日々草子 いとし、いとしと言う心 36

いとし、いとしと言う心 36




「ここが直樹さんの下宿ね。」
琴子は直樹の下宿を見上げる。
「素敵な所。」
「そりゃどうも。」
入ろうとしたところで直樹ははたと気づいた。
「ちょっと説明しなければいけないことがある。」
「説明?なあに?」
「それは…。」
説明しかけた直樹の前でドアが勢いよく開かれた。
「ナオキ!お帰りなさい!」
突然中から現れたドイツ女性に、琴子の目が大きく見開かれた。それは相手も同様であった。

「直樹さん…もしかして、お茶を淹れてくれる方がいたの?」
たちまち琴子の大きな目に不安の色が浮かんだ。
「それは…。」
「違うわ!!」
直樹より先に、ドイツ女性が叫んだ。しかもそれは日本語であった。

「違うのよ、ええと…あなた、コトコでしょ?」
「え?」
琴子は二つ驚いていた。まず相手が日本語を話していること。そして自分の名前を知っていること。
「あ、私の言葉、わかります?」
ドイツ女性―勿論エリヴィーネである。エリヴィーネは自分の日本語が通じていないのかと不安そうな表情を浮かべた。
「はい。すごくお上手です。」
「よかった!やっぱり先生が素晴らしかったからね!」
琴子に褒められエリヴィーネは直樹に笑いかける。
「先生?」
一体どういうことだろうと、琴子は状況を把握しようと懸命に頭を働かせていた。


「こちら、エリヴィーネ嬢。ドイツの子爵令嬢だ。」
居間に入り、直樹が琴子にエリヴィーネを紹介した。
「初めまして。」
「初めまして。」
エリヴィーネと琴子は挨拶を交わした。

「最初から説明した方がいいと思うの、ナオキ。」
流暢な日本語でエリヴィーネが直樹に言った。きっと琴子にも分かるようにという配慮からだろうと琴子は分かった。
「そうだな。」
直樹は話を始めた。


************

話は一年少し前の夜会にさかのぼる。

エリヴィーネの父と直樹の後見人とで会話が弾んでいた時、エリヴィーネが直樹の腕を突いた。
「あちらでお話しませんか?」
それを見つけたエリヴィーネの父、ノイエンドルフ子爵が笑顔を見せた。
「ヘル・入江、すまないがこのお転婆娘の相手を頼めないだろうか。」
「分かりました。」
さすがに後見人の顔があるので直樹も断れなかった。エリヴィーネに導かれるまま、バルコニーへと出る。

「お願いがあるのだけど。」
人がいない場所に出た途端、エリヴィーネが直樹に言った。
「何でしょう?」
「私に日本語を教えてほしいのです。」
「え?」
直樹は面食らった。
「ええ、日本語が話せるようになりたいのです。」
「なぜでしょうか?」
フランス語ならばわかるが、ここドイツで日本語を教えてほしいなど珍しい。
「それは…。」
エリヴィーネは会場に目をやった。どうやら父親がこちらに来ないか確認したようである。

「私の恋人が日本人なのです。」
「日本人…。」
そこでエリヴィーネは話をした。
ドイツに来た日本人留学生と恋に落ちたこと、しかし相手が貧しかったため、二人の交際は父に猛反対を受けたこと、そして留学生も帰国することになったこと――。

「でも彼は言いました。必ず私を迎えに来てくれると。いったん帰国するが、必ずまたドイツに来るって、迎えに来てくれるって。」
エリヴィーネの目は真剣であった。作り話ではないことは直樹にもよく分かった。
「ですから、彼が迎えに来てくれる時に私、彼の国の言葉を話せるようになっていたいのです。彼は教えてくれました。セヲハヤミ イワニセカルル タキガワノ ワレテモスエニ アハントゾオモウ…。」
エリヴィーネが諳んじた一首に、直樹は琴子を思い浮かべ、呟いた。
「今は別れても将来必ず…。」
「え?」
「失礼。何でもありません。」
「お願いします、どうぞ教えて下さい。」
「なぜ俺に?」
直樹は疑問をぶつけた。留学生は他を探せばいるはずである。初対面の自分をなぜ指名したのだろうか。

「私、今夜あなたをずっと見てましたの。」
「俺を?」
「はい。あなたはどなたとも踊ろうとしなかった。そして全然夜会を見ていなかった。まるで遠くにいる大切な人を思っているかのようで。もしかして私と同じなのかと思ったのですけれど、違ったらごめんなさい。」
恋する女性の直感はすごいと直樹は舌を巻いた。まさしくその通りであった。

「当たってますね。」
直樹はクスッと笑った。
「やっぱり!それじゃあ私たちが一緒にいると都合がいいんじゃないかしら?」
「都合がいい?」
「ええ。私の父はあなたに一目置いているから、あなたと一緒にいることにうるさく言わないでしょう。あなたも社交の会場で私と一緒にいれば他の女性の相手をせずに済むでしょう?」
「つまり、お互い理にかなっているということですか。」
「ええ。あなたといるようになれば、つまらない男性の相手をせずに済むし。」
なかなか頭のよい女性のようである。確かに直樹も助かる。琴子以外の女性と踊るつもりはこの先もない。

