日々草子 入江法律事務所 5

2012.11.29 (Thu)

入江法律事務所 5


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直樹は弁護人の席へ、琴子と西垣は傍聴席へと腰を下ろした。勿論、琴子が陣取った場所は裁判長の席に向かって右側、直樹の席の真ん前である。

「何か匂わないかい、琴子ちゃん?」
座って早々、西垣が鼻を動かした。
「言われてみると。」
裁判所には似つかわしくない香りが漂っている。二人は香りの元を見つけようと首を動かした。どうやら琴子たちの後ろから香りが流れているようである。

「あっ!!」
琴子は声を上げると、立ち上がり香りの元へと動いた。
「何、これ?」
琴子が指差した先には、紫のカトレアの花束が置かれていた。
「触らないでくれたまえ。」
琴子は顔を上げた。
「大蛇森検事部長!」
紫のカトレアの持ち主は、東京地検の大蛇森検事部長であった。
「それはこの法廷が終わった後、入江先生に差し上げるのだから。」
「フフフ」と笑う大蛇森。
「美しい花は疲れた心を癒すからね。ただでさえ、入江先生の傍には腐った花がまとわりついているようだから。」
大蛇森は琴子を意地悪く睨んだ。
この大蛇森、直樹をめぐる(?)琴子の天敵である。
「そんな気味の悪い目的で、変な物を持ちこまないで下さい!ここは神聖な法廷なんですよっ!!」
腐った花扱いされた琴子は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前に言う資格はないだろ」と顔を真っ赤にして大蛇森を睨む琴子に向かい、直樹は小声で呟いた。

「ふん、神聖な法廷?だったら君がなぜいる?」
「何ですって?」
「そうだろ、君がいる時点でもはや神聖じゃなくなっている。それを僕のこの紫のカトレアで浄化しているんだ。感謝してくれたまえ。」
「は!何を言ってるんだか!」
琴子は腕を組んだ。
「そのカトレア、持ち主の吐く毒気のせいで枯れかけているんじゃありませんこと?」
「何だと!」
「いい加減、うちの先生にまとわりつくのやめてもらえます?大迷惑!」
「それはこっちの台詞だ、このチンチクリンの小娘が!」
「まあまあ、琴子ちゃん。あっちへ行こうよ。」
「ウーウー」と唸る琴子をあやしながら、西垣が席へと連れ帰った。こうでもしないと、この二人は延々と喧嘩している。



「まったく、花束を持ちこむなんて。信じられない。」
「まあまあ、落ち着いて。可愛い顔が台無しだよ。」
ここぞとばかりに西垣は琴子にちょっかいを出そうとした。
「ほら、ほら。」
と西垣がちゃっかり琴子の頬に手を延ばそうとした時、二人の間にコートが投げ込まれた。

「こっちの席狭いから、お前持っていてくれ。」
柵の向こうから直樹が自分のコートを投げたのである。
「はあい。」
せっせと琴子は直樹のコートを畳んだ。しかし琴子も着てきたコートを抱えている。そしてバッグ。それらを全て膝の上に乗せることは大変である。
「西垣先生、そっち空いてますよね?私の隣の席にコート置くので、詰めてもらっていいですか?」
「え?そ、そんな。」
「お願いします。」
琴子は西垣を強引へ追い出すと、「よいしょ」と直樹と自分のコートを空いた席に置いた。
「入江の奴~。」
西垣が睨んでも、直樹は素知らぬ顔である。

やがて船津検事が直樹に敵意をむき出しにしながら着席する。
そして、被告人の啓太が入ってきた。
入ってきた啓太は、傍聴席の琴子にすぐ気付いた。琴子が啓太に安心するよう頷くと、啓太も頷き返す。

「…何だ、あれ。」
それを見ていた直樹は面白くなかった。まるで二人の心がしっかりと結ばれているかのようである。
「面白くねえ。」
直樹はまた苛立ちが募り始めた。

裁判長が入廷し、いよいよ公判が開始される。
「法曹界伝説の男と東京地検の変人検事の、伝説となる戦いが幕を開けるんだわ!」
琴子の体に緊張が走った。



「被告人は…。」
船津検事が声高々に起訴状の朗読をしている。身振り手振りと相変わらずのオーバーアクションに、琴子は少しうんざりしていた。
「この人、役者にでもなっているつもりなのかしら?」
そして船津は時折、直樹を挑発するかのような視線を送っている。
「全く、先生にあんなことして!」
直樹にちょっかいを出す人間は琴子は許せない。
それにしても、一体いつまで船津の一人芝居は続くのだろうか。西垣は俯き目を閉じている。琴子は退屈を覚えつつあくびを堪えながら直樹を見た。

直樹は机の上で懸命にメモを取っていた。
「いけない、私としたことが!」
琴子は自分を戒めた。直樹程の天才であればメモなど取らずとも全て暗記できるのに、あのようにメモを取っているではないか。
「さすが先生、あんなふざけた朗読も真剣に聞いているんだわ。私も見習わないと。」
慌てて琴子はバッグから筆記用具を取り出した。ああ、恥ずかしい。これでは入江法律事務所職員失格である。



「俺って本当に器用だよな。」
直樹の手元のノートには事件についての概要…ではなく、何と船津の似顔絵が描かれていた。
「法廷画家としても食っていけるな。」
我ながらいい出来栄えである。口角泡を飛ばしてわめいている船津の様子、ギャグ風味の三頭身の船津と色々な船津が次々と直樹の手によって生み出されていく。

