗談じゃないわ。そもそも、用もないのにどうしてこの法廷に来ていたんですか?ちゃんと仕事したらどうなんです?」
「そのセリフはそっくりそのままお返しする。」
「検事って公務員でしたよね?だったら私たちの税金からお給料が支払われているんでしょ?こんなサボリに貴重な税金を使うなんておかしいわ!」
「君に僕たちの給料を批判されたくない。第一、税金税金とわめくなら、国民の三大義務を言ってみろ!え!」

「いい加減にしろ、相原。」
「先生…。」
今度は直樹が琴子を後ろにやった。
「失礼しました、大蛇森検事部長。」
「いや、入江先生が謝る必要はないんだよ。あ、これよかったら…。」
「これで失礼します。」
大蛇森が差し出した紫のカトレアに目もくれず、直樹はくるっと背中を向け歩いていく。
「先生、待って下さい!」
慌てて琴子はその後ろ姿を追いかけて行った。



「先生、大丈夫ですか?どこか具合でも悪いのではありませんか?」
どんどん歩いて行く直樹に、琴子が一生懸命声をかける。
「先生、今日は家に帰ったらどうでしょうか?」
そこで直樹は足を止めた。
「お疲れなんですよ、きっと。」
寒い時期だし、風邪でも引いたのではと琴子は思っていた。

「…お前のせいだよ。」
「え?」
直樹は琴子を振り返った。自分を心配している琴子の顔がそこにある。
琴子が何を考えているのか、それがどうして自分の調子をここまで狂わせるのか、まったく理解できない。だが琴子の存在が関わっていることは分かっている。

「お前がいるから、俺はこんなことになったんだ。」
「私のせい?」
「そうだよ、お前がヘラヘラしてるから俺の調子がおかしいんだ。全部お前のせいだ。」
「ご、ごめんなさい…。」
何が直樹の気に障ったのか分からないが、そう言われたら謝るしかない。
「ったく、お前、もう帰っていいよ。」
「帰っていいって、まだ午前中…。」
「いいよ、どうせいたってろくな仕事しないんだから。」
「先生は…?」
「弁護士会館でちょっと会合に顔を出して、その後顧問先で打ち合わせをして帰るから今日は事務所に戻らない。だからお前も帰れ。」
完全に八つ当たりだと分かっていた。だがそれでも口が止まらないのだから仕方がない。
とても琴子の顔を正視できず、直樹はそのまま弁護士会館へと足早に去っていったのだった。



直樹はその日の夕方、一応啓太の顔を見に行った。
「先生、大丈夫ですか?」
啓太の大丈夫という意味は、こんな弁護士に自分の弁護をまかせていいのかという不安が込められていることは直樹にすぐに分かった。
「ええ、次回からはきちんとやりますので。」
「先生しか俺、信頼する人いないんで。」
「…相原は?」
「え?」
「いえ、分かりました。」



拘置所から事務所へと戻った時は、もう夜の七時を過ぎていた。
真っ直ぐ家に戻ると琴子に言ったものの、少し頭を冷やしてから帰ろうと思ったのである。
ビルの七階、事務所の窓を直樹は見上げた。ところが、真っ暗なはずの窓に明かりがともっている。

「先生、お帰りなさい。」
事務所には琴子がいた。
「お前、帰れって言っただろ?」
「…。」
琴子の手には掃除道具があった。見ると事務所の床や棚がきれいになっている。元々散らかってはいないが、更に磨かれていた。
「あの、私、お掃除くらいしかできないから。」
俯きがちに、琴子が言った。
「頭悪いし、先生にいつもお仕事で怒られてばかりだし。できることって、お掃除くらいかなって。」
何が直樹の怒りに触れたかは全く見当がつかない。せめて自分にできる精一杯のことをやろうと琴子は思って、あれから一生懸命掃除をしていた。

小さくなっている琴子を見て、直樹の胸に後悔が広がった。
琴子は何も悪いことはしていない。ただ、自分がどうしてこうなったのか分からないことにイラついているだけなのだ。
それなのに、琴子はこうして頑張ってくれている。