こうして風変りな子爵令嬢との付き合いが始まったのであった。

************

「それでこの一年、ナオキから日本語を教わりました。」
「一年でこんなに上手に!すごい!」
琴子は驚いた。日本人でもこんなにきれいな言葉を話す人はいないだろうと思う。
「私なんてドイツ語、全然できないのに…。」
「あら、ナオキの教え方が上手だったからよ。」
「謙遜まで…。」
とりあえず直樹とは恋人関係ではなかったことに安堵する琴子であった。

「さて、それじゃあ私は失礼するわね。」
エリヴィーネは席を立った。
「あとは二人でゆっくりお祝いしてね。」
「お祝い?何か特別な日なのですか?」
キョトンとしている琴子。
「え?何の日なの、直樹さん?」
「…俺の誕生日。」
「ええ!?」
琴子はたまげた。
「ご、ごめんなさい…私…知らなくて。」
「教えてなかったからな。」
「いいじゃないの、こうして来てくれたんだから。」
エリヴィーネはクスクスと笑いながら、
「それじゃあ、ごちそうは準備してあるから。あとは二人で。」
と気を利かせようとした。家政婦のキルマイヤー夫人も同様であった。

「あの、待って!」
二人を琴子が呼び止めた。二人は何事かと琴子を見た。
「せっかくのお祝いですから、一緒に。」
「え?でもやっと会えたのよ?」
エリヴィーネがキルマイヤー夫人に通訳をしながら琴子を見る。
「お祝いは大勢の方が楽しいと思うんです。」
「気を遣わなくていいのよ、コトコ。」
「いいえ、全然気を遣ってません。ねえ、直樹さん?」
琴子は直樹を見た。思わず直樹は笑みをこぼす。
「ああ、それに。」
直樹はそこでドイツ語に変えた。
『琴子とは夜ゆっくり一緒にいられるから。』
それを聞いたエリヴィーネとキルマイヤー夫人が声を立てて笑う。
「え?何?何と言ったの、直樹さん?」
「内緒だよ。」
「ずるい!」
琴子が頬を膨らませた。



「エリヴィーネさんもキルマイヤー夫人もいい人ね。」
「そうだな。」
誕生パーティーも終わり夜も更けた。直樹と琴子は二人きりになった。
「あったかーい。」
暖炉に手をかざす琴子。その琴子が淹れてくれた久々の日本茶を直樹は飲んだ。
「うん、うまい。」
「本当?よかった!」
ティーカップに日本茶と珍しい組み合わせであるが、ちゃんと琴子の味が出ている。
飲み終えると直樹は暖炉のそばにより、琴子の隣に座った。

「誕生日だというのに、何もプレゼント用意していなくてごめんなさい。」
「そんなこと気にしなくていいよ。」
琴子と再会できたことが何よりのプレゼントである。
「私もドイツ語、少しだけ勉強してきたのだけれど…。」
「へえ、そうなんだ。」
「うん。」
そこで琴子は、この二年間ドイツに関連する書籍を集めていたことを直樹に打ち明けた。
「でも写真よりずっと美しい国だわ。」
「ああ。」
二人は黙り込み、暖炉の火を見つめる。

「覚えたドイツ語とかあるのか?」
直樹が話を向けた。
「ええと、ダンケでしょ?あとグーテンモルゲンとか挨拶。」
「それくらいか。」
「あと、もう一個。」
指を折って数えていた琴子が俯いた。
「何?腹が減ったとか、食べ物ありませんかとか?」
「違うわよ、失礼ね!」
プリプリと怒る琴子に、直樹が笑う。

「イッヒ…。」
琴子の声が小さくなった。
「イッヒ?」
「Ich liebe dich(イッヒ リーベ ディッヒ)。」
頬を染め、琴子が直樹を見つめる。

Ich liebe dich―あなたを愛してます。
直樹は返事の代わりに、琴子にキスを落とした。



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か…かわえぇ~~~・

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水玉さん♪
いつも有難うございます♪

急いで慌ててよみましたので、とりあえず一言。

いい感じいい感じ♪
明日またゆっくりと読みます。では!

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きゃあ~~~、再会できたのですね♥
よかった。よかった。
また、エリヴィーネのことで琴子が悲しむのかな?とおもっていたので、ホッと一息。。。
これからどうなるのかなと楽しみに待ってます。

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イッヒ…

最後の会話が水樹ボイスで聞こえたような気がしました!!

再会できてよかったー!
エリヴィーネもハッピーでありますように…と切に願っております♪

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プロフィール

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Author:水玉
『イタズラなkiss』のほかには『ゴルゴ13』が好きです☆
多数あるイタキスの二次小説の中で邪魔することなく、ひっそりとマイペースで我が道をゆきつつ生息しております。
そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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二次創作については、いわゆる原作の隙間をぬった作品もありますが、主人公以外のキャラクターをメインとしたものや オリジナルキャラクターが出てくるものもございます。

そして、原作と違った時代(平安や明治やその他の時代を舞台にしております)、異なる設定(主人公を医者と看護師じゃない職業にしております)で書いてあるものが多いですが、原作を冒涜しているつもりは全くございません。

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