日々草子 いとし、いとしと言う心 40

いとし、いとしと言う心 40





無事にドイツから帰国した二人を、入江、相原両家は大喜びで迎えてくれた。
直樹は相原家に改めて結婚の許しを得に出向き、重雄は認めてくれた。
入江家では琴子が直樹に影響されて看護婦を目指していることを知り、特に紀子が大感激であった。

すぐに結婚するのかと思いきや、直樹と琴子の考えに両家は顔を見合わせることとなった。

「琴子が養成所を卒業し、俺も帝大を卒業したら結婚ということで。」

直樹は休学していた帝大へ復学した。といっても残りわずかであり留学先の成績も全く問題はない。
卒業試験と医師国家試験も難なくパスすると誰もが思っている。

問題は琴子であった。
「お前、ちゃんと卒業できるのか?」
部屋に籠って勉強している娘を重雄が心配する。数か月のヨーロッパ旅行は養成所の教授の付き添いということで授業に含んでくれるが問題は卒業試験である。
これをパスしなければ看護婦にはなれない。

「卒業できなかったら、看護婦になれないもの。」
机に向かったまま琴子は返事をした。
「中途半端でお嫁にいくのは嫌だわ。」
「やれやれ」と退散する重雄と入れ違いに、女中が琴子の部屋を訪れた。
「お嬢様、お客様でございますが。」
「どなた?」
「それが…。」
「俺だ。」
現れたのは直樹であった。
「数日泊まり込んで、お前の勉強を見るから。」
「数日泊まり込むって?」
琴子の返事も聞かずに部屋に入り、座り込む直樹に琴子は驚く。その姿は半纏姿に白鉢巻と、できれば愛する婚約者に一番見せたくない格好である。
「大丈夫、義父上の許可はいただいた。」
「直樹さんの試験は?」
「俺は勉強はいらない。」
誰もが一度は口にしてみたい台詞である。
「ほら、時間がない。早速行くぞ。」
「は、はい!」

こうして琴子も無事に養成所を卒業し、晴れて看護婦免許を取得できたのだった。



そして二人の結婚式の日取りも決まった。
今度はきちんと式を挙げ、親しい人たちにお披露目をすることにしている。
直樹と琴子は招待状を自ら届けることにした。

「まあまあ…よかったこと。」
最初に出向いたのは琴子の斗南女学院時代の恩師、松下の家である。
「琴子さん、よかったわね。」
「はい、ありがとうございます。」
一度はもうおしまいかと思った教え子の結婚生活が、こうしてまた始まろうとしている。
「それにしても、あなたが看護婦だなんて。相談を受けた時は腰を抜かしそうになったわ。」
看護婦養成所に入りたいと、琴子は松下に相談していた。
――先生のように、自立した女性になりたいのです。
それを聞いた松下がどれほど喜んだことか。
「でもお裁縫もだめ、お料理もだめ、お勉強もだめなあなたが看護婦になれたなんて…すごいわあ。」
「先生、それはちょっと…。」
真っ赤になって松下を止めようとする琴子。直樹はその傍で噴き出した。
「入江様、琴子さんをお願いしますね。私の可愛い教え子を幸せにしてあげて下さいませね。」
「はい、松下先生。」
直樹の返事に松下はこれなら大丈夫と思った。

次に二人が出向いたのは――。

「勿論、二人で喜んでお招きにあずかりますわ。」
みさをが招待状を仏壇へとあげた。服部家である。
「弟も喜んでいることでしょう。」
「だといいのですが。きっとあいつは今までの俺を見て呆れ果てていたでしょうから。」
「入江様も何かお考えがあってのことだと、分かっていたはずですよ。」
妻の言葉にみさをの夫も頷く。
「服部に作ったノートがなかったら、きっと今でも俺は勘当されたままでした。」
「服部様が私たちにお力を貸して下さったんだと思います。」
直樹と琴子の言葉に、
「そんな…。」
とみさをは涙ぐんだ。
「服部の友人として胸を張れるよう、これからの人生を精進してまいります。」
「私も服部様に、直樹さんの奥さんはいい奥さんだと言っていただけるよう頑張ります。」
「それはこちらの台詞ですよ、お二人とも。」
みさをがテーブルの上に、服部の写真を置いた。
「こんなに素晴らしいお二人に大事に思っていただけて、弟は幸せ者です。」



「そっかあ、やっと結婚できるんだ。」
日曜日で家にいた渡辺は、大喜びだった。
「本当に渡辺様には何とお礼を申し上げていいか。」
直樹が逮捕されたとき、そしてドイツにいる間も琴子の力になってくれた渡辺であった。
「そんな大したことしてないよ。琴子ちゃんの方が大変だったじゃない。」
「本当に色々ありがとうな。」
「よせよ、お前までさ。」
渡辺は照れてしまった。
「それにしても、最初はあんなに嫌味だった入江が変わったよなあ。」
それを聞き琴子がプッと噴き出す。
結婚したばかりの頃、渡辺が入江家を訪れた時、あまりに琴子をほめる渡辺に嫉妬した直樹が次から次へと琴子を馬鹿にする発言をし、しまいには琴子に頬を叩かれるという事件があった。
「あれから数年しか経っていないのに、色々あったな。」
「そうだな。」
渡辺の言葉に直樹もしんみりと同意した。