「あ、帰りますね。先生、お仕事残っているんですよね?」
邪魔にならないよう帰ると、掃除道具を片付けようとする琴子に直樹は声をかけた。
「お前、飯は?」



――すごい、こんなレストラン初めて。
琴子は失礼にならない程度に、周囲を見回した。
夕食はまだだと答えたら、直樹に連れられてやってきたのはフレンチレストランだった。

「いらっしゃいませ、入江様。」
「久しぶりです。」
店のオーナーとおぼしき男性が挨拶にやって来たところを見ると、直樹は常連なのだろう。
――誰かと来たこと、あるのかな?
こんな素敵なレストランでデートとか直樹はしたことがあるのだろうか。それを考えると琴子の胸がチクンと痛んだ。

――いやいや、今はそんなことを考えるのはよそう。
今の自分たちこそ、デートに見えるのではないだろうか?お得意のポジティブ思考が始まる。

**********
『琴子。』
直樹がワイングラスを掲げた。
『先生。』
『君の瞳に乾杯。』
『…乾杯。』
カチンとグラスを合わせる二人。
周囲の客が「見てみて、素敵なカップルね」と自分たちをうらやましそうに見ている。
『先生、みんなが私たちを見てます。』
『お前が綺麗だからさ。俺も鼻が高い。』
『そんな、私こそ。』
『いやいや、さすが俺のマイスウィートハニーだよ。』
**********



「…先生、そんな。困っちゃうじゃないですか。」
「ムフフ」と笑う琴子を前に、ギャルソンが困った様子で直樹を見た。
「お連れ様のお食事、いかがいたしましょうか?」
楽しそうな妄想を広げている客にかける言葉が見つからないらしい。
「…俺と同じもので。」
「かしこまりました。」
困った奴だと、直樹は琴子を見る。が、この様子だと少し元気になってくれたと思うと安心もする。



運ばれてきた料理はどれも美味であった。
「おいしい!こんなお料理初めて!」
と食べる琴子に、直樹は思わず笑みをこぼした。
「連れてきた甲斐がある奴。」
「何か言いました?」
「食い意地が張ってる奴ってね。」
「んま、女性に何てことを。」
プーッと膨れる琴子であるが、すぐにまた料理に夢中になる。

「でもよかった。」
琴子が直樹に笑いかけた。
「何が?」
「先生、元気になったみたいで。」
「俺が?」
それはこちらの台詞である。連れてきたのはいわば今日の罪滅ぼしなのだ。
「はい。おいしい物を食べたら元気になったんですね。」
「お前じゃあるまいし。」
そして直樹は、謝るなら今だと思った。
「…今日は悪かったな。」
素直に謝れたことが自分でも不思議だった。
「いいんです、先生が元気なら私は嬉しいんですから。」
何の思惑もないそのセリフに、直樹の心もようやく晴れ始めた。

「ところで、先生。」
「何だ?お替りは残念ながら自由じゃないぞ。」
「違います。あの。」
ナイフとフォークを置き、琴子は切り出した。
「…このお店って、誰かと来たことありますか?」
「ないけれど。」
「え?」
あまりの即答ぶりに、琴子は驚いた。
「本当…ですか?」
「ああ。」
「だって常連さんみたいですけど?」
「元々は親父のお気に入りの店でね。俺も一番気に入っている店でもある。連れてきたのはお前が初めてだな。」
「お前が初めて」この直樹の言葉が、琴子の中でリフレインする。一番のお気に入りの店に連れてきた他人は自分が初めて。
――それって、少しは期待しても?
いやいや、そこまで考えるのはあまりに調子が良すぎるというものである。
琴子は自分の考えを打ち消すように、グラスに口をつけた。

「大丈夫か、顔が赤いぞ?」
「え?あ、ワインのせいですよ、えへへ。」
「ったく、しょうのない奴。」
直樹にいつものように言われても、琴子は笑っているだけだった。





関連記事
19:34  |  入江法律事務所  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.11.30(Fri) 21:19 |   |  【コメント編集】

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.11.30(Fri) 21:20 |   |  【コメント編集】

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.11.30(Fri) 21:52 |   |  【コメント編集】

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.12.01(Sat) 08:24 |   |  【コメント編集】

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.12.01(Sat) 21:40 |   |  【コメント編集】

★管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2012.12.02(Sun) 16:56 |   |  【コメント編集】

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

 | BLOGTOP |