「ったく、何でこんなにオーバーなんだ、この男。」
起訴状などとっくに頭に入っている。
「それにしても、こんなに器用な俺がどうしてあいつに振り回されなければならないのだろうか。」
五人目の船津を書き終えた後、直樹は傍聴席に目をやった。琴子が船津の朗読にうなずきながらせっせとメモを取っている。
「ああいうところは可愛いよな。」
黙っていればそこそこましなのに、どうして口を開くととんでもない言葉が出るのか。そしてそれにどうして自分が振りまわされねばならないのか。
これまでの直樹の人生は順風満帆である。他人に煩わせられることなど一切なかった。それが琴子と出会ってからは調子がおかしい。
「しかも、あいつのくせに男と何を通じ合っているんだ?」
この被告人と琴子の関係が気になって仕方ない。いつもならば聞かれもしないことをペラペラと話してくるくせに、こういうことを打ち明けてこないのはどうしてなのか。

「弁護人、聞いてますか?」
裁判長の声に直樹は我に返った。どうやら船津劇場が終了したらしい。
「弁護人?」
「無罪を主張します。」
立ち上がり直樹は告げた。
「では…。」
「異議あり!!」
船津が鼻息荒く叫んだ。
「検察官、ちょっと待つように。」
「異議あり!弁護人は検察官の有能さに無罪などほざいているだけであります!」
「ほざくって…。」
琴子はあんぐりと口を開けた。法廷での船津を目にすることは初めてであるが、まさかここまで訳の分からないことを言う人間だったとは。
「でも、先生はこんなことに負けたりしないわよね。」
冷静沈着、法曹界伝説の男、敏腕弁護士の直樹を琴子は信じて疑わなかった。

そう、いつもの直樹であれば琴子の思うとおりであった。
しかし、今日の直樹は違っていた。どうして違ったのか、それを本人に訊ねても明確な答えは返ってこなかっただろう。
船津のこのような戯言など無視するのが当たり前であるのに。

「誰が有能だ?」
ゆらりと直樹が立ち上がった。
「ベ、弁護人?」
これには裁判長が顔色を変えた。
「この僕に決まっているじゃありませんか。東京地検のエース、船津!」
船津が胸を叩いて見せる。それに直樹が「はん!」と鼻で笑う。
「な、何だ、その態度は!」
直樹の小馬鹿にした態度に船津が怒りだす。

「検察官、戻りなさい。」
つかつかと弁護人の席に歩いた船津を裁判長は制しようとしたが、効果はなかった。

「ていうかお前、最初から検事志望じゃなかったよな?」
直樹は船津に顔を近づけた。二人の間に火花が散るのを琴子は見た。
「俺が弁護士志望だって言ったら、自分も弁護士になるとかほざいていたの、どこの誰だっけ?」
「何を言ってるんだ?」
「お前は在学中から俺を目の仇にしてたからな。同じ年に試験に合格して、修習中も俺と張り合っていたっけ?まあずっと俺の次だったけど。」
「次」という船津にとってのNGワードを直樹はわざと出す。

「弁護人、聞こえてますか?」
検察官だけではなく弁護人の様子までおかしいことに、裁判長は困り果てている。そして二人とも自分の言うことを聞いてくれない。

「お前、よほど俺を意識していたのか、法律事務所の就職活動もずっと俺の後を追いかけていたじゃねえか。」
「何を言ってる?僕の真似をしていたのは君だろう?」
「だけど俺と違って、お前は軒並み不採用だったよな。」
「入江!!」

「検察官、弁護人、着席を。」
裁判長の言葉を二人は見事に無視していた。

「そうそう、くだらねえ理由で落とされたこともあったよな?まさか事務所の名前でいちゃもん付ける奴がいたとは俺も聞いてあきれたよ。」
「あれは僕にふさわしくない事務所だったからだ!」
「いいや。“二番街法律事務所”ってところだった。司法修習所の教官がお前をみかねて紹介してくれたってのに“二番”なんて縁起が悪いと面接で言ったもんだから、相手を怒らせたんじゃねえか。」
「その通りじゃないか!僕に二番なんてフレーズは必要ない、いらない!」

「せ、先生…。」
傍聴席はざわついていた。「静粛に」と裁判長が注意するが無駄であった。
琴子は直樹のいつもとは全く違った様子が心配でたまらない。一体直樹はどうしてしまったのか。船津の毒にやられてしまったのか。あんな直樹、今まで見たことがない。

そして戸惑っているのは当の本人も同じであった。
――なぜ俺が、こんなことを言ってるんだ?
どうして船津の相手などまともにしてしまっているのだろうか。直樹はチラリと被告人席を見た。啓太が青ざめた顔で自分を見ている。そりゃあそうだろう。自分を弁護してくれる人間がこんなことしているのだから。
だがその啓太の存在が今日の直樹がおかしい原因であることに、直樹は気づいていない。
なぜ啓太を見るとこうもイライラが募るのか。

「入江、僕はお前に絶対勝つ!この裁判も僕の勝利だ!僕はお前に勝ち続け、やがては検事総長までのぼりつめるんだあ!!」
直樹を指さし、船津が叫んだ。
「検事総長?」
「ハハハ」と直樹は笑った。
「お前に慣れるか、この二番野郎。せいぜいお前の出世は次席検事どまりだ。次席ってどんな字を書くか知ってるか?“次の席”って書くんだよ!」
「入江―!!」

「いい加減にしなさい、二人とも!!」
裁判長がとうとう声を荒げた。
「検察官、弁護人。双方とも頭をよく冷やしてくるように!休廷!」

法曹界伝説の男vs(自称)東京地検のエースの戦いは、違った意味で伝説となったのだった――。





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 |  2012.11.29(Thu) 22:25 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.11.30(Fri) 06:26 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.11.30(Fri) 19:36 |   |  【コメント編集】

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 |  2012.12.01(Sat) 21:21 |   |  【コメント編集】

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