それから直樹と琴子は市塚少将宅、琴子の友人の理美の嫁ぎ先、じんこの家へと回った。
皆、是非式には出席すると言ってくれた。

そしてすべての家を回り終えた二人は、懐かしの銀座にてコーヒーを飲むことにした。

「琴子。」
珈琲が少し苦手でアイスクリームを食べている琴子に、直樹が声をかけた。
「話があるんだが。」
「話?」
いつしか、直樹のカップを持つ手は下ろされていた。雰囲気からしてかなり真剣な内容のようである。
話とは何だろうか?
「俺、妾も一緒に家に入れたいのだが」という申し出だろうか。琴子はそのようなことを考えてしまった。何せドイツで一回り大きくなった直樹は、琴子が見ても惚れ惚れとする男っぷりなのである。今も銀座の街ですれ違う女性たちが直樹を目で追いかけていたことに琴子は気づいていた。

「お前には…悪いんだが。」
ああ、やはり妾関係に違いない。だが結婚前にこうして打ち明けてくれることがきっと直樹なりの思いやりなのだろう。
まさか結婚をやめようなどということではないだろう。今しがた招待状を配り終えたばかりである。さすがにそれはない。

「俺、考えが変わった。」
「うん、わかった。百人は大変だけどいいわよ。」
「え?」
直樹が琴子を見た。
「百人?何だ、それ?」
「何ってお妾さんの数。」
「妾?」
直樹が怪訝な顔をする。
「百人のお妾さんを囲いたいんでしょう?分かった、覚悟を決めたからいいわよ。」
そりゃあ本音は嫌だけれど、直樹の傍にいられるのなら我慢するしかない。
「ちょっと待て。」
直樹が琴子を制す。
「何だ、それは?百人?冗談じゃない。そんなにいたら、一人につき一年のうち三日しか会えねえじゃねえか。」
「あ、そうか。」
指を折って琴子は計算する。勿論それで答えは出ないが直樹が言うならそうなのだろう。
「じゃあ、五十人くらい?」
「五十人だって金がかかってしょうがねえだろ。いや、そんなことじゃない。妾とか何だよ、一体。」
「話ってそれじゃないの?」
「ばあか。」
直樹は琴子の額を小突いた。

「俺の将来の話。」
「将来?」
「そう。当初、俺は大きな病院で病気の研究もかねて働くつもりだった。」
「うん。」
服部を奪った結核など、不治の病といわれるものをなくしたい。それが直樹が医者になろうと決めた理由であることは琴子も知っている。

「だけど、考えが変わったんだ。」
「どういう風に?」
「ドイツに留学していた時、俺は貧困にあえぐ人たちを見た。俺が世話になっていた家は貴族だったから裕福だったが、ほとんどの国民は食べるものも困る有様だった。当然、病気になっても医者にかかる金なんてない。」
それは琴子も知っていることだった。
「それを見ているうちに、俺は研究よりも今現在病に苦しむ人たちを助けたいと思うようになったんだ。勿論、研究も続けるつもりだが、今苦しむ人たちを一人でも多く救いたい。だから将来は開業を考えたい。」
「なぜ、それで私に悪いと?」
「開業するとなると患者が集まるかどうか分からない。安定した給料がもらえる大病院に比べると稼ぎも少なくなるだろう。そうなるとお前に苦労をかけることになるから。」
直樹の話を聞いた琴子は、その手に自分の手をそっと重ねた。

「そんなこと、苦労とも思わない。」
「琴子。」
「私は直樹さんが何を選択しても支えるって決めているから。たとえインドへ行くといってもついて行く。直樹さんと一緒にいられるのならば貧乏なんてちっとも怖くないわ。」
「インドがなぜ突然出てくる?」
琴子の発想に直樹は笑ったが、貧乏が怖くないと言ってくれた琴子の気持ちが嬉しかった。琴子はずっと前から同じ気持ちだったのである。それなのに自分で勝手に勘違いして傷つけてしまったこともあった。

「ありがとう、直樹さん。私のことをそこまで考えてくれて。」
「その時は看護婦としても支えてくれるか?」
「勿論。」
「ありがとう、琴子。」
二人はそのまましばらく、手を重ねていた。



その晩、琴子は部屋の飾り棚にある物を飾った。
それは今日直樹に銀座で買ってもらった、お肌がプリプリになるあのクリームだった。
――ほら、土産。
今度は琴子がねだらなくても、直樹はいつの間にか買っておいてくれたのである。
「幸せ…。」
綺麗な瓶をあきることなく、間もなく花嫁になる琴子はうっとりとそれを見つめていたのだった。




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よかった。やっぱり素直な気持ちを口に出す事って大事!
遠回りしたかもしれないけど、二人には必要な時間だったかもしれないですね。続きがとても楽しみです。

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『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
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そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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